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異世界恋愛(完結済み)

金色の靴は誰に拾われた?〜魔法使いとシンデレラは、舞踏会の裏側で公爵令嬢の秘密を探る〜

作者: 天藤けいじ

 とある大陸の中心に位置する大きな国。

 温厚ながら敏腕と名高い王が治めるこの国に、貴族から平民までに広がりを見せる噂があった。


 曰く、この国の王太子ライナルトは、どこかの美しき令嬢に一目惚れをしてしまったらしい。

 件の令嬢と王太子は数週間前に開かれたダンスパーティにて知り合い、一目見て恋に落ちあった。


 会場の紳士淑女が見守る中、二人は情熱的なダンスを踊り、お互いに手を取り合い密室へと消えていった。

 熱烈な夜を過ごすと思われた彼らだったが、しかし恋する王太子の前から令嬢は消える。


 諦めきれぬ王子はかの令嬢を求め、今も総力を上げて探しているという。


 王妃ゆずりの銀髪と精悍な顔立ち、父王と同じくサファイアの如き瞳を持つ王太子の恋。

 件の令嬢も美しく、まるでこの世に舞い降りた天使のような娘との話だったから、尾ひれをつけた噂が広まるのは早かった。


 一国の王子がどこの誰ともわからぬ女性に恋をした、まるでおとぎ話のように、あまりにもロマンティックな出来事。


 ───しかしこの恋物語には一つ問題があった。

 王太子ライナルトには幼少期より決められていた婚約者……公爵令嬢ヴィンフリーデがいることは周知の事実だったからである。


 王太子は婚約者をどうする気か?

 これは許されざる恋なのでは?

 ヴィンフリーデ嬢はライナルトに手酷く捨てられてしまうのでは?

 これではヴィンフリーデ嬢があまりにも哀れすぎる。


 禁断の恋物語と同時に、公爵令嬢への同情の声と王太子への非難の声が日に日に強くなっていく。

 王都に住む国民の誰もが三角関係の行方を気にかけており、話題が出ない日がないという有様である。


 しかしそんな情勢を知ってか知らずか王太子ライナルトは、公爵令嬢ヴィンフリーデを王城に呼び出していた。


 冬の凍てついた空気を思わせる冷たい美人(クールビューティ)なかんばせを持つヴィンフリーデ嬢は、ライナルトの部屋へと入ると顔を歪める。

 艶やかな黒色の髪の毛と同色の瞳が細まり、つい責めるような眼差しを婚約者へと向けてしまった。


 貴族としてあるまじき態度だったが、結婚の約束を結んだはずの男の部屋に自分以外の令嬢がいれば誰しもそうなろう。


 しかもこの令嬢を、ヴィンフリーデ嬢は話を聞いて知っていた。

 切れ長の目を静かに佇む少女に向けた彼女は、ぶしつけにならない程度に観察する。


 少女の長い金髪は美しく頭の上で流行りの形にまとめられている。

 真っ直ぐにこちらの視線を受け止める瞳は緑色。まるで上質な翡翠の如き輝きだった。


 顔立ちはまだあどけなさが抜けきらぬところもあるが、美しいと言っても過言ではない。

 王国一の美女と名高いヴィンフリーデが見ても、つい目を奪われてしまいそうな魅力が彼女にはある。

 

 しかしだ。ヴィンフリーデは心の中だけでため息をつく。

 金髪の令嬢はライナルトが腰かけるソファの後ろに立っているのだが、どうにも先ほどからじっとしていない様子だった。

 まとうドレスは上等なものに見えるが、あまり似合っているとは言えず、衣装に着られていると言っても過言では無い。


 由緒正しき公爵家の令嬢として躾けられてきたヴィンフリーデと比べると、どうしても未熟に見えてしまう。


 ───これがライナルト様の好みの女性なのかしら?

