第四章:五年前の写真 3
放課後の保健室は、いつになく静かだった。窓のカーテンは半分ほど閉じられ、どこか薄暗い。
中にいたのは、いつものように白衣を着た保健教諭――立花ゆり先生。
「あら、神野くんと……ええと、九条さんね」
「こんにちは。少し、お話を聞いてもいいですか?」
かすみは、いつものように物おじせず話しかける。
僕は少し緊張していた。どう切り出せばいいのか分からないまま、黙って先生の顔を見ていた。
立花先生は、微笑を浮かべたまま椅子に腰かけ、言った。
「もちろん構わないわ。どうしたの? どこか具合が悪いのかしら」
「いいえ、ちょっと……昔のことを、聞きたくて」
かすみがそっと、例の写真を机に置いた。
「これは……?」
「五年前の三年二組の卒業写真です。先生、写ってますよね」
その瞬間、先生の笑顔が一瞬だけ揺らいだ。ほんの一瞬だったが、僕にははっきり分かった。
「……ええ。懐かしいわね」
先生は写真をじっと見つめた。その目は、どこか遠くを見ているようだった。
「この中に、“神野優”という生徒がいましたよね」
僕が口にすると、先生はピタリと動きを止めた。
それは、言葉にならない沈黙だった。
けれど、否定も、拒絶もされなかった。
「……彼のこと、覚えてる?」
かすみの問いかけに、先生はゆっくりと頷いた。
「覚えてるわ。……彼は、優しい子だった」
言葉の端に、どこか懐かしさと、少しの痛みが混じっていた。
「でも、あの子は……卒業式の翌日、突然いなくなったの」
「いなくなった?」
「家の人も、何も言わなかった。転校届もなくて、先生たちも混乱してたわ。たしかに“卒業”はしていたけれど、その後の行方が分からなくなったの」
「失踪……ってことですか?」
「表向きは“家庭の事情による引越し”ってことになった。でも……詳しいことは、私たち教師にも知らされなかったの」
そこまで話すと、先生は机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
それは、古い新聞の切り抜きだった。
『高校生・神野優くん(18)、卒業直後に消息不明。家族によると「連絡が取れない」とのこと』
日付は、五年前の三月十五日。卒業式の翌日だった。
「どうしてこれを……」
「当時、同じクラスだったから……気になって、ずっと手元に残していたの。いまでも、時々思い出すのよ」
かすみはその記事をじっと見つめたあと、言った。
「神野くん……いえ、助手くんにこの写真を“見せた”のは、誰かがあなたと“優くん”の関係を気づいてほしかったからだと思います」
「……でも、僕は彼のことなんて知らない。親もそんな話、一度も」
「ねえ、助手くん」
かすみが僕のほうを向く。その瞳は、まっすぐだった。
「仮に“優くん”があなたの兄だったとしたら……知っておくべきじゃない?」
「……」
「だって、彼はこの学校から姿を消した。でも、“何か”を残していった。あなたに、その意味を託したかもしれない」
立花先生は、机の上の写真に視線を戻したまま、そっと言った。
「……あの子は、最後にこんなことを言ってた。“この学校に、忘れられたものがある”って。今でも、気になって仕方がないの」
忘れられたもの。
それは、過去に取り残された謎か、それとも想いか。
僕は、写真の中の少年の顔を見つめた。
確かに、そこには僕と似た面影があった。でも、それだけじゃない。何かもっと、大事なことがそこにあるような気がした。




