曰く付きの家に嫁いだら、旦那様は死人でした
タイトルの「死人」は「しにん」でなく「しびと」と読んでいただきたいです。
旦那は最初から死んでます。
10月30日、文章の一部を修正。
「やあ、君が私の花嫁かな? どうかよろしく頼むよ」
身分から考えるとかなり気さくに、私の夫となったミハエル様が微笑みを向けて来られた。
黒に紫の混じった髪は短めに整えられ、深緑の瞳が輝く清潔感のある美青年だ。たしか御年二十四歳。由緒あるアルテンブルク公爵家の現当主であられ、本来であれば私のような貧乏伯爵家の娘が嫁げるはずもない方だ。
両家の事情により、婚約期間無し。結婚式も無し。顔合わせすら無いままに本日入籍して、私はウルリーケ・フォン・アルテンブルクとなったばかり。
それなのに。初めてお目にかかれた旦那様は、まるで屍のようであった。
アルテンブルク公爵ミハエル様には、五年来の政略による婚約者がいらっしゃったそうだ。しかし去年、ミハエル様が重い病に倒れられた際に白紙とされた。十五歳も下の幼い婚約者では万が一に間に合わない、と両家同意の元に。ただ、次のお相手探しには随分と難航されたと聞いた。
それも無理はない。歴史あるアルテンブルク公爵家。遡れば王女の降嫁も幾度かあった由緒ある名家には違いないのだが。
人呼んで『墓守公爵家』。
代々、王家の霊廟を守る役職についておられるのが由来だろう。霊廟を清め、悪霊を払う。我が国では先祖を深く敬う事が尊ばれる。アルテンブルク公爵家の役割は神事に近い。だが言葉は悪いが墓守には違いなく、その連想からであろうか。さまざまな噂が独り歩きしていた。
王都を囲む塀の外には貴族用と平民用の墓地がある。それなりの規模で広がっており、独立した塀で囲まれているのが特徴だ。これは死体が獣に掘り返されて食われたり、盗賊に埋葬品を狙われたりしない為だとか。また、屍人として蘇らぬよう、悪霊を呼び寄せぬよう、疫病の発生源にならぬよう、塀や門に刻まれた聖なる浄化紋で隔離して王都を守っているらしい。夜間には門も閉じられ、墓守すら入ることは叶わない。
その墓地で。代々のアルテンブルク公爵様が真夜中にうろつく姿が幾度も目撃されている、というのだ。
それを見たという奴の方が怪しくないか、とかはあまり突っ込まれない。
その際に、死体を掘り返して持ち帰っただの、青白い炎に包まれていただの、手や口が血まみれだったのだの、高位貴族相手に許される噂ではないようなものが、まことしやかに囁かれているのである。
噂にどのくらい事実が含まれているのか、あるいはまったくのデマなのか。私には調べることもできず、また調べる暇もなかった。それくらい急な婚姻であったのだ。
私、ウルリーケはラムブレヒト伯爵家の三子で次女。上には兄と姉のいる末っ子だ。我が家はそこそこの領地を持つ平均的な伯爵家。代々どこの派閥にも属さぬ中立派で、ずっと中堅どころの家としてやってきた。領地にも目立った産業はなく、ほぼ農業が主となる。それでも過去には特別貧乏であったりもしなかったものだ。
それがおかしくなったのが四年前。何に影響を受けたのか、跡取りの兄が突然勝手に婚約破棄なぞしでかしたのである。どこぞやの男爵家の娘に入れ込んで、婚約者だった伯爵令嬢を虚仮にして。
温厚な父が激怒し、先方の父君も激怒。当然である。
結果、兄は廃嫡。貴族籍も抜かれて我が家から放逐された。しかし、家同士の話であるから、それだけでは収まらない。我が家から先方には当然多額の慰謝料が支払われる。更に同年、長雨が続いて作物に影響があり。その補填でまた出費が……とやっているうちに蓄えも乏しくなった。
急遽、姉が跡取りになり、ここでも嫁入りでなく婿取りに変更する為に、婚約の白紙化だの新たな婚約者探しだので出費が嵩む一方。しかも収穫さえ当てにできないとなって、我が家は困窮するに至り、ついには借財しか手元に残らなかった。そこまでいくのに一年かからないという早業である。
