第二章:七不思議・音楽室の幽霊 1
それは、曇り空が続いた週のある昼休みのことだった。
教室の後ろでプリントの整理をしていた僕――神野蓮の耳に、ふと妙な噂話が飛び込んできた。
「ねえ聞いた? また鳴ったんだって。夜中の音楽室で、誰もいないのにピアノの音が……」
「うそ。録音とかじゃなくて?」
「録音なら、一回だけでしょ? 今回は“続けて三晩連続”だって……」
僕は無意識に、さっき黒板の前を歩いていたあの人物の姿を探していた。
九条かすみ――自称・名探偵で、僕を一方的に“助手”に任命した転校生。
そして彼女は、こういう「ちょっと変な話」に、異様なまでの嗅覚を持っている。
案の定、後ろの窓辺にいたかすみは、教室内の噂話にしっかり耳を澄ませていた。
……嫌な予感がする。僕がそう思った瞬間、彼女はくるりとこちらを振り返る。
「助手くん、聞いたわね?」
「……また、事件ごっこか?」
「違うわ。“七不思議”よ。怪談とも言えるけど、その実、学校に潜む“隠れた構造”をあぶり出す鍵になる可能性がある」
「うわ、始まった……」
かすみは教卓の前にぴょんと跳び出ると、指を立てて宣言した。
「これは“音楽室にまつわる怪事件”。深夜、誰もいないはずの教室からピアノの音が鳴るという現象。そして今、それが三晩連続で起きている。偶然? それとも誰かの仕業?」
「学校に泊まり込んででもないと、夜の音楽室なんて見られないでしょ。防犯カメラあるし」
「甘いわ。夜じゃなくても“手がかり”は残っているはずよ。現場検証よ、助手」
「……また放課後だろ」
「もちろん。というわけで、今日の放課後、音楽室に潜入します」
こうして僕は、またしても彼女に引きずられる形で、新たな“謎”に巻き込まれることになった。
◇
放課後の音楽室。生徒たちが次々と帰っていく中、僕とかすみは人気のなくなった三階の端へと向かっていた。
音楽室のドアは施錠されておらず、鍵のかかった準備室以外は自由に見てまわれる状態だった。
「……まったく、放課後の音楽室って、なんでこんなに不気味なんだろうな」
暗くなりかけた窓。静まり返った教室。片隅にたたずむ黒光りのグランドピアノ。
なにかが、そこに“いる”ような錯覚すら覚える。
「気配が濃いのよ。音が染みついてる部屋って、ちょっと異質になるの」
「……それ、怪談じゃなくて物理の話?」
かすみはそんな僕の冗談を無視して、黙々とピアノの周囲を調べ始めた。
「鍵盤に指紋なし。ホコリもきれいに落とされてる。少なくとも、今日の昼以降に誰かが掃除した形跡あり」
「誰かって、音楽の先生?」
「そこなのよ」
かすみは立ち上がり、腕を組んだ。
「助手くん、今日の時間割思い出して。音楽の授業、あった?」
「え? ……あ、なかったな。今日は三年生だけって言ってたっけ」
「そう。うちのクラスは音楽室、使っていない日なの。それなのにピアノ周りだけやけに“新しい”」
かすみは鍵盤の下、床のペダル部分を指さした。
「見て。左のソフトペダルだけが明らかに踏まれてる跡がある。床のホコリの濃淡が違うの、わかる?」
「……ほんとだ。右や中央にはほとんど跡がないのに」
「つまり、“誰かが軽く弾いた”の。しかも小さな音で、目立たないように」
「ピアノの音量を抑えるために?」
「そう。そしてそれが夜であれば、物音を立てたくない理由があるはず」
つまり、それは幽霊ではなく――**“誰かが夜に音楽室に忍び込んでいる”**ということだ。
かすみは続けた。
「もうひとつ気になること。音楽室の窓、少しだけ開いていたわ」
「換気のためじゃなくて?」
「三階の外側よ? 雨も降ってたのに。……そこから“音”が廊下に漏れたとすれば、目撃証言と一致する」
「じゃあ、やっぱり誰かが……」
「今夜、張り込みをするわよ。助手くん」
「え、まさか……!」
僕は、かすみの目が本気であることを悟った。
どうやら今夜、また眠れない夜になりそうだ――。