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8話

 ケプラー子爵のお話で、私や侍女がこのお屋敷に対して誤解しているのがわかった。そのことに対してギルベルト様は「自分の説明不足」「結婚もしていないのに嫡男夫婦が住む屋敷に滞在させ、嫌な思いをさせた」と謝った。ギルベルト様は悪くない。このお屋敷がどんなお屋敷か知ろうとしなかった私が悪いと思う。嫡男夫婦が住む屋敷に滞在するのは悪くない、ってか、とても嬉しい。結婚したらこのお屋敷にギルベルト様と一緒に住むんだ。

 あの夜会の翌日、私の誤解も解けてギルベルト様と一緒に昼食をとっていたら、公爵家から宰相の伝言を持った使いが来た。王太子殿下の執務を手伝うように、って。

 ギルベルト様は困っている。昼食の後、王都の案内をする約束を私にしたからだ。

「ギルベルト様、昼食を終えられたら王太子殿下のお手伝いをしに王宮へ行ってください。私はしばらくこちらに滞在する予定ですし、結婚すればきっと王都にに住む予定でしょうから、王都の案内はいつでもできます。王太子殿下や宰相に頼りにされている婚約者を持てて、私はとても誇らしいです。」

「申し訳ありません。今日は一日お休みの予定でしたのに。王都の案内はまた。」

そう言って、ギルベルト様は王宮へ行ってしまった。

 せっかく午後からギルベルト様と一緒に過ごせると思っていたのに、残念。でも、側近だもの、急に呼ばれることもあるよね。結婚したらそういうこともあるよね。結婚生活の疑似体験をしたと思うことにする。そう思うと、残念なこともなんとなく嬉しいような、、、私って単純。

 食後、部屋で寛いでいるとロッテが話しかけてきた。

「殿下、残念でしたね。せっかく王都の案内をしてもらえるんだったのに。」

「仕方ないわよ。それだけ、王太子殿下や宰相に頼りにされてるってことでしょうし。

それよりハンカチの刺繍、どうしたらいいと思う?」

ハンカチとは、鼻水迄出して泣いていた私にギルベルト様が差し出してくれたハンカチのこと。

 ケプラー子爵に二人でしっかり話し合うようにと言われて、いろんなことを話した。

「ハンカチ、ありがとうございます。綺麗に洗って返します。刺繍のない真っ白なハンカチなんですね。」

今思えば「洗って返します」とだけ言えばよかった。いらないことを言って、墓穴を掘ってしまった。

「はい、刺繍を入れてくれる女性がいなくて。ようやく私にも刺繍をしてくれる女性ができました。殿下が入れてくださいますか?」

ニッコリ笑ってそう言われてしまった。婚約者への贈り物の定番、刺繍のハンカチ。私が意図的に避けていた刺繍のハンカチ。だけど、婚約者に面と向かってい「嫌です。入れません」なんて言えるわけがない。斯くして私は婚約者ギルベルトさまのハンカチに刺繍を入れなければならなくなってしまったのだ。トホホ、、、遠い国の昔の人が「病は口より入り、禍は口より出ず」と言ったらしいけど、本当にその通り。「禍い」とは違うけど。

 私とロッテとのやりとりをそばで聞いていたハンナ。

「殿下、辺境伯への贈り物に刺繍は徹底して避けていらっしゃいましたが、婚約者や夫への贈り物の定番ですよ。まったく贈らないというわけにはいきません。良い機会ですので早速取り掛かりましょう。」

「でも、お裁縫箱を持ってきていないし、刺繍糸だってないもの。無理よ。」

私は抵抗する。

 私だってできるならギルベルト様のハンカチに刺繍を入れたいわよ。でも、お裁縫箱がないんだから無理じゃないの。それに、刺繍の下手な女性はちょっと、なんてことになったらどうするの?結婚自体はなくならいでしょうけども、やっぱり別居ってことになったら。ああ、あんなに嬉しそうになさっていたのに、どうやって断ろう。

 その時、私はいいことを思いついた。持って帰ればいいんだ。持って帰って誰か上手な人、ハンナとか、にこっそりして貰えば。ううん、そんなズルをしなくても、帰って練習してからすれば。結婚するまでに渡せばいいよね。なら、ギルベルト様が卒業するまで少なくとも一年はある。さすがにそれまでには少しは上達するでしょう。時間はたっぷりあるわ。

