シーン18:あったかい
晴れた空。手を伸ばしても届かない。高い空。
それでも美久は手を伸ばす。
――空が触ってほしいと言ってる気がするから。
――手を伸ばしてごらんと言ってる気がするから。
だから美久は大きく手を伸ばす。
体が伸びきってバランスが崩れる。ふらつく。
あっ。
と思うまもなく美久はズテンと転げ落ちる。
したたかに腕を打ちつけて、膝をすりむいた。あまりの痛さに声も出ない。腕も痛いけど膝はもっと痛い。
腰をついておそるおそる膝に目をやると、そこは皮がすり剥がされて砂がまばらについていた。血がゆっくりと浸透するように滲んでいく。その血と同じように美久の目にも涙があふれる。
声はでない。
涙はこぼれる。
誰も助けてくれない。
悲しくて、みじめで、つらかった。
痛くてもつらくても、立ち上がらなければならない。足に力を込めるのが怖かった。でも、泣き言をいう相手も助け起こしてくれる相手も誰もいないのだ。涙は流れても、意思は流れていかなかった。自分ひとりで何とかしなければならない。
おそるおそる足に力を込める。膝から血が噴きだすんじゃないかと思った。足を伸ばした。血は噴きださなかった。
一歩、一歩、ゆっくりと進んでいく。痛みは一瞬も引かない。でも、ゆっくり歩けば痛みはそのままだ。速く歩こうとすると強い痛みになってしまう。上手く、上手く、刺激しないように、美久は歩いていく。
――おねえちゃん。
と美久は思った。
――美羽ちゃん。楊くん。
頼りにできる人が今ここにいてくれればいいのに。泣いてわめいてすがりつきたいのに。
涙はもう引いていた。泣く分の体力は、歩く分にまわす。
――おねえちゃん。おねえちゃん。おねえちゃん。
「美久ちゃん?」
聞いたことのある声を聞いた。聞いたことのある、男の人の声。頼りなげな儚い声。
「美久ちゃん、どうしたの?」
美久の体から力が抜ける。頼れる人が来てくれた。急に体の内側から目の方に向かって何かが突き上げてくる。目の奥から涙が押し流されてくる。
美久は声をあげて泣いた。
大声で泣いた。
「ちょ、どうしたの、美久ちゃん」
男の人が美久の方に駆け寄ってくる。頼りなげなやさしい顔だ。けれどとっても頼りになる顔だ。
こけたの。痛い。といいたいけれど、声にならない。ただ涙が激流のように流れていって、感情とともに意味にならない声を吐き出していた。
「ああ、ずいぶんやっちゃったねえ」霧崎は美久の様子を見て、大体の事情を察した。
「どうしようか。もううちも近いから、帰ろうか」
美久は泣くのに忙しくて返事ができないようだった。
「だいじょうぶだよ。このくらい。すぐ治る」霧崎は美久の顔に顔を近づけると、微笑んだ。 美久は少しだけ泣き止む。
霧崎は振り返ると、背中を向けたままかがんだ。乗れ、ということだろう。美久は涙を拭う手を止めて霧崎の背に身を預ける。とめどなく流れていく涙は、ぬぐうものがなくなってどこまでも頬を伝っていった。
霧崎は美久の足に腕をかけて立ち上がった。膝が曲がった瞬間、傷口が張り、痛みが走った。
「痛い」反射的に美久は声をあげた。
「ごめんね。ちょっとの間だけ、我慢しててね」霧崎は背中の美久に笑いかけた。
美久は霧崎の背中に体を預けた。顔を白いシャツにくっつけてみる。
あったかい、と美久は思った。




