4話
自室で本を読んでいるとノックがしたので返事をした。ギルベルト様がニッコリ笑って入って来る。私の手を取ると、部屋の外に連れ出された。部屋の外は何故か船の上だった。船が波を切って進んでいく。向こうに陸が見える。「待っていますから」とギルベルト様が言ったところで目が覚めた。
ギルベルト様が出てきて幸せな夢のはずなのに、ツラい。だって、私とギルベルト様は結婚できないから。ギルベルト様の「待っていますから」はきっと私の願望だ。御伽噺のお姫様は良い子にして待っていれば、王子様が迎えにきてくれる。だから私も良い子にしていればギルベルト様が迎えにきてくれるという願望。私はもう子供じゃないし、いくら待っていてもギルベルト様が迎えにきてくれないことはわかっている。だって、私とギルベルト様は政略結婚だもの。私より家や国の利益になる人がいれば私よりその人を取るに決まっている。そんなことは百どころか千も万も承知だ。なのにあんな夢を見るなんて。
「私ってなんて馬鹿なんでしょう。」
声に出して言ってみた。
私は本当にギルベルト様のことが好きだったんだ。改めて気付かされる。涙が出てきた。ベッドの中で泣いた。
ノックがあって、入ってきたのはハンナだった。
「殿下、お目覚めですか?そろそろ起きてください。陛下がお呼びです。」
最近、ギルベルト様とトレア公女との話が出てから、寝坊してもハンナは目を吊り上げて私を起こしに来なくなった。行儀見習いも、あんなに楽しかった学問もしていない。お父様もお母様も私の好きなようにさせてくれている。
けれど、今日のハンナは私に起きろと言う。お父様が呼んでいるから、と。
「お父様が?私に何の御用なのかしら?」
「さあ、私は伺っておりません。キチンとした格好で執務室においでになるように、と。」
ハンナはお父様が私を呼んだ理由を知っているみたいだけど、教えてくれない。口止めされているのだと思う。
ガチャとドアが開いて、ロッテがお尻でドアを押さえて入って来た。
「ロッテ、お行儀が悪いですよ。ドアは手で押さえなさい。」
「無理ですよ。両手が塞がってますもん。
殿下、ココアですよ。陛下がお呼びになっているんでしょう?朝食を召し上がる時間は無いですから、これをどうぞ。お腹がなったら、格好悪いですもんね。」
ロッテはココアを持って来てくれた。両手でトレイを持っているのでたしかに両手は塞がっているけれど、片手でトレイを持てると思う。あと、私はお父様と宰相の前でお腹がなったことがあるが、随分と昔の話だし、あなたが私の侍女になる前の話。なんで知っているの⁈
私は起き上がって、ロッテが持って来てくれたココアを飲む。その間にハンナとロッテが着替えを用意してくれていた。
「殿下、口を綺麗に拭いてください。お召し物が汚れてしまいます。早くお召し替えを。ロッテ、早く殿下のお寝衣を。」
その言葉を受けて、ロッテが私の寝衣を強引に脱がす。追い剥ぎか!
