紅葉舞い散る図書館 (短編:おばさん狐とショタ狼)
秋深まる時期、舞い散る紅葉を片づけて図書館の中へと戻る。
「お疲れ様、今日も助かった。」
玉燿は今日も屈託のない笑顔で労いの言葉をくれる。 この神社にお世話になるようになって数か月、時の流れは早い。
「今日の仕事も終わったし、また図書館に行くのだろう? ほら、鍵を持っていけ。」
そう言って図書館の鍵を手渡してくる――金属製の大きな古臭い鍵だ。 それをしっかりと握りしめ図書館へと向かう。
扉には大きな錠前がかけられており、鍵を差し込んで回すと簡単に錠前は外れた。 外した錠前を受け付けのテーブルに置き、本棚の物色を始める
自らの直感に任せて一冊の本を取り出す――タイトルにはおばさん狐とショタ狼と書かれ、やや古ぼけていた。 その本を躊躇なく開き、物語を読み始める――それが自らの使命のように。
―――
――
―
人間は、死ぬ間際に走馬灯というものを見るらしい。 獣である私には関係のないものだと思っていたが、長い時を生きたせいか、それとも別の理由だろうか……”この子”との思い出が蘇っていた。
それは人にとってはとても短い時間だが、私達にとっては長い幸せの時間だ……
「こ、こんにちわ。」
「なんじゃお主。」
第一印象はとても悪かった。 おどおどしていて、こちらに目を合わせようともしない。 常に顔を伏せて身体は震えていた。 完結にまとめると、気弱な子供だった。
「ふむ、お主は混ざり者なんだな。」
「……うん。 お母さんは狼か人間、好きな方を選べって。」
人の姿に獣の耳と尾、なんともいびつな姿だった。 きっとこの子はどちらでも生きていく事は出来ない、そんな気がしていた。
――私がまず行ったのは、同じ目線に立つという事だった。
「どうだ、これでお主と同じ姿だぞ!」
「おばさんすごいね!」
「おばっ……コホン! 私の事は先生と呼ぶように!」
「分かったよ――先生」
人の姿とは本当に不便だ。 獲物を追いかけるのも、山を駆けるのも遅い。 しかし、この姿で教えねばこの子のためにはならないだろうという判断だった。
子狼は涙目になりながら私の背を追いかけて来る。 それが少し愛おしく思えたのは気のせいだっただろうか?
「先生、待ってよ……」
「辛抱しろ、もうすぐじゃ。」
長く生い茂った草木を掻き分け、私のお気に入りの場所を目指す。 この子にとって、この行動に意味があるかは分からない。 しかし、それでも連れて行きたいと思ったからだ。
「どうじゃ?」
「わぁ……」
この山の頂上、この時間だと綺麗な夕暮れを眺める事が出来る――私のお気に入りの場所だ。 子狼は目を輝かせながら、ずっとその夕暮れを眺めていた。
それからその子狼は何度も私の山に足を運んだ。 1日も休まずに毎日……私は、その思いに応えるように毎日訓練を課した。
何度も泣いたし、泣き言や文句もいつも吐いていた。 それでも、その子は毎日私の元にやってきたのだ。
「こんにちは、先生。」
その日子狼は、見知らぬ人間を連れて来た。 それが母親なのだと言わずとも察する事が出来た。
「息子がいつもお世話になっております。」
「人の子がこんな山にご苦労じゃのぅ。」
彼女は自分の息子の事を根掘り葉掘り聞いて来た。 そこはやはり母親だ、毎日怪我をして帰ってくる息子を心配しての事だろう。 本人は大丈夫だと言い張っていたらしいが、今日は思い切って会ってみようと思い立ったらしい。
「そうか、父親は事故で……」
「えぇ、だから私には分からないのです。 この子をどうやって育てて行けばよいのか……」
「私にも分からんよ、人生で一度も子を成した事が無いのでな。」
ずっと私は一人だった。 物心ついた頃には父も母も人に狩られこの世にはいなかった。 それでも私は生きていかなければならなかった。 自らの本能に従い、獲物を狩って今日一日を生き抜く……ただそれだけを繰り返して。
だから同じ事をこの子に教え込んだ、それだけだった。 だから私に偉そうに語る権利はないし、気の利いた言葉をかける事も出来ない。
「でも貴女、まるで母親のような顔をしているわ。」
「私がか? 冗談はよさぬか!」
改めて言われる事で、この日を境にいやでも意識してしまう事となってしまった。 自身の母性というものを……
――その時は、そう信じていたのだ。
―――
――
―
「先生! こっちこっち!」
「そんなに急かすな!」
気づけばそれなりの年月が経っていた。 子狼は立派な狼へと成長し、もう私がいなくても立派に独り立ち出来るようになっていた。 今では常に獣の姿でいる事が多くなり、私もそれに合わせて普段の姿へと戻っている時間が長くなった。 彼が人の姿になるのは、唯一母親と会う時だけだろうか。
「ごめん、先生大丈夫?」
「私も歳かもしれんな……」
「そんな事ないよ、先生は何年経っても僕の先生さ。」
