闇は少女を飲み込んで
少女の暗き過去と未来に光を
「…誰もいないようだな」
実戦棟二階、『コロシアム』に到着した霧間は、そうポツリと声を漏らした。
恐らく、霧間たちがそうであったように、他の学生たちはランチタイムなのだろう。
霧間は誰もいない空間に少しだけ驚いたが、むしろこんな時間にコロシアムにいるほうが不自然だといえる。
「どうした?怖じ気づいたのか?」
ククク、と嘲笑する金髪の少年、三宅。
「はっ、どっちがだよ」
そんな挑発にも乗らず、霧間はさっさとドームに入り、異世界に移動した。
…逃げるなよ?
そう言い残して。
「ケッ、バカにしやがって!所詮はGランクが!」
そう言って三宅も後につづいた。
二人が辿り着いた場所は、楠原と霧間が戦ったところと同じく荒野だった。
ただ、楠原の攻撃の軌跡がないため、同じ荒野でも違う場所といえよう。
不意に、三宅が声を上げた。
「この日を待ってたぜ。お前を倒して、この俺が名を上げる日をな!」
「どうでもいいけど、さっさと終わらせようぜ。カレーも残したままなんだ」
三宅とは対象に、面倒くさそうな声を吐く霧間。
そんな霧間に対し、三宅は先ほどと同様に大きな声で言う。
「ふん、そうかい…なら遠慮なくいかせてもらうぜ!」
そう言った直後、三宅の体が赤く光り出した。
熱を帯びているのだろうか、彼周辺の空気はユラユラと揺れている。
それを確認した霧間は、魔力を体に宿した。
少しだけ白くなる視界を通して、赤く染まる三宅を見る。
三宅が口を開いた。
「どうした?こないのか?『火灯しトカゲ』の炎で作った『炎の鎧』だ。うかつには触れられないだろ?ククク…」
彼は自信満々だった。
理由として、『火灯しトカゲ』は、実際のところDランクの人間が契約していてもおかしくないほどの能力をもつ。
そして最も大きな理由は、三宅が霧間麻人の能力を十分に理解していないことだった。
霧間は三宅の言葉に対したリアクションもせず、
「…その程度の炎で満足なのか?」
と、あまりにも自信に満ちていた三宅をバカにするかのように言った。
当然、腹を立てる三宅。
片方の眉を上げ、攻撃に出た。
「クソ、なら喰らいやがれ!『烈火直進』!」
彼がそう叫ぶと、『炎の鎧』から真っ赤な槍のようなものが飛び出し、周りの空気をゆがませながら、霧間を突き刺そうと宙を駆けた。
直撃すれば、恐らくただじゃ済まない。
しかし、霧間は全く微動だにせず、左手を前に出してその炎を止めた。
彼を喰らうはずの槍は、今獲物の手のひらに動きをなくされている。
「な、何だと…?」
焦りを隠すことがでかない三宅。
攻撃直前の自信が大きかったため、その反動も、それを上回るほどの大きさがある。
そんな彼を惨めに思った霧間は、槍を手で止めながら言った。
「なぁ、俺は普段、お前らが逃げ出すような『Aランクの化け物』とやりあってんだよ。こんなちんけな攻撃、蚊のほうがよっぽど厄介だぜ」
霧間が槍の尖端を握ると、炎の槍は原形を留めることを忘れ火の粉となって地面に散らばり、そして吹き抜けた生暖かい風がそれをどこかに消し去った。
それを見ると、霧間は三宅に視線を移す。
「じゃあ…次は俺の番だよな?」
そう言うと、霧間は一瞬で三宅に詰めより、そして
「っらぁ!」
炎を纏った体を思いきり殴った。
拳と鎧の間に強烈な火花が散る。
そしてそれが霧間に降りかかろうとするが、それは彼に届く前に纏った魔力に掻き消される。
「砕けろぉ!」
霧間はそう叫び、そしてさらに力を込めた。
すると、三宅の体を守っていた炎の鎧は、まるで風船が破裂するかのように火花となって風に消えた。
その反動で、地面に倒れる三宅。
「なっ!?…クソ、何なんだよお前は!そして何なんだ!?その契約相手は!!」
冷や汗と焦りのもと、三宅は霧間に言った。
霧間は、すでに能力が解け、尻餅をついて怯える金髪の男を上から見下ろしながら言った。
「そんなもん、俺が一番知りてぇよ…」
霧間が三宅に鈍い音を響かせ、止めを刺したのはそれから数秒とかからなかった。
藍川澪美は、実戦棟に入っていったメガネの男、佐川を追って建物内にいた。
―――たしかコロシアムって言ってたから、二階かな?
彼女は佐川を追うべく、階段に差し掛かった。
エレベーターを使うと音がするため、追跡がバレる恐れがあるからだ。
一定のリズムを刻みながら、階段を一歩一歩昇る。
その時に発せられる、靴と床が擦れる音が気になるほど実戦棟内は静かだった。
藍川は踊り場に差し掛かろうとしていた。
心臓の鼓動は早くなり、しかしながら足取りは重くなる。
この階段には窓がないため、それが彼女の心拍数を上げる原因になっていた。
そんなとき、
「いいか、言った通りにするのですよ?」
藍川澪美の耳に、佐川らしき人の声が入った。
彼女はその言葉から、佐川は誰かに話しかけている、すなわち一人ではない、ということを把握した。
藍川は階段の上から聞こえる声に耳を傾ける。
「三宅は必ず負ける。最初から勝てるなんて、これっぽっちも思ってません。だから、彼は囮です」
藍川は衝撃の事実に目を丸めながらも、彼の言葉を聞いた。
「あの霧間という男は、最低ランクの力ではない。普通に戦っても、僕たちが勝つのは不可能でしょう。だから、『彼が異世界から帰ってきた瞬間』を狙ってください。いくら霧間でも、そんな不意討ちには対処できないでしょうから。
…僕たちFランクにとって、Gランクは敵です。その中の最強と呼ばれる芽は、摘み取らなければいけません。いいですね、あなたたち二人で、確実に仕留めてください」
藍川はそんな佐川の言葉から、敵が三宅を含め、四人いること、そして霧間麻人の身が危ないことを理解した。
「それでは僕はコロシアムに行ってきます。三宅がやられ、霧間がこちらの世界に送還されそうになったら知らせますので、上に来てください」
佐川はそう言い残し、階段に音を響かせながら消えていった。
―――どうしよう、麻人君が……と、とりあえず、浩也君に伝えないと…!
