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9話

 夕食は一人で食べた。ちょっと寂しい気もするけど、大丈夫。だって、結婚すればギルベルト様とこのお屋敷で一緒に食事をするのだとわかったから。お休みの日、昼食途中に呼び出されて、夕食時になっても帰って来られないほど王太子殿下に頼りにされている。そんな男性を夫に持ったら、一人で食事をすることもよくあるのかも。これがよくあることなら、嫌だし寂しい。できれば一緒に食べたい。

 毎日毎食一緒に食事をとるけど仕事が出来ず王太子殿下に必要とされない夫、一緒に食事ができないけれど仕事が出来て王太子殿下に必要とされ頼りにされている夫、どっちを取るべきなの⁈

 いけない、いけない。食事に集中しなくては。こんなに美味しい食事、一口毎に味わって食べなければバチが当たってしまう。

 ギルベルト様の用意してくださった料理人は本当に腕が良い。昼食がおいしかったのでそれを料理人に伝えてもらった。伝えてくれたマーサによると料理人はギルベルト様の結婚が決まったことをとても喜んでおり、張り切っているとのことだ。私は身分は王女というこれ以上ないものだけれど、容姿は人並み。料理人と会うことなんてないけど、向こうが私の姿を見ることはあると思う。美人じゃないからガッカリされないかな?

 そんなことを考えながら夕食をとっていると、ギルベルト様が来てくれた。食事中だけど、食堂に来てもらった。だって、少しでも早く、長く会いたいんだもの。食事が終わるのを待っていたら遅くなるし、中断すれば冷めてしまうもの。仕方ないわ。

 ギルベルト様はすぐに私の指の傷に気づいた。

「殿下、その傷は。申し訳ございません。大変なご無理をお願いしてしまって。」

なんで刺繍時の針刺しだとわかるの?それに無理って言わないで。それも「大変な」とまでつけて。私だって、やればできるんだから。できるはず、ちょっと自信ないけど。かなり、怪しいけど。でも、花びら二枚仕上がったし、なんとなくコツが掴めたようだし、これなら一週間もかからない気がする。「気のせいですよ」うるさい、ロッテ。「脳内に話しかけないで」って、昨夜言ったでしょ!

 いけない、目の前にギルベルト様がいたんだった。少し戸惑った顔をして私を見ている。私が脳内のロッテに言い返していることが行動に現れて不審に思われた⁈

 ギルベルト様は明日も王都の案内ができないことを謝りに来たのだ。

「新しくできた、それも異国のお茶を出すカフェは王都では珍しいですし、順番を相当待たないと行けないと思うんです。途中で諦めてくれたら早く帰ることができていいんですけど。そのあと王宮に行って仕事もありますし。この時期、どうしても仕事が多いんです。ですから明日も王都の案内は無理だと思います。申し訳ありませんが。」

「王太子殿下のお供をするのも仕事のうちですわ。カフェは殿下の息抜きも兼ねて侍従長が許可されたのでしょうし、そんな場にご一緒できるなんて名誉なことではありませんか。」

偉そうにそう言ってしまった。こういうところが「女のくせに生意気」と言われるんだわ。嫌われてしまった、、、

 けれどギルベルト様は、

「そうですね。ルイーゼ殿下の仰る通りです。そのように考えるべきでした。殿下のおかげで自分の心得違いに気づくことができて良かったです。ありがとうございます。

多分、持ち帰り用の茶葉があると思いますので、お持ちしますね。マーサなら、上手に淹れられるはずです。」

そう、言ってくれた。

 ギルベルト様は私と一緒に食事もしてくれた。

「公爵邸に夕食が用意してあるのではないですか?」

「いえ、大丈夫です。もっと遅くまで帰れないと思ったので、夕食は要らないと伝えてしまったんです。けれど、早く済んだので伺ったのです。少しでもお会いしたかったので、夕食時に先触れもなく突然押しかけてしまいました。夕食までいただいて。

でも、こちらで夕食をいただけて良かった。彼は昔、ウチの料理人をしてくれていたので、懐かしい味です。」

 いえいえ、用意するのは私じゃないし、一緒に食事ができて嬉しいし。いつでも先触れなく、なんなら毎日来てもらっても構わないです。懐かしい味を堪能できますよ。それに、ここは公爵家のお屋敷でご自分の家と変わらないから、遅くなればお泊まりになっても。大胆なことを考えてしまった。危ない、ニヤニヤしていたかも。

 私は慌てて、顔を引き締める。何か話題を!