「お前は本当に……可愛いままじゃの!」
こうやって頬を擦り合わせるのも何度目だろうか。 彼はくすぐったそうに眼を細めながら、自らも擦り寄せてくる。 こんな幸せな時間がずっと続けばいい、そんな風に思っていた……
しかし、そんな都合がいい話などなかった――
ある日、二人の人間が山へと入ってきた。 男二人は猟銃を携え、鹿や兎を次々と撃ち殺していたのだ。 それは狩りではなく、快楽のための遊びだという事はすぐに察しがついた。
「人の子よ、この山から出て行け!」
いつものように低い声音で人間達に警告する。 人は得体の知れないモノへの恐怖を感じると、すぐに逃げ出す習性を持っている。 私はそれを利用して何度も山から追い出してきた。 その成果でしばらく山に人間が入ってくる事はなかったのだが……
「出て来いよ化け物! 俺達が退治してやるぜ!」
「さっさとしねぇと動物共を皆殺しにしちまうぞ!」
どうやら今回はそう上手くは行かないようだ。 今までの行動が仇となって今の現状を引き起こしてしまったのは間違いない。 だからこそ私は――やるべき事をやるしかない。
「フーッ!!」
「うわぁ! なんだこいつ!」
飛び掛かった私はまず、猟銃を噛み砕いてやった。 すぐさま右前足を振り上げもう一人の男に向かって――
「死ねっ――この化け狐!!」
――山の中に発砲音が響く。 発射された弾は私の右前足を撃ち抜いていた。
男は尻餅をついた男を引っ張りながら一目散に逃げだした。
「普通の、弾ではないようじゃな……」
全身から力が抜けていくのが分かる。 恐らくは呪士が用意した物なのだろう。 長い時を経て、私は半分妖怪のになりかけていた。 その力がこの弾の力で消滅しているのだろう。
「先生! 何があったの!?」
「なんでもない、ただの掠り傷だ。」
「でも血がっ!」
「こんなもの、舐めておけば治る。」
そう強がってはみるものの、出血は一向に止まる気配は無かった。 彼は慌てて私を住処へと運び、貯蔵してあった薬草で手当てをしてくれた。
「ねぇ、先生……」
「……」
「――寝ちゃった?」
出血は収まったが、倦怠感が全身を支配していた。 妖力を失った私は――おそらくもう長くはないだろう。 私が死んでしまったら、この子はどうするのだろうか……人の世界に戻る? それとも私の代わりに山を守ってくれるのだろうか?
「先生、僕さ……跡を継いでこの山を守ろうと思うんだ。」
「……」
「でも、先生が死んだらって話じゃないんだ――今すぐ変わって欲しいと思ってる。」
「……」
「もう、先生にこんな目に合って欲しくないんだ。 傷ついた先生を見たくないから……」
私の横に身体を密着させ、語り続ける狼は震えていた。 それは恐怖か、それとも……
「僕、先生が好きなんだ。 最初はもう一人のお母さんみたいに思ってたけど、今は違う。 愛しているんだ、先生を……」
「っ!?」
「……やっぱり起きてた。 先生、今の告白聞いてくれたでしょ?」
「それは……」
「僕は守りたいんだ、この山を――先生を!」
そうか、燻っていた感情はコレだったのか。 母親と言われて感じていた小さな違和感の正体……
私は、恋をしていたのだ……
「愛染、今度からはそう呼ぶがいい。」
「せん――愛染。」
「誠……愛しているよ。」
そのまま私達は本能のままに交わった。 今まで埋められなかったモノを埋めていくかのように、激しく――情熱的に……
そして――その日がやってきた。
―――
――
―
「仲間を引き連れて来たのか……」
「10人はいるね、何とか分断させないと。」
化け狐を狩るため、どうやら仲間を引き連れて来たらしい。 皆銃を携え、二人一組となって山を散策していた。 しかも私を呼び寄せるために、視界に入る全ての動物達を殺しながら……
「僕がどうにかするよ、愛染は後ろで隠れていて。」
「しかしお前は!」
「僕はもう狼だよ、大事な奥さんを守るために戦いたいんだ。」
そのためにこの子は、人間を手にかけようというのか……自らにも同じ血が流れているというのに。
「――フッ!」
躊躇なく喉笛を噛みちぎり、その死体をもう一人の男に投げつける。 磨かれた爪は身体を引き裂き、鋭い牙を肉を裂く。 返り血と自らの血で、綺麗な彼の綺麗な毛並みは真っ赤に染まっていく。
「ハァ……ハァ……」
「もういい! あとは私が!」
「守るって……約束したじゃないか……」
ふらふらの身体で尚も立ち上がる。 今すぐにでも駆け寄りたかった――しかし、それは彼の心を傷つけると分かっていた。 でも、私も失いたくないという気持ちは同じなのだ。
その時だ、茂みに隠れながら彼を狙う銃口を見つけたのは。
「危ないっ!!」
あの状態でこれ以上撃たれるのは危険だ! 私は無我夢中で飛び出し、彼を押していた。 放たれた銃弾は、私の心臓を討ち貫て行った……
「あぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
彼の叫び声が聞こえる。 地面に倒れるのまでの時間が妙に長い……
人間は、死ぬ間際に走馬灯というものを見るらしい。 獣である私には関係のないものだと思っていたが、長い時を生きたせいか、それとも別の理由だろうか……”この子”との思い出が蘇っていた。
それは人にとってはとても短い時間だが、私達にとっては長い幸せの時間だ……
「愛染……」
全て終えた彼は、私の横に倒れ込んだ。 息も絶え絶えで、もうすぐその時が来るのは明らかだった。 でもおそらく、それは私の方が少し早そうだ……
「誠……」
いつものように頬を擦り合わせる。 乾いた血がパリパリになり、いつものような気持ち良さは無い。 それでも、傍にいるという実感は感じられる。
あぁ、どうしてこうなってしまったのだろうか……私達が何をしたというのだろうか? ただ、この山で平穏に暮らしていたかっただけなのに……
「……」
「……」
最後に見えたのは、誰かの優しい笑顔だった……それが現実か幻覚か、私には分からない。
―――
――
―
「どうした、腑に落ちないような顔をして。」
本を読み終えて本を閉じると、背後にはいつの間にか玉燿が立っていた。 まじまじとこちらの顔を見つめると、心を見透かすようにそう言ったのだ。
「悲しい終わりではあったが二人は結ばれた――そうは言えないかな? それに、絶望だけが残ったわけではないよ。」
その言葉に首を傾げると、玉燿は楽しそうにクスクスと笑った。
「命は受け継がれていくって言う事さ。 君にもそのうち分かるよ、あつ~い恋愛って奴をね。」
町外れにある不思議な図書館。
此度の開館もここまで。
次の開館は、小さな管理人のみぞ知る。
母親がその場に辿り着いた時には、二匹は眠るように静かに亡くなっていたそうです。 彼女は二匹と討伐隊を手厚く葬り、二匹の魂を弔むために神社を立て祀る事にした。
「それがこの、狐狼神社ってわけ。」
「へぇ、そんな由来があったのね。」
長い巫女の説明が終わり、女性はほっと胸をなでおろした。 話の半分も頭に入ってこなかったが、とにかく悲しい話だというのは理解出来た。
「ううっ、なんて悲しいお話なのでしょう……」
「ちょっと泣きすぎでしょ!? ハンカチいる?」
「ありがとうございます……チーン!」
相棒は涙の鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。 正直感化されすぎではと思う。 悪い奴に簡単に騙されそうだと不安になってくる……
「というかおばちゃんから話聞いた事なかったのかよ?」
「そりゃそうでしょ、坂本の本家の話なんて全く興味ないしね。 あんたとも会ったのは小さい頃でしょ?」
「確かにそうだけどさ~ 流石に無関心すぎっしょ。」
「うっさい!」
生意気な巫女は私の育ての親である、おばちゃんの妹のお孫さんにあたる人物だ。 小さい頃に一度顔を合わせて以来の再会だったが――生粋の今時ギャルという感じに成長していた。
「そうだ、さっきの話に余談があるんだよねぇ。」
「何よそれ?」
「亡くなった母狐のお腹の子供、生きてたらしくてね……取り出してみると人間の赤ん坊が出て来たらしいよ。」
「まじで……?」
「さぁ? 昔の話だから知らないよ。 なんでもその赤子が私達のご先祖様って言われてるらしいよ。 一族の霊力の強さもそれが由来だ~ってばあちゃんも言ってたし。」
「もし本当なら凄い話ね……」
「二匹の愛は継承されたという事ですね! なんという奇跡!」
「はいはい、貴女は少し落ち着きなさい。」
軽く頭を撫でてやると、私にがっちりとしがみついて泣き始めてしまった。 なんだか状況を悪くさせてしまった気分だ。
「じゃ、私は用事があるから後はごゆっくり~」
「ありがとね愛子。」
「明日アイス奢ってね~」
「くっそ! ほんと可愛くないわね!」
背中を向けながら手を振る愛子に思いっきり石を投げつけてやりたい衝動に駆られるが、今は彼女がしがみついていて、全く身動きが取れないため諦めるしかなかった。
「ほら、お参りするんでしょ?」
「しますぅ!」
二人仲良く手を繋ぎながら拝殿に向かって歩き出す。
「この神社はね、縁結びのご利益があるのよ。」
「しかも狼と狐、異種間の縁結びにうってつけですねご主人様!」
「ふふっ、確かにそうね……」
この二匹と同じように、私達が歩む道は険しいのかもしれない。 多くの障害が私達の道を阻むだろう……かつての友が立ちはだかる事もあるかもしれない。 それでも――私達は前に進むと決めたから。 この長く険しい道を、二人で……
「ご主人様!」
「なによ菊梨?」
「……愛しています。」
「ふふっ、私も――愛してる。」