第四章:五年前の写真 1
六月に入り、天気予報ではそろそろ梅雨入りだと言っていた。
校庭の隅に並ぶ紫陽花の花が少しずつ色づきはじめ、僕たちの制服のシャツも、午後になるとじっとりと湿るようになってきた。
その日の放課後、僕――神野蓮は、美術の高橋先生に頼まれて、使わなくなったイーゼルを美術準備室に返しに来ていた。
図工室と美術室のあいだに挟まれた小さな部屋。美術準備室の扉を開けると、絵の具のにおいと古い木材の埃っぽさがふわりと鼻をくすぐる。
棚の隅にイーゼルを立てかけ、ふと机の上に視線を向けると、“それ”はそこに置かれていた。
白い無地の封筒。宛名もなく、差出人もない。
ただの忘れ物かとも思ったけれど、中に入っていたのは、少し黄ばんだ一枚の集合写真だった。
背景には満開の桜の木。制服を着た生徒たちが十数人、笑顔で並んでいる。
写真の裏には、「五年前 三年二組」とだけ書かれていた。
「……なんだ、これ」
そして、そこに写っている一人の顔が、妙に見覚えのある顔だった。
──僕に、似ている?
まさか。僕はまだこの学校に入って三年目だし、五年前にはまだ小学生だった。
けれど、その少年の立ち姿、表情、そして髪の流れまでもが、どこか僕自身と重なって見える。
写真を手にして、しばらく悩んだ末に、僕はいつものように、かすみに相談することにした。
* * *
「……それで? この写真を見て、どう思ったの?」
かすみは、じっと写真を見つめながら言った。
窓際の席に座ったまま、封筒と写真の裏、そして一人一人の顔に目を走らせる。
「……ふぅん。これは確かに、面白いわね」
「やっぱり、似てると思うか?」
「ええ。助手くんが五年前にこの学校にいたとは思えないけど……でも、写ってるこの少年、“今の蓮くん”によく似てる」
こんなときだけ、名前で呼ぶのはずるいと思いながら、僕はかすみの言葉を待った。
「もうひとつ気になるのは、これが“美術準備室”に置かれていたってことよ」
「どういうこと?」
「写真の背景、見て」
かすみが指をさした先には、桜の木の陰にうっすらと、あるプレートのようなものが見えた。
そのプレートには、こう書かれている。
《記念植樹 卒業制作》
「つまりこれは、美術部が作った記念碑の前で撮った写真。となると――」
「写真に写っている誰かが、美術部に関係していた?」
「それだけじゃないわ。おそらく、“今も”この学校に関わってる誰かが、写真をここに置いたのよ」
かすみは封筒の角を軽く撫でた。
「指紋があればよかったけど……でもこの紙、最近になって触られた跡がある。ほんの微かな手脂と、角の折れ具合が新しい」
ここまでくると、僕も自然と背筋が伸びていた。
「かすみ。これって……もしかして、誰かが“僕に見せたかった”ってこと?」
「たぶん、そう。しかも、“自分の正体は伏せたまま”でね」
かすみは写真を手に取り、静かに言った。
「助手くん。この中に、君と関係のある人がいる。……直接じゃないにしても、何かを伝えたい人が」
まるで、届かなかった過去からの手紙のように。
それは、“五年前の何か”を今に伝えるための、静かな呼びかけだった。




