シーン76:道路はどこまでも真っ直ぐ
姉が手招きをしているので、夢中で追いかける。
差し伸べられた手に触れようとすると、その手はするりとかわしてしまう。
「お姉ちゃんひどい!」と少女は言う。
「ごめんごめん」と姉は温かな笑みを見せる。
遠くでセミが鳴いている。
ミンミンうるさい。
追いかけっこを続けているうちに、少女はこけてしまう。
緑の雑草の酸い香りを吸い込む。
少女は顔をしかめる。
真夏の陽光が容赦なく少女の頬に差し込む。
少女は痛みのような暑さを感じる。
同時に、その頬から汗が滴るのを感じる。
「大丈夫?」姉が手を差し伸べる。
少女は手を差し出す。安心して。笑顔を浮かべる。
見上げた姉の顔の向こうに、太陽を見る。
夏だ、と思う。
「知らない土地だ」雨宮は歩きながら言った。
「知らない土地ですか」霧崎はその隣を歩いていた。
「どうしましょうか霧崎くん」
「歩いてりゃ、知ってる土地にたどり着くんじゃないですか雨宮さん」
「そんなまさかあ」
「そりゃそうだ」
それでも二人は引き返すことなく歩き続けた。
どこまで行っても、同じような道だった。
アスファルトと、なにかの店と、歩道橋と、横断歩道と、信号が続いていた。
どこまで行っても、同じような道だと雨宮は思った。
「なあ霧崎、なんであんたはついてくんの?」
「なにに?」
「あたしに」
「心外だな。ぼくはぼくの行きたい方に行ってるだけだよ」
「うそをつくなよ」
「ついてないよ」
「あたしはどこに行ってんの?」
「雨宮さんの行きたい方に」
「そうか」
「そうだよ」
「さっきメールを見たら、妹たちが、あんたん家来いってさ」
「ぼくも妹から、美久ちゃんを泣かすなってメールが来てたよ」
「なんで美久が泣くの?」
「雨宮さんに、来るな、と言えば泣くらしいよ」
「言うの?」
「言わないよ」
「じゃ、行っていいの?」
「美久ちゃんが泣くからね」
「幼女の涙に弱いんだな」
「ちょっと待て、その言い方はよそう。全力でよそう」
「そっか、霧崎君は幼い女の子に弱いんですね。メロメロなんですね」
「話を聞いてください。そして、少しずつ距離をとっていくのもやめてください」
「近づいてくんな変態」
「変態と書いてきりさきと読むなあ!」
少女はあたしだな、と雨宮は思った。
これは現実の記憶だろうか。
それとも、いつか見た夢の記憶だろうか。
あるいは、暑さに中てられてした意味のない空想だったかも知れない。
空は無駄に澄んでいる。
セミは無闇にやかましい。
姉のことを思い出したのは久しぶりだった。
いや、実は忘れたことなどなかったかもしれない。
どちらでも同じことだ。
もう彼女を頼ることはないだろう。
彼女の重荷になりたくはない。それはもう決めたことだ。
額を汗が流れていく。
夏は暑い。
彼女はどこに向かった?
彼女の向かいたい方に。
わたしはどこに向かっている?
わたしの向かいたい方に。
雨宮は顔を上げて前を見た。
道路はどこまでも真っ直ぐ続いていた。
「そろそろ帰ろうか」
「そろそろ帰りますか」
「どうやって帰ろうか。どうやったら帰れるのかな。引き返すこと無しに」
「引き返さないの?」
「進まなきゃね、あたしも。引き返している暇なんてないさ」
「進むのかあ」
「進むんだよ」
「なら、帰ろう」
「そうだな、帰ろう」




