21話
授業の合間、カルマン伯爵令嬢ソフィア様が私のところに来た。
「殿下、今日は遅かったのですね。いらっしゃらないかと心配してました。」
私は心配をかけたことを謝った。
「みんな殿下とお話しするのを楽しみにしているのです。いらっしゃって、良かったです。」
そう言ってくれた。
昼休憩、みんなとおしゃべりをした。おしゃべりといえばおしゃべりだけど、みんな私とギルベルト様のことを知りたがった。なんでそんなに人のことに興味があるの?
「ノーザンフィールド公爵の後継で王太子殿下の側近。王立高等学院に入学なさるほど頭も良くて顔も良くて剣術の鍛錬もなさっているから、ピー。辺境伯に憧れる女性は多かったのです。なのにどの女性とも噂になったことがない。使用人などとピー。
ですから心に秘めた方がいるとか女性にピー。そういうわけで、辺境伯とご婚約なさった殿下は注目の的なのです。」
ソフィア様が私の疑問に答えてくれた。周りの令嬢は「キャー」と言っている。何が「キャー」なのかよくわからないけど、ギルベルト様に憧れる女性は多くて、その婚約者の私は注目の的らしい。
まあ、今迄なんの噂もなかったのに突然婚約者が出てきたらびっくりするしどんな人か知りたいよね。興味持つし、近くにいれば話を聞いてみたいと思うわ。
ところで話は変わるけど「ピー」って何?
「それはですね、ピーはピーだからピーなのですよ。」
と笑いながら答えるソフィア様。笑いすぎて涙まで出ている。周りの令嬢はまたも「キャー」と言っている。答えになっていない。私、意地悪されてる?
隣に座っていたボルモア侯爵家のデイジー様の説明によると「口に出すのが憚られる言葉や周りに聞かれたくない時に使う言葉」なのだそう。最初、ソフィア様が使い始めて今ではかなりの人が使っているとのこと。いわゆる「伏せ字」というやつね。暗黙の了解、ご想像にお任せ。
待って、ギルベルト様は「伏せ字」が必要な人間ってこと?それにその「ピー」に当てはまる言葉がわからないわ。でも、聞いてはいけないような、知らない方がいいような気がする。
予鈴がなっておしゃべりはおしまい。午後の授業を終えるとそれぞれ帰宅した。みんなではないけど、お家に遊びに行く約束をしたり、寄り道をする相談をしている。けれど私には声はかからなかった。学校でおしゃべりはするけど、まだ家に招いたり一緒に出かけたりするほどではないってことね。寂しいけれど、ちょっとずつ距離を詰めるしかないわ。
学校ではおしゃべりをするけれど、それ以外では誘われないという日が続いた。そしてあの、私に嫌味を言ってきた令嬢はこの国の筆頭公爵マーリン公爵家のエヴァンジェリン様とわかった。
私には嫌味を言ってきたけれど、周りの人は私への親切な忠告だと思ったみたい。エヴァンジェリン様の評判は良かったから。
「マーリン公爵家のエヴァンジェリン様でしょ、とても良い方よ。家柄を鼻にかけて威張ったりなさらないし、下級貴族の方にも親切ですし。どうかなさいましたの?」
聞いた人にそう言われてしまった。
そして、エヴァンジェリン様と違って私の評判は悪いみたいだった。
その日は教室を出るのが少し遅くなった。馬車のところまで歩いていると、人の話し声が聞こえた。
「ホント、ついてないわ。威張りんぼのニコル様が退学なさって、あの家柄自慢のドロシア様はご卒業。あのトレアの公女は国に帰ってこの国には来れそうにないし。ソフィア様はまだいるけど、まあ勝手にやって、って感じ。エヴァンジェリン様はお優しくてイザベル様もデイジー様もおとなしいから、やっとのびのびできると思ったのに。今度はヴェストニアの王女が来るなんて。婚約者なのをいいことにお忙しい辺境伯に付き纏ってるって。」
「あ、ローロー公園の。あまりにもうるさいので、一度だけ付き合ったって話でしよ。だからそれ一度きりで新たなお出かけはしないじゃない。
辺境伯、お可哀想。確かに殿下は正妃腹の王女だけど、それだけじゃないの。外国に降嫁となれば王位継承権は放棄しなきゃなんないだろうし、そこまで美人じゃないし。勉強ができるらしいけど、それを鼻にかけて人を見下してるって。そんなに頭がいいなら、王立高等学院に行ったら良かったのよ。」
休憩時間に仲良くおしゃべりしてたけど、みんなにはそんなふうに思われていたんだ。
でも、そう思われても仕方ないかもしれない。私は美人じゃないし社交的でもない。少し勉強ができるだけ。ギルベルト様と婚約できたのも王女だから。きっと、ギルベルト様もそう思っているに違いない。あの混んでいるのに二度もワニの列に並んでもみくちゃになったのだって、私に早く帰る気にさせるためだったのかも。
学校という大勢の人がいる場だけど、涙が滲んで来た。涙がこぼれないうちに早く馬車に乗らなくちゃ!
