シーン7:走って帰る
傘を差したまま走っている少女が、水たまりを飛び越そうとして跳ねた。飛び越しぞこねて高くしぶきが上がる。少女の黒いラインの入った運動靴はびしょ濡れになってしまった。
重いカバンに学校指定のバッグを抱えて、少女はいかにも走りにくそうだ。雨は相変わらず上がったり止んだりしている。今だけでもやんでくれればなあ、と雨宮は思った。時おり止まって息をつく。なぜこんなに走っているのだろう。
雨宮は左腕の時計を見た。六時十五分だった。正面に見慣れた我が家の玄関が見える。たったの十五分で家までたどり着けたらしい。いつもの倍くらいは早い。
走ったからな。疲れた。けど、なぜこんなに走らなくてはならなかったのだろう。
子どもだけでお留守番というのは、もちろん望ましい形ではない。その言い分は正しい。しかし、それをなぜあの背筋の曲がった同級生に言われなくてはならないのだろう。そしてなぜ自分はその言い分にしたがっているのだろう。
正しいことを言われたからだな、と雨宮は思った。正論を持ち出されると、反駁はできない。
玄関を入ると、これまた見慣れた靴がきちんと揃えられてあった。ちゃんと帰ってきているらしい。こうして行儀がよいから、雨宮もついつい安心してしまう。本当は子どもだけで家に居させるなど、あまりよくないのだが。
「ただいま」雨宮は走って帰ったせいで肩で息をしていた。
「お帰り、おねえちゃん」美久がリビングのドアを開けて顔を出した。美久の笑顔を見るといつもほっとする。よくできた妹だな、といつも思う。
「ごめんね。遅くなっちゃって。変わりなかった?」
「うん」美久は雨宮の息が切れているのに気がついて、首をかしげる。「おねえちゃん、走って帰ったの?」
「まあね」
「どうして?まだいつもより早いくらいなのに」
「なんか怒られたからさ」
「怒られた?」姉の返答を聞いて、ますますわからなくなる。
「あー、やっぱりびしょ濡れだわぁ」雨宮は履いている靴に目をやった。「立てかけときゃ、明日には乾くかなあ」
「あれ?おねえちゃんお買い物は?」姉は学校のカバンとバッグ以外、何も持っていなかった。買い物もせずに、今晩のご飯はいったいどうするつもりなのだろう。
「いーのいーの。先にご飯だけかけといて、風呂掃除と洗濯もんたたむのやっちゃうから」雨宮は自分の部屋にカバンとバッグを投げ込んだ。
美久の頭の上には、いくつものはてなマークが出現した。
「さあて、やりますかあ」雨宮は気合を入れた。




