喪失と再開
2021年 3月4日
祖父が死んだ。
昨日も昼間っから酒を飲んでいたのに。
二人で野球を見て、賭けをしていたのに。
あまりに突然だった。
食材を買いに行かせたら自分の酒だけ買ってくるような人だ。
きっとイタズラなんだ。
息を止めてるだけなんだ。
夜中に体をずっと冷やしたんだ。
そう信じた。
「爺ちゃん……」
俺は名前を呼ぶ。
返事はない。
目は閉じたまま。
そして、俺は知る。
――祖父は死んだ。
その日から俺の時間は止まったようだった。
世界が色褪せたようだった。
だが、俺の時間が止まってる間も、世界は確かに進む。
流れるように、行事が過ぎていく。
気づいたときには、すべての行事が終わっていた。
俺は少し仮眠をとった後、爺ちゃんの部屋を片付け始めた。
部屋から出てきたのは、使い道もわからないようなガラクタばっかり。
人形、骨董品、玉。そんなものばかり。
そ掃除を始めて小一時間経った頃、棚の中から、『直樹へ』と書かれた、封筒と、小さな箱を見つけた。
封筒を開けると、中には、手紙が入っていた。
手紙には爺ちゃんの字で遺言らしきものが書いてある。
俺は手紙を読む。
『俺がお前に残せるものは何もない。代わりに、俺はお前に言葉を残そうと思う。お前は、いい奴だ。だから、これからもそのままのお前でいてほしい。優しいお前でいてほしい。そして、抗え。世界の理不尽に、現実に、絶望に。お前の求める、理想に向かって歩け。お前が来てから、生活は楽しかった。俺がいなくても、楽しく暮らしてくれ。』
そうして、手紙は終わった。
いつの間にか手紙の文字は滲んでいた。
喉の奥が痛い。
「――そんなこと、分かってる」
俺は絞り出すようにそれだけ吐き出した。
寂しくて、やるせなくて、悲しかった。
視界がぼやける。
涙が涙があふれ落ちる。
だが、確かに俺の世界はもう一度、進み出した。
灰色だった世界に、色が宿る。
凍っていた心が解けるような、熱を放つような。
俺は涙をぬぐう。
そして、決意する。
「――俺は東京に行く」
荷物を持ち、別れを告げ、時は夕方、家を出る。
西の空に映る夕焼けが綺麗だ。
もう、振り返らない。
風に吹かれ、バス停まで走った。
それから数時間、バスに揺られた。
「あ、そういえば」
俺は、まだ爺ちゃんから貰った箱を開けていないことを思い出した。
箱を取り出し、そっと、蓋を開く。
中には、深紅の数珠が入っていた。
それは、燃えるように赤くて、恐ろしいほどに、綺麗だった。
空港に着くまで、ずっと見つめていた。
「やっと着いた」
俺はバスから降りながら、そう漏らす。
着いた頃には、日は完全に沈み、空港内に人影はほとんどなかった。
しばらくして、東京までのチケットを買い、カウンターで荷物を預けた俺は、夜景を見に行くことにした。
「おぉ!!」
景色は想像以上に綺麗だった。
俺は近くにベンチに腰を下ろす。
「お兄ちゃんこっち」
どこからか、呼ばれた。
俺は声の方向に目を向ける。
そこには幼い少女がいた。
俺は、彼女に近づく。
「呼んだ?」
俺は彼女に尋ねる。
「あのね、さきちゃん、ママとパパを探してるの」
どうやら「さき」というらしい。
「じゃあ、中に1回戻ろうか」
「うん」
そういうとさきは差し出した手を握り、歩き出す。
空港の入口に近づいた頃。
「あれ」
さきは、さっきまで自分がいた方向を指でさしている。
そこには、とても人間とは思えない、巨体を持つ二足歩行の何かがいた。
奴も、俺達の姿を捉えた。
その瞬間、やつの姿が消えた。
俺は、さきの手を引いて、早足で入口に向かう。
そんなこともお構い無しに、奴は、俺たちの目の前に爆音と共に、着地した。
俺はさきに「先に行け」と伝える。
さきは、テクテクと入口に向かっていった。
奴は俺の事を自身が起こした、砂埃で見失っているようだった。
俺もこっそり逃げようとした。
しかし、それは阻まれる。
「グッ……」
奴が俺のことを見つけ、背中を殴る。
鈍い痛みが背中を襲った。
俺はその場にうずくまった。
奴はうずくまる俺に対して、腹に蹴りを入れる。
酸っぱいものがこみ上げてくる。
意識が朦朧としてきた。
「……死ぬのか?」
俺は虚空にそう問う。
「えっ!?」
返ってきたのは、酷く驚いたような、そんな声だった。
俺は、顔をあげる。
そこには、いつか見た、狐の面を被り、白のロングコートを羽織った青年が立っていた。
そして彼は、あの時と同じように、その言葉を放つ。
「——生きてたんだ。やるね。」