姉はなんとか婿を確保し、家族の奮闘で家の存続はぎりぎり保たれている状態だ。当然、末娘の私のための持参金なぞ用意できるわけもなく、婚約者もいないままに父や姉を微力ながら手伝う日々。そうこうしているうちに私は十八になったが、このまま未婚で終わる予感しかなかった。
そんな折、縁談を断られ続けて、ついには我が家にまでアルテンブルク公爵家からの縁談が流れてきたのだ。
持参金も不要。借金の肩代わりをしてくれた上に、更に支度金まで用意してくれるという好待遇。先方の要望は「出産可能な若く健康な未婚の貴族女性」とだけ。つまり後継を生んでくれる可能性に対して金を出すと。しかも正式な婚姻だから、公爵夫人として遇されて優雅な生活を約束するという。
貴族の結婚なぞ、血を繋ぐことが目的なのが第一。私はほとんど領地から出たことが無く、社交にも縁がなかったが、それでも貴族の娘としての役割は理解していた。家の為に嫁いで子を産むこと。それは「墓守公爵」がお相手であっても変わらない。
私は家族の反対を押し切って話に飛びついた。母も三人産んでおり、母方は兄弟姉妹の多いことで知られる多産系。領地育ちで悠々と育ったので、健康優良であることにも自信がある。だから家族を説得して、今日という日を迎えたのだ。
裕福な若く麗しき公爵がお相手となれば、多少の厭わしい噂があれど、令嬢たちの嫁ぎ先としては好ましいと思える。我が家程度には伝わらない、高位貴族が受付けない理由があるのかもしれない。それでも婚姻の承諾を伝えた後、素晴らしい速さで支度金という名前の資金的援助も完了してくれた。ならば今度はこちらが誠意を見せる番だろう。
そういった、いささか呑気なことを考えながら、私は少ない荷物だけ持って、公爵家が寄越してくれた馬車に一人で乗り込んで領地の邸から王都にある公爵邸を目指した。使用人も減らしている現状、私に付いている侍女すらいないためだ。それを見越したように世話係が同乗してくれ、数日の旅は快適なものであった。
王都の一角に広がる公爵邸は広大で、建物は歴史を感じさせる荘厳さ。ここが本邸になるのは、公爵家が領地を持たないためだ。これまで過ごしてきた伯爵領の邸なぞ何もかもが比べ物にならない。なんでもかつての王家の離宮を賜ったのだと言う。
迎え入れてくれた使用人たちの教育も行き届いているようで、歓迎されている雰囲気が肌で感じられる。私のために用意された部屋も品のある居心地の良さそうな設え。夕食も満足のいくものが部屋に用意され、その後は風呂へと直行させられて侍女たちに寄ってたかって磨き上げられる。鏡で見る限り、不足していた手入れも補完されて、我ながら悪くない様子に思えた。
そうして、目的も明確な薄い夜着を纏わされて、夫婦の寝室に放り込まれたのである。
先方の希望は一刻も早い後継者をというものだから、分からないでもない。しかし、さすがに到着したその日のうちにとは、あまりにも性急に過ぎる。女性らしい情緒が発達していないと主に母と姉に嘆かれる私だが、一応はぴかぴかの真っ新な乙女だ。ニ三日程の猶予くらいは与えられてしかるべき……そう主張するはずだった。
しかし実際に旦那様とお会いしたならば、それどころではなくなってしまったのだ。
「こちらこそよろしくお願いいたします、旦那様。ウルリーケにございます」
腰かけていたベッドから立ち上がり、続き部屋の扉から現れたガウン姿の旦那様に一礼する。
お美しい旦那様。お優しそうな旦那様。けれどお肌は土気色。領地では葬儀にも参加していたから知っている。その肌色は生きている人間のものではない。
「ところで旦那様。不躾ながらお伺いしたいのですが」
「新妻のおねだりか。聞くのは吝かではないね」
「ありがとうございます。それでその、旦那様は生きていらっしゃるのですか?」
失礼にも程があると自覚はしている。でも気になって仕方ない。家のため自分のためにと決めた縁談だ。大抵の事は飲み込む覚悟で嫁いで来た。しかしである。さすがに死人に嫁ぐ覚悟はなかった。
