序説 妖艶なる少女の静けさ
世の中は全て自分中心に出来ていると勘違いしている者は多い。
いや少し言葉足らずかもしれない。
自身は何者でないクセに、己の考えこそが世界の理であり、自身の視野が全てだと、信じ切っている人間は一定数いる。
もしかしたら、俺自身も他人・世間からするとそういった人間なのかもしれない。
だが、俺はある時世界の中心にいる少女と出会ってしまったのだ。
渇望していたのは間違いではない。が、本当は出会い、触れたくなかったのかもしれない。本物がいるということを知りたくもなかったのかもしれない。
もう過去には戻れず、自分の記憶すら曖昧だ。
俺が出会ったその彼女は本物であり、偽物だった。
窓から注ぐ赤茶色の光が、どこにでもある普遍的な教室を幻像的な世界へと変えていた。神が指定したと思える絶妙で妖艶な色彩の中で、少年と少女が見合うように立っている。
少年の名前は山田太郎。
近年そこまで、普遍的な名前は逆に珍しい。
マジョリティーがマイノリティー以上の孤高な存在になることも今では珍しくない。
山田は顔立ちも幼さと男らしさの狭間を揺れるような見た目をしている、至って普通の高校生だ。
少し緊張した面持ちをしているのは、人生初の女子からの呼び出しを受けたからだろう。
ホームルームが終わり、帰り支度を整え、友達と喋りながら靴箱に向かうまではいつもと変わり映えの無い日常だった。
だが自身の名前の靴箱を開けた瞬間から、山田の運命は変わりはじめた。
靴箱を開けた山田の脈拍数は格段に上がり、ドクンドクンと心臓の音が耳に鳴り響いた。
中には一枚のピンク色の便箋が一枚。
一文こう書かれていた。
「今日の放課後、教室に来てくれませんか。 桃井光」
山田はあまり――全く女子にモテるタイプではなかった。
なにかが格段に出来る訳でもなく、目立つタイプでもなかった。
男の友達とオタクじみた趣味について教育の端で話して毎日を過ごしていた。
だからクラスの女子と話すのも、細々とした業務連絡ぐらいだ。LINEにも母親ぐらいしか女性は入っていない。
三次元の女との接点は高校のクラスメイトで、同じ空間に存在するということだけだった。
だからこそ、ピンク色の便箋を見た途端は脈拍も上がり興奮したが、自身へラブレターを渡してくる女の意図が全く掴めず、友達の軽い悪戯ではないかと直ぐに疑った。
しかし同じように靴を履き替えようとしていた岡に目を向けるが、別段いつもと変わった様子は見られない。
寧ろ靴箱を開けてフリーズした山田に対して、訝しげた目線を送っている。
「どうした?俺今日バイトだし、早く帰ろうぜ」
友達の1人である岡が山田に声をかける。
帰宅部である山田と岡は帰る方向が同じなため、毎日駅まで一緒に帰る仲だ。
岡の最寄り駅は山田の通学路にあるため、帰りだけでなく行きも合わせて一緒に通学している。
金曜日である今日は岡のバイトの日というのは、付き合いの中で知っていたし他の友達も「また夜ゲームしようぜ」と声をかけ早々と部活に向かっていった。
ラブレター悪戯をしたとこで見届ける暇のある友達は誰もいない。
かと言ってクラスの目立つグループが山田をターゲットにするとは思えなかった。
「ごめん。ちょっと教室に忘れ物したわ。先帰ってていいよ」
山田の口から出た言葉はこのラブレターを本物だと信じた結果からだ。
岡に嘘をつくことによって多少罪悪感が生まれたが、このチャンスを無駄にはしたくなかった。
「ああそうなん。分かった。バイト終わったら、LINEするわ」
岡はそう声をかけ、靴を突っかけながら校門に向かって行った。
その姿を見ながら、山田の心臓はまた大きな音をけたたましく鳴らしていた。
去っていった岡をポーカーフェイスを意識しながら見届けた山田は、ゆっくり振り返りながら、誰にも見つからないように便箋をポケットの中に突っ込んだ。
意識しないと、顔が緩んでしまいそうだった。
人生初のラブレターを、誰にも邪魔されない場所で改めて読み返そうと、山田の足は自然と人があまりこない一階の隅のトイレへと向かった。
心臓が爆音で鳴る中、急いでトイレの個室に滑り込む。これを端から見ていたとしても、トイレを我慢していたように見えたはずだ。
蓋を開けずに山田は便器に座り込み、無造作にポケットに入れたピンク色の便箋を大切に取り出す。
