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26話

 最近、私はボケている。よく学校に物を忘れてくる。

「ああ、数学の教科書がないわ。」

「またですか?学校で習うよりずっと先のことを学習しているからって、忘れて帰っちゃ、ダメですよ。それにしても、最近よく学校に忘れ物なさいますね。若いのにボケてるんですか?」

ロッテに酷いことを言われる。が、忘れ物自体は事実なので反論できない。

「帰るときに、全部鞄に入れたと思ったのだけれど、入れ忘れがあったのね。」

「しっかりしてくださいよ。翌日には見つかるからいいようなものの、教科書って高いんでしょう?ノートだってタダじゃないんですよ。殿下はお金持ちだから大丈夫でしょうけど、そういう問題じゃないですよ。」

その通りなんだけど、、、

 学校から持って帰り忘れた物は、翌日にはたいてい私の机の上に置いてある。他にも違う人の机に置いてあったり、学校の庭にあったり。その場合は見つけた人が持ってきてくれることが多い。たまに事務室に届けられている。落とした覚えはないんだけど、机の上に置いてあるということは落としてるんだろうな。さすがに机の上に置いてあるのに鞄に入れ忘れたとは思えないもの。でも、実際に帰ったらないのだから鞄には入っていないわけだし。う〜ん、ロッテのいうようにボケてるのかな?

「あんまりボケてると、辺境伯に婚約破棄されますよ。」

とロッテに脅された。

 放課後、忘れ物をして帰らないように確認する。

「数学の教科書、ノート。歴史地理の教科書と、」

「殿下、何をなさっているの?お帰りにならないの?」

ソフィア様が声をかけてきた。

「最近、学校に忘れ物をすることが多くなって。だから帰る前に持ってきた物を確認しているんです。

あ、トレア語の古典文法の教科書がないわ。どこにやっちゃったのかしら、、、」

「探しましょう。私達もお手伝いします。」

ソフィア様と一緒にいたデイジー様がそう言ってくれた。

 しかし、探すってどこを探したらいいのかしら?トレア語の古典文法の授業は教室であったわけだから持ち出してないし。教室を一通りみて回るくらい。

「ありませんわね。授業の時にはあったのでしょう?最後の数学は別の教室であったから、間違えて一緒に持って行ったとか?」

「数学の授業の時は古典文法の教科書はなかったです。教室に行く途中でおとしたのかしら?」

「古典文法の教科書は厚いので持って行く時にさすがに気づくのではないでしょうか?それに落としたとして殿下は気づかなかったとしても、殿下のあとから歩いていた方もいたのですから、さすがにその方が気づくのではないでしょうか?」

そうよね。後ろに目はなくても前にはある。私が落としたことに気づかなくても、分厚い教科書なのでそれもマヌケだけれど、私の後ろを歩いていた人は気づくはずよね。

 「不思議なこともありますわね」と話していたら、エヴァンジェリン様が入って来た。

「皆様、まだお帰りになりませんの?」

「ええ、私の探し物を手伝ってくださっているのです。」

「探し物?何を探してらっしゃるのか存じませんけれど、探し物をするというのは管理が出来ていない証拠ですわ。放課後に他の方を居残りさせてまで探させるなど、ご自分の不始末に他の方を巻き込むなんて、信じられませんわ。」

エヴァンジェリン様に一方的に言われた。

 エヴァンジェリン様の言う通り。情けなくて涙が出そう。

「殿下、お気になさらないで。私達が勝手に巻き込まれたのですから。」

「そうですよ。私やデイジーと殿下はお友達でしょ?お友達が困っている時に助けるのは当たり前なんですから。

でも、エヴァンジェリン様、なんで殿下には突っかかるような物言いをするのかしら。他の人にはしないのに。」

ソフィア様が首を捻る。

 エヴァンジェリン様の私に対する態度は私の思い過ごしじゃなかったんだ。でも、エヴァンジェリン様との間に問題を起こしたくないし。

「そうかしら?もし、ソフィア様の仰る通りだとしても私が情けないからだと思うの。なにしろ、最近毎日のように学校に何かしら忘れて帰ってるし。今だって教科書がなくて一緒に探してもらってるし。」

