黒い男と逃走者
しいなここみさま「冬のホラー企画4」参加作品です。
冬の要素はあまりありません。
今日(正確には昨日、ないし一昨日)の私の夢にフィクションを半分くらい混ぜて書きました。
登場人物は、黒い男以外全員モデルがいますが、いじりまくって原型がありません。
「おいっ、待て!」
後ろから黒い服をきた男性が追いかけてくる。
気がつくと、私――藤川 藍は、O市の市民会館の駐車場に立っていた。いつもはたくさんの車がとまっているというのに、1台も止まっていなかった。
私は普段、普通のOLとして会社に勤務している、はずだった。それなのに、いつの間にこんなところに……?
ただ、迫りくる男性に捕まってはいけない、ということだけを肌でひしと感じ、私は全速力で駆け出した。
駐車場を端まで駆け抜けると、私は追い詰められた。そこには、腰くらいの高さまでの壁があった。見下ろすと、4mほど下にもまだ駐車場がある。
後ろを振り返ると、男性が鬼の形相で追いかけてきていた。
……飛び降りるしか無いのか。
と、そのとき、ふと昨日みたショート動画を思い出した。5mくらいの壁に阻まれた2人が、協力して肩車したりすることで、壁を登ることができるという動画だった。ショート動画はいつまでたってもスクロールして知らず知らずに時間が経ってしまうし、そのくせ大して知識にもならず、ただただ堕落してしまうという極悪制度だけれど、今だけは感謝したい。
今は登るのではなく降りる方だし、私は一人きりだったが、そんなことは大した問題ではなかった。
私は壁に手をかけ、下に続く駐車場へそぉっと足をおろした。
「あ、おい!」
私を追いかけていた男性が怒鳴り声を上げた。気にしない。ただ、逃げるだけだ。必死に足を動かす。
……学生時代に50m走が9秒台で、最近は運動してない私にこれはきついって!
後ろから、トンッという音がした。どうやら、男性も降りてきたようだ。
まもなく、駐車場に終わりが見えた。広い駐車場だった。再び飛び降り、今度は民家の前にとまっていたトラックの荷台の上に飛び降りた。恐怖心は二の次だ。今は、逃げなければ。
街中にも、誰もいなかった。車はある。家もある。ただ、生き物という生き物がいなかった。そこにいるのは、私と、男性だけ。静寂にあふれる車道の真ん中を、風になって走り抜ける。
孤独だった。「いる」というより「迷い込んだ」という方がしっくりきた。
駅のロータリーに差し掛かったとき、空気が変わった。そこには、動いているものがあった。
……母の車だ。
思わずナンバープレートを確認する。4219。間違いなく母の車だ。
外は北風がびゅうびゅう吹いていて、マフラーも手袋もつけていなかった私は、寒くて凍えそうだった。
地獄に差し込んだ一筋の光、それが車の暖房だった。
救いの手を求めて、さらに加速した、その瞬間。
「あッ……」
普段なら気にもしない、小さな段差に足を引っ掛ける。体を地面に強く打ち付けた。痛い。呼吸が苦しい。肺に息が入ってこない。その間にも、後ろに迫る黒い影。
「ぐっ」
うめきながら、立ち上がる。車に乗ることができれば、私の勝ちだ。ひゅうひゅうという呼吸音を響かせ、足を動かす。泥のように。意地汚く。
車まで、20メートル、10メートル、5メートル……
車の扉が中から開かれる。
男性が怒声を上げる。
足を車に踏み入れる。
男性の気配をすぐ後ろに感じる。
手を誰かに引かれる。
車の中に滑り込む。
扉が閉まり始める。
車が急発進する。
扉が閉まりきる。
間に合ったのだ。救われたのだ。心臓の音が聞こえる。鼓動が速い。
振り返ると、男性が棒立ちになっていた。顔を見て、私は倒れそうになった。
――そこには、憎悪に顔を歪ませた、鋭い視線の男性が立っていた。
「……大丈夫?」
母の心配そうな声で、我に返った。
「なんとかっ」
短く答える。そんな場合ではなくて気づかなかったが、相当息が切れていた。
「びっくりしたでしょう」
車には家族だけではなく、知り合いのおばさんも乗っていた。名前を、加藤という。
いわゆる、味方にいると安心する人だ。現に、車に乗っているだけで心強い。
「はい、とても……どういうことなんですか?」
私が問いかけると、加藤さんだけでなく、母も、それから父も目を逸らした。
「ごめんなさいね……今は、教えることができないの」
加藤さんの言葉に、私は納得した。それなりに生きてきて、知らないほうがいいこともがあることも、知らせることができないことがあるということも知っている。
一人納得して、車に揺られた。
「あ、じゃあ、いまどこに向かっているかは、聞いてもいいですか?」
どうやら加藤さんがすべてを知っているらしいと感づいた私は、再び問いかけた。
「ごめんなさいね、それも……直前になったら、教えますから」
……そうなのか。それじゃあ窓の外の風景を見ているしかないな。
どれだけ見ても、見慣れた都会の風景が続いていくだけだ。早々に飽きた。
30分ほど経っただろうか。ぼーっとしていた私に、母が声をかけた。
「藍、藍、そろそろ降りる準備を」
「ん」
了解の意は示したが、なにせ手ぶらだ。準備も何も無い。心を整えることくらいしかできないのだ。
……これだけ不可解なことが起きているのだ。次、何があっても驚かない。
「藍ちゃん、そろそろA市の図書館につくじゃない。そこで降ろすから、隣の占いの館に入れてもらいなさい。合い言葉は『犠牲者』よ。そして、指示があるまで絶対に出てこないで。話は通してあるから」
「わかりました」
加藤さんの指示を脳内に書き留めて、私は気合を入れた。
車がゆっくりととまり、扉が開く。
「藍、どうか無事で」
「うん」
家族と短く会話をかわし、すぐに歩き出した。
……えっ!?
