シーン65:なんとかなるさってこと
放課後、文芸部にやってきて、宿題をやっていた雨宮が霧崎に訊いた。
「なあ、霧崎はさあ、小説で将来食って行こうとか考えてるわけ?」
いつものように文庫本を読んでいた霧崎が本を置いて答えた。
「そんなわけ、ないじゃん。ぼく、小説なんて書いたこともないよ」
「文芸部だろ?」
「名ばかりのね」
「そんなもんスか」
「そんなもんスねえ」
雨宮は、窓の外を見た。日差しはまだ燦々と降り注がれていた。夏の陽は長い。
「なに読んでんの?」
「歴史小説」
「楽しい?」
「そうでもない」
「じゃ、なんで読んでんの?」
「……さあ。それがぼくのアイデンティティだからじゃないかな。なにか読んでないと、ぼくはぼくでなくなる」
「そんなことないだろ。霧崎は霧崎だよ」
「そうだね。そりゃそうだ」
会話が途切れたので、雨宮はまた外を見た。強かった日差しがやわらいでいた。日を雲が遮っているらしい。
「ねえ、雨宮さん。明日、終業式だっけ?」
「霧崎、ボケてんのか。そんなもん、常識だぞ」
「わかってるよ。言ってみたかっただけで」
「言っとくけど、うちの高校は補習があるからな。夏休みだーって浮かれてる場合じゃないからな」
「わかってるよ。うちの高校で、夏休みだからって浮かれてる人間なんていないもんね」
「あたしはけっこう浮かれてるけどね。授業が昼までしかないとか、楽勝じゃん」
「いやぁ、そんなんでも地獄でしょう」
「少しは好きになれよ、勉強」
「勉強が嫌いなのは誰でもだよ」
「……将来、どうすんだよ」
「大丈夫だよ。学力で人生決まんないって、響が隼に言ってた」
「なんだそりゃ」
「なんとかなるさってこと」
「……そっか。いいな、そういう考え方は」
「雨宮さんは、進路どうすんの?進学?」
「そうなるんじゃないの?あたし、別にやりたいこととかないし」
「そんなもんだよねえ」
「そんなもんだよなあ。ねえ、読んでる本、あたしにも読ませてよ」
「やだよ。読んでる途中だもん。本が読みたかったら、図書館にいくらでもあるんだから、行けば?」
「やだ。霧崎の読んでる本が読みたい」
「わがままだね」
「わがまだよ。悪い?」
「悪い」
「悪くてもいいや。貸せ」
「そんなに読みたいの」
「ううん、全然」
「……そんなやつに貸せるか!」
「いいじゃねえか減るもんじゃないし」
「減らなきゃいいってもんじゃないんだよ」
「どうしても貸してくれない?」
「どうしても貸さない」
「ひどい!こんなに頼んでるのに貸してくれないなんて!」
「ひどくねーっつーの」
「そっか。ま、いいや。ただの冗談だし。さて、そろそろ帰って、可愛い妹たちと弟にご飯を作ってあげるとしますか」雨宮は立ち上がって、体を伸ばした。
「あ、そうだ霧崎。夏休みになっても、うち、来いよ。美久も美羽も、たぶんあんたと遊べること楽しみにしてるんだから」
「うん。了解」
「今日、晩飯食べに来る?」
「いや、行かない。隼がゲームしよーとか言ってた気がする」
「わかった。じゃあな。また明日」
「あ、雨宮さん、待った」霧崎はドアに手をかけた雨宮を呼び止めた。雨宮は振り返った。
フッ
と、飛んでくるものがあったので受け止めた。文庫本だった。霧崎が読んでいた本らしい。
「貸してあげるよ」
「いいよ。どうせ読まないし」
「わかってるよ。だから、気が向いたときに返してくれればいいからさ。じゃ、また明日」
「………わかった、受け取っておくよ。霧崎、ありがとな。じゃ」と言って雨宮は出て行った。