「あ、だから毎朝、殿下の机の上に教科書とかノートとかが置いてあるのですね。あれ、わざと置いて帰っているのだと思ってました。あまりにも毎日なので。

でも、変ですね。だって殿下はほとんど忘れ物をしたことないですよね。なのにどうして学校から持って帰るのだけ忘れるのでしょうか?」

言われてみればそうね。どうして持って帰るのだけ忘れるのかしら?翌日の準備はハンナにやロッテと一緒にするから忘れないだけ?

 悩んでいても仕方ないので、「きっと明日、机の上にありますわ。遅くなるといけないし、もう帰りましょう」とお屋敷に帰った。

「おかえりなさい。」

ギルベルト様だ!学校が早く終わったので来てくれたみたい。来ていることを知らなかったとはいえ、お待たせして悪かったな。教科書なんか探さずに早く帰るんだった。

 向かい合って座る。「婚約者は隣に座らないといけない」偉い人の言葉に従わなくて心苦しいけど、まだ結婚してないしね。

「遅かったですね。何かあったのですか?」

私は放課後のことを話した。

「またですか?」

控えていたロッテが声を出した。

「すみません。思わず声が出てしまいました。

でも、殿下、ここのところほとんど毎日じゃないですか?翌朝には出てくるからって、毎回出てくるとは限らないんですよ。」

ここでハンナがロッテを黙らせた。侍女が許可もなく話すなんて私の評価を落とす行為だから。

 ギルベルト様は何かを考えているよう。眉間に少しシワを寄せている。何を考えているのかしら。私の評価が下がって、妻にふさわしくないって思っている?でもギルベルト様はこのお屋敷内で自分しかいない時はロッテが勝手に発言することを許している。ハンナはあまり承知していないみたいだけど。

 ギルベルト様は眉間のシワはそのままで話し始めた。

「殿下、よく学校に物を忘れて帰るというのは本当ですか?」

ふぇーん。妻にふさわしくないと考える理由はそっち?普通に考えれば、どっちもふさわしくないよね。

 ハンナが慌てて発言する。私だけならともかく、ギルベルト様もいるのに許可を得ず発言するなんて珍しい。

「辺境伯、お言葉ですが、殿下は学校へは忘れ物をなさったことはありません。学校ではご自分で教科書を持っての移動などがあるそうですので、多少のことはあるかと存じます。普段、殿下がお荷物を持たれるようなことはございませんから、何かを忘れたりするようなことはないかと。」

ハンナは普通は侍女なりメイドなりの使用人が荷物を持つので忘れ物の件は大丈夫、結婚には支障はないと私を庇ってくれた。こんな情けない主人で苦労をかけるわね、ハンナ。

 一瞬、戸惑ったような表情をするギルベルト様。

「殿下が学校から物を忘れて帰宅されることを責めているのではありません。誰にでも忘れ物をすることはあるでしょう。けれど最近になって何故頻繁にあるようになったのかと。ヘルマン夫人の話では学校に持って行く時は忘れ物をなさらないようですし。ロッテの『翌日には出てくる』というのも不思議で。」

「教科書やノートなど紋章が入ってますから、見つけた人が机に置いたり、持って来てくれているんだと思います。」

少し間をおいてから、

「そうですね。その件はまあ、、、」

と言った。

 それに続けた話に私は舞い上がった。

「今日、伺ったのは今週末に貝殻通りでランタン祭りがあるのですが、ご一緒できないかと思って。」

やったわ。夜にギルベルト様と二人きり。すごい人混みだというし、あんなことやこんなことが偶然起きるかも!きゃー、私、今どんな破廉恥な想像しているのかしら。でも、でもね、夜に人混みの通りなんて期待しちゃうじゃない。何かおきちゃうかも。

