シーン44:暇な夕方の時間
「響、おれはどうしよう。どうしたらいいのかな」霧崎は帰宅するといきなり、リビングにいた響に叫んだ。「大変なことをしてしまった」
兄の声が泣き声に聞こえたので、響は驚いた。「どうしたの、兄さん」
リビングには響以外、誰もいなかった。上のきょうだいはまだ帰宅しておらず、末っ子の隼は部屋でゲームをしている。
響は居間でマンガ週刊誌を読んでくつろいでいた。部活に行かない、暇な夕方の時間だった。意外とすることがないもんだな、と思いながらも退屈な時間を楽しんでいた。
「とにかく兄さん、カバンぐらい置いてきたら」兄は自部屋にも行かずいきなりリビングに来たらしい。そうとうテンパってるようだ。
霧崎は一旦居間を出、カバンを置きに部屋に行った。その間に響は冷蔵庫からジュースを二つ取り出しておいた。なにか持っていた方が、話がしやすいだろう。
霧崎はすぐ戻ってきて、座った。響がジュースを勧めると、一口飲んでから、深呼吸をした。少なくとも泣き顔は直ったようだ。
「で、なにがあったの?」
「雨宮さんと喧嘩したんだ」
霧崎は事の次第を説明した。響は雨宮という人物のことも、兄との関係もよく知らないので、理解に苦しんだが、とりあえず一つだけわかった。
「それは兄さんが悪いね」聞いた限りでは、『雨宮さん』は一応兄の相談に乗っている。確かに熱心に話を聞いてくれなかったかもしれないが、『雨宮さん』に他にどうしろというのだろう。兄はなにが問題なのかさえ、よくわからない相談をしたのだ。
「………だよなあ」霧崎はうなだれた。いつもよりも億倍のうなだれようだな、と響は思った。
「ねえ」響は訊いてみた。「『雨宮さん』って、兄さんのなに?」
「なにって………、友達だよ」
「それだけ?」
「それだけって?」
「だって、兄さんのへこみよう、半端ないもん」
「そうかな……」
響はため息をついた。「まあいいや。兄さんのすべきことは、明朗にして明確にして明快じゃんか」
霧崎は顔を上げた。「どうしたらいい?」
「謝る!」響は人差し指をピンと立てた。「それ以外に、なにがあるっていうの?」
「そりゃ、そうだけど……」霧崎は視線を下に向けた。「……難しい」
「なんで?」
「だってさー、あのあと雨宮さん、視線が合うとすぐ逸らすし、すれ違うときおもいっきし足踏んでくるし、話しかけようとしてもまったくの無視なんだよね」
ああ、この二人はなんて典型的な喧嘩をしているのだ。
「でも、そんな場合のために現代には強い味方があるじゃん」
「味方?」
「メール!」
「メール?!」
「兄さん、当然『雨宮さん』のアドレス知ってるでしょう?」
「そりゃ、まあ」
「こういうときに使わないで、いつ使うの」響はせかした。「ほら、携帯出して!」
「今すぐ?!」
「善は急げっていうでしょう?」
「……、どんな風に書けば………?」
「ああもう」なんて頼りない兄だ。「じゃあ、こんなのどう?」
『今日の僕はどうかしてた。カッとなって、つい心にもないことを言ってしまったんだ。反省してる。こんな軽い言葉じゃ君は信じてくれないかもしれないが、どうか許してほしい。
それから、面と向かっては言うことができないのだけど、いい機会だから、ここで言っておきたい。いつも僕を支えてくれてありがとう。僕は君のおかげで今日までやってこられた。感謝してる。
今日は七時には帰れます。おみやげにケーキを買って帰るからね。結婚する前、二人でよく行ったケーキ屋さんのケーキを。喜んでくれるといいな。じゃあ。
――愛する妻へ。夫より』
「……、倦怠期の夫婦か!」
「じょうだんじょうだん。文面なんてどうでもいいよ、とにかく謝れば。ほら、早く!」
「けど………」霧崎は渋った。「おれにも……、プライドってもんが……」
「ええっ!兄さんにプライドなんてあったの?!」
「……ううっ。響。ほんとに泣くぞ!」