一本向こうの道で、黒い服の男が駆けていくのが見えた。
……なんでここにいるのっ!?
震えながら、走り出す。今の私には、それ以外の選択肢はなかった。
占いの館は、2階建ての洋風の建物だ。ドアを数回ノックして、飛び込む。
「合い言葉は?」
中にいた女の人が短く告げた。
「犠牲者」
私も答える。
彼女は一つ頷くと、中からもう一人、女の人を連れてきた。
……あれ?どこかでみたことがあるような。
きっと10年くらい前に会った誰かに似ているのだろう。そんな既視感を抱くことはよくある。
「野田です。藍ちゃん、よろしくね」
もう社会人になったというのに、加藤さんが根回ししたらしいこの人は、私のことをちゃん付けで呼ぶ。さん、でいいのに。
「早速だけど、隠れようか」
そうだ、私はそのためにここにきたのだ。早足で何処かへ向かう野田さんに、私も足を忙しく動かして追いついた。
「ここよ」
そこは、小さな部屋だった。机が一個、入るかどうかというくらい。普段は、お客さんとの相談室的な扱いなのだろうか。
なにより、その壁には一面に鏡が貼ってあった。
「凄い鏡ですね」
「そうでしょう、それよりも早く入って」
焦った様子で野田さんが扉を閉める。カチッという音がして、扉が完全に閉まった。
「時間がないから手短に説明するわ。とにかく、静かにして。この壁は、中の人が何か喋ると透明になるの」
そう言いながら、野田さんが部屋の壁を触った。
「つまり、今は透明、と」
「そうよ。そして話していないときは、嘘の情景を映し出すの。なにもない談話室とか、ね」
「めんどくさいですね」
「そう言わないで。それに、そろそろあの男がやってく……ほらね」
ガタガタッと不穏な音を立てて、占いの館の扉が開く音がした。あの女の人が対応している声がするが、やがて静止を振り切って入ってきたようだ。
私は壁の方を向いて座っている。この壁の先には、あの男がいるのだろう。足音がする。
でも、その姿は私には見えない。透明ではない壁が、私の心を支えていた。
野田さんの方を向く。しーっとでも言うように、人差し指を立てる野田さん。
あとは、こいつが通り過ぎるのを待つだけ、待つだけなのだ……
ふと、鏡の方を向いた私は、
「うひっ!?」
声を上げた――上げてしまった。
向こう側が見えない壁とは反対に、鏡には壁の向こうにいる男が、しっかりと写っていた。
先ほどと変わらない、凶悪な顔で。鋭い瞳で。憎々しげに歪んだ、口元で。
そして、私が上げた声で、壁は透明になった――
男がこちらを見ている。
睨んでいる。
口が歪んでいる。
口が動く。
み い つ け た……
「逃げて!」
野田さんの叫び声で、はっとする。遠のきそうになっていた意識を、なんとか繋ぎ止めた。
野田さんが扉を押さえている。男は開けようとしている。その状態のまま野田さんは話し始めた。
「わたしは加藤さんに言われて匿ったっ、けど……! あの人は、わざと藍ちゃんを捕まらせるよう言ってた! 敵だよっ!」
私は足元がグラッと崩れるのを感じた。助けてくれた加藤さんが、敵……?
野田さんは扉を押さえていたが、ついに負けて男が入ってきた。野田さんが男を睨む。男は私を睨む。
男が私に斬り掛かってきた。ナイフをどこかから取り出して。
避けられない……
その瞬間、私の前に庇うように誰かが現れた。
野田さんだ。
「行って! 無事で!」
野田さんの叫び声が響く。悲痛な声だ。死にゆく声に、私は押されるように走り出す。
占いの館の玄関には、もうあの女の人はいなかった。
なんとか扉を開け、外に出た。
そこには、『普通の日常』があった。
人は歩くし、犬も歩く。図書館もやっているし、車も走っている。
まるで、なにごともなかったかのように。
占いの館の駐車場には、母の車があった。急いで乗り込む。
「藍……! いきててよかった……!」
ボロボロ泣きながらも、母は車を走らせる。
「加藤さんが、あの子はもう死んだっていうから……」
父も、目をうるませながら言った。
「加藤さんは?」
私が聞くと、父と母は言いにくそうな顔をした。代わりに妹が口を開いた。
「『おぼえてろ、またきてやる』だって」
――どうやら、私の苦難はまだ終わらないようだ。
窓の外には、のどかな田園風景が広がっていた。
お読みいただきありがとうございました。




