思い上がり(ショートショート)
宇佐美 芳佳は、まどろみの中にいた。
ここはどこ……? 私はいったい……。
少しずつ意識がハッキリしてくると、そこは何かの実験室に感じられた。SF映画に出てくるような、そんな雰囲気だ。
彼女は自分が、ベッドの上に寝かされている事に気がつく。
「あら、目が覚めたの?」
声のする方へ顔を向けると、そこにはボンヤリとしてはいるものの、女が立っているのが見えた
あぁ、そうか。
芳佳の記憶が、徐々に鮮明化していった。
あれは確か昨日の晩、バーで一緒になった女の人。えっと、名前は何だっけ?思い出せない。あの時、もうかなり酔ってたからなぁ……。
とある事で悩んでいた彼女は、バーでしこたま飲んでいたところを、いま目の前にいる女に声を掛けられたのだった。
ん~と……、それで……。
芳佳は、更に記憶をたどる。
そうか。確か何かうまい話があって、それに乗ったんだっけか。何だったけかなぁ……。
「本当にありがとう。実験は成功だわ。あなたは、あなたの望むような姿になったのよ」
女の言葉に、彼女の記憶は一気に甦る。
そうか、私、振られたんだっけ。
芳佳は昨晩、半年つきあった彼氏に別れを告げられた。他に好きな人が出来たという。それは彼女も知っている女性で、評判の美人だった。
私は美人じゃないから、振られるってわけね。
芳佳の恨み言に彼氏は首を振ったが、そうに決まっていると彼女は確信した。
「あぁ、美人で可愛く生まれたかったなぁ!」
芳佳は、行きずりのバーで荒れた。醜態をさらす事は分かっていたので、普段から愛用する店には行かなかったのだ。くだんの女は、そんな時に声を掛けて来たのだった。
「あなた、可愛くなりたいの?」
普段なら、適当に誤魔化してその場を去るところだが、この日はそういった警戒心も、彼女は何処かへ置き忘れて来ていた。
「はぁ? そんな事、できるんですかぁ? あ、もしかして美容外科の人? こんな所で、営業ですかぁ?」
芳佳の捨て鉢な口調に、女がニヤリと笑った気がした。
「少し違うけどね。あなたさえ良かったら、顔だけじゃなくて、体も含めて可愛くしてあげるわよ。もちろん”無料”で」
女が言った。
ふん! 酔っ払い相手だからって、舐めるんじゃないわよ。どうせ無料とか言って、あとから大金吹っ掛けるんでしょ?
芳佳はそう言おうと思ったが、もしそうなったら「振られた腹いせに、徹底抗戦してやろうじゃないの。裁判でも何でもドンと来いよ!」と、酔っ払い特有の勢いでそう決めてしまった。
「えぇ。じゃ、お願いします。きっと”可愛く”してちょーだい!」
そう叫ぶと一気に酔いが回って、芳佳は前後不覚となった。ただ彼女には、誰かに運ばれ、車に乗せられたような記憶がおぼろげながらあった。多分、女とバーのマスターが、芳佳を両側から担いでいったのでだろう。
「あなたは、昨晩の……」
芳佳が言いかけると、
「昨晩? それは違うわね。あの時から、もう一週間が過ぎているわ」
女が、事もなげに答えた。
「えっ? 一週間?」
芳佳はびっくりして、飛び起きようとした。しかし手首や腹が、ベッドに金属製のバンドで拘束され、自由に動けない。
「ちょ、ちょっと。あなた、私に何をしたの!?」
ようやっと尋常な事態ではないと気が付いた芳佳は、女に食ってかかった。
「何をって……。あの晩の、約束通りにしただけよ。あなたの顔も体も、可愛らしくして差し上げたの」
女は、満面の笑みで言い放つ。
「このバンドを、取ってちょうだい。早く!」
芳佳は、まだハッキリしない意識の中で、必死にもがいた。
「落ち着きなさい。そんなに興奮したら、手術の痕が開いてしまうわ」
女の言葉に、芳佳はゾッとした。
手術? この女は、私に一体何をしたの?