「残念ながら死んでいるんだ。すぐに分かったのは肌の色かい?」
こっくりと頷く私を旦那様は咎められる様子もない。
「仕方ないんだよね、血が流れていないから。血色とはよく言ったものだねえ」
むしろご機嫌は大変によろしいようだ。
「ウルリーケ、君は回りくどい発言がなくて、とてもいいね。君を迎えられてとても嬉しいよ」
「どういたしまして。ですけれどその、公爵家のご希望には、そのお身体では……」
何故か会話ができているけれど。肌の色を無視すれば生きているようにしか見えない態度ではあるけれど。でも死体では子作りできませんよね? というのはさすがの私でも言い難かった。
「ああ、心配しないで。アルテンブルク家三百年の歴史が、不可能を可能にしているんだ。詳しいことは明日以降にゆっくり話そう。今夜は――――多少、冷たいのは我慢してくれるかな?」
気が付けばそのままお床入りということになり。呆然としているうちに事は終わっていた。何故に可能なんだか……。
翌日になっても、日光を浴びても。旦那様は溶けも消えもせず微笑んでおられた。朝はゆっくりさせて頂き、昼食をご一緒する。食事もできるのかと、そちらに感心してしまった。
「無理をしていないかい? 辛いようなら部屋で休んでいても構わないからね」
旦那様は私の身体を労わってくださる。それは新婚の夫としてなかなかに評価が高いといえるがしかし。色々と尋ねたいことがありすぎた。悠長に横になってはいられない。
もちろん、旦那様にもそれは伝わっていたのだろう。昼食の後、私は書斎へと招かれた。
お茶の用意をして侍女が退出すると、旦那様は鷹揚な態度で、緊張を隠せない私を宥めるように微笑みかけてくださった。
「いいよ。聞きたいことが色々あるのだろう? ウルリーケは何も知らぬまま嫁いできてくれたのだから、どんな質問にも答えよう」
「ではまず。旦那様が亡くなられたのはいつで、その原因は何でしょう?」
一番聞きたいことではないが、このあたりの事情も知っておきたい。
「ああ、それなら。世間では病に倒れたとしている一年前だね。死因はちょっと呪われたせいだよ」
「ちょっとどころではないではありませんか! 何か恨まれるような心当たりでも?」
苦笑いされている表情すら麗しく、軽くミハエル様は手を振って否定される。
「いやいや、家なんか呪われないよ? 墓守公爵なんか呪うのは墓荒らしを邪魔された盗人くらいのものでしょう。縁起が悪いと言われる我が家を呪ったりしたら、逆に祟られると恐れられているんだから。あながち間違いでもないのだけれど」
旦那様は机から一枚の羊皮紙を取り出された。
「ウルリーケはもう私の妻となった訳だし、君は口が軽いようには見えないけれど。念のため先に守秘の魔法契約を結んで貰うね。我が家だけのことではないから」
そこまで言われて、羊皮紙に書かれていた内容が口外禁止であることを確認した上で、契約に同意し、自分の署名に魔力を込める。魔法契約を交わすと強制力が発動して、契約を破ることはできなくなるのだ。旦那様は、私の署名の下に確認の署名を入れて魔法契約が成った。書類を引き出しに仕舞ってから、改めて私に向き合われる。
魔法契約を必要とするほどのどんな秘密が語られるのか、知らず緊張は高まった。だが、旦那様の口調は穏やかなままである。
「公的には我が家の役割は王家の霊廟の管理となっている。そちらも手を抜かずに行ってはいるが、重要なのはその裏の役目の方。初代から我が家の当主は代々、王家への悪意を肩代わりすることになっているんだ。
分かりやすく実例を挙げると、条件を満たす王族が呪われたら、当代のアルテンブルク公爵が身代わりとなる契約だ。誰彼構わず王族だからと引き受けているわけではないのだよ」
旦那様は紅茶に口をつけ、私もつられるように乾いた口中を潤した。