「あの、あの、ハンカチの刺繍ですけれど、少しできたんです。」

口から出てきた話題が「刺繍が少しできた」だ。貴族令嬢として刺繍ができるのは当たり前。貴族令嬢の頂点たる王女の話題がそれなの?しかも、できたのは「少し」だし。

「ありがとうございます。ルイーゼ殿下が私のために刺繍をしてくださって嬉しいです。出来上がるのが楽しみです。」

ニッコリ笑うギルベルト様。はあ、やっぱり、すごい美人だよね。こんな美人が私のひどい出来栄えの刺繍のハンカチを持つなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。私なんかと婚約しなければ、そんなひどい出来のハンカチを持つこともなかったのに、、、

 涙がポロポロ出てきた。

「殿下?」

ギルベルト様の怪訝な声。

「ごめんなさい、ギルベルト様。私は本当は刺繍が上手ではないのはご存知だと思いますけど、違うんです。上手ではないのではなく、恐ろしく下手なのです。」

そこで言葉に詰まってしまった。

「誰にでも得手不得手はあります。殿下はたまたま刺繍が不得手だっただけです。私が刺繍をお願いした時に断ることもできましたし、黙って誰か他の者にさせることも。でも、私のためにその不得手な刺繍に挑戦してくださっている。そのお気持ちがとても嬉しいです。」

うう、イケメンはかけてくれる言葉もイケメンだった。アッヘンバッハ夫人も「その人のことを思ってするのが大事」と言っていたけれど、限度というものがある。ギルベルト様の許容範囲内でありますように。

 私はギルベルト様にお願いしてみた。

「ロイド伯爵令嬢に一緒に刺繍をしてもらう事はできないでしょうか。一緒にすれば、楽しく出来ると思うんです。もちろん令嬢に予定がなければですが。私から話せば強制することになってしまいますので、ギルベルト様からそれとなくお願いしてくださいませんか?」

プロのお針子も参加するコンクールで入賞するほどの腕前を持つ人と一緒に刺繍をすれば、なにか参考になるものがあるのでは?

 少し考えている風のギルベルト様。

「無理にとは申しません。令嬢にもご友人とのお約束があるでしょうし、お時間がおありでしたら、という話です。ご友人を優先してもらってください。ハンナに聞くこともできますし。」

ギルベルト様と未だ結婚していないので、私の身分は他国の王族。知り合ったのも、極々最近。そんか私と一緒にいるのは何かと気を遣わなくてはならず嫌かもしれない。だから「友人との約束」という逃げ道を残した。「殿下のご希望を伝えてみます」と言って、ギルベルト様は帰って行った。

 翌日、朝からチクチクと頑張っているとロイド伯爵家から使いが来た。イザベル様は私と一緒に刺繍をしても良いとのことだった。

 やったね!一人でするより一緒にした方が断然楽しいに決まっている。おしゃべりをしながら、さりげなくギルベルト様のことをいろいろ聞くんだ。でも、私にそんな器用なことができるかしら?

 学園は昼までだったみたいで、昼過ぎにイザベル様はご自分のお裁縫箱を持ってお屋敷に来た。イザベル様はご自分の婚約者であるタイラー卿から贈られたクマのぬいぐるみの服の刺繍をするらしい。もう何着も作っていて今回の服は昔風。

 「今の男の人の服はシンプルですけど、昔の服は男の人でもいっぱい刺繍がしてあるんです。ぬいぐるみは小さいから服もそれにあわせて小さくなるし、、」

 イザベル様は器用におしゃべりしながら刺繍をしていくが、私には無理だった。何度か指を刺してしまい、「おしゃべりはお茶の時間に」とハンナに言われてしまった。イザベル様にも「ごめんなさい。私がおしゃべりをして、殿下のお邪魔をしてしまって」と謝られてしまった。私が悪いのに、、、

 お茶の時間にたくさんおしゃべりした。ヴェストニアでは私は女性には必要ないとされる学問をして「知りたがり姫」と陰口を叩かれていたし、王位継承順位の低い私に敢えて娘を近づかせようとする貴族もいなかったので、ロッテ以外の同世代の女性とこんなにおしゃべりをしたことはなかった。

 おしゃべりの中で、一番私が心を惹かれたのは学園生活だった。

「学校とはそんなに楽しいのですか?」

「楽しくない時もあります。テストの時とか、点が悪いとお母様が悲しそうな顔をなさるし。お友達と喧嘩になったりした時はとても憂鬱です。でも、好きな授業や仲の良いお友達の家にお呼ばれしたりするのは楽しいです。」