藍川は携帯を取りだし、岩國への連絡を試みた。
がしかし、ここで重大なミスをしてしまう。
「あっ…」
あまりの緊張のせいからか、携帯を手から落としてしまったのだ。
当然、階段には床に何かをぶつけたような音がこだまする。
いくら携帯をマナーモードに設定し、さらにバイブレーションも作動しないようにしても、これだけの音が鳴ってしまえば元も子もない。
「誰だ!?」
藍川は男の声を聞いた。
そして足音が近づいてくるのを肌で感じる。
彼女は落とした携帯を拾おうと手を伸ばす。
しかし、その細く白い腕はゴツゴツとした手によって動きを止められてしまった。
「キャッ!」
慌てふためく藍川。
しかし、男のもう片方の手が彼女の口を塞ぐ。
「あれぇ?こんな所に一人で何してるのかな?お嬢さん」
藍川を捕えていない方の男が言った。
「ってかこのコ、Gランクの奴じゃないか?この水色髪、見たことあるぜ?」
そしてニヤニヤと口元を吊り上げ、男は藍川に近づく。
そして取り出した物は
サバイバルナイフ
「可愛い顔してるじゃん。…なぁ、最下位ランクって、やっぱ『奴隷』だよな?ちょっと遊ぼうぜ?」
それを藍川の首筋に近づけ、男は言った。
彼女の瞳は恐怖に染まっている。
拘束していた男は一旦それを解き、そして藍川の腕を再び掴み、自由を奪った。
彼女は身動きをとることができない状態だが、自由になった震える口を開いた。
「お願い……やめて………!」
それを聞いて笑う男二人。
「やめて、だってよ!自分からついてきておいて!そんなに俺たちが怖いのか?カカカ!」
男の言葉を耳にし、藍川はますます顔を青ざめさせる。
そのとき、男たちは彼女の異常に気づかなかった。
全身に鳥肌を立たせ、ガタガタと震える彼女を、ただ怯えてるだけと解釈していた。
藍川澪美の瞳の中に映る、楠原が見た『青い球体』が揺れていることも見ずに。
彼女は震える声を出す。
「違う……違う違う!怖いのは……私…自身……!」
それを聞いた男二人は不思議そうに顔を見合わせる。
藍川は狂ったように続けた。
「やめて……血を見せないで………私の血を流さないで…!!あんな惨劇はもう………嫌ぁァ!!!」
さすがに男たちも彼女に対して恐怖を抱いた。
だが同時に、生まれてしまった好奇心。
この女の子、血見たらどうなるのかな?
そして、衝動に駆られた男がナイフを突きつける。
「こいつ、血見たら気絶しておとなしくなるんじゃねぇか!?」
そう言ってナイフを突き立てた
わめく少女
笑う男
そして
揺れる『瞳の中の青い球体』
…次の瞬間
「あっ………」
藍川は自分の腕に伝う一筋の赤い鮮血を見た。
藍川の、少女の時が止まる。
床に滴る赤い滴を見ながら、流れ出る鮮血を見ながら、少女はフリーズした。
「おいおい、どうしちゃったのお嬢さん。何とか言ってみろよ!」
ニヤニヤしながら、血のついたナイフを持った男が、少女の顔に手を伸ばす。
しかし、俯く少女の顔に恐怖の色など微塵もなく
…何もカも考えられナクなっテイた
そして次の瞬間、
「…な、何だ!?この匂いは…」
男たちは驚き、周りを見渡し始めた。
無理もない。
階段の踊り場には『血の匂い』が充満していたからだ。
突然のできごとに焦る男たち。
と、そのとき、
「ウ、ウワァッ!」
藍川を拘束していた男が声を上げた。
「ど、どうしたんだよ!」
冷や汗をかきながら尋ねるもう一人の男。
手を放した男は目の前の少女を指差し、言った。
「いや…こ、こいつ…」
刹那、
「フフッ、フフフ…」
「笑ってやがる…!!」
「フフフフッ、ァッハハハハハハハハハ!!」
藍川の笑い声が階段に響いた。
しかし、それはいつもの可愛らしい声ではなく、
不気味な、興奮したような狂気の声。
「な、なんだよ!こいつ!」
「気持ち悪ぃ!おい!ずらかるぞ!!」
男たちは駆け出そうとした。
一刻も早く、この少女から離れようとしたのだ。
しかし、動けない。
男たちは、それぞれ片手ずつ、藍川に掴まれていたのだ。
そして
「ハハッ、ねぇねぇ」
「ヒィッ!」
怯える男を無視し、俯いた顔を上げて藍川澪美は言った。
「『ナイトメア・ナイフ』って知ってるぅ?」
その瞳の奥の球体は真っ赤に染まっており、そしてもう一度だけ少女の狂気の声が階段に響いた。