ハンナとロッテの連携プレーにより、私の着替えは極めて短時間で済んだ。ハンナが私の髪を結い上げる。
「ねえ、ハンナ、いつもの三つ編みでいいんじゃないの?」
「ダメです。キチンとした格好で、と陛下が仰ったんです。」
と言われてしまった。
連れて行かれたのは、お父様の執務室ではなく謁見室だ。条約の調印とかに使われる部屋。なんでそんなところに?もしかして、私の結婚が決まったのかな?どこの辺境の国だろう?もう、ギルベルト様のことを思うことも許されないんだ。だって、夫となる人に悪いもの。涙が出そう。涙がでないように、なるべく瞬きしないようにして唇を噛み締める。
そのドアをロッテが開けると、嬉しそうな顔のお父様とケプラー子爵、あと知らない人がいた。
「ルイーゼ、おはよう。さ、こちらに座りなさい。」
お父様はすこぶる機嫌がいい。側に控えていた侍従が椅子をひいてくれた。
私が座ると、嬉しそうな顔のお父様が話し出した。
「こちらはエルメニア王国のルイス伯爵だ。お前とシュバルツ辺境伯の結婚のエルメニア側の交渉担当を務めてくれた人物だ。
ルイーゼ、おめでとう。お前とシュバルツ辺境伯の結婚が決まった。」
「殿下、おめでとうございます。」
ルイス伯爵と紹介された男性も私にお祝いを言ってくれた。ケプラー子爵も。
ルイス伯爵は私の前に書類を二枚出す。
「さ、こちらにサインをお願いします。一枚はこのヴェストニア王国に、もう一枚は私がエルメニア王国に持ち帰ります。」
何が起きたかよくわからない。私は言われるがまま、二枚の書類にサインをした。
「おめでとうございます。」
ルイス伯爵はもう一度、私にお祝いを言った。
二人の侍女に両脇を抱えられるようにして私は自室に戻った。
「殿下、おめでとうございます。」
「殿下、おめでとうございます。良かったですね。私、肖像画を倉庫から出してもらって来ます。」
ロッテは走って部屋を出て行った。いつもはうるさいハンナもその行為を咎めなかった。私はようやく、ギルベルト様と婚約できたことを理解した。
ノックがあって、ロッテと使用人が入って来た。
「殿下、出してもらって来ましたよ。」
ロッテが指示して元の位置に肖像画を置いてくれた。久しぶりにみるギルベルト様のお姿。眩しい、尊い。もう、尊くて眩しくて目がつぶれそう!
もう一度ノックがある。ハンナが返事をすると、大きな板状のものを持ったお父様の侍従が入って来た。「こちらでよろしいでしょうか?」と、何やら置いている。置き終わると引き上げて行った。
なんだろう?あ、ギルベルト様の肖像画だ!前に送ってくれた肖像画より、大人っぽくなっている。先日会った姿に近い。新しいのを描いて送ってくれたんだ。
ロッテがニヤニヤ笑っている。
「これで朝寝坊できなくなりましたね。お寝衣でウロウロも。」
しないよ、だ。ギルベルト様にだらしないところは見せられないもの。ギルベルト様に相応しいステキな女性になるもん。
「殿下、何をニヤニヤしておられるんです?カタリーナ殿下からは針仕事の特訓をするように仰せつかっております。
ロッテ、あなたもです。あなたもいずれ結婚するのでしょうが、その時針仕事ができないと困ります。いえ、今でもです。殿下のものは王宮のお針子が担当するとはいえ、針仕事が不得意な侍女など。そんな侍女は恥ずかしくて殿下のお輿入れに一緒に行かせるわけにはいかないとカタリーナ殿下が仰ってました。」
うわぁ、と言う顔をするロッテ。ロッテも針仕事はどちらかと言うと苦手みたい。でも、私よりはかなりマシ。人並みより、少し下。
ギルベルト様と正式に婚約したことで「勉強は一時中断。貴女には行儀見習いと針仕事に集中してもらいます」とカタリーナお姉様から言い渡された。
行儀見習いと針仕事はアッヘンバッハ公爵夫人が教えてくれることになった。カタリーナお姉様は「マリア叔母様のところだと、お茶やお菓子をいただいて帰ってくるだけだから他の家に!」と主張していたが、「厳しい家だとルイーゼが可哀想。頑張っているのだから、お茶やお菓子は必要」とお父様とお母様に却下されたようだ。私の両親は娘に本気で行儀見習いをさせる気があるのか?ヨハンナお姉様もそう思ったみたいで、「もう、こちらで行儀見習いをするのは諦めて、早めにエルメニアに行って、向こうでしてもらった方がいいんじゃないかしら?その家の方針とか、あるでしょうし」と言っていた。