 その言葉をぐっと押し込めて、公爵令嬢は再度王太子を見つめた。


「……来たか、ヴィンフリーデ。こちらへ座ってくれないか?」

「ええ、お招きありがとうございます。と言いたいところですが、どうやら楽しい話題というわけではなさそうですわね」


 テーブルを挟んでライナルトの向かい側にあるソファへ腰かけ、ヴィンフリーデは物憂げに口を開く。

 婚約者との逢瀬に他の女性を呼んだことへの非難が、その声には含まれていた。


 とは言っても王太子は彼女と二人きりでいたわけでは決してない。


 壁際には王太子の腹心である数人の近衛兵が控えており、ライナルトが座るソファの背後には王宮魔術師ノアの姿もある。


 魔術師らしい理知的な顔立ちと、ほとんど動かぬ表情。

 紫紺の髪の毛と赤い目が幻惑的な、少年にも見えるあどけない印象の男である。


 ノアはライナルトと幼少期からの友人であり、一番信頼している人物だったはず。

 金髪の少女はそのノアの隣……彼に守られるように立って王太子と公爵令嬢を見つめていた。


「紹介しよう、こちらはレイラ・アルムガルト伯爵令嬢。今日の話し合いになくてはならない人物だ」

「初めまして。ヴィンフリーデ様。本日は同席をお許し下さると幸いでございます」


 レイラと呼ばれた令嬢は、すっと礼を取る。

 その形も公爵令嬢の目から見れば、不格好この上ないものだった。


 恐らく付け焼刃のカーテシーだろう。

 いったい彼女は伯爵家でどんなしつけをされてきたのか、少し聞いてみたい好奇心が湧き出てくる。

 が、下世話すぎるその質問は心の中だけでとどめ、公爵令嬢は別の疑問を投げかける。


「ライナルト様、その方は先日ダンスパーティにいた女性と同じ方、で間違いありませんわね……?」

「ああ、そうだ。私は彼女とダンスを踊った。君も話を聞いていたはずだな」

「忘れるはずがありませんわ。ライナルト様がその方と部屋にこもられたと聞いたときに、あまりに驚いたものですから」


 噂の源となったダンスパーティに、ヴィンフリーデ嬢ももちろん参加していた。

 しかし貴族にとってこういったパーティは社交の場であり、情報交換の場、何より戦場でもある。


 ヴィンフリーデは西に領地を持つ、何代か前には王家に娘を嫁がせたこともある侯爵家の令嬢と、治水についての知識を深め合っていた。

 その日に出会ったばかりの女に夢中になり、まして密室で二人きりになるなど、王族ならあってはならないことのはず。


 もちろんヴィンフリーデは慌ててライナルトを咎めに彼がいる部屋へ向かった。

 が、その時には令嬢の姿はなく伝令の間違いかとも思ったのだが、やはり裏切りは行われていたのか。


 噂は市井にも出回り醜聞になっているのに、まさか件の娘を王城に招くとは……。

 責める意味を込めてライナルトを睨みつけると、彼はすっと目を細めて口を開く。


「彼女を呼んだのは他でもない。レイラ、あれを」

「はい」


 名を呼ばれたレイラが前に出た。

 その手には真っ白なハンカチに包まれている何かが抱えられており、彼女はそっとそれをほどいていく。


「それは何ですの……?」

「ご覧ください」


 首を傾げるヴィンフリーデの目の前で、レイラははらりとハンカチを床に落とす。

 その中から現れたものは、小さな靴であった。


 本来ならば両足ぶん揃って一足のはずだが、レイラが見せたそれは片方……右足の靴しかない。


 金色の糸が縫い付けられたなめし革で作られた靴は、小粒の宝石が装飾として至る所に使われており、まるで自ら輝きを放っているかのように眩い。


 しかし靴を見たヴィンフリーデの顔は、見る見るうちに青ざめていった。

 「まさか」と、真っ赤な紅を引いた唇が震えている。


 彼女は知っているのだ。

 その靴は、伯爵令嬢であるレイラが持つには相応しくないものである。


 この王国で男子王族が恋人へと送る婚約の証。

 それが彼女の持つ、『金色の靴』なのであった。



 時間はライナルトとレイラが邂逅した、ダンスパーティの夜へと遡る。

 美しく着飾った彼女と一曲ダンスを踊り終わった王太子は、素早く会場を抜けると王城の長い廊下を進んだ先にある部屋へとたどり着いた。


 そこは催し物に疲れた貴族たちが休むために作られた部屋……というのは建前で、一夜の愛人関係を結んだ者たちが逢瀬を楽しむ秘密の場所である。


 「しばらく誰も入らぬよう」と兵士たちに言いつけて、ライナルトはレイラをエスコートし、ドアに鍵をかけた。

 外からの目が無くなってすぐ彼は令嬢と距離を取って顔を引き締め、「ノア」と友人の名前を呼ぶ。


「はい、ここに。準備は出来ております」


 蝋燭のみに照らされた部屋の中、浮かび上がるように現れたのは宮廷魔術師ノアである。

 ノアは数時間前からここに隠れ、王太子と令嬢がやってくるのを待っていた。


 ライナルトは頷くとノアとレイラを交互に見つめ、静かな声で語り掛ける。


「ご苦労だった。それではノア、レイラ嬢。あとは任せても良いか?」

「平気です。ノアがいてくれますから」


 にこりと微笑み、鈴を転がすような愛らしい声で王太子に答えるレイラに、ノアは何とも言えない表情で彼女を凝視した。

 冷静な友人の普段は見れない表情にライナルトは吹き出し、その肩を叩く。


「だとさ。ノア、絶対に守ってやれ」

「……御意」


 複雑そうに眉間にしわを寄せたノアが礼をしたと同時に、扉の外から小さく王太子の名を呼ぶ声がした。

