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ノイズと久作

作者: 稀Jr.

「いやはや、今日の短編は、ちょっと別な趣向で行こうと想うが如何かな、ここはヒトツ、伝達におけるコミュニケーションというものを、チョット考えてみようというものだ。いつもとは違う。堅苦しい講義が続いたが、スコシは息抜きになるだらうと言うことサ

「そうさナ、まずは、発端から離してみようか。時は未来の令和といふ時代なのダ。場所は、そうさな、東京であろう。今の東京とは異なるゾ。なにしろ、バーチャルというインターネットのヰ世界の中にいるのだ。黒い面にひときわ文字ダケが並ぶ、不思議な世界だ。そこには、ひたすら喋ったり、呟いたりしている輩がいるワケだが、そうさナ、ちょうど、宿場町の茶店にたむろしている連中なものだナ。たむろしていると言っても髷を結っているわけではない、それほど、ミライの話ではないのだが、マァ、戦争に負けたか勝ったかと言う現実を忘れるぐらいは、ミライな話だと思ってヨイ

「さて、そんな中で、ひとつの読売なるものが、事件を発表したのだ。今の読売は街中で配るものだが、ミライの読売は立て札に掛かっているものだ。立て札になると、まるで江戸の世の中を思わせるところだが、そのインターネットというのがナ、千里眼のやうなものなのだヨ。だれもが持つ千里眼は、どこまでも遠くを見通すことができる。ときには過去のことも掘っていけるほど便利な千里眼なのだが、そこがな、チトやっかない処があるのじゃ。何でもたくさんのものを見えるということは、見るものが多すぎて、何が大切なのか分からなくなってしまうのサ。情報の洪水という云い方もするワケだが、押し流されて地下に水が入ってしまう位のものサ。幸いにしてクルマの浸水だけで済んだものの、イヤ、それは余談だな、別な機会に話そう。別の機会があればだが。さて、読売の掲示板のハナシに戻ると、ある戯作者が、いやミライ風に言えば脚本家というモノなのだが、あるアニメーションというものを作った。いや、正確に言えば、皆でアニメーションというものを作ったといふところだろう。なにも、脚本家ひとりでアニメーションというものが作れるわけではない。詳しくは SHIROBAKO というアニメを見て欲しいのだが、さまざまなヒトが関わっておる。その中で、脚本家という立ち位置は、アニメーションの元ネタとなる原作...これが四コマ漫画というモノだったのだがナ。四コマ漫画から、アニメーションにうまく橋渡しをする役目を担っておったわけだ。わかるか?

「アァ、アニメーションの説明がまだだったな。たくさんの人が変わる読点では、築城の仕事と変わらぬ。大工がいて、設計士がおる、庭師がいて、瓦職人がいて、漆喰を塗るヒトがいて、そうさナ、たくさんのヒトが関わっておる。アニメーションも同じで、絵を描くヒトがいて、音を付けるヒトがいて、声を当てるヒトがいて、そうさナ、たくさんのヒトが関わっておる。だから、脚本家は、そのたくさんのヒトの中の、一部でもある。が、脚本家は、アニメーションの元ネタの橋渡しをするものだから、尺にあうようにちょっと科白を弄ったり、図柄を変えたりするワケさ。最終的には、総監督なり作画監督なりプロデュサーなりが、全体をみて整えるわけだが、脚本家は原作のストーリーと意図をうまく汲み取って、アニメーションに載せるという仕事を担うワケさ。いや、ちょっと違うナ。橋渡し役でもあるので、脚本家が、なにがしかの意図のために、原作からアニメーションへの橋渡しを捻じ曲げることもあるのサ。そういう場所にいる職人というわけだな

「だから、脚本家が、この原作を活かしてアニメーションとして成功させるために、何かを削ることをも必要だと思うこともあり、時に、男性向けのアニメーションやら女性向けのアニメーションやらという視聴者層を意識しての改変も十分にできるわけだ。しかしな、今回の脚本家の件でいえば、そいいう限った層にウケるものではなく、一般的にもうちょっと広い層に受け入れるために、アニメーション特有の「ノイズ」を入れることを拒否したワケさ。いや、特有の「ノイズ」入れることで特定の層にウケることもあるのだが、それと同時に、ストーリーとして確立している原作の漫画の意図を損なうモノとしての「ノイズ」を拒否したとも言えるワケだな。実際のところは、ワカランがナ。その二重の意味での「ノイズ」が立て札の記事に含まれていたワケだが、果たして、読売の読み手がナ、その「ノイズ」を理解できたかどうか定かではなくなったわけサ

「言葉は発した途端に本来の意味を失うとも言う現象だナ。ヒトが発した言葉がその意味のまま、別のヒトに伝わるとは限らないのダ。コミュニケーションというものはとある前提がなくてはイケない。前提がなければ、言葉は外国語と同じだし、鳥にの鳴き声や蝉の鳴き声と同じになってしまう。情緒すらないのサ。しかしだナ、今回の読売に限っては、ぼざろというアニメーションを見たであろう視聴者との前提があるわけで、なぜに「ノイズ」がずれてしまったのかがフシギな処なのだナ。

「右、左、という云い方もされてはおるが、なに、それは、右、左にコダワルひとたちのハナシさ。虎に翼を見ればタシカにそうかもしれんが、その前にあるぼざろ、さらにその前の脚本に、右、左、があったとは思われん。何よりも、その時点では、脚本家は売れてはいなかった訳だ。ぼざろ自身で力が付いたといって過言ではない。ゆえに、言えば、その「ノイズ」の決定項は、脚本家のみの手柄ではないのサ。あたかも読売では、自らの手柄のやうに風潮されておるが、実際のところは、協議の結果であろう。小説家や漫画家はヒトリで物語をくみ上げるが、アニメーションはそうはいかない。脚本家自身が言うように、とある層にウケるためには一定の「ノイズ」を入れたほうが良い場合もある。そういうアニメーションも多いし、実際にそれでウれることもある。良ひとか悪いとかいふものではない。そういうウリ方があり、売れれば残るし、売れなければ話題にもならないのサ。つまりは、ぼざろが売れたからこそ、読売の脚本家の「ノイズ」騒動が持ち上がっている訳サ

「アニメーションづくりはバンドのやうなモノではあるナ。ぼざろが、チト、プロフェショナルを目指したところは定かではないのだが、少なくとも、脚本家を含むバンドは、売れたさ。が、鼻にかけるのは違うかもしれナということだナ。

「マア、そのさきのミライを見ているとだナ。ひとの噂は四十五日、も続かなくなってしまってな、ほぼ一瞬にして過ぎ去ってしまうのダ。議論するのが馬鹿馬鹿しいぐらいサ。ちょっとぐらいなの学術的な諮詢やら、感想やらも馬鹿馬鹿しくなるぐらいだな。ナニ。明日になれば総裁選の話題にもちきりになるさ。もっとも、総裁選自体も1週間も持たないがな。話題自体がエンターテイメント化していることだナ。

「伝送のフィルタリングのやうなものだナ、高周波回路のノイズを減らすためにフィルター回路を通すんだ。コンデンサを挟み込んでフィードバックをさせる。これがノイズ除去の肝というところだな。ああ、鐘がなった。じゃあ、今日はここまでにしよう。来週は、サンプリング理論のフーリエ変換のハナシをしよう。いまとのなっては、古いがデジタル化された CD-ROM の音域とアナログレコードの音域を比べてみよう。じゃあ、今日の講義はここまで」


【完】


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