とにかく、私の行儀見習いはアッヘンバッハ公爵夫人がすることになった。
本当なら夫人が王宮に来るのだろうけれど、気分転換がてら王都の公爵邸ですることになった。カタリーナお姉様は「前回もそう言って、気分転換以外の何もしていないじゃない。せめて王宮でしてくれれば、私が時々行って見張れるのに」とグチグチ言っていたけれど、
「ヨハンナ、貴女が一緒に行ってルイーゼを見張ってちょうだい!」
とヨハンナお姉様も一緒に行くことになった。
前日、夕食の席で。
「まったく貴女のせいで、とんだとばっちりだわ。私までマリア叔母様のところに行かせられるなんて。」
ヨハンナお姉様は怒っている。
「私は刺繍は人並みにはできますからね。」
「でも、ヨハンナお姉様、マリア叔母様のところのお菓子、とても美味しいですよ。お茶もコーヒーも。叔母様、食べきれないくらい、いっぱいお菓子出してくださるし。帰りにはお土産も持たせてくれるし。食事もとっても美味しくて、好きなもの出してくださるじゃないの。」
「知っているわよ!だからじゃないの!お土産まであって、ドレスがこう、、、そうなったら、ルイーゼ、貴女のせいだからね!」
美味しくて食べ過きると、ドレスがキツくなるよね。そこは己の強い意志で悪魔の誘惑を遠ざけねばならないのでは?そう言うと、物凄い目で睨まれた。お姉様の方が悪魔のようです。
その様子を見ていたカタリーナお姉様がため息をつく。
「もう、ヨハンナはマリア叔母様のところに行かなくていいわ。貴女達二人で行って喧嘩になったら、叔母様に迷惑だし。」
そう言って、続きを食べ始めた。
公爵邸に馬車で行く。
「ルイーゼ、婚約おめでとう!
ああ、でも、外国なんて!なかなか貴女に会えなくなるじゃない。」
と夫人に抱きしめられた。側にいた知らない女性にも「婚約、おめでとうございます」と言ってもらった。その女性は在ヴェストニアのエルメニア大使ケリー伯爵夫人リディア夫人だった。
公爵夫人は自室の居間に私達を招き入れた。
「先日、エルメニア大使が交代したのは貴女も知っているでしょう?リディアは新しく来た大使の奥様なの。元々はこの国の子爵令嬢で私の侍女をしてくれていたんだけど、この国に留学に来ていた伯爵に見初められて、エルメニアに輿入れしたの。つい最近までエルメニアにいたから、いろいろエルメニアのことを教えてもらえると思うのよ。そう思って、呼んだの。」
リディア夫人の話ではギルベルト様はローゼニアと言えど、令嬢の間では大変な人気ということだった。
「お会いになられたからご存じでしょうけれど、大変お綺麗な方でしょう。王立高等学院に通われるほど勉強ができて、なさることはスマート。王太子殿下の側近も務めてらっしゃる。兄妹同然の従姉妹のグロリア様は王太子殿下の婚約者。それだけでも将来性があって人気でしょうに、裕福なノーザンフィールド公爵家の後取り。浮いた噂ひとつなく、とても誠実な方ですのよ。なので表立っては皆様何も仰いませんが『是非我が娘を』と思っている家も多いのです。
ですから、伯父であるノーザンフィールド公爵が婚約の発表を『辺境伯の進級が決まるまで待って欲しい』と言うのもある意味当然だと思いますわ。今は互いに牽制しあっているみたいですけれど、発表されれば、殿下が辺境伯に降嫁なさる前に既成事実を作って結婚に持ち込もうとする親娘がでるに決まってますもの。その様な輩は進級試験の前でも小蝿のようにまとわりつくでしょうから。」
大変なことを聞いてしまった。
そうだよね。すごいイケメンで頭良くてお金持ち。アルトドラッヘンで挙動不審で嫌な態度の私にも紳士的な態度を決して崩さなかったものね。御伽噺に出てくる王子様だよね。
え、待って。リディア夫人の話だと、私との婚約の発表を伸ばしても既成事実の企みの実行を遅らせるだけで、企み自体はなくならないのよね。牽制しあってても、抜けがけしようとする人は出てくるよね。
