シーン82:こっそり入れてみよっかなー
夕方。雨宮たちは帰って、霧崎家には霧崎と響だけが残っていた。
「暑いな。今日も」
「暑いねえ。ジュースでも飲む?」
「そうだな。いいよ。ぼくが取ってくる」
霧崎は冷蔵庫から二本のジュースを取ってきた。
「鋼兄は便利だねえ」
「響、せめて、気がきくと言ってくれ。おれはコンビニじゃないんだから」
「兄さんがコンビニなわけないじゃん。コンビニに悪い」
「……そうだな」
「冗談だよへこむなよ。そろそろ菫兄が帰ってくる時間だね」
「そうだったな!よし、じゃ、ぼくは部屋に引きこもるから、晩飯の時間になったら呼びに来ておくれ」
「別にさ、いればいいじゃん。悪いことしてるわけじゃないんだし」
「んなことは、わかってるよ」
「菫兄だって、姉さんだって、鋼兄のこと嫌いなわけじゃないんだからね」
「んなことだって、わかってんだよ」
「笑ってりゃいいんだよ。雨宮さんたちといるときみたいに」
「わかってんだよ!」
霧崎は怒声をあげた。
「……ごめん」
「ううん。……そうだね。言い過ぎたよ。ごめん」
「響は、悪くないよ。ぼくが――…………いや、いいや。部屋、戻るな」
「うん。晩飯になったら呼ぶ」
「うん。ありがと」
霧崎家からの帰り道。雨宮は美久と楊の三人で帰っていた。雨宮と美久は並んで歩いており、楊はずっと先を一人で歩いている。
「楊くんはずんずん行っちゃうね。相変わらず、あたしたちのことなんか見えてないんだ……」
「ま、たぶんそうなんだろうけどね。けど美久。楊、最近少しは変わってきたと思わない?」
「えっ?そうかなあ」
「自信はないけど、たぶんね」
「そうかなあ。そうだったらいいけど」どうかな、と美久は思った。
しばらく無言で歩いた。
楊は勝手に歩いていって、見えなくなってしまった。たぶん勝手に帰り着くのだろう。
美久はまっすぐ前を向いて歩いていた。
夕焼けから放出される閃光が、世界を朱に染めていた。
美久は横を向いて、姉を見上げた。
姉は優しさと寂しさの入り混じった目をしていた。
思わず美久は呼びかけていた。「おねえちゃん」
「ん?なに美久」こっちを向いた姉の顔は、いつもの優しい表情に戻っていた。
「あ、ううん。なにを考えてるのかなと思って」
「ああ、なにも考えてなかったよ。なんにも」
「そうなの?」
「さあ、どうでしょうねえ」
「いいよ。言いたくないことだったら。聞かない」
「よくできた妹だねえ」
「でも、辛いことがあったら、なんでも言ってね」
「そりゃもちろん。頼りにしてるからね」
雨宮が考えていたのは姉のことだった。
今はもういない姉。
普段、雨宮家の誰も姉のことは口にしない。
たぶん触れてしまえば、感情が溢れてしまう事柄だからだろう。感情が溢れてしまって堰き止められなくなり、ついには大洪水となって世界を飲み込んでしまうかもしれない。
だから、誰も口にしない。
だから、今も言わない。
「ねえ美久、今日なにが食べたい?買い物して帰ろっか」
「うん!うーん、なにがいいかなあ」
「美羽は運動して、お腹空かせて帰ってくるだろうから、気合入れて作らないとね」
「うーん、あ、じゃあハンバーグ」
「ああ、最近作ってなかったね。じゃ、ハンバーグにしよっか」
「絶対ピーマンは抜いてね。嫌いだから」
「わかってるよ。けど、食べてみたら食べれるかもよ?」
「無理だよ。今までだって、何度も挑戦してみたんだもん。でも無理だったんだもん」
「こっそり入れてみよっかなー」
「おねえちゃん!」
「うそうそ。絶対入れないよ。安心しな」