ふーん、学校って楽しいんだ。ギルベルト様もグロリア様も学校のことを楽しそうに話していたもの。私も学校に行ってみたいな。そんな気持ちが芽生え始めた。

 イザベル様とお話ししていると、グロリア様が来た。手には紙の箱を持っている。

「ルイーゼ殿下、こちらを」

中には異国のお菓子と茶葉が入っていた。

 新しくできた異国のお茶を出すカフェは昨日ギルベルト様の言った通り大変混んでいて入るのを諦めたらしい。せめてお土産だけでも、と異国のお菓子と茶葉を買ったということだ。

「残念だけど、アーサー様は執務があるし、混んでいて待ち時間が長いと諦めて帰るのは仕方ないです。王太子殿下ということを明かせばすぐにでも入れてもらえるんでしょうけど、絶対にアーサー様はそんなことはなさらないもの。それではお忍びの意味がないですし。」

グロリア様の言うことはもっともだわ。上に立つものが権力を振り翳してはいけないものね。

 グロリア様もおしゃべりに加わって、楽しいお茶の時間になった。

 お二人とも侍女もつけず、婚約者と出かけたことがあるらしい。親や身内の男性の付き添いもなく婚約者と出かけるなんて、ヴェストニアでは考えられない。

「ギルもいるし、まったくの二人きりというわけでもないですから。お店には周囲に他の人もいます。」

グロリア様はそう言った。

 お茶の後はグロリア様も加わり、刺繍をした。

 夕方になり、イザベル様とグロリア様は帰って行った。一緒に刺繍をしたからか、随分と捗った。明日も一緒にしたかったけれど、イザベル様は婚約者のウィリアム・タイラー卿が家に来るらしい。私もギルベルト様が来たら嬉しいもの。わがまま言ったらダメだよね。グロリア様も王太子妃教育があるとのこと。明日は一人で頑張ろう。

 帰って行ったお二人のことを考えていて、ぼんやりしていたらしい。

「殿下、どこかお悪いのでは?例えばお腹が痛いとか?」

心配そうなハンナの問いかけにロッテが答える。

「ヘルマン夫人、違いますよ。悪いのはお身体ではなくて、刺繍の具合です。進みも遅ければ、出来もひどい。殿下の刺繍なさっているハンカチをご覧になったロイド伯爵令嬢、一瞬、顔が引き攣ってましたもん。あまりにひどくて、辺境伯に受取拒否されるか心配なんですよね、殿下。」

たしかにその心配はしてるわよ?けれど、ギルベルト様は私がギルベルト様のことを思って一生懸命に刺繍したハンカチを受取拒否するようなことはなさらないと思うわ。出来を見て一瞬顔を引き攣らせるかもしれないけれど、すぐにいつもの柔和な笑みを浮かべて「ありがとうございます」とお礼を言ってポケットに入れるわ。お部屋に封印したまま持ち歩くことはないと断言できるけど。

 ハンナがロッテに注意する。

「ロッテ、辺境伯は受取拒否なんてなさいません。どんなにひどい出来であっても受け取られます。」

「申し訳ありません。辺境伯はきっと、どんな出来であっても受け取られますよね。使ってもらえるかわからないけど。」

「そうです。受け取られたあと、ご自分のお部屋に大事に保管なさいます。」

たしかに私も使ってもらえるなんて思っていないけど、そんなにハッキリ言わなくても。ちょっと、傷ついた。


 刺繍が完成した。イザベル様は三日も有れば完成と言ったけれど、一週間かかった。私が刺繍を頑張っていたので、ケプラー子爵に揶揄われた。

「ルイーゼ殿下の刺繍がついに完成しましたか。始められた時は天変地異の前触れかと心配しましたが、何事もなく安堵しています。」

失礼な。私だって刺繍くらいするわよ。

「婚約者に刺繍のハンカチを贈るのは当然でしょう?」

「それはそうですが、殿下は一度も贈られたことはありませんよね。それがなんで今頃、どういう風の吹き回しですか?まるで恋する乙女ですね。」

そう言って笑われた。

 子爵の用事は、いつヴェストニアに帰るかの相談だった。

「刺繍も完成しましたし、そろそろ。」

まだ、帰りたくない。できれば、このままエルメニアにいたい。せっかく、ギルベルト様と仲良くなれそうなのに。それに、学校にも行ってみたいし。

「しばらく滞在ではなく、学校に

ですか?」

「ええ、グロリア様もイザベル様もとても楽しそうに学校のお話しをなさるんだもの。」

ケプラー子爵は私の希望に驚いたようだった。

 ヴェストニアには女性が通える学校はない。女性が通えるというより、学校自体があまりない。貴族や子供に勉強をさせられる財力のある裕福な家では家庭教師を頼むのが普通だからだ。