「ルイーゼ、お顔が怖いわ。可愛いお顔が台無しよ。どうしたの?」
「リディア夫人のお話だと抜けがけして『進級試験の息抜きに』と既成事実を企む人が出てこないかしら?」
「まあ、そうですわ。大変!」
リディア夫人は苦笑いをする。
「そうかもしれませんが。それでも、お話が知れ渡ればもっとそのような親娘が出てくるでしょうし、きっかけを作るために夜会などのお誘いも受けることが多くなるでしょう。頻回にお誘いがあれば、勉強に差し障りがあるかもしれません。公爵としては、とにかく進級試験に集中してもらいたいとのお考えだと思いますわ。」
と言われてしまった。
イケメンでスマートで頭が良くてお金持ちの公爵嫡男。ライバルが多すぎる。私がヨハンナお姉様くらい美人ならまだしも、地味子だし。そばにいないし。仕方ないといえばそうだけれども。
しゅん、とする私。
「ルイーゼ、とても誠実な方だとリディアが言ったでしょう。それに、他の女性から見向きもされないような男性が婚約者のほうがいいの?」
「ソレハイヤデス、、、」
自分がモテないからって、相手も他の女性から見向きもされないような男性なんてイヤ。厚かましいと思うけれど私だって乙女だもの、希望を言ってもいいよね。私の希望「できれば容姿は人並みで、私を正妻として遇してくれる男性。愛人は作らないでいてくれると嬉しいけど、いるなら別宅に住まわせて」だ。私の希望叶った!希望以上の人だった。婚約できたけど、ライバル多し!愛人は、誠実な人なら大丈夫だよね?大丈夫と思いたい。
他にもリディア夫人はエルメニアのことをいろいろ教えてくれた。暮らしていた人から聞くのはとても勉強になった。この国から輿入れしたから、私が疑問に思うこと、戸惑うことも経験済みだ。
「でも、エルメニアの社交界ではエルメニア風に振る舞っていらっしゃいますけれど、ルイーゼ殿下もご存知のように、ノーザンフィールド公爵家はローゼニア。元は別の国だけあって、家ではこの国ともエルメニアとも違うことがいろいろあると思いますわ。」
そうだよね。エルメニアの社交界だからエルメニア風に振る舞っているだけで、お家ではきっと違うんだろうな。同じ一族で婚姻を繰り返すのも、そういうことも影響しているのかもしれない。ローゼニアのことを知っている人に聞いて勉強した方がいいかも。
私は少し考え込んでしまったみたい。申し訳なさそうな声でリディア夫人が話しかけてきた。
「申し訳ございません、殿下。怖がらせてしまったみたいで。」
「怖いというのとは少し違うの。結婚するにあたって、ローゼニアのことも一応勉強はしたのだけれど、もう少しローゼニアのことを勉強していた方がいいと思って。どなたに頼めば良いのか、考えていたの。」
そこまで言ったところでマリア叔母様が、
「まあ、ルイーゼ、なんて立派なの!お相手の家に合わそうと努力するなんて。
さ、今日はこのくらいにしてお茶にしましょう。今日は異国のお茶があるのよ。」
と言って、お茶の時間になった。
それから何回か行儀見習いに行ったけれど、どの回もカタリーナお姉様の危惧したとおりになった。
「カタリーナは心配症なのよ。今迄公爵家を切り盛りしてきたハウスキーパーがいるのだから、ルイーゼがする必要はないわ。逆に迷惑だと思うのよ。急にやり方を変えられたら使用人だって困惑するに決まってます。
刺繍だって、心を込めてするのが大事なのよ。上手なだけで良いならお針子に頼めばいいのだから。」
と、私がキチンとやっているか確認するためについて来たカタリーナお姉様に力説していた。
帰りの馬車の中でカタリーナお姉様は諦めたように言った。
「まあ、少しは刺繍も上達したようだし、叔母様も貴女が来るのを楽しみにしていらっしゃるし、行儀見習いは続けましょう。
こうなるのはわかっていたのよ。お父様もお母様も貴女には甘いんだから。」
部屋でオヤツを食べようとしていると、ロッテがトレイに手紙を入れて持ってきた。とても、興奮している。
「殿下、殿下、お手紙ですよ。シュバルツ辺境伯からですよ!早く着替えてください!」
言っている意味がわからないわ。どうして着替える必要があるの?