 近衛兵の一人、今回の計画を知る者である。


 彼は扉越しに声を潜めて、状況を告げる。


「ヴィンフリーデ様が会議室から出てきました。こちらへ向かっています。会議室は今は空かと」

「わかった」


 答えてライナルトは、部屋の隅にある大きな暖炉へと歩み寄る。

 屈みこんで火のついていない内部を手で弄ると、かちりと小さな音が響いた。


 王太子が離れると、ぎぎぎと鈍い音を立てて暖炉内の壁が右から左へとずれていき、そこに現れたのは暗く細い廊下だった。


 王家の人間に何かあったときに使う隠し通路である。

 王城の主要な部屋と外部に通じており、この通路を使うために休憩室へ王太子たちは訪れたのだ。


「急げ。時間は少ない。我が婚約者を足止め出来るのも、せいぜい12時までが限度だろう」


 暖炉の上に置かれた時計を見つめ、ライナルトはノアとレイラに告げる。

 時間は11時25分。30分しか猶予は無かった。


「仕事は素早く迅速に済ませてきます。ライナルト様もお気を付けください」

「王子様、すぐに戻ってきますからね」


 ひらりと軽く手を振るレイラにノアは「こら」と叱ったが、ライナルトは微笑むだけで咎めることはしない。

 王宮魔術師はふんと鼻を鳴らしつつ懐から杖を取り出し、「光よ」と唱えた。


 ノアの持つ杖の先端に光明が灯り、二人は狭い廊下の中へと入っていく。

 ライナルトは二人の背中を見送り、息を吐いた。


 しばらくすると外からは、ヴィンフリーデが苛立たし気に近衛兵たちを怒鳴りつける声が聞こえてくる。

 ライナルトは顔を引き締めて、彼女と話すために扉へと近づいた。


 王太子が自分の婚約者を足止めする一方、ノアとレイラは隠し通路を速足で進んでいく。

 薄暗い通路を明かりを持ったノアが率先して進み、レイラは安心して彼の背中を追っていた。


「会議室の場所はわかるの?」

「問題ない。事前にライナルト様と探索はしていたからな」

「……そこに目的のものがあるって、確証は?」


 この質問にノアは少し考え、「ある」と力強く頷く。


「前回侯爵家の持ち物である船が海外へ出発したのが三か月前……帰還のタイミングを考えても、準備するにはこの日が丁度いいはずだ」


 西の侯爵家で採れる資源が外国へと横流しされているとライナルトが掴んだのが、半年ほど前のこと。

 もちろん王国が資源を輸出した例はなく、その経路も調べるのに苦労を重ねた。


 これほど大掛かりな横流しを手引きしており、長い間露見しなかった事実を考えるに、侯爵家よりも大きな権力が関わっている可能性がある。

 王家か、もしくは王家に近い位置にある公爵家か。


 件の侯爵令嬢と仲の良いヴィンフリーデに王太子が疑いの目を向けたのは、つい数週間前だった。


 彼女は侯爵令嬢とパーティ会場で顔を合わせると、必ず「女同士の話がしたいから」と別室へ移動する。

 この国では仲の良い令嬢同士が会場を抜け会話を弾ませることは珍しくなかったから、誰もおかしいとは思わなかった。


「貴族って問題が多い奴が多いわねぇ。私のお義母さまみたい」

「君だって貴族の血を引いているだろう?……ついたぞ」


 ため息を吐くレイラを一瞥して、ノアは停止する。通路は行き止まりになっていた。

 ノアは壁をまさぐり、見つけた仕掛けを押す。半瞬置いて、先ほどと同じように壁が横へとずれていった。


「誰もいないようだ。ヴィンフリーデ様たちはまだ戻らないようだな」

「急ぎましょう。時間がないわ」


 たかたかとヒールを鳴らして開いた壁から外へ出るレイラの後を、光明を消したノアが追う。

 二人が到着した場所は、ちょっとした会議のために使われる小さな部屋である。


 小さいとは言え王城の一室。王国有数の画家に描かせた絵画と、腕のいい職人に作らせた特注の家具。

 伯爵階級のレイラどころか、王宮勤めのノアにでさえ手の届かない一品が部屋の至る所に並んでいる。


 装飾品を壊さぬよう細心の注意を払いながら、ノアはレイラと手分けをして資源の横流しの証拠となるものを探し始めた。

 中央のテーブルには空のティーカップが二つ並べられている。つい先ほどまでここにいた令嬢たちが飲んだのだろう。


 しかしそれ以外、特に目に付くものが置かれている様子は無い。


「不正をする人が証拠になるようなものを残しておくものなの?そんなものがあったら足がつかない?」

「不正だからこそ、残しておくものだ。後で裏切りが起こらないようにもな」


 例えば署名や家紋印の入った書類をお互いに持っておけば、下手に相手を裏切れなくなる。

 契約を反故にすれば、その書類を証拠に悪事を暴露される恐れがあるからだ。


 だがこの部屋にはそれらしいものは、影も形も見つからない。

 来るのが早すぎたか、それとも今日は横流しの話は出なかったのか。


 ノアが内心焦りはじめたとき、ふいにレイラが「あ」と小さな声を上げてノアを呼んだ。


「ねえ、この棚、おかしいわ」


 首を傾げる彼女が見つめていたのは、恐らくマホガニー製だろう巨大な飾り棚である。

 扉はガラス張りになっており中に入れられているものは、竜を象った置物や立派なワイングラス、複雑な模様の描かれた絵皿などだった。


 王城の一室に置かれていてもおかしくないものばかりである。

 違和感が見つからなかったノアは、レイラを見つめて訊ねた。


「何がおかしいんだ?」

「うん。これって、どうやって開けるの?扉に取っ手も無いし、引くわけでもないみたい」


 中のものはどうやって取るの?