「当然、対処できるからこそ、そういう役割を担っている。アルテンブルクの直系は外部からの攻撃を無効化する体質でね。大抵の呪いは相手に返して、はいおしまい。ただ一年前の呪いは複合による特殊なものだったせいで、私が死ぬはめになったということさ。
我が国の王家は、他国に比べると王位争いとかほとんどないよね? 殺してやろう、害してやろうと行動しても、呪いだけじゃなくて、害意による傷や毒も我が家で引き受けて中和するから、本人は無事。骨肉の争いそのものが無駄だという訳。だからまあ、王家には重宝されているのだよ」
「でもそれでは、王家ばかりが得をしていません!?」
不敬かとも思うが口は止まらなかった。生憎、社交デビューも済ませていない私は、国王陛下はじめとする王族にお目にかかったこともない。あくまでも雲の上の方々だ。昨日より夫となったミハエル様が、そんな一方的な目に合っているのは見過ごせないと声が出た。私の発言に旦那様の目が驚きに丸くなる。
「ウルリーケは情が深いのだね。私を思いやってくれて嬉しいよ。なかなか人に労わられることがない立場だから新鮮だ。この胸に沸き上がる君への興味が愛なのだろうか。まさかこの私に死んでからそんな感情が目覚めるとは。アルテンブルク歴代を通しても奇跡と言っていい」
血も流れていないのに熱の籠った、どこか潤んだような視線を浴びせられ、思わず私まで動揺する。ソーサーに戻したカップが不作法に音を立ててしまうほどに。
「可愛いウルリーケ。心配してくれてありがとう。でも問題はないよ。代々のアルテンブルクは自ら望んでその役割を担っているのだから。ああ、間違っても王家に対する忠義ではないよ。アルテンブルクに生まれた限り、無縁だった害意を身代わりとなることで体験できるのだから! やはり実体験なくして研究は進まないからね。王家には貴重な機会を貰っているから感謝はしているとも。ちなみに代々のアルテンブルクは魔術の研究の徒であるんだよ」
どんどんと熱が入って早口になる旦那様の声を聴きながら、私の表情は抜け落ちていく。知ってる。これ、領地にいた変り者の虫博士と同じだわ。つまりは研究馬鹿。
「ウルリーケは魔法と魔術の違いは知っているかい?」
「いえ、私はあいにく魔力がそう多くもないので」
貴族として恥ずかしくない程度の魔力はあるが、大きな魔法を使えるわけではない。ちなみに水属性である。特技は庭への水遣り。
「人は皆、量の差はあっても魔力を持っている。そして生まれながらに属性があって、使えるのは属性の魔法だけ。それは知っているね?」
私は静かに頷く。なんだか授業が始まりそうな雰囲気だ。
「でもどうせならば、属性に縛られずに魔力を使いたい。そこから発展したのが魔術になる。ただ、生まれ持った属性魔法のように自在にとはいかない。魔法陣の補助によってはじめて発動することができる。魔法陣はいわば目的と手段を記載した設計図のようなもの。そこには単純に属性魔法を使うのとは違った、無限の可能性があるんだ。工夫次第で何でもできるというね?」
夢見る少年のような瞳で滔々と語る旦那様。けれど待って欲しい。私は魔術だの魔法陣だのに興味はないのだ。うっかり居眠りでもしたらどうしようと心配になる。しかし講義はいつしか魔術から呪術へと移っていた。
「例えば、酷い裏切りにあった人物が殺されかけて、犯人に向かって『呪ってやる!』と恨みを込めて死んでしまっても、実際に呪いは発動しない。呪い、呪術というのは魔術の一種だからね。正しく発動させるためには指向性を示す必要があるんだ。誰に、いつ、どこで、どういった方法で、といったことを明確にした上で魔力に載せる。発動に成功しても効果は本人の持つ魔力量に左右されるから、死に際の呪いが成就されるとしたら奇跡に近い。大抵は加害者の良心が刺激されて疑心暗鬼になる程度。本物の呪術の難易度はとても高いんだ。だからこそ、呪術師という職業さえあるんだよ」
そこまで語って、ようやくミハエル様は私の様子に気付かれたようだ。苦笑しながら謝ってくれた。
