真夏の図書館 (短編:手に入れた偽りの平穏)
「また来たのかい? 外は暑かったろう。」
そう言って、玉耀という名の少女は図書館の中へと受け入れてくれた。
中は程よく冷房が効いて快適な状態だ。
「こんな日に外出しなくてもよかっただろうに。」
彼女は、タオルと麦茶を渡しながらそう言った。
何故か視線は横に泳いでいる。
いつも通り席に座り、渡された麦茶を一気に飲み干す。
冷たい感触が、喉を通っていくのを感じた。
「折角来てくれたんだ、今日は涼しくなる物語でもどうかな?」
そう言って彼女は、一冊の本を手に取って開いた。
「今日は特別に、僕が読み聞かせてあげよう。」
―――
――
―
大掃除を終えた私は、二人分のお茶を用意して台所からリビングに戻った。
彼氏の秀樹が、テレビを見ながら一息ついていた。
私はお茶をテーブルに置くと、その隣に座った。
「雪、そっちも終わったか。」
「大体ね、流石に疲れたけど。」
テレビの画面に目を移すと、ニュース番組で初詣の準備をする映像が映し出されていた。
「いいよなぁ、巫女さんって可愛いよな。」
「何? そういう趣味あるの?」
「趣味っていうかさ、なんか特別感があるじゃん?」
「特別感ねぇ……」
特別感か――
私は、彼に秘密にしている事がある。
それは私が捨てた実家に関する事だ。
そう、あれは私がまだ小学生の頃の話だ……
―――
――
―
私はとある神社に生まれた。
由緒正しい家柄で、長年地域に根付いてきた神社だ。
そんな家に、私は”大西雪”としての生を受けた。
それが私の悲劇の始まりだったのだ。
「雪、何故舞を止めた。」
「お父様、もう足が……」
「そのような体たらくで、明日の神事が務まるのか!」
「ひっ……」
父は厳しい人だった。
全てを完璧をこなす事を当たり前とし、それ以外は認めない。
結果のみを求める人だったのです。
母親は、私を生んですぐに亡くなりました。
そのため、私を守ってくれる人は誰もいなかったのです。
私の家柄の都合上、学校でも友達はいませんでした。
多分、彼女がいなければ私は孤独死していたかもしれません。
――
―
「今日も泣いておるのか?」
「あ、お稲荷様。」
なんとか稽古の中断を許可されて、私は外縁に座って泣いていました。
すると彼女はいつものように現れたのです。
私の唯一の友達、私は彼女の事をお稲荷様と呼んでいます。
見た目は私と同じくらいで、同じ巫女服を着ているのですが、不思議な事に狐の尾と耳がついています。
そして本人が言うには、神様なのだそうです。
だから敬愛を込めて、お稲荷様と呼ぶことにしたのです。
「また、あやつにいじめられたのか?」
「違うの、私がダメな子だから怒ってるの……」
そう、私が上手に出来ないからお父様は怒っているのだ。
だから、私がもっと頑張らないと……
「いいか雪、わしがいう事をよく聞け。」
「ふぇ?」
お稲荷様は、いつも以上に真剣な顔で私を見ています。
少し怖いくらいです。
「この家に居続ける限りお前に未来はない。
この家を出ていく気はないか?」
「どうして?」
幼い私には、その意味はよく分かりませんでした。
ただ、家を出ればお父様がお怒りになる恐怖だけははっきり分かりました。
「それは――わしはお前に生きて欲しいからじゃ。」
「でも、お家を出たらもう会えなくなるよ?」
「違う、そうじゃ……ないんじゃ。」
お稲荷様は凄く困った顔をしていました。
それは、どう伝えたらいいかと思案している顔です。
今の私なら、その意味は分かります。
大事な人を失いたくないという思い。
だからこそ、彼女は私を家から出したかったのだと思います。
「ごめんなさい、そろそろ稽古に戻ります。」
「雪……」
稽古に戻る私を見送るお稲荷様の瞳は、ひどく悲しげでした。
――
―
神楽舞のための衣装を着せられた私は舞台に立っていました。
多くの人達の前で、これから舞を披露するのです。
大丈夫、きっと出来るはず。
私なら――出来る!
