第一章:消えたプリント 3
「……つまり、こういうことか」
廊下に出た僕は、誰に言うともなくつぶやいた。
「久保田の数学プリントが昨日の放課後までは存在していて、今朝になったら消えていた。机にもロッカーにもない。そして今、彼は頭痛を訴えて保健室にいる」
「そう。これは偶然じゃない。状況的に、“何か”を隠すための行動としか思えないわ」
九条は腕を組み、目を細めて廊下の先を見やった。彼女の表情は、演技なのか本気なのか判別できないほど真剣だ。
「それにさっきの物音、あれも偶然じゃない気がする。誰かがこっちの動きを見張ってた可能性がある」
「じゃあ、いよいよ“密室消失事件”の真相を追うってわけか」
「その通りよ、助手」
「……だから、その呼び方やめてくれないか」
「いいじゃない、探偵には助手がつきものよ。ワトソンしかり、相棒しかり」
僕がため息をつこうとしたそのとき、後ろから軽やかな足音が近づいてきた。振り返ると、クラス委員の佐野が手帳を片手に立っていた。
「神野くん、九条さん、ちょっといいかな? 二人とも保健室行ってたよね?」
「ああ、ちょうど久保田くんに話を聞いてたところだよ。何かあった?」
「うん。先生に言われてプリントの回収状況をまとめてるんだけど、久保田くんの件、先生も気にしてて。実は……似たようなことが、ほかにも起きてる」
その一言に、九条がすばやく反応した。
「他にも? 具体的には?」
「ええと……正確には“無くなった”じゃなくて、“勝手に移動していた”って報告。席を外して戻ってきたら、プリントが別の机の上に置いてあったとか。全部で三件。久保田くんのを入れて、合計四件目になるんだ」
僕と九条は顔を見合わせた。
「移動だけなら、うっかり置き忘れたって可能性もあるけど……全部が似たタイミングで? 偶然にしては多すぎる」
「しかも、移動していたっていうのは全員“数学のプリント”だけ。ほかの教科は無事だったって」
「なるほど。これは明らかに“数学プリントだけを狙った者”の仕業ね。動機は、ずばり成績か」
九条は唇に指をあて、楽しげに目を輝かせた。
「……にしては手口がちぐはぐだな。プリントを盗むなら盗むで統一すればいい。なのに“消失”と“移動”が混在してる」
「つまり、犯人は一人じゃない。あるいは——」
「わざと混乱させようとしてる?」
「そう。事件を事件に見せかけないための、偽装工作。久保田くんの“頭痛”も含めて、ね」
そのとき、廊下の向こうでチャイムが鳴った。昼休みが終わり、午後の授業が始まる。
佐野が手帳を閉じ、苦笑した。
「この話、また放課後でもできる? 先生がそろそろ来る時間だから……」
「ああ、ありがとう。情報助かったよ」
僕たちは軽く会釈をし、教室へ戻った。九条はすでにノートを取り出し、何か書き込んでいる。
「ねえ、九条。さっきの話……一つだけ、引っかかってることがあるんだけど」
「何かしら?」
「久保田が“昨日の放課後にはあった”って言ったけど、それって誰かと一緒に確認したわけじゃないんだよな?」
「……つまり、嘘をついてる可能性がある?」
「ああ。もしくは“そう思い込んでる”だけかもしれない。でも、彼が意図的にプリントを隠したとしたら?」
「それこそ、動機が必要になるわね」
九条はノートに“久保田→自己隠匿の可能性”とメモを走らせた。
「次の鍵は、移動された他の三件。その中に、このパズルを解く手がかりがある気がするわ」
僕は、いつの間にか彼女の推理に引き込まれている自分に気づいていた。