 訝し気に言われて、改めてノアは飾り棚に視線を転じる。


 言われてみれば、棚の扉に開くための取っ手はついていなかった。

 そっと手で押さえて引いたり押したりしてみたが、何処かが開きそうな気配は無い。

 これでは扉としての機能を果たせない。


 確かにおかしい、と眉間にしわを寄せたノアは、ふと指先にぴりりとした感触を覚えた。


「……ん?」

「何かあった?」

「いや、魔力の流れがあったような」


 言いながら、ノアは今一度棚を観察する。


 よく見れば棚は、壁と床に張り付くようにぴったりと設置されている。

 後からこの場に置かれた、と言うよりも最初から一体化していたようだ。


 まるでこの場を守るゴーレムの番人のような───、


「そうか。ちょっと待て」


 気付いたノアは杖を取り出し、口の中で魔力の言葉を紡ぐ。

 力を帯びた杖を振り、魔法を棚にかけると、今まで微動だにしなかった扉ががこんと音を立てて内容物ごと奥に引っ込んでいく。


 レイラが目を見開いた。

 魔法の仕掛けだった。


 ある程度まで引っ込んだガラス戸は、再び音をたて今度はゆっくりと下がっていく。

 棚の中は薄暗いが、どうやら奥に出入り口のようなものがあるらしかった。


「あ……!」

「魔法で作動するようになっていたんだ。過去の王宮魔術師の仕業だな」


 ごく簡単な魔法で、ノアにも作動させることが出来て良かった。

 しかし面倒な仕掛けを、とノアが鼻を鳴らすと、目を輝かせて棚を見ていたレイラが不思議そうに呟く。


「こんな凄いもの、王子さまはどうして教えてくれなかったのかしら……?」

「知らなかったのだろう。恐らく何代か前の王族が秘密に作らせて、そのまま忘れ去られていたんだ」


 歴史ある王城の中で、王すら知らない秘密の通路や部屋が隠されていることは特に珍しいことではない。

 魔力がかかっているところを見ると、絶対に見つかってはならない愛人との逢引のための部屋だったのかもしれなかった。


 がこん、と扉が下がり切ると、小さなドアは完全に姿を現した。

 ドアノブを回し、二人は恐る恐る中へと侵入する。だが警戒は杞憂で、中に人の気配は無かった。


 内部は明かりが灯っており明るく、隣の会議室と同じくらいの大きさの部屋が目の前に浮かび上がった。

 並べられた装飾品も同様に高級だったがしかし、唯一茶室と違うものが二人の目につく。


 壁際にひっそりと置かれていた、天蓋付きの大きなベッドである。

 貴族が好んで使う豪奢なデザインのそれはしかし、枕やシーツが乱れに乱れ切っており、先ほどまでここで何が行われていたかを察することはたやすかった。


「……ノア、これって」

「確か侯爵令嬢は見目のいい男の護衛を二人、連れてきていたな。一人は魔法使いだったか」


 シーツにこびりついている謎の液体を見て顔をしかめるレイラに「あまり見るな」と促しながら、ノアは肩を竦めた。

 王太子ライナルトという婚約者がありながら、これは大変な裏切りである。


 これだけでもヴィンフリーデ嬢を追求するには十分だが、目的は横流しの証拠。

 しかし今度は必死に探さずとも良かった。


 ベッドの隣にあるテーブルの上に、何枚も重ねられている書類の束が置いてあったからである。

 手に取って読み込んでいくと、それは間違いなく侯爵領における資源の横流しの証拠。


 戦好きの国へ武器の材料となる資源を流し、私腹を肥やしていたらしい。


「間違いないな。両家のサインと家紋印が押されている。それに他の貴族の名前もあるな。ふん、不実なやつが何人もいたものだ」

「ねえ、ノア……ここ」


 レイラが酷く冷徹な目で、一枚の書類に記してある名前……どうやら署名のようだ、を指さす。

 妙に神経質そうなくせ字でフリダ・アルムガルドと書かれている隣には、アルムガルド家の家紋印が押されている。


 レイラはそれをじっと観察し、「うちのもので間違いないわね」と頷いた。 