 私はハンナに声をかけた。

「ねえ、ハンナ、」

「ダメです。私はしませんし、他の人にもしないように言います。しばらくこちらに滞在するのですし、ハンカチ程度ならどんなにかかっても一週間もかかりません。伯爵令嬢も簡単な図案を選んでくださいましたし。なれた人なら、一日ももあればできる図案でしたよ。さっさと取り掛かってください。」

心を読まれている⁈

 私は最後の抵抗を試みる。

「でも、お裁縫箱も無いし、糸だって無いじゃない。」

「辺境伯もそれを心配されていました。マクミラン商会を寄越すので必要な物は注文なさるように、と。」

ギルベルト様、とても気がきくのね。逃げ道を塞がれたわ。

 暗い気持ちで過ごしていたら、ロイド伯爵令嬢が訪問したい旨を伝えてきた。この国の第一宰相の息女だし、昨日の夜会で会ったけれど、昨日の今日で突然?でも、ロイド伯爵令嬢イザベル様はこの国の大きなコンクールで五位入賞をしたくらいとても刺繍が上手。力になって貰えるかも!でも、逆に私が針仕事がダメなのを知って、ギルベルト様の幼馴染として「刺繍もできない人は相応しくない」って思われるかもしれない。どっちだろう?助けて貰える方に私は賭けることにした。

 マクミラン商会より早くイザベル様は来た。

「あの、ロイド伯爵令嬢、ご相談があるのですが、、、」

「はい、ギル、辺境伯のハンカチに入れる刺繍のことですね。」

私が何も言っていないのに、イザベル様はそう言った。

 イザベル様は私が「滞在先で急に刺繍をすることになって困っているだろうから」とギルベルト様に言われたらしい。

 何で「滞在先で急に刺繍をすることになって困っているだろうから」とギルベルト様が思ったのかは気になるけれど、ギルベルト様の調査書を私が読んだように、ギルベルト様も私の調査書を読んだのかも知れない。何でそう思ったかはともかく、困っていることは事実。とにかく今は刺繍を完成させなくちゃ。イザベル様に図案の相談をすることにした。

 イザベル様は紙に描いたいくつかの図案を見せてくれる。今迄イザベル様がしたことのある図案らしい。それも、幼い頃に。口籠もっていたが、無理矢理聞き出した。

「滞在中にできるようにあまり複雑でないものが良いですよね。これなんか、どうでしょう?これとこれを組み合わせて、、、」

イザベル様も私が滞在中にすることを前提にしている。

 イザベル様と相談しているとマクミラン商会が来た。イザベル様が注文にも立ち会ってくれることになった。もちろんハンナも。

 入って来たのはマクミラン商会の会長とその息子だった。マクミラン商会の会長の息子はギルベルト様と幼馴染で同じ王立高等学院の同級生ということだった。二人はイザベル様を見ても驚いた様子はなかった。

「裁縫箱と刺繍糸のご注文とギルベルト様から伺っております。どのような物をご用意いたしましょう。」

父親の会長がそう言う。私はヴェストニアにある自分の裁縫箱の中身を必死で思い出していた。

 針と糸と、針は針山に刺していたわね。糸を切る鋏とそれから何が入っていたかしら?あ、でも刺繍をするのだから、刺繍糸で普通の糸は要らなくて。ダメだわ、いろいろ入っていたはずなのに思い出せない。数式だとか、百科事典の記述だとかばかり思い出してしまう。早くしないと。

 私が頭を混乱させているとイザベル様が話し始めた。

「殿下、刺繍をするのに最低限のものが有ればいいですよね。ヴェストニアにはご自分の立派なお裁縫箱をお持ちですし。足りないものは私のでよければお貸ししますし、追々足していけばいいのですから。」

そうね、最初から全部揃える必要はないわよね。ハンカチにちょっと刺繍をするだけですもの。

 そう思った私は甘かった。

「針と糸を切る鋏と刺繍糸を」

「はい、かしこまりました。針はどのようなものを何本ご用意いたしましょう?刺繍糸はどの太さで何色を?」

え、どういうこと?どのような針って?助けて、マリア叔母様!私は行儀見習いに行ったアッヘンバッハ夫人の言葉を必死で思い出した。

「ルイーゼ、その針は縫い針よ。刺繍はこっちの刺繍用の針を使うのよ。そうね、その糸ならこのあたりの針かしら。

ああ、もう、お茶の時間だわ。今日の授業はお終い。美味しいケーキがあるのよ。」

あのケーキ美味しかったなぁ。また食べたいなぁ。って、違う違う。刺繍用の針って種類があるの⁈あったような気もするけど、、、ああ、それから、糸。アッヘンバッハ夫人が「とりあえずこれだけ有ればいいわ」って言ってたのはどれだったかしら?