そこには先見たと同じ文章が、女子特有の丸文字で書かれていた。
誰にも見られていない空間だからこそ、山田の右手は勝手にガッツポースを披露していた。
やっと春が来た嬉しさでニヤニヤとした顔の弛みも止まらない。
トイレの個室でないと確実に頭のおかしな人だろう。もっともトイレの個室でもおかしい人ではあるが…
ただ一つ、宛先人の桃井光について疑問も浮かんだ。
桃井光も山田同様目立つタイプの女子ではない。
山田自身も会話した記憶がない。
女子との会話は少なく、業務連絡しかないからこそ、なにを誰と話したのかは覚えている。
そんな悲しい薄い記憶を辿っていっても、桃井との会話が思い出せない。また桃井が男と話している風景も殆ど見たことがなかった。
桃井で思い出されるのは、あまり高校生らしくない見た目をしているというだけだった。
大人っぽいという意味ではない。
桃井の見た目は小学生と言っても過言でなかった。
桃井は小柄で華奢で長い黒髪の大人しい少女だった。おどおどしている仕草が小動物のようではあり、その筋が好きな男には人気があるかもしれないが、高校という青春舞台ではその小動物感だけでは、人の目を惹くものはなかった。
周りで誰が可愛いという話になっても、桃井をあげるものはいなかった。余談だが、山田も同様にカッコいい男子は誰だという話題では一切議論に上がることはなかったが…
幼女のような見た目をした桃井は高校が舞台の恋愛物語では、対象には見られるような少女で無かった。
明るさがあれば、もっと目立ったかもしれないが、彼女は暗かった。そのため全く目立つことはなかった。
彼女はいてもいなくてもこのクラスはなにも変化がない。
ただ教室の隅でじっと静かにしている少女。
幼くもの静かな幼女のような高校生――もう少し明るささえあればマスコットキャラとして注目を浴びたかもしれない…
というのが、このクラスに置ける、遠いところから客観視された、桃井の評価だった。
しかし、近くで見れば桃井は幼女と一言では片付けられないような妖艶な瞳をしていたことに気づいたはずだ。
その艶を纏う瞳はいつも物麗らげになにかを見ていたことに。
ただ誰も彼女をじっと見ることはなく、その幼き蕾に紛れた、アンバランスに色気を放つ瞳には誰1人として気づいていなかった。
トイレの個室に籠もり30分ほど経っただろう、山田はやっと腰をあげた。
緩む頬を叱りつけポーカーフェイスを心がけトイレをあとにした。
もらったラブレターには放課後と書いてはあるが、それが山田には何時かは分からなかったのだ。
今教室に戻ってもまだ残っておしゃべりをしているクラスメイトがいる時間のはずだ。
今日は岡のバイトに合わせ早めに帰ったが、いつもだったらまだ教室で話している時間だ。
他のクラスメイトもこの時間まではまだ、残ってしゃべっているだろう。
告白なら教室には誰もいないであろう時間に行くのが、男の務めのはずだ。
二次元で見た告白の瞬間は、二人っきりだし、それが当たり前のはずだ。
ただどうやって二人きりの状態を作っているのかが検討も付かなかった。
山田はその告白までの、時間を潰す方法が想い付かなかった。
少し考えれば、コンビニ一回行くや、図書館で時間を潰す等合ったはずだが、ラブレターをもらったことでの浮かれで頭が回らなかったのか、それ以外の理由なのか分からないが、トイレを出たその足でそのまま教室に向かっていった。
山田の足が教室の前で止まる。
空は夕焼けで赤茶色に染まり、辺りを幻像空間へと誘っていた。
違和感はあったはずだ。
通常ならこの時間でも教室から五月蝿い笑い声が聞こえてくるはずである。
いつもなら教室の外に、高校生のエネルギーが溢れ出ているのだ。
しかし今はそれがなかった。
教室の中からは人の気配も感じられず、シンとしていた。
中身がまるごと別空間に移転してしまったような静けさだった。
山田は気づいていなかったが――山田が鈍感な訳ではない、これは他のクラスメイトでも一緒だっただろう、誰もその少女のことをじっと見たことは無かったのだから…
その教室から流れる空気は、少女が纏う静けさと同様のものだったのだから…
山田はなにも疑問を感じること無く、本物で、偽物の少女の告白を楽しみに教室のドアを開けた。
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