「もちろん夜ですから二人でだけで行くようなことはいたしません。ケプラー子爵ご夫妻もお誘いしています。」

ですよねー。前回、二人きりで食事に行ったけれど昼間だったし。さすがに夜の下町の通りはね。貴族もお忍びでいっぱい来ているとは聞くけれど。

 ちょっとがっかりだけど、嬉しいことには違いない。

「是非!とてもきれいなお祭りだって聞いています。とても楽しみです。」

本当に楽しみ。

「そんなに喜んでいただけるとこちらも楽しみです。」

ギルベルト様は笑った。

 部屋のドアをノックしてマーサがケプラー子爵が来たことを告げた。すぐに、入ってもらうことにした。

「きっと、ランタン祭りのことですよ。ここへ来る前にお誘いしたから。」

ギルベルト様はそう言ったけれど、全く違った。ケプラー子爵が来たのは私のトレア語の古典文法の教科書のことだった。デイジー様の鞄から出てきたらしい。

 応接間にデイジー様とお父様とおじいさまがいた。デイジー様は泣いている。

「殿下、この度は孫であるデイジーの鞄から殿下の無くされた教科書が出てまいりました。お詫びのしようもございません。」

「殿下、ごめんなさい。わざとじゃないんです。帰って、鞄を開けたら殿下の教科書が入っていて。どうして入っていたのかわからないんです、、、

信じてもらえないかもしれないけれど、本当に盗ってないんです。」

デイジー様は泣きながら、ようやくそれだけ言った。

 私の教科書がデイジー様の鞄にあった。デイジー様が私の教科書を盗ったと思われても仕方ない。ボルモア侯爵家もそれを心配している。

 でもね、ちょっと考えてみて。デイジー様が私のトレア語の古典文法の教科書を盗る理由がないでしょ。デイジー様は同じ教科書を持っているし、教科書には紋章が入っているから売るのも難しい。だいたい、デイジー様は盗んだ物を売るほどお金に困っているとは思えないし、そんな物を買ってくれる知り合いがいるとも思えない。それに自分で盗んでおいて自分の鞄に入ってました、なんて言ってくる間抜けがどこにいるの?だからデイジー様は私のトレア語の古典文法の教科書を盗んでない。

 「デイジー様」

私の呼びかけにデイジー様はビクッとなった。

「教科書が見つかって良かったです。

デイジー様が盗ったなんて、思ってません。だってデイジー様は私の友人ですもの。一緒に無くした物を探してくださったし、そんなことをする人ではありません。

感情的にそう思うだけと言われるのなら、客観的な理由も言えます。デイジー様には私の教科書を盗る理由はないからです。デメリットしかありません。私の教科書を盗ったりなんかすれば、エヴァンズ侯爵との婚約は解消されてしまいます。デイジー様はエヴァンズ侯爵との婚約をとても喜んでいらっしゃったから、わざわざそれを壊すようなことはなさらないはずです。それに今日一日、ずっとデイジー様とカルマン伯爵令嬢のソフィア様と一緒にいたのですから、デイジー様には私の教科書を盗る時間はありませんし、そんなことをすれば私やソフィア様に気づかれてしまいます。物理的にもデイジー様が盗るなんて不可能です。」

なんで自分から婚約を壊すような真似をする必要があるの?おかしいでしょう。それに、一緒にいて私やソフィア様に気づかれないようになんて、小さな物ならまだしもトレア語の古典文法の教科書なんて大きくて嵩張る物は無理よ。

