王立聖騎士団の雑用係でしたが、職場の居心地が最悪なので田舎に帰ることにしました。ちなみにこっちは一緒に団を抜けた元聖騎士団長で、村人になりたいそうです。
もういいや。
団を抜けよう。
随分長い間働いてきた気がしたが、それもそのはず、数えてみれば八年と少し。人生の半分弱をこの団で過ごしていたことになる。
人生の半分を斬り捨てる手続きは、誰の制止を受けることもなく、つつがなく進行した。
たかが末端の雑用係一人、こちらの心が決まってしまえば話は早かった。
もとより、俺が抜けることを惜しむ人間など、片手の指で足りるほどしか居ない。
逆に俺が抜けることで喜ぶ人間は、無数にいることだろう。
世話になった人たち(主に雑用仲間だ)に別れの挨拶をし、最後に、ようやく、騎士団長室に足を向ける。
最後にその人物を訪ねたのは、きっと俺なりの、けじめってやつだ。
「……そうか」
いつもどおりの無表情で答えるのは、聖騎士団長リークライル・サーニェーラ・ミアラ・ガ・ミリエ。
若くして騎士最高の栄誉である「咲聖晶」の称号を持つ、現王国最強の騎士だ。
磨き抜かれた黒曜のような艶めき輝く黒髪に、深い琥珀色の瞳。
幾多の戦場で屈強な敵と斬り結んだにも関わらず傷一つ無く美しい肌。
研ぎ澄まされた刃のような凛とした雰囲気に、どんな時でも冷静沈着な佇まい。
市井では聖騎士姫様だ咲聖晶姫様だともてはやされ、人々の心を奪ってやまない、今の俺には雲の上の人だ。
「長い間、お世話になりました」
「……そうか」
頭を下げても、聞こえてくる言葉に感情は乗っていない。
ミアラにとって、団で野営用の物品を運んで雑事にかまける男の進退など、感情を動かすほどの問題ではないのだろうか。
それもそうか。過去に多少の縁があるとはいえ、二人の立ち位置は天と地ほど離れてしまった。
これくらいが、当然なのだろう。
「では、失礼します」
「あ」
背を向け部屋を去ろうとする俺の背に、団長室に似つかわしくない声が当たる。
振り向けば、座ったままのミアラが居た。
俺ではないということは、先程の少し気の抜けた声は、彼女なのだろうか。
聖鎧の篭手に包まれた右手を、こちらを引き止めるように伸ばしている。表情が少しだけ、不快そうに見えた。
一度咳払いを挟み、ミアラが続ける。
「……ルード、何故、騎士団を抜ける」
少しだけ、驚いた。
質問もそうだが、彼女が俺の名前を覚えているとは思っていなかったからだ。
彼女に名を名乗ったのは、それこそ八年と少し前。入団の際のこと。
同じ釜の飯を食った期間はあったが交流がそこまで深かったわけではないし、入団半年後にはメキメキと頭角を現し上の世界へ登っていった人だ。
驚きと一緒に胸に湧き上がったのは、小さいけれど確かな喜びで。
その喜びを守るために、俺は口をつぐむことにした。
「一身上の都合というやつです」
「不都合がなければ、聞かせてくれ」
「答えられません」
「……どうしても、か」
「はい。どうしても、です」
俺が団を抜ける遠因がミアラ自身にあると知り、万が一にも彼女が気に病んでしまわないように。
ここは黙って去るのが、同期の優しさ、というやつだろう。
一礼を残し、再び背を向ける。
「団を抜けて何をする」
再度の呼び止め。振り向き、答える。
「まずは、田舎に帰ります。その後のことは、そこで考えようかと」
「確か、君の田舎はリステ村だったな。随分距離があるじゃないか」
「よくご存知で」
「……丁度、今度リステ近郊への遠征がある。どうだ、それまで団に残る気はないか?」
差し伸べられた手は、こんな俺には分不相応な、目頭が熱くなるくらいに優しいものだった。
だが、だからこそ、俺はそれを断らなければならない。
ここで「はい」と答えれば、俺は本当に、他の団員が言うところの「団長の威を借りるだけの男」になってしまうからだ。
「……いえ。団の手を煩わせるほどのことではありません。
街を行き交う冒険者の荷物でも運べば、無事に辿り着けるでしょう」
笑って見せた。きっと笑えていたはずだ。
表情が変わらぬうちに頭を下げ、頭を上げながら踵を返して部屋を出る。
礼を失していようと知ったことではない。礼儀なんかよりミアラに情けない顔を見せないほうが大切だ。
