表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/100

シーン74:ただセミの鳴き声だけがかしましい

 夏には夏の記憶を思い出す。

 なぜだろうと思う。

 きっとそれは、身体が覚えているからなのだ。

 父に手を引かれた記憶。

 母の背中に負われた記憶。

 姉を夢中で追いかけた記憶。

 汗と、陽射しと、ひまわり。



「暑いな」雨宮は呟いた。手を掲げて、空を見た。真っ青な空だった。視界の端には、濃い緑色の葉がある。街路樹だ。

「そら、暑いよ」霧崎は手であおぎながら言った。「夏だからさ」

「なんで夏は暑いんだ?」

「地軸と公転のせいらしいけど?」

「ほう、霧崎にしてはわかってるじゃないか」

「ドクショカですからね」

「それでなんで成績が悪いんだ?」

「やる気がないからね」

 信号が赤だった。止まる。

 正午の陽光が容赦なく地面に射し込み続けていた。温暖されたアスファルトから放出された熱気が、周囲の空気にうだるような暑さを付加していた。

 目の前がよどんでいる――陽炎だ。暑さは視認できるんだな、と雨宮は思った。

「暑いな」今度は霧崎が呟いた。「ああ、プールでも行きたいな」

「へえ、霧崎、泳げんのか?」

「甘いな雨宮さん。世の中には浮き輪というものがありましてね」

「高校生がなに言ってやがる」

「冗談だよ。25メートルくらいはなんとか泳げるよ。そういう雨宮さんは泳げんの?」

「泳げるよ。そりゃ、得意ではないけどな」

 青に変わった。雨宮は歩き始めた。

 プールか、と雨宮は思った。プールはいいな。今度美羽と美久を連れてってあげよう。楊は来るかな。来ないだろうな。やつはいつもなにを考えて生きているんだろう。

 大きなお世話か。自分だって、自分がなにを考えているのか、知らないじゃないか。

 美久はまだ泳げなかったな。今年こそは泳げるように教えてあげよう。

 美羽はもうかなり泳げる。けど、まだ小さいから、水は危ない。目を離さないようにしなければな。

 車がどんどん雨宮を追い抜いていった。七月下旬の正午は、なぜか車が多かった。車のスピードは速い。歩行者は置いてけぼりを食らう。

 雨宮は取り残されてしまった。

 しばらくすると、車が途切れた。偶然車が続いていただけのことらしい。

 昼頃になると、町はしばしの休憩に入る。車も人も少なくなり、音がなくなる。歩行者の靴音も、自転車がカーブを切る音も、車が出す排気ガスのうなり声もなくなった。

 ただ、セミの鳴き声だけがかしましい。

 抑揚のない音の中を、雨宮は歩いた。額を滴り落ちる汗を制服でぬぐいながら、雨宮は歩き続けた。

「雨宮さん、どこ行くの?」霧崎の声が聞こえたので、顔を上げた。遠い声のような気がしたが、すぐ斜め後ろに霧崎はいた。

「どこって、帰ってんだよ」

「そっちに雨宮さんはないよ?」

 言われて、あらためて周りを見ると、確かに自分はいつも通らない道を行こうとしていた。前を見ると、見慣れない風景が続いていた。

「うるせーな。たまには道を変えてみようと思っただけだよ」

「なるほど。いや、ぼくは雨宮さんが暑さでおかしくなったのかと」

 ひっぱたいた。

「いてぇ」

 雨宮は正しい道に戻さずに歩き始めた。こうなれば、意地だ。間違えたなどと言えるものか。

「ねえ、こっちでも本当に帰れるの?」霧崎がついてきた。

「ついてくんなよ」

「うるせーな。たまには道を変えてみたくなっただけだよ」

「……マネすんなよな」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