幽冥の月に見初められし者_015
「私は……優しく在ろうとしたんです」
それはまるで戒告をするかのようだった。
訥々と、言葉が口唇から零れ落ちる。
嫌なことも閉口して過ぎ去ることを良しとしたのか。
何故、理不尽な目に遭っても我慢をしていたのか。
それら全ては、優しい自分だけを見せたいと――醜い感情を露見させてはいけないと願うエゴだった。
「そんなこと、なんの得にもならないのに……!」
気づけば、語気が荒くなっていた。
胸の内に溜まっていた鬱憤の数々。憎悪と呼ぶべき醜い感情。
それらを顕わにしても、神狩尊は私をなお愛おしそうに見つめてきた。
髪に指を通し、優しく梳いては頬に掌を添える。
初めは〝人外〟だと思い恐ろしく感じていた筈なのに、気づけば心の全てを曝け出していた。
「憎い……」
胸の内から湧き上がる感情。それは暗い、昏く……黒い。
「でも、この憎しみを誰にぶつければいいの?」
今まで他人を害することを知らなかった弊害か――怒りのぶつけ方が分からなかった。
まるで、狩りの仕方を親猫から教えられなかった子猫のような、脆い憎しみ。
けれどその子猫であることすら問題ではないというように、神狩尊は私の身体を優しく抱き寄せると首筋に口唇を寄せてきた。
「ククッ、随分と簡単なことに頭を悩ませるのだな。吾が花嫁は」
だがその姿も愛らしい、と神狩尊は笑った。
「ぶつける相手ならいるだろう……?」
「え……。でも、私は何も……」
「……そうか。未だ使い方すら教えずに放っておいたとは、業腹だな。吾が花嫁よ、〝コレ〟を使うが良い」
そう言って差し出されたのは黒い紙面に朱色の墨か何かで図絵を描いたモノだった。
「これは……?」
「この符はお前の感情を顕現するための依代だ。願え。お前はどうしたい?」
神狩尊からの甘美な誘惑。
今まで流され続けてきた私が初めて、心の底から願っていいのだと思えた。