☆
団を抜け、数日は間者審問(王国直属の職場を抜ける場合、職場で得た王国の秘密を他国に売らないように様々やるのだ)で時間を取られてしまった。
何日目かの朝、ようやく俺は冒険者の宿に辿り着けた。
冒険者たちの情報交換の場も兼ねている宿で、仲間の募集についてもここで確認できる。
団で稼いだ金で部屋を借り、掲示されている募集情報にも目を通す。
ミアラの前で啖呵を切ってみせたが、現実はそんなに甘くはない。
募集されているのは剣士、魔法師、癒術士、その他戦闘に関わるものばかり。
雑用係募集なんてほぼほぼ無く、あったとしても特殊な技術(収納魔具持ちとか鍛冶や鍛造の心得有りとか)が必要となるものだけ。
思い切ってみて数日で、自分の見通しの甘さに落ち込む。
いっそ冒険者ではなく、街同士で貿易を行っている商人を頼ってみようかと考えていると。
「荷物持ちを一人、雇いたい。
特殊な技能は必要ないが、武器や防具の運搬も頼みたいので男性が望ましい。条件に合うかどうかは実際に会ってみて―――」
背後で、丁度、そんなやりとりが聞こえた。
とっさに振り返る。受付に依頼書を渡す人物には、見覚えがあった。
いや、見覚えどころの話ではない。
依頼書を突き出されている受付嬢は笑顔のまま凍りついているし、彼女の存在に気付いている人間はすべて彼女の動向のみを見つめている。
そんな彼女が、いつまで経っても受理されない依頼書を手元に引き戻し。
ため息をつきながら、踵を返そうとし。
そして、俺と目があった。
無表情が、ふわりとほころんだように見えた。
「ルード!」
「……だ、だ、だ、だん―――ッ!」
稲妻よりも疾く、彼女の手が俺の口を塞ぐ。
そして、いつもの無表情をやや焦りで彩りながら、誰にともなく語る。
「ダモクレス! そうだ、ダモクレスで会って以来だな! 元気にしていたか、ルード!
いやぁ、久しい! 嬢、さっきの依頼はキャンセルさせていただく! 知人が居るなら話が早い!!
さあ、行こう! ダモクレス以来だ! 君の話も聞かせてくれ!」
必要以上に大声を出し、周囲の目が完全にこちらを向く。そして全員が全員、声の主を見て固まる。
あろうことか、その声の主が巷で話題の聖騎士姫様、ミアラに他ならなかったからだ。
そんな周囲の様子からは少し浮いて、戦場でも見せないほどに汗を流しながら、俺の肩を抱き歩き出すミアラ。
ミアラ以外の全員が、これから何が起こるのか、分かりはしなかった。
☆
「団長、なんでここに!?」
当然の問いだ。
あの場の全員がそう問いたかったはずだ。
だがミアラは、今度は特にうろたえた様子もなく、威風堂々とした態度でこう宣言した。
「聖騎士団を辞めた。私も冒険者になるのだ」
「は?」
生まれて以来、これ以上ないほどの渾身の「は?」だった。
同じ部屋にミアラが居るという現実に目を疑い、次は耳を疑った。ここまでくれば頭を疑ったほうが早かろう。
衝撃の連続で頭の処理の追いつかない。眉間をぎゅっと指でつまむ。
ミアラはいまだ姿勢を崩していない。安い宿には過ぎた威厳を放つ、団長座りのままだ。
「あの、何故です?」
「君と同じ、一身上の都合故の退団だ」
何を言っているんだ、この騎士団長は。
退団、騎士団長が退団。団長が退団なんて初めて聞いた。
騎士団長は王家に次ぐ権力を持つとさえ言われている。特にミアラは歴代騎士団長でも高い知名度と武力を誇る将。一生どころか孫の代まで安泰のはずだ。
それを蹴って、何故ここに。
「リークライル王からの許可も得ている。この通り」
衝撃は続く。差し出されたのは一枚の手形。押されている冠を戴いた獅子鷲とヒシャナの花の蝋印は間違いなく王家のものだ。
文面は「この者が聖騎士団長の任を降り冒険者となる事を王の名の下に許諾する。但しこの者、王の許可なく特定級位以上の依頼を受けることを禁ず」とある。王家直々の許可証だ。
もう言葉が出ない。なにをどうやったらこんなことになるのだ。
「同期の好。君の旅の伴をさせてほしい。駄目か?」
吟遊詩人に「リークライルの月」とまで謳われたその無表情が、珍しく不安を浮かべている。
「いやいや! 団長が俺の旅についてくる必要なんてないじゃないですか!