「だって、辺境伯からですよ。初めてのお手紙ですよ。そんな普段着でお手紙を読むんですか?それで良いんですか?許されるんですか⁈」
そうね、ギルベルト様からのお手紙ですもの。普段着なんかではダメね。キチンとした格好で読まなければ!ロッテ、気づかせてくれてありがとう。
私はハンナの方を向いた。
「ハンナ、この場合、どのドレスを着たら良いの?夜会服、は違うし。散策用は室内だから違うし。今は昼間だから晩餐用も違う。だいたい、食事ではないし。読書用、読書用かしら。読書用のドレスを出してちょうだい。」
呆れた顔をするハンナ。
「殿下、落ち着いてください。今、お召しのドレスで十分です。読書用のドレスなんてありませんよ。ロッテも落ち着きなさい。どんな時にも冷静に。主人と一緒に動揺してどうするのです?」
そう、言われてしまった。考えてみれば、読書用のドレスなんてなかったわ。
取り敢えず、お茶とお菓子を片付けてもらう。手も洗う。手紙が汚れたらいけないから。封筒には紋章が入っている。大きく深呼吸して、ペーパーナイフで封を切る。中の便箋をだす。便箋を開こうとするけれど、手が震えているのが自分でもわかる。心を落ち着ける為に深呼吸を。
「殿下、なんて書いてあるんです?早く、早く読んでくださいよ。もったいぶらないで。早く、私にも何が書いてあるのか教えてください!」
ロッテの急かす声が聞こえる。
「ちょっと、急かさないでよ。部屋の外に出すわよ!」
なんて書いてあるのかな?
そっと、便箋を開ける。
「敬愛するルイーゼ殿下」
ルイーゼ殿下、ルイーゼ、と名前を呼んでくれた!ルイーゼって名前で良かった。
「殿下、殿下、大丈夫ですか⁈」
ただならぬ声でハンナが私を呼んでいる。
「ハンナ、どうしたの?」
「『どうしたの』ではありませんよ。突然、魂が抜けたようになってしまわれて。何が書いてあったんです⁈殿下に何かあったら私は、」
と泣き出した。
昔、ハンナは年頃になって恋をして、婚約した。結婚式を指折り数えて準備もして、明日が結婚式という日。使用人が婚約者からの手紙を持って来た。それには「ハンナが親友の女性をいつも虐めていると本人から聞いた。そんなことをする娘とは結婚できない。自分はその女性と結婚する」というようなことが書いてあったそうだ。ハンナはそんなことはしていない。誤解を解こうと婚約者の家に向かったが、酷い言葉で罵られて追い返されたそうだ。それからしばらく魂が抜けたようになってしまい、立ち直るのに随分と時間がかかったらしい。私のところに来てくれたのはその頃。ハンナが虐めたというのはその親友がハンナ婚約者を奪るための嘘だった。婚約者の方もハンナよりその女性の方が好きになってしまい、都合の良いその嘘に乗っかり、ハンナにそんな仕打ちをした。その夫婦の行方はわからないらしい。
私はハンナの顔を見ながら「大丈夫よ」と言った。
「『敬愛するルイーゼ殿下』と書いてあったから、嬉しくなっただけ。ギルベルト様に名前で呼んでもらえるなんて!」
「それは、ようございましたね。早速、お返事をお書きになりますか?ロッテ、すぐに準備を。」
「は〜い。」
ロッテの返事にハンナはキチンとした返事をするよう注意する。
「それはそうですけど。あまり積極的になれないというか。
殿下、ちょっと、いえ、かなり気持ち悪いですよ。考えても見てください。婚約者への手紙ですよ、名前を呼ぶのが当たり前じゃないですか。『第三王女殿下』って書いてあったら『興醒め』どころじゃなくて、どんだけ『政略結婚で相手は誰でもいい、興味ない』んだってことになりませんか?いくらなんでも、そんなことはないでしょう。それをそんなに喜ぶなんて。
