真昼の図書館 (短編:糸と人形)
木々を掻き分け山道を進む。
真昼だが、木々が影となって少し薄暗い。
自分でも、何故また行こうと思い立ったのか――正直分からない。
もしかしたら、あの子にまた会いたかったのかもしれない。
――しばらく歩くと、大きな鳥居が見えてきた。
以前迷い込んだ時は真夜中だったため、その存在にも気づかなかった。
「こんにちは。」
境内を掃除していた巫女が挨拶してきた。
挨拶を返しその姿を観察する。
長い黒髪によく見る巫女服。
以前会った娘とは違う巫女のようだ。
「参拝の方ですか?」
そんな自分を見て訪ねてくる。
図書館への用事だと手短に伝えると、少し驚いた表情を見せる。
コホン、と軽く咳払いをして図書館へと案内してくれた。
―――
――
―
中は以前と変わりなく、大量の本が綺麗に本棚に並べられている。
歴史を感じる古時計が、その中で一際目立っている。
「むぅ……」
案内してくれた巫女が、受付で何やら唸り始めている。
横見でちらっと見ると、どうやら絵を描いているようだった。
――絵の内容は見なかった事にした方が良さそうだ。
気を取り直して本棚漁りに戻る。
『糸と人形』 というタイトルの本を手に取る。
今回はこの本にしよう。
そう思い、席に座り本を開いた。
―――
――
―
昔話をしよう。
昔々、ある所に一人の男がいました。
その男は異邦人で、故郷がありません。
なのに、世界のために戦いました。
身も心も傷付きながら……
それでも彼は戦いを止めませんでした。
数多くの人を引き連れ、多くの命を救い――
その流れは、世界を救う未来を紡いだのです。
でもその男は――戦いの最中で、敵の大将と相打ちとなりました。
崩れゆく城の中、その思いを仲間に託して……
そう、愛する者を置いて一人で逝ってしまったのです。
「そう、あの人は一人で――私を置いて……」
―――
――
―
いつもと変わらない風景。
いつもと変わらない時間。
いつもと変わらない世界。
動いているのか、止まっているのか。
あまりに曖昧すぎて、あまりにも幻想的すぎる。
世の中を渡っていく方法は簡単だ。
流れに身を任せ、逆らわなければいい。
そうすれば普通の人生を歩む事が出来る。
無駄に逆らえば、社会不適合者として弾かれる。
そんな不条理な世界に、俺は生きている。
コツコツ……
広い教室に響くのは、虚しいシャーペンの書き殴る音だけだ。
その中で、ただ一人馴染まない男がいる。
俺、藤堂 蓮 である。
容姿は平均的、紫の短髪、勉強はからっきしだが身体能力には自信あり。
「……」
先程、浮いているという表現はしたが見た目の事ではない。
ましてや目立ったおかしな行為をしているわけでもない。
周りと同じように自習に励んでいるだけである。
ならば何が、と思うであろう。
――俺という異物がこの空間から浮いているのだ。
ちょっとした気まぐれで、窓の外に目を向ける。
大学の敷地内は木々が青々と茂り、蝉の鳴き声が聞こえてくる。
俺が周りとズレてしまったのは、いつからだったろう。
――コツン。
俺の手から落ちたシャーペンが、軽い音を立てた。
しかし、周りの書き殴る音に掻き消された。
まるで、何も起きていないかのように……
『オレの夢はなぁ、世界を平和にする事なんだよ。』
これがハンターとして活躍していた父、和也の口癖だった。
20年ほど前から各地で現れるようになった化け物達。
クーパーと呼ばれるそれらを狩るのが、ハンター達の仕事だ。
親父はハンター協会でも、腕利きのハンターだった。
しかし、個人の力で世界を平和になど、絶対に出来るわけがなかったのだ。
『いい加減にしろよ親父! そんなの無理だって!』
当時、子供だった俺にとって、家にも帰らず母親に迷惑をかける父親は大嫌いだった。
たまに帰っても冒険の話ばかりだ。
正直、うんざりしていた。
しかし親父は、俺に罵倒されても笑顔のままだ。
それ所か、俺を抱きしめ頭を撫でてきた。
『お前に守りたい者が出来たら、いつか分かるさ。』
そう、ただ一言だけ言った。
そして親父は――その一か月後に戦死した。
そのせいなのだろうか?