普通にやっても王都一、いや大陸一の冒険者になれるでしょう!?」
「……違うのだ。私は、なんだ……心の底から冒険者になりたかったわけでもなくて……
つまり、ルードの旅についていきたくて、団を辞めたんだ」
「はぁ!?」
「……やはり、私に隠し事は向いていない。いっそ正直に話そう。
ルード、君の退団について、調べさせてもらった」
どきりと心臓が高鳴った。
「全く、聖騎士団とは名ばかりで、堕落したものだ。私と同期というだけで君に対して不遇を強いるなどと」
俺の退団理由は、ミアラが語ったとおりだ。
数々の戦場を駆け抜け、あるものは去り、あるものは没する。そんな中で残った聖騎士団長の唯一の同期が俺だった。
民草にすら語られる聖騎士団長。騎士団内でのカリスマは、それはもう語り尽くせぬ程であった。
単なる荷物運びである俺が聖騎士団長と旧知というだけで許せない、そんな派閥が生まれたほどだ。
副団長を筆頭に、様々な人間が、事あるごとに俺に因縁をふっかけ、嫌がらせをし、「絶対にして唯一である聖騎士団長」を確立させようとした。
「ミアラの威を借りて団で幅を利かせているクズ」とか「たかが雑用係のくせに特別な報酬をもらっている」とか、根も葉もない言葉をよくぶつけられたものだ。
俺はただ、そんな生活に耐えかね、ついに逃げ出した。これが俺の退団の経緯だ。
だが、俺の進退など「その程度」の話だ。ミアラが噛む話ではない。
「……いや、すまない。君に退団の責任を押し付けるわけではないんだ。
私側でも、私を取り巻くすべてに辟易していて、折が重なり、機を得た。それだけなんだ」
ミアラが正直に語るのは、彼女自身が置かれた状況についてだ。
王家を凌がんほどに民衆からの支持を集める聖騎士団長が王家は邪魔だったようで、命が惜しければ王の側室に入るようにと様々な人物から遠回しに勧められていたこととか。
騎士団長という地位を超えた人気を得たせいで、戦場に赴く以外で外出することすらままならなくなったこととか。
自分を頼りきり、腐敗していく聖騎士団を見続けるのがほとほと嫌になったこととか。
そういうのをすべてひっくるめて、退団し、僻地で芋でも作りながら細々と生きていきたいと常々思っていたらしい。
無表情を少し崩し、心の内側に溜め込んでいた不平不満を吐き出したあとで、ミアラは最後に、付け加えるように、こう言った。
「それに、君と一緒なら、楽しいだろうと思えた。だから、君が騎士団を離れるなら、君と一緒に行きたい」
「それはまた、どうして?」
「……覚えていないのか?」
「……申し訳有りません」
「いや、いい。それもいい。そういう関係でいいんだ、私達は。
申し訳ないという気持ちがあるならば、私の同行を許してくれ」
そこまで言われれば、俺に断れる理由はない。
その日の夜には王都を抜け、リステに向けた二人旅が始まった。
後日、俺達が抜け出した翌日に街中を騎士団員達が大騒ぎで駆けずり回ったと聞いた時は、少し肝が冷えたものだ。
☆
リステへの旅は、冒険というより、ちょっと食事に困る旅と言うべきものだった。
なにせ、ミアラが睨めば大抵の魔物は逃げ出すし、逃げない魔物もミアラが殺気を飛ばせば泡を吹いて倒れるからだ。
旅の途中、野盗が襲ってきたことがある。
俺の首筋に短剣を当て、「へっへっへ、さぁて命が惜しくば」まで喋ったところですべての野盗が泡を吹いてもんどりうちながら倒れたときには、「本当にミアラを世に放って良いのか」と悩んだものだ。
だが、当のミアラには欲がなく、森で取れる野草や果実をおいしく調理する方法を探し、俺から獣の捌き方を聞き慎重に挑戦するのを楽しんでいる風だった。
本人の中では既に騎士団長でも冒険者でもなく、いずれ到着するリステの村で一人の村人として生きていくつもりらしい。
王国の大いなる損失は、今日も楽しく生きていた。
「やはり、君との旅は楽しい」
「ミアラって、変だよな」
「そうでもないさ。きっとな」
街を出て程なくしてミアラと呼ぶように言われている。ミアラ以外はすべて王家から与えられた称号のため、そう呼ぶしかないからだ。
騎士団長でも無くなり対等な関係ということで、敬語についてもやめるようにと言われたあとだ。
そんな旅を続ける中で、ふと、思い出すことがあった。
彼女が匂わせていたように、俺は確かに昔、ミアラと一緒に旅をしたことがある。
まだ俺もミアラも団に入りたての一兵卒で、行軍訓練に参加した時のことだ。
自己紹介もそこそこに出会って間もないメンバーと一月という長い期間を行軍し過ごすという訓練。そのパーティの一員が、ミアラだった。