その時、背中をポンとたたかれた。王女である私の背中をたたくなんて、なんて無礼なの?けれど、そんなことをしても構わないと思われるほど、私は侮られてるの?
たたいたのはデイジー様だった。ソフィア様もいる。ボルモア侯爵令嬢デイジー・エインズワース。王族の家庭教師を務めることも多い学者の家の令嬢。お父様は枢密院の議員。お祖父様は枢密院の特別顧問官をされている。ソフィア様といつも一緒にいる。おとなしくてあまり自己主張をしないので、活発なソフィア様の影に隠れてしまっていて目立たない存在だ。
けれど今はデイジー様が怒っているソフィア様を抑えている感じを受ける。デイジー様は私の手を握ると、私のことを話していた令嬢の方へ向かって歩き出した。そしてその令嬢に話しかける。
「おしゃべり、楽しそうですわね。でもここは廊下ですのよ。声も大きいし、何より通行の妨げになってますわ。お話は談話室でお願いできるかしら。」
言い終わると、またさっさと歩き始めた。
デイジー様とソフィア様は馬車のところまで送ってくれた。
「殿下、私はあの日、ローロー公園で殿下と辺境伯をお見かけしました。私には辺境伯はとても楽しそうに、幸せそうに見えました。もし、それが演技だとしても、婚約者との仲を深めるために外出するというのは咎められる行為でしょうか?殿下は何一つ悪いことはなさってません。堂々となさいませ。」
「殿下、あんな人達の話なんて、気にすることはないです。カエルの鳴き声の方が何倍、何十倍も価値があります。カエル可愛いですし、比較にもなりませんわ!
もっと殿下とお話ししたいんだけど、私、お父様の信用がないみたいで『お前は粗相しかしない』って家に招待するのを反対されてるの。なかなか説得出来なくて。けれど頑張って説得するから、その時には絶対いらしてくださいね。」
馬車に乗る時にそう言ってくれた。
私のことを邪魔に思っている人もいるけれど、味方してくれる人もいる。ソフィア様が早くお父様の伯爵を説得できるといいな。
お屋敷に帰って着替えると、ハンナがお茶とお菓子を持ってきてくれた。それを食べていると急に放課後のことを思い出して涙が溢れてきた。
「殿下、どうなさったんです?また、何か言われたのですか?」
私は放課後あったことを話した。
「ローロー公園に一回行ったきりだから、私とギルベルト様は本当は仲が悪いと考える人がいるのはわかるの。明らかな政略結婚だし。
でも、今迄一緒におしゃべりしてた人だったの。今日だって。私とおしゃべりしながら心の中ではそんなふうに思っていたなんて、、、
ギルベルト様は私のことを『不細工だなんて思ったことない』って言ってくれたけど、王女に向かって『不細工ですね』とは言えないでしょうし。ギルベルト様はそう言ってご自分を納得させようとしているのかも。」
涙がポロポロ出てくる。
ハンナがそばに寄って来た。
「でも、殿下、ボルモア侯爵令嬢とカルマン伯爵令嬢は殿下の味方をしてくださったのでしょう?敵がいれば味方もいるのです。今回のことは誰が敵で味方かわかって良かったということにしませんか?