「デイジー様、鞄から私の教科書が出てきて、さぞ驚かれたでしょう。ここのところ私は良く学校に物を忘れてるから、どこかでデイジー様の鞄に紛れ込んでしまったのね。

私の管理が悪いせいで、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。許してちょうだい。」

そう、謝った。

 どうして私の無くなった教科書がデイジー様の鞄に入っていたのかはわからないけれど、私の管理が悪かったせいに違いない。玄関まで見送ったデイジー様に

「本当にごめんなさい。これからも、私のお友達でいてね。」

と声をかけた。

 翌日、デイジー様は少しぎこちなかった。昨日あんなことがあったから仕方ない。

「殿下、教科書、机の上にありませんわねぇ。」

ソフィア様が言う。

「ごめんなさい。言い遅れて。教科書は昨日他の方が持ってきてくださったの。」

「人騒がせですわ。ご自分のものはもっとキチンと管理していただかないと、他の者が困ります。大変な迷惑です。」

エヴァンジェリン様だ。どうしてこのタイミングで通りかかるの?

 自分の席につくエヴァンジェリン様を見ながらソフィア様は「見つかって良かったですね、でいいじゃないの。一緒に探してくれたわけじゃなし。なにも迷惑かけてないのに、何が困るのよ。小姑か」と、毒ついていた。最後の「小姑か」に少し笑ってしまった。

 

 今日はランタン祭りの日。晴れて良かったわ。馬車で会場になっている貝殻通りに向かう。貝殻通りだけがランタンを掲げているわけではなく、付近の通り一帯が会場になっている。

「王都の案内本にランタン祭りのことが書いてありました。

元々は故郷を離れて死んだ人の霊が迷わずに帰ってこられるように、慰められるようにとランタンを掲げたのですよね。」

「ええ、元々はそうですが、今ではお祭り的な要素が強いですね。」

 ケプラー子爵が笑っている。

「夜遊びの良い言い訳ですね。

そのおかげで、私も妻を夜の街へ誘えます。」

夫人は苦笑している。それでも、この外出を楽しみにしているのが伝わってくる。

 馬車がゆっくりになり、ついには止まってしまった。

「やはり混んでいますね。ここからは歩いて行きましょう。警邏の騎士も見回っていますが、小さな通りはどうしても目が行き届きません。はぐれたら合流するのも難しいですから、はぐれないようにお願いします。万一はぐれたら、貝殻通りの入り口にあるランタン亭に行ってください。祭りの間、店の一角を警邏の騎士が詰所に使用していますから、安全です。」

馬車から降りて歩き出した。

 貝殻通りまではまだあるのに、すごい人混み。ローロー公園のワニのプールのところもすごい人混みだったけど、それがずっと続いている。ギルベルト様とはぐれないように腕にしがみつく。手を繋いだくらいでは、人に揉まれてはぐれてしまいそうだから。ちょっとというか、かなり嬉しい。婚約者とはいえ結婚してないし、結婚していても公衆の面前でこんなにくっつくなど眉を顰められる行為だものね。

 貝殻通りに近づくにつれ、ランタンの数が多くなっていく。店先ではいろいろな物を売っている。食べる物とか飲み物、ちょっとしたアクセサリーとか。

「ギルベルト様、いろいろ、売ってますね。」

「少し覗いてみますか?」

夜店を冷やかしながら歩いて行く。何か目当てのものがあるわけじゃない。けれど、こうやってギルベルト様と歩くだけで楽しい、嬉しい。

 細い路地にもランタンが吊るしてある。あ、あれ、ちょっと変わっている。近くで見たい!

「ギルベルト様、あのランタン変わってますよね。」

「あ、殿下、手を離したら、」

人に押されて、あっという間にギルベルト様と離れてしまった。人に押されてどんどんギルベルト様と離れていってしまい、ついには姿が見えなくなってしまった。

 ここ、どこかしら?今いる場所はランタンも少ないし、そこまで人で混んでいない。メインの会場である貝殻通りでないのはわかる。ゆっくり歩けるのはいいけど、ちょっと怖い。

 とりあえず、人が多い方へ行けばいいのよね。多分、そっち側が貝殻通り。でも、どっちも人は同じくらい。この場合、どっちに行こうかしら?