正直、「一緒に行軍訓練に参加した」ということは覚えていたが生き抜くので必死だったので記憶がおぼろげになっており、ミアラと過ごすうちにそのあたりのことをじわじわと思い出してきたのだ。
ミアラにそのことを話すと、口元をほころばせて、懐かしげに語った。
「あの時も、楽しかった」
冗談はやめてほしい。無数の魔物が昼も夜もなく襲ってきて、装備を整えることも出来ず、食料もなんとかかき集め、夜もろくに眠れぬ一月だった。
俺は後にも先にもあれほどの地獄を経験したことはない。
だが、ミアラにとっては違ったようで。
月を見上げながら、彼女はゆっくりと、当時のことを語りだした。
「……私は孤児のあがりでな。親の顔も知らず、友と呼べる者もろくに居なかった。
日々の糧を求めて軍に入っても、孤児は育ちが悪く戦力にならないからとろくに飯も貰えず……
いつも腹を空かせていたし、いつ死んでもおかしくなかった。
そんな中で、私は君と出会ったんだ」
思い出すのは、彼女がまだ幼い日のこと。
そういえば、今よりもっと無表情で、今よりもっと痩せていた。目だけはぎらぎらと輝かせ。そして……
「私が魔物を倒せば君が料理して、『一番働いたから』と多めに盛り付けてくれた。
私が主戦力だからと、パーティの者達を説得して荷物持ちや火の番を融通してくれたのも君だった。
私は、あの時、生まれてはじめて、誰かから『私』を認めてもらえたんだ。
人と関わってこなかったあの頃の私には、君になんと話せばいいか分からなかったが……今なら分かる。私は、心の底から、嬉しかったんだ。
こんなに幸せな旅があるのかと嬉しくて、こんなに胸躍る戦いがあるのかと楽しかったんだ」
食事だけはいつだって皿を噛み割るように食べ。戦いの際にはいつだって俺を助けるように前に立ち。
そして、最後まで、同じパーティで並んで戦場を駆け抜けた。
自分が生きるために無い知恵絞って雑用に徹し、必死に生き抜いた俺に対し、ミアラは俺という仲間との冒険を楽しんでいた。
「ままならないものだな。君とまた一緒に戦いたいと願って戦果をあげれば、それだけ君と離れてしまった。
いつかまた共に旅をしようと私の配下に君をおけば、それが団を抜けるきっかけになってしまうとは」
ため息が、夜の空へと消えていく。
俺はただ、ミアラの顔を見つめていた。
「なんだ、ルード。その顔は」
「いや、ミアラがそんな風に思ってたなんて、知らなかったから」
「……それは、私の非だ。さっきも言ったように、そんな感情初めてだったから、説明できなかったんだ」
「それを聞けてれば、俺の人生、なんか変わってたのかな」
「変わらない」
「……バッサリか」
「いや、すまない。変わらないというのは違う。
何が変わろうと、私にとっての一番は、きっと今だ。だから変わってほしくない、というべきか」
「騎士団長より今の生活のほうがいいっていうのは、他の人には絶対言えない言葉だろうな」
「そうだろうか?」
「……っていうか、ひょっとして、ミアラが冒険者じゃなくて村人になりたいのって」
「……いやその。なんというべきか。
食うに困ることが少ないから、が一番大きい、かな。
戦うのは好きだけど、それより好きなものがあれば、そちらと一緒に生きていたいと、常々考えていた」
「ふうん」
「……ふうん、か」
八年越しに、再会する。
あの日の続きに、ようやく足並みが揃う。
いつだって冷たい光を放つリークライルの月が、今日は優しく微笑んでいた。
☆
リステ近郊。ついに避けられない事態に直面した。
王国軍……つまり聖騎士団が、リステに向けて進軍しているのだ。
近郊の村の冒険者に聞いたところ、ミアラと俺を追ってリステに向かっているということで間違いないようだ(このあたりでは流石にミアラの知名度が低く、『騎士団長を探してる』としか伝わっていなかった。助かった)。
「行くぞ、ルード!」
珍しく語気荒く、ミアラが駆け出す。リステは彼女にとって、安住の地となる予定の場所。
そこを、我を忘れた副団長が蹂躙するかも知れないと思ったのだ。
確かに、あの副団長なら私怨でそれをしかねないというのが恐ろしい。
こんな僻地までくれば、聖騎士団よりも地元民である俺のほうが地の利には明るい。
抜け道や獣道を駆使して駆け続け、ようやく進路に立ち塞がる事ができた。
「咲聖晶様!!」
叫んだのは、副団長だ。色の薄い髪を風にたなびかせながら、想い人に会えた喜びを満面に出しながら言葉を続ける。
「ああ、お逢いしとうございました、咲聖晶様! その御姿、その御顔、再び見られたことに涙が止まりません!
