コメディ「婚約破棄」 ~異世界劇場~
本日は、この国の王族や貴族の子女が学ぶ格式ある王立貴族学園の卒業式挙行日である。
学園の本館講堂にて滞りなく式が終了し、場所を学園アリーナに移して盛大な卒業パーティーが始まった。
パーティーの冒頭で、本日卒業する生徒を代表し、この国の王太子が乾杯の音頭を取る。
「我が王国と皆の未来に幸多かれ! 乾杯!」
「「「「「カンパ~イ!!!」」」」」「「「「「カンパ~イ!!!」」」」」
こうして、実に和やかにパーティーは始まった。
王太子は、それはそれは見目麗しい18歳の青年だ。サラサラの金髪、誰もが吸い込まれそうになる美しい碧い瞳、柔和な笑顔、スラリとした長身。彼は、世の中の女の子の夢と理想を詰め込んだ、物語に登場する「王子様」そのままの、キラキラ輝く容姿をしていた。
そしてそんな王太子には、素晴らしい婚約者がいる。やや吊り目がちではあるが、非常に美しく気高く頭脳明晰なベルジェ公爵家令嬢ユスティーナ、その人だ。
ところがパーティーが始まって暫く経つと、突然、王太子が自身の婚約者ユスティーナではなく、ピンク髪の男爵家令嬢リリアを伴ってアリーナのステージに登壇した。会場にいる大勢の生徒や父兄、教師、その他関係者が、何事かと訝しげにステージを見上げる。
美貌の王太子は会場全体をゆっくり見回し、重々しく口を開いた。
「この会場にいる皆に証人になって欲しい。私は、ベルジェ公爵家令嬢ユスティーナとの婚約をここに破棄する。そして今、私の隣に立つ、この可愛いらしいリリアを新しい婚約者とすることを宣言する」
「「「「「「えぇ~っ!?」」」」」」「「「「「「うそぉ~!?」」」」」」
誰もが驚きと戸惑いを隠せない。会場は騒然となった。ピンク髪のリリアは怯えたように王太子の腕にしがみつく。けれど、彼女の顔には隠し切れない「ドヤァ」が浮かんでいた。
「ちょっと! ユスティーナ様! アンチョビを食べている場合ではございませんわよ! 王太子殿下が『婚約破棄』ですって!」
友人令嬢が慌ててユスティーナをつつく。王太子の婚約者ユスティーナは、友人と一緒に会場の端で白ワイン片手にアンチョビ料理をつまんでいた。
「ん? 私? 婚約破棄?」
「王太子殿下ったら何をとち狂っていらっしゃるのかしら? バカだバカだとは思っていたけれど、ここまでバカだとは!」
友人令嬢は口が悪かった。ユスティーナは思わず吹き出す。
「ププッ。貴女、不敬ですわよ」
「ユスティーナ様! 笑っている場合ではございませんわ!」
王太子に婚約破棄を宣言されたというのに、ユスティーナは落ち着いていた。
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。今日こうなることは我が家の暗部から報告を受けていたから、準備してきたの」
「準備?」
「ええ。ちょっとステージに行ってくるわね。よっこらせっと」
ユスティーナはドレスの裾を美しく翻し、華麗にステージ上に現れた。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! 王太子殿下の婚約者ベルジェ公爵家長女ユスティーナとは、何を隠そう、この私ですわよ!」
「いや、知ってる」
王太子は冷静に返した。ピンク髪リリアは一瞬唖然とした様子だったが、すぐに気を取り直し、ユスティーナに向かって勝ち誇ったような笑みを見せた。王太子は、そんなリリアの表情に全く気付いていない。彼はユスティーナを真っ直ぐ見据えて言った。
「すまない、ユスティーナ。私は『真実の愛』に目覚めたんだ。頭が良くてパンチの効いた冗談を繰り出してくる君ではなく、純朴で素直なリリアを愛してしまった。君との婚約は破棄させてもらう」
ここで婚約「解消」ではなく「破棄」と言ってしまったのは、王太子の頭が残念な仕様だからである。彼は、その二つの違いが分かっていないのだ。
ユスティーナは穏やかに返答した。
「承知致しました。殿下、リリアさん、どうぞお幸せに」
「えっ? いいの?」
王太子は驚いた。ユスティーナがすんなり受け入れるとは思わなかったからこそ、彼はわざわざ大勢の前で婚約破棄を宣言したのだ。
けれど、ユスティーナはにこやかに微笑んでいる。
「勿論でございます。『真実の愛』に敵うものなど、この世にございませんことよ」
「ユスティーナ。君は何て心が広いんだ。感謝するぞ」
王太子は感激していた。ユスティーナは言った。
「いえ、感謝ではなく賠償をしてくださいませ」