結局俺も、ハンターへの道を目指していたのだ。
無機質な音を立てる箱に乗り、目的の階を目指す。
4階に到着すると、箱の扉が開く。
そのまま真っすぐ進み、二つ目の分かれ道で左に曲がる。
入口にいた看護師の人に軽く挨拶をし、病室の中へと入った。
「あら、いらっしゃい。 また来てくれたのね。」
ベットで横になっている女性――ルナがそう言った。
蒼い瞳と、同じ色の長髪。
外からの日の光が、彼女の美しさを幻想的に照らし出す。
「まぁ、日課みたいなものだからな。」
「……」
彼女はじっと、俺の瞳を見つめている。
「今日は、午前から授業のある日でしょ?」
「ぁ……」
彼女の言う通りだ。
すっかり忘れていた。
しかし、言われたままも癪なので反撃に出る。
「昨日会った時、明日も会いたいって顔してたからな。」
「ぷっ……」
彼女は思わず吹き出した。
「笑うなよ!」
「ふふっ、可笑しいものは仕方ないでしょ?」
一通り笑い終えると、彼女はいつもの表情に戻った。
どうにも、俺は彼女に叶わないらしい。
「でもね、嬉しいよ。」
「お、おう!」
一変して険しい表情を見せる。
「ねぇ蓮……」
「どうした、ルナ?」
「……」
その表情は暗い。
「やっぱり、違和感は消えない?」
「――あぁ。」
誤魔化ずに正直に答える。
言い訳を思考する前に言葉が先に出たのだ。
彼女の瞳が真っすぐこちらを見ている。
この瞳には嘘はつけない。
俺は耐えきれずに視線を逸らした。
「やっぱり私のせいか……」
「そんな事!」
分かっている。
きっと俺は、もう戻れないと。
そう、俺はあの時見たんだ――
それは、ほんの気まぐれだった。
ちょっとした、子供ながらの冒険心かもしれない。
ただ、親父を亡くした悲しみを、誤魔化したかっただけなのかもしれない。
――俺は葬式を抜け出して山道を登っていた。
ジャリ、ジャリ――
小石の擦れる音がやけに耳に響く。
首筋には汗が大量に流れている。
あと少し、そう自分に言い聞かせて歩き続ける。
『あった……』
やっと目的のトンネルが見えてきた。
幽霊が出るとか、神隠しがあるだとか……
兎に角そういう話の多いトンネルだ。
『本当に何か出そうだな。』
ぼそっと本音が出る。
正直怖いが、幽霊が出るなら親父に会えるかも……
そんな淡い期待を持ってここまで来たのだ。
しかし、目の前のトンネルの不気味さに恐怖を隠しきれない。
『べ、別に怖くないからな!』
そう叫ぶも足は震えている。
ただの子供の強がりだ。
コツン……
一歩を踏み出すと、トンネルの中に靴音が響いた。
頭を激しく左右に振り、更にもう一歩踏み出す。
一度踏み出してしまえば、その足はどんどん前へと進んでいった。
『なんだよ、こんなの楽勝じゃないか。』
そう思った時だった。
――何かが、暗闇の中で蠢いている。
それは固体のようで液体。
そうだ、”スライム”と呼ばれるクーパーだ!
『うわぁぁぁ!』
戦う術を持たない俺は、クーパーから逃げる事しか出来なかった。
彼女が俺の前から消えた。
彼女の病室はもぬけの殻で、看護師達も行先は知らないという。
何度電話をかけても、彼女が出る事はなかった……
俺は落ちたシャーペンを拾い上げる。
時計を見ると5分も立っていなかった。
「……」
長く感じたのは、俺の体感時間だ。
『本当にそうなのか?』
周りの同級生は皆、授業に集中している。
『それがとても胡散臭くて……』
俺は静かに教室を出た。
当然のように、誰一人見向きもしなかった。
『そうだ、あそこに行こう。』
彼女と、初めて会った場所へ――
校舎を出た俺は、自分の車を走らせた。
そうすれば、何かが満たされると信じて……
俺はトンネルの中を歩いていた。
親父の葬式の時に訪れたあのトンネルに。
こんなに長かったのかと思うほど、出口が見えてこない。
「俺は、何してるんだろうな。」
そう自嘲気味に呟いた。
どうせこんな事に意味はない。
『本当に?』
あぁ、意味はないさ。
『そう思い込んでるんだ。』
そんな事はないさ……
――何かが暗闇の中で蠢いた。
あぁ、またか。
固体のようで液体、単体のようで群体。
クーパー、”スライム”だ。
クーパー、人を食らう化け物。
そして親父の敵。
「くっ……」
武器は車の中だ、このまま走るか!
俺は振り返って駆けだす。
「あと少し!」
入口が見えてくる。
あと少しで……
『うわぁぁぁ!』
殺されると思った。
背後に迫るスライムの群れ。
どう考えても子供の足では逃げきれない。
『君、大丈夫!?』
『えっ?』
槍を構えた女性が目の前に立っていた。
先程の薙ぎ払いでスライム達の形が崩れている。
しかし、すぐに再生を始める。
『しつこいっ!』
彼女は攻撃を繰り返して次々とスライムを倒している。
そうだ、きっと彼女は親父の仲間なんだ。
クーパーを狩る者、ハンター。
その姿は子供の俺には、とてもカッコよく見えた。
これが、彼女――ルナとの初めての出会いだった。
あの時と同じように、今は自らの手でスライム達を倒している。
生きようとする意志が力を与えてくれる。
『何か違う。』
そうだ、今の俺なら戦える。
もう守られるだけの存在じゃない!