「やっぱり、今回の件にはお義母さまたちも関わっていたんだわ」


 冷静に聞こえたはずの声に、悲壮さがこもっていたような気がして、ノアはレイラの横顔を見つめる。

 いつもは天真爛漫な彼女の顔に表情は無い。その様が妙に痛々しかった。

 このような顔をする理由をノアは知っていたからこそ、なおのことそう見えたのかもしれない。


 レイラはアルムガルト伯爵家に生まれた一人娘である。

 絵にかいたような幸せな家庭だったが彼女が10歳のとき、母親が病死。


 父親は後妻をとったが、この夫人、そして彼女の連れ子たちが実に酷い人間であった。

 初めの方はレイラと仲良くするそぶりを見せた彼女たちだったが、父親である伯爵が前妻と同じ病気で亡くなったときに本性を現す。


 我が物顔で伯爵家を仕切り始め、前妻の子であるレイラをいじめ、使用人のように扱うようになった。

 夫人たちは贅沢三昧で伯爵家の財を食いつぶす日々。


 いずれ蓄えは無くなってしまうだろうと気を揉んでいたレイラだったが、不思議とその破滅は訪れない。

 ───アルムガルド家の夫人が『不正』に手を貸している、と言う噂を彼女が聞いたのはその時だった。


 レイラは怒った。

 もしそれが本当なら、愛しい母の思い出を、愛しい父の誇りを踏みにじり、汚す行いである。

 これ以上アルムガルド家の名を辱めてはならないと、彼女は独自に調査を開始する。


 横流しの証拠を集めて暗躍していたノアが同じ目的のレイラと出会ったのは、そのすぐ後だった。

 彼女が今日自分たちの手助けをしてくれていた理由は、アルムガルド家の不正を暴くためでもあったのだ。


「レイラ」

「……行きましょう。ノア。もうすぐ12時だわ」


 テーブルに置かれた時計を見て、レイラが静かに告げる。

 何事か言葉をかけるか逡巡したが、すぐに頷いて書類に魔法をかけて複製する。

 それをレイラがドレスの中に隠し、さて部屋を出ようと踵を返した時であった。


 ノアの視界の隅で、何かがきらりと瞬く。

 足を止めた魔術師を訝しみ、レイラも停止する。彼女の視線もまた、ノアが見ているものを追った。


「ねえ、これって」

「間違いない。婚約の証の『金色の靴』だ」


 瞬きは、ベッドのわきに置き去りにされた片方だけの靴が放っていたものだった。

 恐らく慌てて身支度をしたヴィンフリーデが落としていったものだろう。


 レイラはそれを無表情で見つめていたが、やおら近寄ると持ち上げてドレスの中に隠す。

 落ちないことを確認して跳ねる彼女に眉を跳ね上げ、ノアは訊ねた。


「持っていく気か?」

「証拠になるわ。無くしたと思って慌てればいいのよ」


 ふんと鼻を鳴らす彼女の言葉に苛烈さを感じ、ノアは僅かに肩を竦める。

 自分の家を巻き込んだことへの怒りか、婚約を踏みにじる身持ちの軽さへの怒りか。


 どちらかはわからない。しかし彼女には怒りを抱く権利があった。


 それに金色の靴が、何よりヴィンフリーデがこの部屋にいたという証拠となるのも確か。

 特に異論は言わずに、すたすたと秘密の部屋から歩き去るレイラを追う。


 ノアは再度魔法をかけ直して飾り棚を元に戻し、中に置いてある金細工の時計を見る。

 時計を見ると長身が12の文字を今まさに刺そうとしていた。


「隠し通路は外に繋がっている。ライナルト様の近衛兵が待機しているから、君は家に帰っていてくれ」

「わかっているわ。ノアも気を付けて」


 急がねばとそれだけ告げて、ノアはレイラと別れ、ライナルトの待つ部屋へと速足で戻っていった。

 休憩室の暖炉を潜ると、ライナルトが扉越しに怒鳴りつけるヴィンフリーデと会話をしていた。


 王太子は戻ったノアの姿を見て頷くと、「わかった、今開ける。少し待ってくれ」と婚約者に告げる。

 暖炉の仕掛けを戻してノアが扉を開けると、眉をつり上げたヴィンフリーデが足音を響かせて部屋へ入ってきた。