それに、辺境伯は少なくとも殿下との結婚を嫌がってはいないと思いますよ。殿下とは政略結婚なのは誰の目にも明らかなのですから、離婚さえしなければ不仲でも構わないのです。ローロー公園も無理にお時間を作られたと聞いています。実際、公園の後、公爵邸に帰らずにそのまま王宮でお仕事をなさったそうですし。それだけギリギリまで殿下と一緒にいらっしゃったのです。嫌な相手にはそこまでしませんよ。」
と涙を拭いてくれた。
ドアがノックされた。ギルベルト様が来たらしい。急いで応接室に行く。目と鼻が赤い私は泣いていたことが丸わかり。
「殿下、どうなさったのです?」
ハンナが手短にギルベルト様に学校でのことを説明した。
今迄聞いたことのない荒々しい声でギルベルト様は話し始めた。
「バカバカしい。そのご令嬢たちはどうやって私の心の中を知ることができたのでしょう。
憶測であれこれと人のことをそれも悪く言うなんて。自分達しかいない所で話すならまだしも、学校の廊下という誰が聞いているかもわからないところで話すなど何を考えているのでしょうか?自分の一言が家を大事に巻き込むかもしれないとは考えないのでしょうか?
そんな、殿下のいない所で殿下のことを悪くいう人は、一緒に悪口を言っているその友人がいなければ、殿下にその友人の悪口を言うのです。」
ギルベルト様は相当怒っているようだ。
こちらを見て、話を続ける。
「どこの令嬢です?殿下のことをそんな風に言うなんて。伯父上を通じて学校に抗議を、、、
まあ、いいです。私がお聞きしても殿下はどこの令嬢かお答えにならないでしょうし、抗議をしなくても結果はそんなに変わらないでしょう。むしろ、抗議をしない方がひどい結果になるかもしれません。
『仕方ないので一回だけ出かけた』そんなことを言われないくらい一緒に出かけられればいいのですが、王宮の方が忙しくて。申し訳ありません。」
今日も本当なら放課後そのまま王宮に行って王太子殿下の仕事を手伝う予定だったらしい。勝手に予定を変えていいの?
「だって、ローロー公園に行ってから殿下のお顔を一度も見ていないのですよ。殿下が聖白百合学園に編入しなければ結婚まで会うことはできなかったかもしれませんが、殿下は私と同じ王都にいらっしゃるのです。毎日でもお顔を見たい、少しでも一緒にいたいと思うのは人情でしょう。結婚すれば毎日見ることができるとはいっても、今この時の殿下は今しか見ることができないのです。それに、宰相を見ていると結婚しても毎日帰れるのか不安になります。」
そう言った。とても説得力があるような、ただの屁理屈のような。でも、私の顔を見たいと言ってくれている。嬉しい。
玄関までギルベルト様をお見送りする。
「いってらっしゃいませ。」
「はい、行ってきます。」
ギルベルト様は私の手を両手でしばらく握った後、名残惜しそうに馬車に乗った。あまり褒められた行為ではないけど、ハンナも誰も咎めなかった。マーサは慈愛に満ちた目で見ていた。
馬車を見送った後、ロッテが話しかけてくる。
「殿下、何ニヤニヤ笑ってるんです?」
「なんでもない。さ、明日の予習でもしようっと。」
自分の部屋に帰った。
部屋に帰ってから予習のために教科書を広げたけれど、広げただけ。実際はギルベルト様の言葉を反芻していた。
「毎日でも見たい、少しの間でも一緒にいたい」
この言葉がギルベルト様の本心かどうかはわからないけれど、私はギルベルト様に対してそう思っている。
馬車に乗る前に「行ってきます」と手を握ってくれた。結婚しても手を握るのかしら、それとも?キャー、私どんな想像してるのかしら。
ドアが乱暴に開けられてお屋敷の警備に当たってくれる騎士が入ってきた。
「殿下、ご無事ですか⁈」
「え、何?」
キョトンとする私。何があったの?今迄屋敷の中で騎士を見たのは厨房くらいだし、まして私の部屋に入ってきたことなんてない。いったい、何があったの?