「ごめんね。いきなりじゃあ飲み込めないよね。普段、魔術について語れる相手がいないものだからつい夢中になってしまった。ただまあ、アルテンブルクがどういう家か、私がどういう研究をしているのかは少しは伝わったんじゃないかな?」
つい聞き流していたのを把握されて居心地が悪いが、旦那様がどういう方かの一端は見えた。興味の対象以外に関心が薄いのだろう。だが今の私は旦那様にとって重要人物であるようなので遠慮はしない。
「なんとなくですが。それよりも旦那様。一番知りたいことをお訊ねしても?」
「いいよ」
「では。どうして亡くなっているはずの旦那様が、まるで生きているかのように振る舞えるのですか?」
旦那様が良い笑顔になり。私はまた彼の嗜好を刺激してしまったようだった。でも。昨日からずっと知りたかったのだ。これだけはちゃんと聞いておきたい。
「人の生死を分けるのは、その身体に魂魄が宿っているかどうか。それによって心臓が動いて血液が循環しているからこそ生きていると言える。なのでアルテンブルクは不慮の死に陥った場合、自らの肉体に魂魄を縛り付ける魔法陣を刻み付けているのだよ」
ほら、と言いながらシャツの前を広げられると、心臓の位置に入れ墨のように何かが描かれているのが見えた。ちなみに閨では見るどころではなかったので気付かなかったが。
「ただね、やはり死者は死者なので、そのままでは心臓は動かない。そこでアルテンブルクの先祖は考えたんだ。『血液の代わりに魔力を心臓から流せば良いのでは?』と。さすがに莫大な魔力を持つアルテンブルクでなければ不可能だった。でも逆に言うとアルテンブルクならば余裕で可能だという結論に至ったんだ。過去にはご先祖の何人かもこれで子孫に繋いできたと実証もされている。
私の場合もまだ婚姻もしておらず後継者がいない状態でね? 兄弟姉妹もいないから、どうあっても血筋を途絶えさせるわけにはいかなかった。王家の存続にも関わってしまうからね。だから躊躇わずに生ける死者となることを速やかに選択できた。時間が経つと脳に損傷が出るというご先祖の研究結果も知っていたからね」
旦那様の語ることがすべて真実だとしたら。なるほど確かに魔法契約が必要な内容だった。というか、これって生命への冒涜ではないの? 決して神に対して敬虔とは言えない私だけれど、そら恐ろしい気さえする。
「きっちり死んでいるのは間違いないけれど、心臓を魔力の精製と供給する器官にと変質させたから鼓動もある。血液の代わりに全身に魔力を流しているから、呼吸もしているし、こうして動けて腐りもしない。食事も排泄も可能で眠ることもできる。髪や爪に髭も伸びる。脳も問題なく機能して、感覚も欲望も感じる。子種さえ作り出すことが可能。歳もちゃんと取る。これは肉体を使用するうちに当たり前のように劣化していくからだけれど。
ここまで来れば生きているのとほぼ変わらないよね。
ただ、体温だけはどうしてもね、低いままなんだよ。血液と違って魔力は温かくはないから。だから直接触れることになる君には冷たい思いをしてもらうことになるけれど、でも夏場の同衾はむしろ快適かもしれないね?」
ただでさえ畏れられ、評判の悪いアルテンブルク家では婚姻を結ぶには苦労する。それが生ける死者になった場合、苦労は何倍にもなると旦那様は告げた。嫁取りが一番困難なのだと。何せ相手のあることだから、生ける死者の相手を嫌がって自害されかねない。以前の婚約者は血縁を辿って、代わりが見つかるまでとの約束で何とか手配したのに、生ける死者になったことで難色を示されたと。共犯でもある王家は、どうしても相手が見つからない場合、生母の身分が低い王女を嫁がせてきたのだという。降嫁が多い理由って……。