そう自分に言い聞かせて舞始めました。
多くの人達の視線が私に刺さってきます。
もちろん、お父様も厳しい目で私を見ています。
怖い――
恐怖が動きを鈍らせる。
”大丈夫じゃ”
ふと、お稲荷様の声が聞こえました。
しかし、その姿は見えません。
”わしも一緒じゃ、安心せい。”
そう言われ、私に勇気が湧いてきました。
まるで火が点いたように、身体が熱くなってきました。
舞は力強く、足取りは軽やかに――
まるで身体が浮いているようにふわふわして、思った通りに動けるのです。
いつしか視線も見えなくなり、お父様もいなくなり、私は真っ白な空間で舞い続けています。
もう、何も怖いものなんてない。
――
―
「神託を下す。」
舞を終えた、私ではない私が言葉を紡ぐ。
周りの人達は、待っていたとばかりに私の前にひれ伏した。
「人としての枷を越えようとする暴挙、許せるものではない。」
「な、何をおっしゃいます!」
お父様が驚いたようにそう叫んだ。
「これも全て、神事を存続させるために!」
「御託はよい、この家は徐々に衰退の道を辿ろう。」
「待ってください! ――様!」
――
―
その後の事はよく覚えていません。
気が付いた時は、部屋のお布団で横になっていました。
その横には、心配そうに私を見つめるお稲荷様の姿がありました。
「……」
彼女は無言で私の頭を撫でてくれました。
それは今まで感じた事の無い幸福感でした。
きっと、お母さんが生きていたら、こんな風に撫でてくれたのでしょうか?
「いいか、もう二度とお前は舞ってはならぬ。 お前はこれから自由に生きるのじゃ。」
身体に力は入らず、声を出そうとしても出ません。
意識が再び眠りに入ろうとする直前、お稲荷様の涙を見たような気がしました。
――
―
その後、私は親戚の家に引き取られる事になりました。
そこで知らされた真実は、恐ろしいものでした。
血を色濃く残すため、近親相姦を繰り返していた事。
代々、神楽舞を舞って来た者が短命である事。
全ては神の器となる舞手を途切れさせないためであったと。
そんな妄想に取り付かれた、親族達の人体実験の産物が私だったのだ。
そしてお母さんもその犠牲者だったのだ。
この真実は、表に出る事は未だにありません。
ただ、最後の予言が真実ならば、彼らは後に衰退して消えていく運命なのかもしれません。
しかし、謎も一つ残りました。
”お稲荷様”とは、一体何者だったのでしょうか?
私を生んで死んだ母が双子を生んだ記録はありません。
近所の子が紛れ込む事も絶対にありません。
彼女はもしかしたら、本当に神様だったのかもしれません――
―――
――
―
「雪、何ぼーっとしてんだ?」
「え? な、なんでもないわよ!」
でも、私は今こうやって人並みの幸せを謳歌しています。
所詮、過去は過去でしかありません。
大事なのは今ではないでしょうか?
「まぁいいけどさぁ、ちょっと俺の代わりにガチャ引いてみてくれよ!」
「えぇ、また?」
お稲荷様とは、あれ以来会えていません。
それでも、彼女が私の大事な友達だという事実は変わりません。
「マジかよ、俺の欲しいキャラ引くとは流石だな。」
「それは良かったわねぇ。」
もしかしたら、見えないだけで今も私の傍にいてくれるのかもしれません。
そうだったら、嬉しいなぁ……
―――
――
―
「どうした、全く怖い話じゃなかった?」
少女は困ったように首をかしげた。
余程怖がらせる自信があったのだろうか?
「それなら――この図書館の奥の部屋に行ってごらん。」
そう言って奥を指さした。
そこでなら怖い思いを出来るとでも言うのだろうか?
騙されたと思って、その指示に従った。
蝋燭の明かりが辺りを照らすだけで、道行く先は漆黒の闇に覆われている。
一歩を踏み出す毎に、寒さが一段をきつくなっているような気がする。
「なんじゃ、お前は?」
部屋の奥にいたのは、少女だった。
綺麗な金の長髪に、昔の貴族が着ていそうな煌びやかな着物を身に纏っている。
確かあれは、十二単とかいうものだったろうか?
しかし、普通ではありえないものもついていた。
その金の髪の頂きには獣を耳、そして9つの尾がゆらゆらと揺れていた。
「人間、誰の許可を得てここに入り込んだ?」
少女の声音、しかし異常な圧力を纏っている。
そしてその蒼の瞳は、獲物を逃さぬと言わんばかりに睨んできている。
――殺される。
本能がそう告げている。
今にも飛び掛かり、この喉笛を嚙み切られる。
そして肉を貪り、骨をしゃぶり尽くすのだろう。
絶対的な弱肉強食の関係、自らは餌でしかないのだ。
あまりの恐怖に身体のリミッターが働く。
目の前の相手を拒否するように意識はシャットアウトされた。
そう、きっとこれは夢なのだから――
――
―
「僕の朗読を聞きながら眠るとはな――」
目が覚めると、本を持った彼女が怒りを露わにしていた。
辺りを見渡すと、やはり図書館の中だ。
「どうした、狐につつまれたような顔をして?」
なんでもないと答えると、彼女は更に期限が悪くなった。
「こうなったら、とことん付き合ってもらうからな!」
町外れにある不思議な図書館。
此度の開館もここまで。
次の開館は、小さな管理人のみぞ知る。