 ケプラー子爵は顔の前で指先をあわせる。考え事をする時の彼の癖だ。

「このエルメニアでも女性が学問をするのはあまり好まれません。公爵家は殿下が学問をしていることを重視しているようですが、学校に通うことと同義ではないでしょう。グロリア嬢が学校に通われているのは王太子殿下の要請があったからと聞いています。学校に通うことについては、一度、公爵家と相談なさった方が良いかと。」

そう、言われた。

 ケプラー子爵の言うとおりかもしれない。なので、まずはケプラー子爵が公爵家に意向を確認してみることになった。ケプラー子爵はすぐに公爵家に向かってくれた。

 ケプラー子爵は公爵家に行ったものの、すぐに帰ってきた。ノーザンフィールド公爵も一緒だ。公爵は私が学校に通うことに賛成らしい。

「学生時代というのは素晴らしい宝物だと思います。少なくとも私はそう思っています。それに一生の友人を得られる場でもあります。

このエルメニアの王都には女性が高等教育を受けられる学校は五校ありますが、実際には殿下が通えるのはギルベルトやグロリアの通う王立高等学院か、イザベル、宰相のロイド伯爵令嬢の通う聖白百合学園、あとアルバラ校の三つだと思います。」

 王立高等学院。私でも知っているエリート校。身分も性別も一切関係ない代わりに授業も試験も厳しく、成績が良くなければ貴族だろうと王族だろうと容赦なく落第させられるらしい。「ギルベルトもグロリアも試験前には必死で勉強をしてますよ。毎日すればそこまで慌てなくてもすむのに」と公爵は笑う。

 聖白百合学園。入学資格が貴族子女のみだけあって、一般的な学問もあるけれど、貴族女性に必要な教養の教科がメイン。卒業後も交友関係が続くことが多い。公爵の亡くなられた奥様や宰相の奥様もここの卒業生らしい。

 アルバラ校。入学資格は特に設けてはいないがほとんどを貴族の子弟が占めている。あとは富豪の子弟。

学校というより社交クラブの要素が強いみたい。

 どの学校がいいのかしら?

「私としては学校に通われなくてもこのまま帰国なさらず、ギルベルトの卒業を待って結婚してもらえれば嬉しいですし、ギルベルトもそう望むと思います。しかし、殿下のご両親であるヴェストニア国王陛下御夫妻はご結婚までは娘である殿下をお手元に置いておきたいとお考えではないかと思います。」

不意に「私は貴女にはなるべくヴェストニアでも王都に領地が近い人のところに嫁して欲しいと思っているの」とのお母様の言葉を思い出した。

 公爵は話を続ける。

「それに、学校に通うとなれば毎日出かけるわけですから、事故や事件に巻き込まれる可能性が高くなります。ヴェストニアは友好国ですし、王都は治安も良くそのようなことがないように護衛もつけますが、危険性が全くなくなるわけではありません。

ですので、どの学校を選ばれるにしても一度ご帰国なさって、ご両親である陛下ご夫妻にはご自分のお考えをお手紙ではなくご自分の口から仰り、よく話し合ってください。」

そうだよね。私は学校が楽しそうだから行ってみたいと思ったけれど、私が外出するとなると、周りは大変だよね。私に何かあれば、国際問題になりかねない。それが国王であるお父様の許可を得ないままならなおさらのこと。私の迂闊な思いつきで両国の友好にヒビを入れるところだったわ。

 どの学校を選ぶにしても、ヴェストニアに帰ってお父様に許しを得なければならない。お父様は学校に通うことを許してくださるかしら?