「ライナルト様!!……あら?ノア様もいらっしゃったの?」

「だからそう言っているだろう。女性など連れ込んでいないと。休憩がてらノアと話していたんだ」

「でも……!」


 ヴィンフリーデは疑わし気に部屋の中を見回す。

 もちろん何も妙なものはあるはずがない。人が隠れられそうなスペースももちろん無かった。


 兵士がヴィンフリーデのもとへライナルトの不貞を告げ、怒りに満ちた彼女がこの部屋にやってくる。

 突然のことで片付けも済んでいない部屋をノアたちが調べる……というのが、一連の作戦であった。


 公爵令嬢はあちこち探し回ったが結局何も見つけることは出来ないまま、肩を落とす。

 そしてライナルトを振り返り、まだ疑わしそうだったが頷いた。


「確かに誰もいないようですわね。失礼いたしました」

「ああ。……ヴィンフリーデ。君も休んでいかないか?たまにはゆっくり話がしたいんだ」

「いいえ、わたくしはまだやることがありますの。それでは」


 婚約者に対してにべもなく告げて、ヴィンフリーデは去っていく。

 彼女はライナルトと婚約してからというもの、事務的な態度でしか彼と接さず、王太子はずいぶん悩んでいた。


 ノアはその時のライナルトと……何故か先ほどのレイラの顔を思い出す。

 去っていこうとする公爵令嬢をほぼ衝動的に呼び止め、問いかけた。


「ヴィンフリーデ様、歩き方が妙ですが……足にお怪我でもなさっているのですか?」

「……っ!」


 冷静な声に、ヴィンフリーデの顔が僅かに強張った。

 だが流石は公爵令嬢か。すぐにつくろって「ええ、少々疲れが」と言い訳をする。


「お疲れならやはり休んでいかれたらいかがでしょう?」

「いいえ、結構ですわ。では」


 それ以上追及されたくないとばかりに、そそくさと公爵令嬢は部屋を出て行った。

 自分でも珍しいと思うほどの冷たい目で、ノアは閉められた扉を見据えていた。



 後日ライナルトはノア、レイラとともに集めた証拠をさらに調べ、ヴィンフリーデの罪状を明確にした。

 そして本日、全ての証拠を持って公爵令嬢を追い詰めるべく王城に呼び出したのである。


 所在のわからなくなっていた金色の靴の登場に動揺を隠せない公爵令嬢に、ライナルトの冷静な声がかかった。


「申し開きはないな、ヴィンフリーデ」

「……っ!」


 ヴィンフリーデの肩がびくりと跳ね、つり上がった目が王太子を見る。

 真っ青になっていく彼女の顔には、瀟洒で美しい公爵令嬢の面影はない。助けを求めるようにレイラとノアを見、そして再度ライナルトを見つめる。


 自白はなくとも彼女が見せた顔こそが、何より雄弁にその罪を語っている。

 当たり前のことだが、誰もヴィンフリーデに救いの手を差し伸べなかった。


 普段は穏やかなはずの目に冷徹な光を宿らせ、ライナルトは婚約者を見つめる。


「貴族に私の不貞の噂を流したのも君だな。私が横流しや裏切りに気付かないほどの愚か者だと思ったか?」

「……くっ」

「最後に言い訳があるなら聞くが?」


 少しだけ声に柔らかさが戻った王太子に、ヴィンフリーデは調子を取り戻したのか目に涙を浮かべて叫ぶ。


「あ、貴方がいけないのです!ライナルト様!貴方がわたくしをないがしろにするから……!!」

「……」

「わたくしは寂しかったのです!そこを侯爵令嬢に付け込まれて……!わたくしだってこんなことをしたくなかった!!」


 言い切る前に、ヴィンフリーデはわっと顔をおおって泣き出した。

 哀れを誘う泣き声だったが、ノアは呆れかえるだけだった。恐らくそれはこの部屋にいる誰もがそうだっただろう。


 しかしレイラは呆れる以上の感情を抱いたようで、今にも食い掛らんばかりの勢いで口を開いた。


「貴女、何を自分勝手なことを……!浮気をしたのも不正をしたのも貴女の責任でしょう!!」

「レイラ」


 いまだ怒鳴り足りないらしいレイラを、ノアは片手で止める。

 ぐっと悔しそうにこちらを見た彼女を押しとどめ、一歩前に出てヴィンフリーデを見据えた。