 私は何も答えられない。イザベル様の方を見た私の顔は困っていることが丸わかりだったと思う。イザベル様が答えてくれた。注文を受けたマクミラン商会の会長とその息子は「すぐにお持ちします」と帰っていった。いえ、そんなに急がなくてもいいのよ。

 私はイザベル様の方に向き直る。

「ありがとうございます。」

「今日は図案と色を決めましょう。これさえ決めれば、あとは刺すだけですから。」

イザベル様はそう言うけれど、その「刺すだけ」が私にとっては難しい。が、やるしかない。

「殿下に刺繍をしていただけるなんて、ギルはとっても喜びますわ。」

イザベル様はそう言って、嬉しそうに笑った。

 お茶を飲みながら、イザベル様と図案と色を決めた。イザベル様はギルベルト様と幼馴染なので、ギルベルト様の好みをよく知っていてアドバイスをくれた。本当はギルベルト様の家の紋章、薔薇とドラゴンの紋様を刺繍したかったのだけれど、ドラゴンは難しいので、薔薇だけを刺繍することにした。

 イザベル様が帰ってから図案を前に思案にくれる私。

「殿下、多分、辺境伯は上手な刺繍は期待なさっていないと思いますよ。」

ハンナがそんな酷いことを言う。

「辺境伯は殿下が刺繍があまり得意ではないことに気づいておられるみたいでしたよ。それで相談できるよう刺繍の上手なイザベル様を寄越されたのだと思います。」

「どういうこと?私は一度も自分が刺繍したものを見せてもないし、もちろん不得意なんて言ってない。なのにどうして刺繍ができないってわかるの?」

 ため息をつくハンナ。

「殿下は何度か辺境伯に贈り物をなさったけれど、一度も針仕事の物は贈られなかったのでしょう?針仕事の物、刺繍のハンカチなどは恋人や婚約者に贈る定番の物です。それを贈られないということは、相手のことを嫌っているということです。

殿下は辺境伯に『自分は辺境伯のことが大好きで結婚したいと思っている』と仰いました。嫌っているから針仕事の物を贈っていないわけではないことになります。」

「あ、好きなのに贈らない、贈れないのは何故か?『大好きで結婚したい』とは言ったけれど、本当は政略結婚で好きではない。だけど、鼻水まで出して大泣きしましたからね、本当に好きでなければ、政略結婚で『好き』という言葉だけではそこまで演技でしないですもんね。消去法でいくと好きなのに贈らないのは下手くそだからってことですね。下手くそすぎる、と。」

下手くそなのではないわ、人より少し出来ないだけで。誰だって不得意なものはあるでしょ!

 「ロッテ、言葉遣い」

ハンナはロッテに「言葉遣い」と短く言った。けれど、ロッテは強い。

「でも、ヘルマン夫人、事実ですよ、殿下の針仕事がひどいのは。だからと言って、ロイド伯爵令嬢を寄越す必要はないですよね。ヘルマン夫人だって、とてもお上手なのだから。夫人に指導してもらえばよいことですし。」

たしかに、ハンナに教えて貰えば良い。

 少し考える。ギルベルト様はどうしてイザベル様を寄越したのか?単純に考えれば、ハンナが刺繍が上手だという事を知らず、イザベル様は賞を取るほど上手だからだ。けれど、それだけではないような気もする。

「幼馴染のイザベル様ならギルベルト様の好みを知っていたからかしら?あと、イザベル様と仲良くなって欲しいから?」

多分「仲良く」が正解だと思う。

 ヴェストニアどころか王都からもほとんど出たことがない私には外国に知人などいようはずもない。だからそんな私にイザベル様と仲良くなれるようにしてくれたのだと思う。イザベル様はこの国の第一宰相の息女だから王太子殿下の側近のギルベルト様としては仲良くして欲しい相手だろうし、貴族子女の通う聖白百合学園に在籍しているから、そこから交友関係を広げていって欲しいということじゃないかしら。貴族社会において社交は大事だし、妻や娘が重要な役割をはたすもの。ギルベルト様は私に妻としての役目を期待なさっているのね。いいわ、頑張ってその期待に応えるわ!

