シーン34:赤い傘
霧崎は雨の道路を歩いていた。水たまりが各所にできているのを、巧みに避けながら歩いた。
車が背後から走ってきた。脇に避けて通す。そこは小さな道路で、歩道はおろか、白線もない。
車はすっと霧崎の横を通り過ぎて――水たまりだ――タイヤが水たまりに勢いよく侵入し、小さな水しぶきをあげた。
「あ」その真横にいた霧崎は、ズボンの右半身をびしょ濡れにされてしまった。
そんなことには気づかないまま、車はどんどん行って見えなくなってしまった。
(……別に文句言う気もないけどね)
しっとりと湿ったズボンが足に張り付いて、冷たかった。しぼろうかとも思ったが、それほどの水量ではない。しかし、簡単に乾きそうでもない。
やれやれ。
また歩き始めようとすると、背後から声がかかった。聞き覚えのある、元気な女の子の声だ。
「ダセえなー、ハガネ」
「美羽ちゃんか」
霧崎が振り返ると、そこにはランドセルを背負い、赤い傘を差した美羽の姿があった。小学校の帰りらしい。
「まだ帰ってなかったの?」霧崎は放課後になってから、一旦家に帰り荷物を置き、それから雨宮家に赴こうとしているところだった。小学生はとっくに帰宅済みの時間だろう。
「まーな」美羽はやれやれといった表情をする。「うちの先生はきびしくてさ。宿題忘れると、こんな時間まで残されるんだよ」
自業自得だな、と霧崎は思った。「しょっちゅう宿題忘れてるんだろう」
「なんでそう思うんだよ」
「前にも――図書館行った日か。学校から出てくるの遅かったからさ」
美久はチッと口を鳴らした。「どうでもいいこと覚えてんな」
「まあね」
「あねきは、一緒じゃねーのか?」美羽は霧崎がスーパーの袋を手に提げているのに気づいた。「それは?」
「雨宮さんは図書館の仕事があってね。だから買い物はぼくが頼まれた」
「なんかいいように使われてんなー」
「まあね」
車が来たので一旦止まり、端に避ける。水しぶきがかかったのを思い出して、周辺の水たまりを確認する。大丈夫、しぶきが上がりそうな水たまりはないようだ。
車が無事通り過ぎて、また並んで歩き始めた。霧崎の隣を真っ赤な傘が歩いていく。
「ハガネはさー、高校生だったよな」
「雨宮さんの同級生だから、そうなるな」
「ハガネだって、宿題あんまやってねーんだろ?やっぱ、かなり怒られんのか?」
霧崎はまあねといって、自分の耳を示した。「耳を引っ張られる」
「ああ、なんか赤くなってんな」
「けど、居残りよりはマシだと思うけど。いっとき痛いだけで済むからなあ」
「あたしもその方がいいな」美羽は柄を握って傘を回した。美羽を中心点とした円を作るように、しぶきが飛んだ。「あたしも早く大人になりてーなー」
「そうかな。いいことあんまないよ、高校なんて」
「ハガネは子どもの辛さしらねーんだよ」
「そんなもんかなあ…」
美羽は空を仰いだ。顔に雨が落ちてきた。――冷たい。
「……大人になれば、あねきにも楽させれるしなー……」
「ん?なんか言った?」
「なんでもねーよ」傘を戻して、袖で顔をぬぐう。
前方に雨宮家が見えてきた。美羽が、ふう、と肩で息をついた。「やっと家か……」
「美羽ちゃん、年寄りみたいだな」霧崎が笑った。
「なんだよ。そんな言い方ないだろ」
「あれぇ?早く大人になりたいんじゃなかったっけ?」
「ばーか。それとこれとは別なんだよ」
言うと美羽はタタっと走っていって、雨宮家のドアを開いた。「ただいまぁ!」という元気な声が、通りの方まで響いた。




