第一章 02-02
この街は都心から電車で1時間半程度の通勤圏内だが、緑が多く閑静な住宅地だ。
少し車を走らせれば便利な郊外都市が複数ある一方で、まだまだ田畑や果樹園なども点在しており、西側の山へ向かう登山コースなどもある。
その街のはずれ最寄の駅より車で30分あまり離れたところにその家はあった。木の温かみを感じる古風な造りの二階建ての家の横に、その家と同じ位の面積を持つ道場が隣接している。
前の持ち主の時代は剣道教室などをやっていたようだが、今は全くのプライベートな道場で、父が子供たちに教えたり子供たちの練習場となっている。
季節を彩る庭木が敷地を囲み、比較的広い庭のそこここには様々なハーブや野菜が花や実をつけている。長女が静かに居合練習を続ける道場を少し先に歩くと小高い丘があり、見上げるような大きさの楠が青々と葉を茂らせている。
枝の先に一羽の若いトビがとまり、じっと下を見つめ、トビの視線の先の木の根元には赤茶けた短髪の少女が上を見上げている。くたっとしたTシャツに短パン、小柄だけど筋肉質の身体、日に焼けた健康そうな小さい顔、キッとした大きな赤茶の瞳は一見少年に見える。
「今いくからねー。」
と彼女はトビに言うと、木の幹を一蹴りしてジャンプし彼女の背の3倍はある高さの枝に瞬時に飛び乗った。枝々を飛び移ってさらに木の上に登り、トビのすぐ横の枝にひょこっと腰掛けた。トビは全く逃げようとせず、むしろ彼女に近づいてくる。頭と羽をやさしくなでながら
「羽治った?」
と聞くと、トビは片羽をぐっと広げた後双方の羽を大きく広げて何度かはばたき、木から飛び上がった。そして、木の周囲を3周ほど回ると風に乗ってふわりと空に上がっていった。
「元気になって嬉しいけど、いなくなると寂しいや。」
この木は小さい頃からの遊び場で、兄と一緒に木登りの競争を何度もしたけれども、結局のところは勝てなかった。枝から枝へ移動するのもそれなりのテクニックが必要で、どの枝をつかんでどう身体を移動させるかで、スピードや安全性が全く異なる。見よう見まねで追いつこうと頑張って、こっそり一人で練習もした。
「どこに行っちゃったのかな。競争したいのにな。」
一番小さい彼女は、大きな楠のてっぺんまで登ってつぶやいた。
トビはまだ頭上を旋回してご機嫌に鳴いている。朝もやに霞んで遠くに都心のビル群がブロックのように並んでいるのが見えた。