他の騎士と一緒にロッテとハンナが入ってきた。部屋のあちこちを一緒に見て回っている。
「何も異常はないようですね。」
「だから言ったじゃないですか。」
「ありがとうございます。お手数をかけました。」
ハンナが騎士にねぎらいの言葉をかけている。
騎士が出て行った後、何があったのか聞いてみる。
「何があったじゃないですよ。何を妄想してもいいですけど、人に迷惑をかけるのはやめてくださいよ!」
ロッテがプンスカ怒っている。
なんでも私の部屋から「キャー」と悲鳴が聞こえたので、それを聞いた騎士が私が何か危険な目にあっていると思い、飛び込んできたらしい。私の心の叫びは外に漏れ出ていた。
「ごめんなさい、、、」
「さっき辺境伯がお帰りの時に手を握られたので、それを妄想してたんでしょう。本当に気をつけてください。騎士の人だって暇じゃないですし、何よりなんでもないのに奇声を発するおかしな行動をとる娘だと思われて、婚約破棄されてもいいんですか?殿下の代わりにはヨハンナ殿下がいるんですよ!」
ロッテに怒られた。
この事件はカタリーナお姉様やヨハンナお姉様に知られてしまい、カタリーナお姉様には呆れられ、ヨハンナお姉様には「何を妄想したの?」としつこく聞かれた。あまりにもしつこく聞いて私が泣き出したので、ヨハンナお姉様はカタリーナお姉様に「いい加減にしなさい」と怒られていた。
あの、廊下で私が悪く言われた日、その翌日から私のことを悪く言った二人とおしゃべりをする人はいなくなった。必要なことは話すけれど、彼女達はどこのおしゃべりの輪にも入れなくなった。楽しそうにおしゃべりをしてても、彼女達が来るとおしゃべりをやめて誰も話さなくなるのだ。彼女達が話しかけても「ええ」「そう」としか返事をしない。無視はしていない、返事をしているのだから。けれど、グループのおしゃべりの輪から弾き出されたのは明白だった。
ギルベルト様は「抗議をしなくても結果はそんなに変わらない。むしろ、抗議をしない方がひどい結果になるかもしれない」と言ったけれど、こうなることがわかっていたのかしら?場所や話題を考えない不用心な会話が原因だけれども、ちょっと可哀想な気がする。
一週間くらい経ってもあの二人とおしゃべりをする人はいなかった。ソフィア様やデイジー様に、あの会話のことは私は気にしていないから以前のように仲良くできないか聞いてみた。
「無理ですわ。たとえ殿下が気になさらなくても、周りが気にします。だって、その日も殿下と親しくおしゃべりしていたのに、殿下のことを悪く言うなんて。殿下が王族だからそんなふうになったのではないんです。誰だって、仲良くおしゃべりしてたのに自分のいないところで自分のことを悪く言う人とは仲良くできません。
それにあんな誰が通るかもわからない場所で人のことを悪く言うなんて考えなしが過ぎます。」
デイジー様にそう言われた。その通りなんだけど。
みんなから避けられている辛さは私も経験したからよくわかる。自業自得の部分があるとはいえ可哀想に思うし、一回失敗したので二度としないんじゃないかしら?でも、王女の私が言えばグループに入れることを強制する感じになってしまい、余計に拗れちゃうかもしれない。だから、今迄と同じように挨拶だけはすることにした。