『間違ってる。』
俺は無我夢中でスライムを切り裂き続ける。
それと同時に、自分の中に何かが湧いてくる。
『あぁ、そうか……』
思い出した。
戦う事によって引っかかりが消えていく。
間違っていたのはきっと――
そこで、俺の意識はブラックアウトした。
目が覚めると、どこかの海岸にいた。
俺はようやく違和感の意味を理解した。
この世界の正体が――
全てのひっかかりが取れる感覚。
なんて清々しいのだろうか。
「……」
「また、来てしまったのね。」
そこにはルナがいた。
「あぁ、やっと分かったよ。――むしろ思い出したと言うべきか。」
「……」
「これで、何度目なんだ?」
彼女は答えない。
いや、答えたくないのかもしれない。
「この世界は、同じ時を繰り返してるんだろ!」
「――そうよ。」
観念したように、彼女は答えた。
「どうしてこんな事を……」
「それがこの世界の運命、そして貴方の運命だからよ。」
彼女は瞳を閉じて語り出す。
「”ゆらぎ”の影響が末期まで来ているこの世界、”ナタリアス”は消滅する運命なの。」
「ゆらぎ?」
「そう、そしてそのゆらぎを修復するのが、神子である私の仕事なの。
でも、末期にある現状では消滅を遅らせる事しか出来ない。
その結果、時間のループが起きているのよ。」
「じゃぁ、世界のためにルナは……」
「そうよ。」
話を続ける程消えた記憶が目覚めていく。
そうだ、俺は何度もこの答えに到達して、その度に彼女に記憶を消されていた。
「そうしなければ……貴方は死ぬわ。」
「俺が死ぬ?」
「そう、全ての世界のために戦い、私の世界での戦いで戦死する。 それが貴方の運命。」
「……」
「だから、もう一度忘れて…… また一緒に平穏に暮らしましょ?」
それでいいのか?
『戦え』
俺が彼女に出来る事は一緒にいる事なのか?
『進め』
俺は――
『お前に守りたい者が出来たら、いつか分かるさ。』
「俺は、世界を救いたい。」
「やっぱり、その選択をしてしまうのね……」
彼女の瞳から、キラキラとしたものが一瞬見えた。
「ずっと、私のお人形でいてほしかったのに。」
「……」
「いいわ、道を開いてあげる。」
彼女は袖から何かの結晶を取り出し、宙へと投げた。
その結晶は大きく輝きを放ち、漆黒の大穴を生み出した。
「さぁ、行きなさい勇者藤堂蓮よ。
貴方に待ち受けるは死の運命、それでも貴方は進みますか?」
「俺は死なないさ、必ず世界を救って帰ってくる――お前の元に。」
「期待しないで、待ってるわ。」
そして俺は、漆黒の闇へと身を任せた。
また、あの人は行ってしまった。
きっと結果は変わらない――だって、原因を取り除いてもゆらぎが修正される保証なんて無いもの。
それならば、あの戦いに勝利した時点でゆらぎは修正されている。
そう、彼はどうせ無駄死なのだ。
死の運命をなぞるだけなのだ。
彼の笑顔が思い出される。
『俺は死なないさ。』
あの人はまた同じ台詞を私に残したのだ。
そしてまた時は繰り返される。
今目の前にいる彼は、私が生み出した幻影。
繰り返す時の中で、待つ事しか出来ない私の暇つぶしだ。
このいつ終わるか分からない世界で――
今日も私は、彼を待ち続けている……
ありえるかもしれない、彼と共に過ごす最後を求めて――
「やぁ」
本を読み終わったタイミングで、背後で声がした。
短い紫の髪の巫女、彼女だ。
「今回の本も楽しめたかい?」
彼女の問いに頷いて答える。
「なら良かった。」
彼女は嬉しそうに笑っている。
いつも無表情なだけあって、少し意外だ。
「でも、また来てくれるなんて思わなかったよ。
この図書館は、滅多に人がこないからね。」
場所が場所だ、それも仕方ないだろう。
「実は、僕に会いに来た――という事はないか。」
実は当たっているのだが、流石に伏せておこう。
「しかし君は――どんな役割でここにいるんだろうね?」
町外れにある不思議な図書館。
此度の開館もここまで。
次の開館は、小さな管理人のみぞ知る。