貴女が突如団を抜け、王都は混乱に包まれています! どうか、どうか私達と一緒に王都へ!」
「断る!」
一言だった。一言で切り捨てた。
言葉通りに涙を流している副団長は、取り付く島もない一言に、唖然としている。
そして、体を震わせながら、口にした。
「なにか、至らぬ点があったならば、教えて下さい!
貴女は王国の誇り、私達の上に立つ御方!! 貴女という崇高で絶対なる象徴なくして聖騎士団はあれません!!」
「私なくして成り立たぬ騎士団があってたまるか」
「人は、世は、貴女を求めているのです! 貴女が団から居なくなり、事実王都では暴動が連日起きています!!」
「それを治めるのが騎士団の任務だろう。何故こんな僻地に居る」
「貴女が団になければ、民は納得いたしません!!」
「王から退団の許可は得ている」
「王は誤ちを侵したのです! 諌めるも臣下の務めでしょう!!」
ミアラがなにか言えば、即座に大声で懇願する副団長。涙はとめどなく流れ続けている。
ちらりと視線が寄せられる。「なんとかしてくれ」と俺に言いたいようだ。
とはいっても、ここで俺が出たところでだよ。
「き、貴様……ルードぉぉぉぉおおおおお!!!!」
先程まできらきらと美しい涙を流していた副団長が、俺を認識した瞬間に憤怒の表情へと変貌する。
後ろに控えている聖騎士団の面々も同様だ。目を凝らせば、先陣に居るのが「ミアラ絶対主義」の団員たちだと分かった。怖い。
「やはり貴様が、咲聖晶様を誑かしていたのね!!
貴様のせいで、咲聖晶様がその偉大なる道を踏み外した!! 愚昧、愚昧、愚昧千万!! その罪、万死に値する!!