それに、たとえそうであっても、辺境伯ほどイケメンなら女性の扱いにも慣れているでしょうから、殿下をお名前で呼んで『自分に気がある』と思わせるくらい、朝飯前でしょうよ。朝飯前どころか息をするくらい無意識かも。そんな手に引っかかる我が主が情けなくて可哀想で。」
とロッテは随分失礼なことを言い、なき真似をする。それに女性の扱いに慣れているって、ギルベルト様、彼女たくさんいるの?私もその中の一人?いや、不細工な私は彼女ですらなくて、通行人1ならぬ、取り巻き1かも。
落ち着いて、ルイーゼ。貴女はギルベルト様の婚約者よ。その他大勢ではないの。ギルベルト様の横は私の指定席。どんな美人の女性でも、私にはその指定席を譲らなくてはいけないはず!
私は威厳を持たせようと、わざと怖い顔、低い声を出す。
「あのね、ロッテ、私が騙されていると言うの?」
「いいですか、ロッテ。殿下が騙されないように、騙されていても何事もなく過ごせるようにするのが、私達侍女の役目です。」
ハンナも私は騙されること前提なんだ。私は騙されてないと思うし、ギルベルト様もそんな人じゃないと思うんだけどな。多分、婚約者だから「ルイーゼ殿下」と名前で呼びかけてくれたんだと思う。「政略結婚だから誰でもいい」と思っていることはない、と思う、、、
「もう、ハンナもロッテもそんなことばかり言わないでちょうだい。私はギルベルト様にお返事を書くのだから、便箋と封筒を用意してちょうだい。」
私は手紙をゆっくり読み返す。婚約できて嬉しいと書いてある。早くまた会いたい。会える日が待ち遠しいとも。社交辞令だとしても、嬉しい。私も婚約できて嬉しいし、早くまた会いたい。私は本気でそう思っている。今度は少しくらいお話しできるかな?頑張って、お話ししよう。でも、また、お話できなかったら、どうしよう。今でも嫌われているかもしれないのに、今度こそ、徹底的に嫌われてしまう!
あの、好きになって欲しいのに、嫌われる行動ばかりとってしまった時の辛い気持ちを思い出す。イケメンのギルベルト様と夜会に行く。周りの人はきっと「あんな不細工、ギルベルト様に相応しくない」と扇子の影で笑うに違いない。愛人の座を狙う美人な令嬢。
自然と涙が出てきた。
「殿下、やはり、よくない事が書いてあるのでは?」
ハンナが心配そうに聞いてきた。
「ギルベルト様はあんなにお綺麗なのに、私みたいな不細工と結婚させられてどう思っているのかしら、私と結婚するのは嫌じゃないかしら、と思って。」
「殿下、殿下はとてもお可愛らしいですよ。
さ、送ってくださった箱を開けて、お礼のお手紙を書きましょう。こういうことは、その日のうちにすることが大事ですよ。」
私は一緒に送られた箱を開けた。
箱の中には綺麗な万年筆が入っていた。カードには「女性に万年筆を贈るのは無粋と承知していますが、貴女に返事をもらいたくて」と書いてあった。
私の返事が欲しいから、万年筆を贈ったってこと?この万年筆で書いて欲しいってこと?もう、何枚でも書くわ!早速、私はその万年筆で返事を書くことにした。
まず、万年筆を贈ってくれたお礼を言うでしょう。私も婚約できて嬉しい、また早く会いたいことも書かなくちゃ。あと、何を書けばいいのかしら?先日、難しい数学の問題を解いたこと?なんか自慢みたいで嫌らしいわね。何を書くのがいいのかしら?