「えっ? ……あ、ああ、そうだな。もっともだ。私の身勝手で婚約を破棄するのだから、そちらの希望額の賠償金を支払うよ」
王太子は、そこそこ誠実な男であった。( 誠実なら浮気しねーだろ!? という突っ込みはナシの方向で)
ユスティーナは王太子に向かって、
「じゃ、殿下。これで手ぇ打ちまひょ」
と言いながら片手を広げた。
「5000万か?」
「いえ、50億で」
王太子は眉間に皺を寄せる。
「もうちょっと負けてくれないか?」
「じゃ、49億9999万でどうだ? もってけドロボー!」
「もう少し安く……」
王太子の困った顔を見て、ユスティーナはフッと優しい表情になった。
「殿下。《49億9999万エーンの賠償金を支払う》という証文に、今から30分以内にサインしてくだされば、何と!」
「何と!?」
思わず復唱する王太子。
「特別サービスとして、側妃が3人付いて参ります」
「まさかのオマケ!?」
王太子は目を見開いた。
「ピンクのリリアさんでは王太子妃の務め、更にいずれは担う王妃の務めを果たすことは出来ませんでしょう? それどころか、まず前段階の王妃教育についていけないことが100%確実。間違いございません」
ユスティーナは、あくまで親身な口調である。
「うん、う~ん。そうだな」
王太子は頷いた。ピンク髪リリアはつい半年前まで平民として暮らしていた。当主の子供であることが判明して男爵家に引き取られたが、貴族としてのマナーはほとんど身に付いていない。おまけに壊滅的に勉強が出来ない。何せ地頭が悪過ぎた。王妃教育どころの話ではないのだ。王太子も、そこは少し気がかりであった。
ユスティーナは話を続ける。
「私が今から殿下にご紹介する側妃候補3人は、いずれも幼少期からきちんと教育を受けてきた貴族令嬢。マナーも勉学も完璧でございます。学年1位の成績で卒業するこの私が自信を持ってお薦め致しますわ。さあ、3人ともこちらに来て頂戴!」
ユスティーナが呼びかけると、3人の令嬢が待ち構えていたようにサッとステージに上がってきた。
3人の姿を見た会場の人々が大きくどよめく。それもそのはず。ステージ上で王太子に向かって優雅に淑女の礼を取った側妃候補は、3人とも学園屈指の美人令嬢であった。しかも胸が大きい系の。
「こ、これは……」
王太子がゴクリと唾を飲み込む。彼の目は3人の令嬢の胸元に釘付けだ。ユスティーナはそんな王太子の反応を見て笑みを深めた。
「いかがですか、殿下。素晴らしい令嬢達でございましょう? いずれも以前から殿下(の容姿)をお慕いしている令嬢ですのよ」
つまり彼女達はイケメン至上主義者。男は顔が良ければいいのよ系女子である。そして実は3人とも、いずれピンク髪リリアを追い落とし自らが正妃の座につこうと目論んでいた。
「殿下。今ならこの3人が側妃として殿下の元に参りますわよ~。おぉっと、残り時間があと15分となりましたわ。さぁ、賠償の証文にサインを!」
ユスティーナはそう言って、証文を広げた。いつの間に用意したのか、この国で重要な契約を交わす際に用いる正式な形式の証文である。同じ内容が記された2枚の証文には、どちらにも既にユスティーナのサインがされていた。あとは王太子がこの2枚にサインをして、二人が証文を交わすだけなのだ。
「ちょっと! 殿下! 側妃を娶るなんてヤメテ! 私だけを愛してくれるって言ったじゃない!?」
ピンクリリアが喚き始めた。
「い、いや、リリア。だが今なら、この3人の美人令嬢が私のモノになるんだぞ。お得だろ?」
王太子はリリアにそう言いながら、3人の側妃候補の豊かな胸にチラチラと視線を向けている。
「殿下! 私がいれば、側妃なんて要らないでしょう? 私たちは『真実の愛』で結ばれてるのよ!」
ピンクリリアは必死の形相だ。
「い、いや。しかし、お前は頭が悪いから王太子妃の仕事とかムリだろ?」
「今更、そんなこと言い出すの!?」
ピンクリリアは泣きそうだ。
「この3人に補佐をしてもらえば、お前も助かるだろ?」
「殿下ー!!」
ピンクが叫ぶ。
ユスティーナは証文を手に、王太子とピンクの間に割って入る。
「殿下。他人の意見など聞く必要はございませんわ。他人は何かと反対をするものです。こういう事は、ご自身お一人で考えて決めてしまうのが最善でございます。ほれ、サインを!」
ユスティーナは、どこからか取り出した羽根ペンを王太子に渡す。
「う、うん」
「殿下!? 私だけを愛してるんでしょう!? サインしないで!!」