 ふんす、ふんすと鼻息荒くそう意気込んだけれど、ギルベルト様は私にそんなことは期待していなかった。

「ご存知でしょうが、代々ノーザンフィールド公爵は中央とは少し距離を置いているんです。だから私もそのようにするつもりですので、最低限の社交だけしていただければと思っていたんですが。殿下が社交をと仰るなら、そのようになさってもらって構いません。」

そう言われてしまった。イザベル様のことも、単にイザベル様は幼馴染で頼みやすかったからだとのこと。

「ハンナが刺繍が上手なら、いらないことをしてしまいましたね。

私が知っている女性でイザベルが一番刺繍が上手なんですよ。教え方も上手いし。仲良くしてもらえれば嬉しいですけど、一緒に刺繍をしたら良いかと思ったんです。グロリアはイザベルと一緒だと刺繍が捗るし楽しいと言っていたから。

そこから交友を広げるのも良いかも知れませんね。」

私一人で空回っていたみたい。でも、政治的なことは抜きにしてもイザベル様とは仲良くなりたいし、話してくれた学生生活も楽しそうだった。一緒におしゃべりをしながら刺繍をするのも悪くないのでは、と思う。

 イザベル様が帰ったあと、お屋敷の探検をした。探検といってもじっくりとお屋敷のなかを見るくらいだけど。

 ケプラー子爵の話ではこのお屋敷は公爵家が王都に持っている別邸の中で一番贅沢なお屋敷ということだった。調度類は派手さはないけれど、一目で高価なものだとわかる。ギルベルト様は私の好きなように変えていいと言ってくれたけど、あまり変えるのもどうかな?そんなに希望もないし、一番の理由にこんな立派なお屋敷にあう調度類を選ぶ自信がない。だから、このままで構わない。私の部屋はもうちょっと可愛い感じにしたいけど。イザベル様はクッションとかベッドカバーは自分で刺繍をしたものもあるけど、可愛いからリッツェンにしていると言ってた。私もリッツェンのにしようかな?でも、ギルベルト様のお家ノーザンフィールド公爵家はマクミラン商会が御用達だから、リッツェンではなく、そこで頼んだ方がいいのかな?可愛いのがあるかな?それから、温室は私の好きな花を植えてもらうんだ。

 そんなことを考えていたらマーサがマクミラン商会が来たと言ってきた。

「早いですね。さっきお願いしたばかりですのに。」

「既製品で良いとのことでしたから。」

刺繍糸をおまけしてくれた。

 ハンナが張り切っているのがわかる。

「さ、殿下、先程、ロイド伯爵令嬢と図案をお決めになったのですから、早速取り掛かりましょう。糸も令嬢が必要なものを頼んでくださいましたから。」

逃げられそうにない。

 仕方ないので、刺繍を始める。まず、針に糸を通すところからが試練。ちくちく、ちくちく、刺していく。絶対、歪な仕上がりになっていると思う。こんなゴミのような刺繍のハンカチをもらっても、うれしくないよね。

 マリア叔母様のところでもっと真面目にやっておくんだった。私が思うべきことは「今日のお菓子は何かな?」ではなく、今日はどのような刺し方を習うのかしら?」だったのだ。今頃後悔しても遅い。後から悔やむから後悔。後悔が先にできるようでは、それは後悔ではない。

 いったーい!指を針で刺してしまった。

「殿下、お手元がお留守だからですよ。針仕事の最中に考え事をするのは危険です。お手元に集中なさってください。お手はこちらに、ハンカチに血がついてしまいます。」

ハンナに注意された。

 夕食まで頑張って、やっと、花びら二枚が仕上がった。イザベル様は「この図案ならゆっくりしても三日も有れば完成する」と言っていたけど、私は一週間くらいかかりそう。

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