悩んでいると、
「殿下、行儀見習いを頑張っていることや、ローゼニアのことを勉強していることをお書きになったらどうです?自分の為に頑張ってくれているって、嬉しくないですか?」
ロッテがそう意見を言った。ストーカーみたいで気持ち悪いって思われないかな?そう思ったけれど、私ならギルベルト様が私のことを知ろうとしてくれたら嬉しい。それに、その家に合わせる為にその家のことを勉強するのは当然よね、と開き直ることにした。
あと、「何かお返し的な物を手紙と一緒に送っては?定番は刺繍のハンカチ」という意見がないわけではなかったが、私とハンナとロッテの三人のメンバーからなる「ギルベルト様への贈り物をどうするか」委員会で、「刺繍のハンカチ」は全会一致で却下された。代わりにハンドルの細工が綺麗なナイフを選んだ。以前、お会いした時にナイフを収集していると言っていたからだ。男の人はナイフを集めたりとか好きなのかな?お父様も収集している。だから、一緒にナイフを選んで欲しいとお願いした。お父様は「なんで自分が」と言っていたけれど、お母様に「では、陛下のコレクション、全部送りましょうか?」と言われて、一緒に選んでくれた。そして、ナイフを贈る時のアドバイスもくれた。
それから、いつ着くかな?お返事早く来ないかな、と思いながら過ごしていた。お返事より早く、嫌な話が入ってきた。あのトレア公女のロクサーヌ様が姉君のシャルロット様と一緒にエルメニアに留学してきたというのだ。
トレア大公国のシャルロット様とロクサーヌ様は美人姉妹として名高い。ギルベルト様は私と婚約しているし誠実な方とわかっているけれど、美人がそばにいるなんて心配だわ。
ノーザンフィールド公爵がトレア公女に王都の一等地にある別宅を貸したと言う報告も入ってきた。お父様とお母様はその話を私には聞かせたくなかったようだったけれど、「後から聞いて、ルイーゼが変に勘繰るといけないから」とカタリーナお姉様が教えてくれた。
ヨハンナお姉様がカップをテーブルに置いて話し出す。
「王都に幾つか別宅があるとはいえ、別にノーザンフィールド公爵が貸す必要はないじゃない。以前、ルイーゼと話が進んでいるのに、トレア貴族の出の母親を持った令嬢が『トレアのシャルロットはエルメニアの王太子殿下とロクサーヌはシュバルツ辺境伯と結婚する』と言ったらしいし。
トレア公女は美人だから、本当は向こうと結婚したかったから、親切にしているとか?同じ政略結婚なら、美人の方がいいでしょうし。」
いい終わると、また、コーヒーの続きを飲み始めた。
「ヨハンナ!」
カタリーナお姉様が強めの声を出した。私がカップを手に持ったまま涙を流し始めたからだ。
「ヨハンナ、なんてことを言うの。トレア公女に別宅を貸したのは、この国でもエルメニアでも王都は住宅不足だからであって、特別な意味はないと思うわ。そんな適当なことを言って、ルイーゼを揶揄わないでちょうだい。
ルイーゼも泣かないの。辺境伯は貴女にお手紙だけでなく、毎回、贈り物をくれるのでしょう?今、貴女が付けている髪飾りは辺境伯が贈ってくれたって、先日、見せに来たじゃないの。異性に身につけるものを贈るのは親しい間柄でしかないのだから、貴女を婚約者として思ってくれているということでしょう。」
ギルベルト様は手紙と一緒に贈り物をくれる。先日は綺麗な髪飾りをくれた。ヴンダーカンマーにこれと似た筆記用具入れが置いてある。艶のある黒い木の台に金や銀、貝で模様が描いてある。艶のある黒はある木から取れる樹液で、金粉を蒔いたり、貝を切って嵌め込んだりして模様を作るらしい。
