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シーン16:存在感ないから

 次の日の朝、登校中に霧崎はあくびをひとつした。昨日少しだけ夜更かしをしたが、関係ないだろうと霧崎は思う。あくびをするなど、いつものことだ。

 前日のはっきりしない空がうそのように晴れ上がって、雲ひとつない。手を伸ばせば吸い込まれそうだ。実際に伸ばしたら変人だろうけど。

 霧崎はいつも下を向いて歩く。特に意味はない。話す相手がいないし、地面を見るのは面白い。子どもの頃は、舗装されたタイルを組み合わせて、変な形の絵を想像していたりした。奇妙な形のロボットのようだった。今はそんなことはしない。いつからしなくなったのだろう。

 信号が赤だったので止まる。そういうときだけ空を見上げる。空は嫌いじゃない。地面も嫌いじゃない。

 空と地面の中間点は、あまり嫌いじゃない。少しだけ嫌いだ。だからあまり見ない。

「霧崎」誰かが後ろから話しかけてきた。ぼんやりとしていたから、ビクッとオーバーに反応してしまった。声の主は考えるまでもない。自分に話しかけてくる人間など一人しかいない。

「雨宮さん、おはよう」振り向いてそこにいる少女に挨拶をした。叩かれたくないから大きな声を出したかったが、朝の低いテンションでは上手く声が出せなかった。霧崎にテンションが高くなる時刻などないが。

「あんた、びっくりしすぎだよ」雨宮は霧崎の大げさなリアクションに、逆に驚かされていた。「霧崎、おはよう」

「今日は美久ちゃんは連れてないの?」昨日はいたはずだが、と思いながら霧崎は訊いた。

「小学生は集団登校だからね。…昨日は、美久がちょっと遅れただけなんだ」信号が青に変わって、霧崎と連れ立って歩きながら雨宮が説明した。

 霧崎の目までかかった前髪が雨宮の目に入った。「そのうざったい髪、切らないの?」

「切らないよ?」

「なんで?ていうか、校則違反じゃなかったっけ?」

「問題ないよ」

「ひと月ごとにチェックがあるじゃん。朝礼の時一人ずつ先生が見て回る」

「いやー、ぼくその日に限って寝坊するんだよね」

「わざとだろ。…そんなので逃れられるの?」

「ぼく存在感ないから先生の目に入ってないんじゃない?」霧崎はあっさりと言う。冗談ではなく実際にありえそうだ、と雨宮は思った。

「…悲しいこと平然と言うなよ。くっ」雨宮が代わりに目頭を抑えた。

「雨宮さん。昨日はありがとうね。夕食奢ってもらった形になっちゃって」歩きながら前方を向いたまま霧崎が言った。

「ああそうだ、そのことなんだけどさ。結構カレー残ってるから、今日も食べにこない?」雨宮も歩きながら前を向いたまま答える。

「さすがにそれは…」

「やっぱ霧崎の家の人に悪い?」

「うちはだいじょうぶだけど、雨宮家に悪い」

「美羽も美久もあんたになついてるから、喜ぶと思うんだよね、あんたが来ると。楊もまたしゃべるかもしれないし」

「…うーん。別にいいけど」霧崎は思案した。「ほんとにカレー余ってんの?」

「ぶっちゃけていうと、分量セーダイに間違えた」

「盛大にって、どれくらい」

「霧崎くんが食べに来てくれてぇ、四日分くらい。テヘッ☆」雨宮は舌を出した。

「………、テヘッ☆、じゃねだろ」


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