なおも喚いて王太子に縋りつこうとするピンクを、ユスティーナが体当たりで弾き飛ばす。すかさず3人の側妃候補が王太子を取り囲む。そして3人は王太子に身体を寄せ、耳元で甘く囁いた。
「「「殿下。サインをしてくださいませぇ~」」」
王太子の背中にも両腕にも、彼女達の豊満な胸が当たっている。王太子の美しい顔が赤く染まる。ユスティーナは、そんな彼を慈しむような眼差しで見つめた。そして優しく声をかける。
「殿下。あと5分で締め切りでございます。時間がございませんわよ」
「う、うん。する。サインする」
******
翌日、国王は王宮の執務室で頭を抱えていた。王太子が学園の卒業パーティーで勝手に公爵家令嬢との婚約を破棄した挙句、平民育ちの男爵家令嬢との婚約を宣言してしまったのだ。
「おまけに何だ?! この賠償金のあり得ない額は!?」
国王の手元には、王太子がユスティーナと交わした証文があった。しっかりと二人の自筆のサインが記入されている。確かに、今回の件は王太子に全面的に非がある。それはそうだ。身勝手な理由で一方的に婚約を破棄したのだから。それ故、賠償金を支払うこと自体は当然だと国王も考えている。とはいえ49億9999万エーンという金額は、いくら何でも高過ぎだ。とても妥当な額とは思えない。
「ボッタクリだろ……」
天井を仰ぎ、呟く国王。けれど、この法外な額の賠償金をユスティーナに支払う旨が明記された証文に、王太子がサインをしてしまった。
昨夜、事態を知った国王は、
「バッカモーン!!」
と、王太子を叱りつけたのだが、返って来たのは、
「だってお得だったから……」
と言う台詞であった。オマケで側妃が付いてくる? しかも3人? は? 美人で胸が大きい? そうか、そりゃお得だな~……って、なるか!! このバカ息子め!! 国王は怒り狂ったが全ては後の祭りだった。卒業パーティーの会場で、つまり大勢の人間が見ている前で18歳の王太子がサインをしたのだ。証文を交わしたユスティーナも18歳である。15歳で成人と認められるこの国では、その契約を覆すことは出来ない――――が、国王はハタとある事に気付いた。
「そうだ! あのバカ息子が証文にサインしたのは昨日じゃないか! まだ取り返しがつくぞ!」
しかし、先程から国王の横にいた宰相が、証文のある部分を指差して冷静に言った。
「陛下。これをご覧ください」
それは証文の隅に小さな文字で書かれていた。
《なお婚約破棄に係る賠償契約は我が国の法律の定めるところのクーリングオフの対象とはなりません》
国王の顔が引き攣る。
「し、至急、法務大臣と消費者庁長官を呼べ! ん? 消費者? 何か違うか? まぁ、いい。あ、財務大臣もだ! 宰相! これから緊急会議を開くぞ!」
国王の焦った声を聞きながら、宰相は心の中で溜め息をつく。ヤレヤレ、長い会議になりそうだ――
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それから程なくして、王家にその狡猾さを買われたベルジェ公爵家令嬢ユスティーナは、王太子の弟である第2王子の婚約者に納まった。第2王子ロランドは王太子のようなキラキラの美形ではないが、男らしい端正な顔立ちをした真っ直ぐな人柄の青年だった。
2つ年下のロランドとの婚約が決まってからというもの、ユスティーナは上機嫌だ。彼女が”年下男子好き”であることは、実は親しい友人の間では有名な話である。
その後、王妃教育を受け始めたピンク髪リリアが早々にギブアップして、すたこらサッサと逃げ出したり、ユスティーナが斡旋した3人の令嬢が熾烈な正妃争いを繰り広げたり、何を血迷ったか宰相がユスティーナと王太子を元の鞘に収めようと画策したり、宰相に邪魔されて逆に婚約者ロランドとユスティーナの恋の炎が燃え上がったり、ロランドと結ばれたユスティーナが49億9999万エーンの持参金を携えて王家に輿入れし、国王が「返してくれるんだ……」と涙目になったり――いろいろな騒動が巻き起こった後――結局、王太子に代わり第2王子ロランドが次期王位継承者として国王より正式に指名され、新たな”王太子”となった。
ユスティーナは”王太子妃”として年下のロランドを支え、守り、時には引っ張り、国内外で「美貌の賢妃」と謳われたが、彼女は他人からそう持ち上げられる度に、上品な笑みをたたえ「あら、イヤですわ。そんな本当のことを仰るなんて。もっと仰って。ほれ、もっと」と、更なる褒め言葉を強要したそうである――
終わり