5章 直霊と禍津霊_001
手の甲に刻まれた刻印が、ズキリと痛む。
それは何者でも無い――みことの身に異変が起きたことを伝える合図だった。
「旦那……?」
「どうかしましたか?」
浅葱と蘇芳の言葉もろくに耳に届かない。
応えるより早く部屋を後にすると自らの白霊獣を呼び起こした。
『主。どちらへ』
「みことの許へ」
『御意』
すると白霊獣はいとも容易く屋敷の結界の外へと駆け抜けた。
清浄な気が満ちた住処から、白霊獣の視線の先――澱みの拡がる領域へと鋭い眼差しを向ける。広域を覆い隠す澱みはゆったりと色濃く揺蕩い、まるで現世の〝海〟とやらを彷彿とさせた。幾重にも広がり寄せては返すその様は、普段であればなんとも思わない。
だが今この瞬間は、みことを返すまいと嘲笑っているかのようで、何よりも憎らしく感じられた。
(いったい何者だ……? 屋敷からみことを連れ出したのは)
屋敷には結界が張ってある。
それも先日の禍津者の一派である百足が侵入したこともあり、より堅牢なものへと術を施したばかりだった。
それを容易く潜り抜け、みことの許へと近づいたモノがいる。
黄泉月だけではない。みつねややみねも付き従わせていた筈だ。
何かがあれば、二人はすぐに報せに飛んでくるだろう。
だが、そんな様子は微塵もなく〝徴〟にだけ異変が起きた。それはつまり――、
「みことが一人で、屋敷から出たのか……」
思い至った答えに、歯を噛み締める。
(屋敷の外に出ることを赦した矢先に、こんなことになるとは……)
自分の甘さに、迂闊さに内心腸が煮えくりかえりそうになる。
白霊獣が澱んだ風を切り、目的地らしき場所へと一直線に駆ける。
澱みに紛れて大小の禍津者の影が見え隠れする。
加えて澱みの奥へ進むほど、それは魂魄を蝕む毒となる。
そんな場所にみことがいると思うと、居ても立ってもいられなかった。
 




