第一章:消えたプリント 4
放課後の教室は、昼間とは違ってどこか静かな空気に包まれていた。残っているのは僕と九条、それにもう一人、佐野の連絡を受けて呼び出された女生徒――山瀬美羽だった。
「山瀬さん、忙しいところ悪いんだけど、ちょっとだけ話を聞かせてくれる?」
「うん、大丈夫。……でも、これってその、“プリントの件”でしょ?」
彼女は不安そうに髪をいじりながら、机の上に手を置いた。
「誰かに怒られるとかじゃないよね……?」
「もちろん。これはあくまで、事実を確認するだけ。ね、九条」
「そうよ。私はただの探偵。君を犯人扱いする気なんてないわ」
その自己紹介に、美羽はぽかんとした顔を見せた。無理もない。
しかし九条はそんなことは気にせず、ノートを開いて訊ねた。
「あなたのプリントが“勝手に移動していた”って話だけど、具体的にはいつのことか教えてくれる?」
「えっと……中間対策の数学プリントを、ロッカーにしまってたの。でも昼休み、友達と一緒に教室に戻ったら、それが私の机の上に置いてあったの。ロッカーはちゃんと閉めたはずだし、誰にも鍵を教えてない」
「鍵付きロッカー?」
「うん。番号ダイヤルの。三桁のやつ」
九条と僕は顔を見合わせた。
「誰かが暗証番号を知っていた可能性は?」
「……そんなの、わからないよ。でも、もし誰かに見られてたとしたら……」
美羽の声がかすかに震えた。
僕は穏やかな声で口を挟んだ。
「大丈夫。今のところ誰も責めてなんかいない。ただ、この件には共通点があって――プリントが移動されてるってことは、“わざわざ目立たせようとしてる”か、“別の意図”がある」
「別の意図……?」
「たとえば、“誰かを陥れるため”とかね」
九条の言葉に、美羽は小さく肩をすくめた。
「でも、そんな……誰かを陥れるために、わざわざプリントを? しかも数学だけ?」
「そこが引っかかってるのよ。どうして“数学”限定なのか。先生が強調した教科だから? それとも……“別の情報”が紛れ込んでいた?」
僕はふと、久保田の言っていた“重要課題”という言葉を思い出した。
「九条……もしかして、このプリントに、普通の対策問題とは違う“何か”が書かれてたってことは?」
「たとえば、“答案例”とか、“点数配分”とか?」
「いや、もっと裏っぽいもの。“テストの一部がバレてた”とか」
「……あら、それは面白くなってきたわね」
九条は口元をゆるめると、美羽に目を戻した。
「最後に、ひとつだけ。今日の昼休み、君の周囲にいた人って覚えてる?」
「え? ええと……友達の莉緒と、それから……そうだ、席の近くにいたのは杉本くんと篠原くんだったと思う」
「ありがとう。助かったわ」
美羽が立ち去ったあと、僕たちは再び教室に二人きりとなった。夕陽が窓から差し込み、机の影を長く伸ばしている。
「九条。これで四件すべてのパターンが見えてきた」
「ええ。すべて“数学プリント”が関与していて、しかも保管場所から移動していた。盗まれたのは久保田くんだけ。でも他は、戻されてる」
「これってつまり、“久保田だけが狙われた”ってことじゃないか?」
「それとも、“久保田だけが隠し通す必要があった”?」
僕は言葉を飲んだ。
「どういうことだ?」
「つまりこういうことよ。ほかの三人のプリントは“移動”で済んでいる。でも久保田くんのだけ“消失”扱い。なぜか? それは、“彼自身がそうした”から。自作自演」
「だけど、それって……動機は?」
九条は、机に軽く手を置いて言った。
「彼が“あのプリント”を自分のものとして提出できない理由があったとしたら?」
その瞬間、背筋がぞくりとした。
「……まさか、カンニング?」
「あるいは、答えを誰かから“もらった”……」
そうだ。あのプリントにもし“本物のテスト問題に近い情報”が書かれていたとすれば、それを持っていたことがバレると不利になる。久保田は焦って隠し、それを“盗まれた”と偽装したのではないか?
「証拠がいるな。確かめる方法は……」
「プリントそのものを探すこと。きっと、まだ学校のどこかにある。彼が持っていたとすれば、保健室に行く直前にどこかに――」
そこで、僕は思い出した。
「保健室の窓の外……誰かいたよな。あのときの黒い影、あれは多分“協力者”だ」
「それが杉本くんや篠原くんなら……」
「放課後、探してみよう。校舎の外、保健室の裏側。もしかしたら、捨てたか、隠したか」
九条はにやりと笑った。
「いよいよ佳境ね、助手くん」
僕は苦笑しながらも、胸の内で高鳴るものを感じていた。
放課後の謎解きは、まだ終わらない。