一刻も早く女を締め上げたいのは山々だが、身動きが取れなくてはどうしようもない。芳佳は取りあえず、大人しくするフリをした。
「まぁ、聞き分けのいい子ね。私の見込んだ娘さんだけの事はあるわ」
女が、からからと笑う。
芳佳が観念したと思った女は、ポケットからリモコンのような機械を取り出しボタンを押した。すると芳佳を押さえつけていたバンドが、ガシャンという音を立てて外れた。
「あんた、一体、私に何をしたの!?」
芳佳は脱兎の如く、女へ向かって突進する。だが、そこで彼女は妙な違和感を覚えた。体が異常に軽いのだ。自慢ではないが、芳佳は運動音痴で、体育の授業では平均以上の評価を得たためしがない。
だが、今はそんな事を言っている場合ではない。早く真相を突き止めねばと、芳佳は女の両腕を掴んで詰問する。
「さぁ、答えなさい!」
芳佳の問いに、女はやはり満面の笑みを浮かべながら、
「答えは、私の後ろにあるわ」
と、穏やかに言った。
「後ろ?」
彼女の肩越しに見ると、そこには大きな姿見が置いてあった。
「きゃっ!」
それを見て、芳佳は恐怖の叫び声をあげる。
鏡には、女の後ろに、茶色い獣のような怪物が立っているのが映っていた。
「”きゃっ”じゃないでしょ。落ちついて良く見なさい」
女が、諭すように言う。
女の落ち着き払った様子を不審に思いながらも、芳佳は鏡の中をつぶさに観察した。そして、とても不思議な事に気がついたのだ。
私が、映っていない。
鏡の中には、女の後ろ姿と怪物しか存在しない。芳佳は、自分が透明人間にでもなったのかと疑った。
だが、すぐにおぞましい事実を知る事となる。
芳佳が頭を振ると、鏡の中の怪物も頭を振る。同様に目をパチクリさせれば、やはり向こうも同じように目をパチクリさせるのだ。
もはや、疑う余地はない。鏡の中の怪物は、芳佳自身なのであった。
「こ、これが私……?」
女を放りだし、姿見の前に立ち尽くす芳佳。
「そうよ、可愛いでしょ?」
女が、笑いながら言った。
芳佳の姿。それはまるで「猿」そのものであった。全身を茶色の毛でおおわれているが、胸から腹にかけては色が白っぽく変わっている。そして唇は厚く、耳は丸く内側は綺麗なピンク色だ。
「じょ、冗談はやめて! この姿のどこが可愛いのよ」
これは何かのイタズラで、寝ている間に、猿の着ぐるみを着せられてしまっただけに違いない。
そう思った芳佳は、必死で毛皮を脱ごうとするが、その度に激烈な痛みが体に走る。
「痛っ!」
涙目の彼女が、悲痛な声を上げた。
「脱ぐ事なんて出来ないわ。だって、それがあなたの本当の体なんだから」
女はまるで、ぐずるペットを諭すように言った。
「どうして、どうしてこんな事!」
未だに事態が飲み込めない芳佳が叫ぶ。
その様子を見ながら、女は、
「私はね。バイオテクノロジーの科学者なのよ。もっとも、表の世界からは追放されちゃったけどね。それは、人間を動物に変える研究をしていたからなの。
全く頭の固い世の中の連中は、この研究の素晴らしさが分からないのよ。よってたかって、批判するんだから。
で、仕方ないから、自分だけで実験する事にしたの。そしたら、たまたま、あなたっていう最適な”素材”に出会ったわけ」
と、薄気味悪い笑みをこぼした。
「最適? 私が猿のように、浅はかだって言いたいの!?」
芳佳の問いに、
「浅はかとか、そんな差別的な感情は毛頭いだいてないわ。だってお猿さん、とっても可愛いじゃない。私は大好きよ」
と、女は”何を言っているのか意味がわからない”という風に笑った。
「さぁ、可愛らしいものを、もっともっと増やしましょ」
女は芳佳を愛おしむように、彼女の頬を撫でようとする。しかしそこで、獣に改造された芳佳の怒りが頂点に達した。
彼女は女の顔面目掛け、人間とは比べ物にならない力で、その鋭い爪を振り降ろす。
「ギャッ!」
予想だにしなかった芳佳の反逆に、女は顔面を両手で抑えた。しかし芳佳の怒りが、それで収まるはずもない。
芳佳は女を床に押し倒し、馬乗りになった。そして女の両腕を自分の膝で押さえつけ、無防備になった女の顔に、限りない爪痕を残したのである。
翌朝。
週に一度、研究室の掃除をしに来る業者が、倒れている女を発見した。その顔には、鋭い何かで無数に傷つけられた痕跡があった。まるで無理矢理に獣にさせられた、芳佳の悲しい心と同じように。
警察は、女に恨みを持つ者の犯行だと狙いをつけて捜査をしたが、犯人の行方はようとして知れなかった。
その後、芳佳の姿を見た者は誰もいない。
【終わり】