「なので、ウルリーケには感謝しかない。王家からの降嫁も続くと血が濃くなりすぎることが懸念されていたからね。君の生家にはこれからも金銭的援助が必要なら望むだけ用意しよう。何せ王家が後ろについている上に、代々研究にしか興味がないから我が家の資産は中々だよ。君自身が贅沢したいなら、いくらでもして構わない。ただし、私が社交に同伴することはできないし、子供ができるまでは愛人を持つことも控えて欲しい。後出しで申し訳ないけれど受け入れてくれるだろうか?」
ソファーから移動してきた旦那様が、私の足元に跪いて上目遣いで嘆願してきた。掬い取られた手が彼から伝わる冷たさを感じる。
すべてが今更ではないか。昨夜のうちに事情を話さなかったのは、私を逃がさずに既成事実を作るためだったと納得した。契約違反だとごねれば、金銭やら宝石やらドレスやらが望むまま与えられるだろう。ただし離婚はできない。逃げ出すことも許されないだろう。下手をしたら監禁されるかもしれない。
どうしても子供ができなかった場合は、第二夫人なりを彼が迎えることになる。来てがあればだが。いや、アルテンブルク家の歴史と所業を考えるならば、妻女が妊娠しやすい身体となる研究くらいされている可能性に気が付いてしまった。やりかねない。
手を取られたまま見下ろすミハエル様は、顔色さえ気にしなければ陶器のように滑らかに整っている。まるで腕利きの陶工の作りあげた芸術品のようだ。その連想が、幼い頃に持っていた陶製の人形を思い出させた。人形は顔や身体に直接触れると冷たかった。だがそのまま抱き続けていると私の体温が移って、あまり冷たく感じなくなっていったものだ。
生ける死者、死体だと思えば冒涜感があるが、巨大な実物大の陶器人形を夫にしたのだと考えれば良いのかもしれない。
実家に留まっていても、家の為に財産家の好色な狒々爺の元へと行く可能性があった。正妻でなく愛人として。何せ持参金が用意できないのだから扱いは軽くなる。実はそういう打診があったのを知っている。父や姉が私には隠して守ろうとしてくれていたことも。
それに比べれば、少し冷たいことくらい我慢できないこともない。触れ合っているうちに慣れるような気がする。実家が貧乏になっていく生活にも順応できていた私だ。社交には興味がないし、程々の快適さがあれば十分だが、それは保証されている。もう純潔を捧げて繋がったからには、情を持つなという方が難しい。しかも旦那様もまた私を大事にしてくださるだろう。まだお互いに愛ではないかもしれないが、共に過ごすうちに育ちそうな予感もある。政略だか経略やらと本質は変わらないのに、心が通じるというだけで恵まれていると思う。
私は取られていた手を引き抜いて、覆いかぶさるようにミハエル様の頭を抱えた。髪は洗髪料の微かな香りがして、そっと背中に回された両腕からは残念ながら体温が伝わっては来ないけれど、硬いばかりでないしなやかさと力強さがあって、それは決して不快ではなかった。
私が受け入れたことは、きっと旦那様には伝わったことだろう。顔を上げて距離をなくした唇が幾度となく重ねられるうちに、私は唇の温度が馴染んでいくのを感じていた。
後に私は、嫁いだその年のうちに妊娠し、翌年第一子を出産。夫婦仲は良好でその後更に三人産むことになる。
人はアルテンブルク公爵を『墓守公爵』と呼ぶ。しかし私はひそかに『ひんやり公爵』と呼んでいる。
東方から取り寄せられた陶器の枕と同じく、夏場は喜んで共寝するが、秋も深まって朝晩の気温が低くなってきた今日この頃。そろそろ旦那様をベッドから追い出さねば。
それが嫌だとおっしゃるならば、全身毛皮製の夜着でも用意してくださいね?
書くのは、夏の方が良さそうな話でした。でもハロウィンにぴったりということで!
シリアスな冥婚ものになるはずが、このネタでコメディ風味(?)になるのは夫婦両方の性格のせいかと。着ぐるみパジャマで夫婦円満。
書ききれなかった設定と裏話はいつも通り活動報告にて。
あ、先にひとつだけ。生ける死者には活動期間が設定されています。それを過ぎると魂魄が解放されて肉体は塵になる。でないと公爵家、生ける死者だらけになってしまうので。