「レイラの言う通り、今回のことは全て貴女の責任です。王太子のせいでも、侯爵令嬢のせいでもない」

「何故そんなことを……!私は傷ついているのに!あんまりですわ……!」

「例え貴女が傷ついていようと誰かを犠牲にする理由にはなりません。貴女は被害者ではなく加害者だ」


 眼光鋭くきっぱりと言い切れば、顔を上げた公爵令嬢は言い澱む。

 その瞳は泣いていたとは思えないほど乾いている。

 演技が中途半端なところを見ると、よほど余裕がないのだろう。


 彼女の隙をつくようにライナルトは「ヴィンフリーデ」と冷たい声で彼女を呼んだ。


「貴女がたの罪は今後きちんと裁かせてもらう。それまでは公爵領で公爵共々大人しく謹慎していることだ」


 最終通告とでも言うような王太子に、公爵令嬢はがくりと肩を落とす。

 近衛兵たちに目で合図したライナルトは、彼らとともにヴィンフリーデを連れていく。


 部屋を出ていく途中、彼はふと思いついたように「ノア」と肩越しに振り返りこちらを呼んだ。


「ここにはしばらく人をよこさない。ゆっくりしていてくれ」

「……御意」


 ライナルトの言いたいことを理解し、お節介だなと思いつつもノアは頭を下げる。

 ばたん、と重々しい音をたてて閉まった扉から、隣に立つレイラに視線を転じた。


 彼女はおろした拳をぎゅっと握りしめて、口をへの字に曲げている。

 小刻みに震える痛々しいその矮躯を見つめ、ノアは出来るだけ優しい声でレイラに告げた。


「泣いていい。レイラ」

「……ノア?」

「もう我慢する必要は無い。君はやり遂げたんだ。君がアルムガルト伯爵家の不正に終止符を打ったんだ」


 あまり気の利いた言葉でないことは自覚していたが、レイラには何か響いたようだ。

 くしゃりとそのかんばせが歪み、長いまつげに縁取られた目にみるみる涙が浮かんでいく。


「ノアはいつも優しいね」

「……僕も、君も、やるべきことをしただけだ。だから……」


 君はもう幸せになっていいはずだ。


 ノアは静かに告げる。レイラの目が見開かれる。

 翡翠を思わせる美しい彼女の瞳は、いつだって真っすぐで、ノアの目を惹き付ける。


 それを見つめていると、ふと脳裏に初めて会った日のことが蘇ってきた。


 ───「ねえ、貴方お城の人でしょう?『不正』のことを調査しているって聞いたわ」


 王国のスラム街にあるとある酒場に足を踏み入れたノアに、何処か緊張したような少女の声がかかった。

 振り返って見たのは、ボロ布をかぶったみすぼらしい少女の姿だった。

 王国の薄暗くまずしい場所にたむろしている、たちの悪いやくざ者によくあるいで立ちである。


 しかし布の下に見える翡翠色の瞳は輝いて、表情もすれているようには見えない。

 何よりその顔立ちが、貴族の令嬢のように清廉な気高さを持っていることにノアは驚いていた。


 一体彼女は何者か?何の目的があって己に声をかけたのか。


 先ほど告げられた言葉と相まってノアがレイラに初めて抱いた印象は、胡散臭く不気味、であった。

 もっともそれはレイラとて同じであっただろう。


 後から聞いた話では、レイラは見慣れぬノアがスラムの酒場に出入りをしているところを怪しみ、何日か観察していたらしい。

 危険な場所だと言うのに、まったくたいした気概である。


 ───「ねえ、ノア。その調査、私にも手伝わせて」


 その申し出があったのは、お互いの境遇を知り、持つ情報を共有するほどには信頼が築かれたある日のことであった。

 レイラはまっすぐにこちらを見つめて、「じっとしていられないの」とノアに詰め寄った。


 無論、貴族とは言え一般人である彼女を危険な目に合わせられない。

 きっぱりと断ったノアであったが、レイラは頑なである。

 「連れってって」「連れて行かない」の押し問答を長時間し続け、結局折れたのは自分の方だった。