貴様を産み落とした呪われた村ごと、貴様を今此処で―――」
聖騎士団が激情をうねらせ、武器に手をかける。
奴らは本気だ。ただの雑用係一人を相手に王国最強の騎士団全員で突撃をする気だ。
マジでこいつら頭がキレてやがる。やるべきことが他にないのか。
「『聖鎧装着』」
しかし、キレっぷりならこちらも負けていないとばかりに、後ろから声が聞こえる。
俺を見て相手がブチギレている間に、ミアラが自身の魔装たる『聖鎧』を装着したのだ。
威圧感だけで地が割れ、風が巻き起こり、相対する騎士団の団員がバタバタと倒れていく。
睨むだけで魔物を蹴散らす元・聖騎士団長が、本気で敵愾心を剥き出しにしたのだ。
しかも、敵対するものからの干渉を調律する聖なる魔鎧と、強力な魔法を自動で撃ちまくる十二枚六対の魔翼と、遍く全てを切り裂く蒼白の魔剣まで手にした、敵国にすら見せることの少ない最強形態で。
さしもの副団長も震えている。
自分たちが頼り切っていた者の強さは、彼女が一番良く分かっているからだ。
「リステは私が暮らす予定の村。ルードは私の……私の、村の知人、だ。
もし、手を出すというなら……こちらも全力で迎え撃つ」
過剰戦力である。
大陸にこの人ありと謳われ、歴代最強と称えられ、並び立つ者なしと諸国を名一つで抑え込む咲聖晶。
自称が村人であり、目的が村を守るためでなければ、国家転覆を疑われてもおかしくない状況である。
「私の退団に異議のあるものは前へ出よ。『退団を許す』という王の勅命に従い、私が直々にその異議に応えよう。
異議がないならば、臣民の生活を脅かすことなく速やかに王都へ戻れ。王都が混乱の最中ならば尚更だ」
そんな最強の存在に面と向かって「かかってこいよ」と言われ、「じゃあ」とノコノコ出てこれる人間は居ない。
副団長を除く騎士団員はすべて蜘蛛の子を散らすように逃げ出し。
残った副団長だけは、苦々しげな表情で俺たち二人を交互に見つめたあとで。
「私は、諦めませんわ!」
と捨て台詞を吐いて、騎士団員達の後を追っていった。
☆
聖騎士団を追い払ってしばらくあとで、ドヤドヤと人が寄ってくるのが見えた。
物騒なことに、皆が手に手に武器を携えている。
ミアラの威圧感が、少し離れたリステの村まで届いたのだろう。
「ルード……ルードなのかい?」
その中のひとり、ふくよか……というと表現が優しくなる類の体型の女性が俺を見て声を上げた。
八年ぶりに見ても分かる。俺の母親だ。
「ただいま、母さん」
俺は無事、自分の田舎に帰ってくることが出来たようだ。
「ルード……アンタ……便りもよこさずにいきなり帰ってきて……
というより、そっちの、その……その御方は、誰なんだい……?」
恐る恐る尋ねる母。
視線の先には、魔鎧・魔翼・魔剣の『聖鎧装着』セットのまま佇むミアラが居た。
まぁ、間違いなく警戒はするだろう。当たり前の反応だ。
「ええと……」
なんと語ればいいか。
そんなのもう、ありのまま伝えるしかないだろう。
「職場の居心地が最悪だったから、帰ってきたんだ。
こっちは一緒に団を抜けた元聖騎士団長。リステの村人になりたいらしい」
これで、間違いないはずだ。
村人全員の表情は、「意味不明」という状態で固まっていた。
空気を読めるのか、読めないのか、聖鎧装着状態でミアラが頭を下げる。
「ミアラと申します。立派な村人になれるよう努力いたします。
不束者ですが、どうかよろしくお願いします」
ここまでかしこまって村人になる人間は、そうそう居ないだろう。
元聖騎士団長様の村人ライフは、始まったばかりだ。
☆
☆
「しかし、村人になりたい、なんてね」
村でルードの母君に寝食の場所を整えて貰う最中、母君がそう口にした。
ルードの申し出で、しばらくはルードの家で同居することになったためだ。
ルードの姉(初耳だ)も既に他村へ嫁に出ているとのことで、部屋は余っているらしい。
なんというか、ありがたい話だった。
「聖騎士辞めて村人なんて、変わってるねえ」
「ルード……さんにも、そう、言われました」
「っていうか、村人になるって、どうやってなろうってんだい
こんな辺境の村に来て、家も土地もなしじゃあ、それこそ―――」
「いえ、一つだけ方法が浮かびます」
間髪入れずに答えると、母君はしばらくキョトンとし。
そして、思い至ったように微笑んだ。
「……ふふふ、そうかい。まぁ頑張んな!」
ルードと出会い、嬉しいことや楽しいことと出会った。
彼と再び一緒に居るために研鑽を続け、ふと彼の姿を目で追う自分を知った。
彼との日々を思い出す自分を知り、その感情の名前も学んだのだ。
この感情は恋慕。
爆発せしは、八年ものの片思いだ。
聖鎧を纏おうと。
咲聖晶になろうと。
私の心が求めるものは、その感情に気付いたあの日から変わらない。
彼が騎士団を抜けただの村人に戻るなら、私は村人になりたい。
ただの村人になった彼の隣で、ただの村人として生きていきたい。
「ミアラ、母さん、飯出来たぞ」
「へぇ、美味そうじゃないか。料理の腕だけはいっちょ前になったのねぇ」
「一言余計なんだよ、母さんは」
「さ、ミアラちゃんも」
「感謝します」
私の村人になるという夢は、まだ幕を開けたばかりだ。
☆