シーン43:ドアの閉まる音が響いた
響が霧崎の部屋で泣いた日の、次の日の昼休み。いつものように霧崎は文芸部に避難し、そこで弁当を食べた。食べ終わって五分ほどしてから雨宮がやってきた。
「よっ」と雨宮は右手を上げた。
「ども」霧崎は文庫本から顔だけを上げた。
霧崎は文庫本に戻り、雨宮は机の上に教材を広げた。
霧崎が雨宮家に行かなくなってから、雨宮は毎日ここに来ていた。霧崎となにか話すこともあれば、机にノートと教科書を広げて勉強していることもあった。
なぜ霧崎が雨宮家に行かなくなったのかについては、訊ねない。
「雨宮さん、一つだけ報告があるんだけど」しばらくしてから霧崎が顔を上げて、雨宮を見た。
「妹から相談がありました」
「あ、そう」雨宮は目に火をともして問題を解いている。数学の問題だ。
(……さっきの授業はいまいち理解できなかった。このまま理解できないままにしていてなるものか。そう、頑張れ美緒。ちゃんと授業の予習復習さえしておけば、定期テストなんて怖くない。優等生の仲間入りだって夢じゃないよ。だから頑張れ、頑張るんだ美緒――)
「聞けよ!」霧崎は大声を上げた。「なにトリップしてんだよ!」
「なんだよ霧崎。邪魔すんなよな」雨宮は首をポキポキと鳴らし、指をカクカクと鳴らした。
「真剣と書いてマジ?うぁあ……、ヒョウだ、雨宮さんの背後に獲物を見つけた豹の姿が見える」
「うるさい子にはおしおきが必要かな?」
「うぎゃああああああああああ!」部室内に断末魔の叫びが響き渡った――
「という冗談は置いといて」雨宮は平常に戻った。
「あ、終わり?」霧崎も戻った。
「えと、妹さんの悩み、解決したって?」
「うぅん………、解決ってわけでもないようなそうでもないような……」
「はっきりしろよ!」
「おれが相談されて、響が泣いて、そんだけ」
「泣かせたの?」
「勝手に泣いた」
「ふーん?」
「雨宮さん、おれ、どうしたらいいのかな」
「知るか」
「ちょ、友達なんだからさ、相談くらい乗ってよ」
「だってさ、あたしにはなんの材料もないんだよ」
「そりゃそうだけど」
「霧崎はどうしたいの?」
「おれ?おれは――まだ、響の近くにいたい」
雨宮はため息をついた。「じゃ、そうしたらいいだろうがよ」
霧崎は少しむっとした。「そんな風に言わなくても!」
雨宮も霧崎を睨みつける。「あたしにどうしろってんだよ。これはあんたの問題だろが!ちゃんと、普段使ってない頭フル稼働させて、自分で考えやがれ!」
「ちょっと相談に乗ってくれるくらいいいだろ!」
「うるせえ!あたしはあんたのお守りやってんじゃねえんだ!」
「相談するのがなんでお守りになるんだよ!」
「あんたは頼りねえからだよ!」
「………」
「なんだあっ!」
「雨宮さん」霧崎は冷ややかに言った。「ここ文芸部だから、関係ない人は出てってくれませんか?ここ、ぼくの部室なんで」
その言葉に、雨宮は完全に頭に血を上らせた。
「てめえ、来てもいいって言ったじゃねえか!」怒りに、身を震わせている。「あたしは、他人じゃないって!」
霧崎は冷たい姿勢を崩さない。「それはぼくの友人だから言ったんであって、相談にも乗ってくれない薄情な人は除外されるんだよ」
瞬間、弾かれたように雨宮が立ち上がった。
雨宮の座っていた椅子が、音を立てながら倒れる。
霧崎のところまで走りよる。
霧崎を睨みつける。
霧崎も雨宮を見据えていた。
雨宮は手を振り上げた。
………
――手は振り下ろされなかった。
雨宮は振り向くと、黙って部室から出て行った。
ガンッというドアが閉まる音が響いた。
昼休みが終わる時間が近づいてきた。
霧崎はずっと文芸部の椅子に座ったままで、他人事のように響き渡るチャイムをただ茫然と聞いていた。
雨宮は誰もいない校舎の裏影で、ぬぐってもぬぐっても流れてくる涙をひたすらぬぐい続けていた。