 キョロキョロと周りを見ていると前を塞がれるように立った男の人に声をかけられた。

「お嬢さん、どうしたの?迷子になった?」

ニヤニヤ笑っている。怖い!この人、絶対に良くない人だわ!迷子になっているなんて知られたら、どこかへ連れて行かれちゃう。

「いえ、大丈夫です。」

「大丈夫じゃないでしょ。一緒にいてあげるよ。楽しいこと、しよう。」

そう言って、私の手首を掴んだ。

 このままどこかへ連れて行かれちゃうんだ。遠い国に売られちゃうんだ。もうギルベルト様と会えない。ごめんなさい、ギルベルト様。ケプラー子爵、きっとお父様に責任を問われてしまうわ。私のせいなのに、ごめんなさい。涙が出てくる。

 「あ、いた。

悪い、その女、離してくれないかな?」

誰?ギルベルト様の声じゃない。

「あ?何言ってるんだ。俺が最初に捕まえたんだよ。」

「だから悪いって、言ってるだろ。」

そう言うと私の手首を掴んでいた男の手を捻り上げた。

「痛てててて。何すんだよ。」

「大人しく言ってる内にどこか行ってくんないかな。女の前で乱暴なことはしたくないし、お前も無様な姿、見られたくないだろ。」

そう言って、手を離し様に突き飛ばした。

「あ!」

私の手を掴んだ男は何かに気づいたらしく、向こうへ走って行ってしまった。

 助けてもらったお礼を言わなくちゃ。でも、この人も悪い人だったらどうしよう。

「お姫さん、無事か?」

私に話しかけてきた。

「警戒されても仕方ないな。

ベイカーだよ。辺境伯の級友の。以前、街で一回会ってるだろ?」

そう言われれば、会ったことある。「いい女」を連発してくれた人だ。ギルベルト様は「根は良いやつ」と言ってた。

 ベイカーに「ついて来な」と促される。ついて行って大丈夫かしら?でも、こんなところに残されても、また、あんな目に遭うかもしれないし。

「貝殻通りのランタン亭だろ。連れて行ってやるよ。」

私の葛藤がわかったのか、苦笑いしながらベイカーはそう言った。

 トボトボとベイカーの後をついて歩く。彼は一向に賑やかな通りには出ない。今歩いているのもランタンは吊るしてあるものの、ギルベルト様とはぐれた場所ほど人もランタンもない。このままついてって、大丈夫なのかしら?かといって、一人でランタン亭に行けないし。

 そんな私の心配が伝わったみたい。

「貝殻通りはもうひとつ向こうだよ。人が多くてまともには歩けないんで、裏通りを歩いてる。ランタン亭はもうすぐ、そこの角を曲がったらすぐだから。」

そう言って角を曲がった。

 角を曲がると賑やかな人通りが見えた。多分、あれが貝殻通りだ。ちゃんと貝殻通りまで連れて来てくれたんだ。

「ありがとうございました。」

貝殻通りへ走り出そうとすると「待てよ」と腕を掴まれた。

 え、この人もさっき私の手首を掴んだ人と同じなの?ギルベルト様の級友だけど、信用してはいけなかったの?手を振りほどけそうにないし、振りほどいて走ってもランタン亭に行くまでに捕まってしまう。捕まったら遠いところに売られちゃう。小さい頃ハンナに読んでもらった絵本に親とはぐれた子供が異国に売られちゃう話があったもの。私もそうなるに違いない。やっぱり、もう、ギルベルト様には会えないんだ。