「その髪飾り、なかなか手に入るものじゃないし、ローゼニアの紋章が入っているでしょう?家の紋章をついた特注のものを贈ってくれるってことは、公爵もそれを贈ることを承知しているんでしょうし、貴女をそれくらい大切に思ってくれている証拠だから泣かないの。」
カタリーナお姉様がそう言ってくれたけれど、私はまだ、えぐえぐ泣いていた。
私がまだ泣いているのを見たヨハンナお姉様は悪戯な顔をして、私に追い討ちをかける。
「でも、お姉様、特注ということはルイーゼと婚約してからでは間に合わないと思うわ。だから、もともと他の女性に贈るつもりで注文していたけれど、その方との話は流れてしまったのでルイーゼに贈ってきたかもしれないわ。」
私の目からはさらに涙が溢れ出る。ギルベルト様は好きな人がいたんだ。私との話が出たから、諦めざるを得なかったんだ。だから、私は愛してもらえないんだ。王族が他国に嫁する場合、侍女を連れて行くことを許されないことがある。きっと、私も許されない。愛されなくて、ハンナとロッテもいないんだ。向こうで私につく侍女は、ギルベルト様と愛する人の仲を裂いた私に冷たくあたるに違いない。お父様やお母様、お姉様への手紙も出させてもらえないんだ。私に来たお手紙も目の前で捨てられるんだ。私は声を上げて泣き出した。
カタリーナお姉様が私の横に来て頭を撫でてくれる。
「ヨハンナ、ルイーゼは今いろいろ不安なんだから、そんな意地悪を言って泣かすのはやめてちょうだい。」
ヨハンナお姉様は私があまりにも泣き出したので、オロオロしている。
「ルイーゼ、意地悪言ってごめんね。
ノーザンフィールド公爵ほどの家なら、シュバルツ辺境伯の結婚相手への贈り物用に、話がまとまってから慌てないようにあらかじめ注文してあるかもしれないわ。それに辺境伯のお母様や亡くなられた公爵夫人のものかもしれない。それを贈ってくれたのかも。だったら、貴女がその家に相応しいと認めてくれているということじゃない。だから、もう、泣かないで。」
ヨハンナお姉様はそう謝ってくれた。
そんな毎日をすごしていたある日、お父様に呼ばれた。
「お前にシュバルツ辺境伯の婚約者としてエルメニア王宮の夜会に出席して欲しいそうだ。ノーザンフィールド公爵だけでなく、エルメニアの第一宰相ロイド伯爵からも要請が来ている。
急いで行けば間に合う。」
「もし、夜会に出席なさるのなら、私もお供いたします。」
そばにいたケプラー子爵がそう言ってくれた。
行かないなんて、選択肢は私にはない。喜んで出席いたします!
「ハンナ、ロッテ、急いで旅の支度をしてちょうだい!エルメニアの夜会に出ることになったの。明日にでも出発しないと!」
先日、アルトドラッヘンに行った時に旅の一式を揃えていたので、支度は早々に整った。後は出発するだけ。
どうしてこんなに急に婚約者として夜会に出席して欲しいと言ってきたのかしら?私が降嫁するノーザンフィールド公爵家だけなら私的な要請だけれど、エルメニアの第一宰相が要請するならエルメニア王宮からと見るべきだわね。どんな政治的な意味合いがあるのかしら?今迄、公爵家や親戚のアルトドラッヘン辺境伯家が開く夜会のお誘いもなかったのに、なんで急にエルメニア王宮主催の夜会に出席要請?
突然の要請にお父様もカタリーナお姉様も首を捻っている。でも、考えていても仕方ない。それに、何より私はギルベルト様に会いたい。
翌朝早く、私は王宮を旅立った。