 ───「絶対に僕と行動をするように。何かあっても一人で突っ走らない。必ず相談すること」

 ───「信用がないわね」

 ───「信用していないんじゃない。怪我をさせたくないんだ。だが僕も必ず君に相談する。君を置いていくことはしない」


 それはただ単に、目を離しては危ないとノアが判断したための言葉だった。

 だが存外にレイラはそれを嬉しく思ったらしい。その時初めて彼女は、生来の快活さを取り戻しノアに微笑んだのだ。


 二人はその後、ありとあらゆる場所に調査に出向き、ついに公爵令嬢が不正に関わっている噂を掴んだ。

 王太子に相談し、証拠を掴むには舞踏会の夜がいいと作戦を立てる。


 ───「レイラ、君にもこの作戦に参加してもらう。ライナルト様とダンスを踊って、ヴィンフリーデ様の気を引いて欲しい」

 ───「え?わ、私も行っていいの?」

 ───「当たり前だ。……約束だからな」


 その時見たレイラの笑顔を、ノアは一生忘れることはないだろう。


 そして作戦の準備は滞りなく、素早く行われた。

 レイラが舞踏会に潜入するためのダンスやマナーのレッスンを施したのは、ノア自身である。

 高位貴族から見ればまだまだつたない。だがレイラは飲み込みが早く、何より彼女自身がとても喜んでいたのが印象的であった。


 ───「ノア、私に魔法をかけてくれたの?私、普通の貴族のお嬢さんに戻ったみたいだわ」

 ───「……そんな魔法は持っていないよ。君の努力のたまものだ」


 二人でダンスを踊っていたとき交わした会話である。彼女と踊るダンスは、練習と言うことを忘れるほど楽しかった。

 ノア自身ももしかしたら自分たちは本当に魔法にかかっているのでは?などと思ってしまうほどに。


 やがて準備が終わり、レイラのレッスンも付け焼刃だが完成する。

 作戦は舞踏会の夜に問題なく決行され、今に至るのだ。


 思い出から帰還し、ノアは彼女の美しい瞳に向かって僅かに笑みながら告げる。


「君は本当にすごい。何度も助けられたよ」


 継母にいたぶられ、教育も満足に受けられず、使用人のように扱われる……それでも彼女が逃げなかったのは、彼女の愛する父母のためだ。


 奪われた家を、思い出を取り戻すまでは戦う。

 そこにレイラなりの矜持があったのだと、ノアは知っている。

 一緒に行動をともにしていたからわかったことだった。


「レイラ、これからは……っ!」


 最後の言葉をしかし、ノアは発することは出来なかった。

 レイラが己の胸に顔を埋め、密やかに泣き声をあげ始めたからである。


 震える細い肩とぬくもりに少し戸惑い……しかし、ふと息を吐いて、ノアは彼女の背に手を添えた。

 そのまま「頑張った、頑張った」と呟きながら背中をさすってやる。


 これが自分の精いっぱいであった。

 しばらくノアの胸を濡らしていたレイラだったが、やがて顔を上げて真っ赤な目でこちらを見上げる。


 ぐしり、と鼻をすする彼女は何処となく子供のようだったが、ノアの胸はどきりとざわめく。


「ありがとう、ノア。貴方が魔法をかけてくれたからここまで来れたのだわ」

「……前にも行っただろう。僕は別に、魔法なんてかけていない」


 この計画を完遂出来たのは、ひとえにレイラの努力と根気のおかげだ。

 むず痒いものを抱えながらそう言えば、彼女は微笑んで首をゆっくりと横に振る。


「いいえ、確かにノアは私に魔法をかけてくれたわ。貴方にそんなつもりは無くても、くれた言葉や行動は魔法みたいだった」

「恥ずかしいことを……」


 つい口が悪くなってそっぽを向いてしまう己に、彼女はそっと目を細めた。


「大好きよ、ノア。私、幸せになるなら貴方となりたいわ」


 鈴が転がるような声で告げられた好意に、ノアは僅かに頬を赤らめる。

 くすくすと微笑む彼女の声に、再び心が震えた。

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