 ポタポタと涙が溢れてきた。

「あ、ちょっと泣くなよ。今、ローズが来るから。

親切にして殴られるなんて割にあわねぇからよ。」

そう言うけれど、手は離してもらえない。

 向こうから走ってくる人がいる。ギルベルト様だ!私もギルベルト様の方へ走り出した。今度は手を掴まれない。

「ギルベルト様!」

そう言って、胸に飛び込んだ。後から思い出せば随分と、いえ、お母様が知れば失神してしまうほどのはしたない行動だったけれど、そうせずにはいられなかった。

 「殿下、ご無事で良かった。」

ギルベルト様は抱きついた私を抱きしめ返してくれた。後ろにいるケプラー子爵夫妻も安堵の表情を浮かべていた。

「とにかく、ランタン亭に行きましょう。

ベイカー、ありがとう。一緒に来てくれ、奢るよ。」

そう言って歩き出した。

 ランタン亭はとても混んでいた。皆で同じテーブルに着く。ベイカーは私達のテーブルだけど、彼の兄弟や仲間は別のテーブルにいる。「せっかくお誘いいただいたんだ。エリックだけでも行かないと失礼だろ」と押し付けられていた。偉い人と一緒のテーブルって、疲れるもんね。

 ケプラー子爵が話し始めた。

「みなさんは食べながらで構いません。

殿下、どうしてこうなったか、ご自分が一番良くわかっておられますね。」

「はい。私がギルベルト様の注意を聞かず、勝手な行動をしたからです。反省しています。」

私が「あれ見たい」とギルベルト様の腕を離したから。

「そうです。もし、殿下がご無事でなければ、私や妻が罰を受けるのは仕方ないとしても、このランタン祭りに一緒に行った辺境伯もなんらかの処分、最低でも廃嫡でしょうが、処分は免れないでしょう。ノーザンフィールド公爵家にも咎が及ぶはずです。ひいてはエルメニアとの仲も。

町娘に扮してのお忍びであっても町娘とは違います。お忍びであればこそ、ご自分の身分というものを考えていただかねば困ります。

このようなことがあれば、一切の夜会や茶会以外の外出を禁止することになります。」

皆の前でそう言われてしまった。子爵は言わなかったけれど、私の勝手な行動で咎を受けるのが不服とノーザンフィールド公爵家が考えれば、アルトドラッヘンと一緒になってローゼニアの独立も考えられる。

「本当に、ごめんなさい。」

涙がポタポタ落ちてくる。

 「殿下の時も思ったけど、偉い人の家の方が、ずっと厳しいんだな。」

ベイカーの言葉にギルベルト様が答える。

「当たり前だ。俺の言葉ひとつ、行動ひとつで相手を破滅させるかも知れないし、家を潰しかねない。家が潰れれば一族や使用人など何人もの人間やその家族が路頭に迷うだろうし、最悪、投獄や処刑もあり得る。領民も領主が変われば今迄通りの生活とは行かないかも知れない。」

「シュバルツ辺境伯領か。」

「そこだけじゃないよ。王都はエルメニアの法律だけど、領は基本的にはエルメニアの法律が適用されるけど、領主がある程度自由にできるから。他の貴族の領でも領民は影響を受けるよ。

ベイカー、ちっとも皿が空いてないじゃないか遠慮せず、好きなもの頼めよ。酒も構わないよ。」

 ギルベルト様は私とランタン祭りに行くにあたり、警邏隊だけでなくこの辺一体の下町の顔役にも彼の息子であるベイカーを通じて、私の安全をお願いしていたみたい。

「毎年、何人も事件に巻き込まれたり、行方不明になったりしていますからね。特に若い女性は被害に遭いやすいですから。身分がある女性はなおさら。

それに、その、こんな言い方はとても無礼ですけど、殿下は見るからに良いカモですよ。」

「見るからにいいところの箱入りのお嬢さんって感じだもんな。服とかアクセサリーとかじゃないんだ。雰囲気というか、上手く言えないけど、俺ら下町の人間とは明らかに違う。」

ベイカーもそう言った。普段、王女には思えないとか言われているけれど、他の人から見るとそうでもないのかな?

 せっかくきたのだから、ともう少しだけランタン祭りを楽しんでもいいことになった。

「今度は手を離さないでくださいね。」

このランタン祭りの記念に花柄のとんぼ玉を買ってもらった。

 それは私の宝石箱に入っていて、今でも取り出しては眺めている。

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