 公爵に考えている学校があるのか聞かれた。どの学校と聞かれても、楽しそうだから行ってみたいと思っただけで、特に希望があるわけではない。学問をするなら王立高等学院が理想。学年が違うけど、ギルベルト様もいるし、そこへ行きたい。私の学年は定員らしいけれど、定員を超えても受け入れてもらえることもあるらしい。なので挑戦してみたい。

 学校に通うことが決まったら、一刻も早くヴェストニアに帰ってお父様に許可をいただかなくては。

 滞在のお礼を言うために王太子殿下にお目通りを申し入れる。学校にいく件はすでに公爵から話がいっていたみたいで、王太子殿下はご存知だった。それに、私が編入することは可能か問い合わせてくれていた。

「問い合わせたところ、定員を少し超えていても受け入れてもらえるそうです。編入試験を受けていただく必要はありますが。皆、同じ条件とはいえ、王女である貴女に便宜を図れず申し訳ない。」

 それは仕方ない。私の身分に阿って無試験や成績が悪くても入れてくるなら嬉しいけれど、それを期待するならアルバラ校に行けばいいのだし。だけど、編入試験を受けて落ちちゃったら格好悪いな。

 王太子殿下が気を利かせてギルベルト様に早く帰るように言ってくれたので、私とギルベルト様は一緒の馬車でお屋敷まで帰った。

「明日、発ってしまわれるんですか。結局、王都の案内が出来ずに申し訳ないです。寂しくなるけれど、新学期に間に合うように、エルメニアに戻って来られるのでしょう?なるべく早く帰って来てください

ね。」

悲しそうな顔のギルベルト様。私も悲しいけれど、我慢する。学校に通うようになればずっと一緒にいららるんだし。

 隣に座る私の顔を見つめているギルベルト様の顔が不意に近づいてくる。え、何?キスをされるの?結婚していないのに、ハンナもいるのに、なんて大胆な!

 大胆なのは私の考えだった。ギルベルト様は私の耳元で囁いただけだった。しかし、夫婦でもない男女では随分とはしたない行為ではあるので、ハンナはため息をついた。けれどお咎めはなく、見ないフリをしてくれた。

 その日はケプラー子爵と共に公爵邸に晩餐に招かれた。その後、二人で公爵邸の庭を散歩した。

「せめてアルトドラッヘンまではお送りしたかったのですが、アーサー殿下の執務が溜まっていて叶いそうにありません。薄情な男だと愛想を尽かされないか心配です。」

ギルベルト様の横顔ご月光に照らされる。眩しい、尊い、一枚の絵画みたい。私は首を横に振るのが精一杯。

 私はポケットから刺繍のハンカチを出した。完成した刺繍は予想に違わずひどい出来だったけれど、ギルベルト様はとても喜んでくれた。

「ありがとうございます、大切にします。」

一度広げたあと、丁寧に畳んで胸のポケットに収めた。しばらくすると、胸のポケットからハンカチを取り出して広げて眺めたあと、また丁寧に畳んで大事そうにポケットにおさめる。それを何度も繰り返す。

 ひどい出来の刺繍のハンカチを眺められるのも恥ずかしいし、それを丁寧に畳んで大事そうにポケットにおさめられるのも恥ずかしい。

「ひどい出来でごめんなさい」

「いえ、私のためだけに作られた、素敵なハンカチです。殿下の貴重なお時間を私のためだけに使って作られた、価値のあるものです。ありがとうございます。

殿下に会えない間はこれを殿下だとおもうことにします。」

そういうと、またハンカチを広げる。刺繍の部分を愛おしそうに撫でて、胸ポケットにおさめた。

 私は自分がギルベルト様の胸に抱かれる姿を想像してしまった。恥ずかしい、でも、嬉しい!いろんなプラスの感情が溢れ出る。でも、刺繍のひどい出来を思い出し、冷静になれた。うん、不細工な私は身代わりのハンカチも不細工なのか、と

 公爵邸から帰って寝る準備をしているとロッテが話しかけてきた。

「殿下、よかったですね。ひどい出来だったのに、あんなに喜んでもらえて。辺境伯、とても幸せそうなお顔をなさってましたよ。

イケメンは演技も上手ですねぇ。あんなに演技が上手なら、針仕事を何としてでも避けようとする殿下をその気にさせるのなんて朝飯前ですね。」

私もギルベルト様もひどい言われよう。

 あの端正なお顔で「自分のハンカチに刺繍をして欲しい」って言われて断れなかったし、断れる人なんていないと思うけど、そこまで言うことはないじゃないの。まるでギルベルト様は結婚詐欺師で、私は結婚詐欺にひっかかった娘みたいじゃない。

 ロッテだって刺繍がひどいじゃないの。

「人のこと言えるの?だいたいロッテなんて刺繍のハンカチを贈る相手すらいないじゃないの。」

「これからつくるんですぅ。」

口を尖らせ、そう反論するロッテ。ハンナが呆れていた。 

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