双鬼帝 ミラ・ド・ラチェリー
四大貴族云々のアンティール側の話。
こういう奴が今もいるんだよって紹介。
時系列は千年以上前になります
街外れの酒場に一人の少年がいた。
昼と言う事もあり、酒場には店の主人と少年の他には中年の男性が二人しかいない。
そんな中、少年は落ち着かなそうに座っている。
少年が酒場に来るのは今日が初めてだった。
まだ幼いくせに、年相応に大人にあこがれていた少年は、見栄を張って酒場で酒を飲んでいた。
しかも半端に自尊心が高く、その姿を知り合いに見られるのを嫌がったために町はずれの寂れた酒場まで足を運んでいた。
少年はとてもではないが美味いとは言えない酒を、チビリチビリと少しずつ飲む。
ようやく半分も飲み干した時、酒場の扉が開き、新しい客が入ってきた。
主人の不愛想な「らっしゃい」はいつも通り。
しかし、次に聞こえたのはコップを床に落とした音だった。
なんだ?と少年が主人の方を見ると、主人は扉の方を見て呆けていた。
その手には薄汚い布が握られており、一瞬前までコップを拭いていたであろうことは想像に難くない。
自然と少年の眼は扉の方へ向けられる。
そこに立っていたのは絶世の美女とも言える一人の少女だった。
肩程までの銀髪に、特徴的な赤い眼。
少々幼さこそ残る物の、顔の造形はその全てが整っており、人形であると眼が錯覚してしまう程。
一瞬で、少年は自分の心が強く魅かれるのを感じた。
少年は椅子から立ち上がる。
少女へ声を掛けようとした。
しかし、それよりも早く酒場で屯していた中年二人が少女に声を掛けた。
アルコールで顔を赤く染め、下品な笑いがだらしのない鼻下に張り付いている。
何とかして宿屋へ連れ込めないか。
頭の中はただそれ一色だ。
少女はその二人を少しじっと見て、その反応に気を良くした中年を無視し席へと座った。
そして「水を一杯ください」と未だ呆けていた主人に注文する。
主人はハッとし慌ててコップに水を注ぎ始めた。
そして少女の眼前へと差し出す。その過程で、足元に転がっていたコップを踏みつけ砕いた。
少女は気にした様子もなく「ありがとうございます」と礼を述べていた。
その両横では熱心に口説き文句を並べる中年二人。
他には少し離れた所に座る少年だけが今酒場に居る客だ。
少女は変わらずに水をコクリコクリと飲んでいる。
中年二人の姿は、今やもう彼女の眼には入っていない。
段々と焦れて言動が粗雑になる中年達。
その片方は、すでに腰のナイフに手を伸ばしていた。
少年は慌てて走り、その中年の手を取り制止させた。
「なにやってんだよ」
中年は驚いたが、それも一瞬で、次いでどす黒い怒りの表情を浮かべた。
「なんだてめえ!?」
椅子を一つ蹴り飛ばす。
少年はそれを威嚇だと知りつつも、やはり内心では怖がっていた。
酔っ払いと言う人種は、出来ればあまり関わりたくない類の人間だ。
アルコールのせいで何をしでかすか分からない。
中には後先考えず人を殺す者だっているのだ。
しかし、今は少女に良い格好を見せたいと言う気持ちが、少年の心をつなぎとめていた。
「なんだよ? ナイフまで取り出して何しようって言うんだ? あ?」
「あぁ!? この餓鬼調子に乗りやがって……!!」
もう一人も加勢し、中年二人が少年を睨みつける。
少年も負けじと精一杯の虚勢を張っていた。
一触即発の空気の中で、酒場の主人は少女を見つめ続ける。
渦中の少女は水を飲みほし「ふぅ」息を吐いた。
そして立ち上がる。音もなく、気配もなく、素早くゆっくりと。
振り返った少女はナイフを持った中年二人の首筋を人差し指で軽く触れた。
バチッと音がする。
中年は二人ともその場に倒れた。
泡を吹き、白目を剥いている。
何が起こったか分からず、少年は瞬きを数度した。
気付けば、少女は自分の額に人差し指を突きつけている。
「あ」
バチリと身体を何かが貫く。
全身に痛みが走った。
脚に力が入らず、その場に崩れる。
手を動かそうにも思うように動かない。
何か喋ろうとも口端半開きのまま閉じも開きもしない。
滑稽な図で少年は固まってしまった。
しかし気絶はしない。
ギリギリで、精神力が打ち勝った。
「おや?」
これをやったであろう少女は、それを見て驚いたように声を上げた。
「気絶しないとは。思いのほか、効きが弱いですね。耐性がおありの様で」
珍しい。
言いながら、少女は胸元に手を入れて暫しごそごそ探りって何か取り出した。
鍵である。
色は赤く、チェーンが通されたそれは少女の首からかけられていた。
少女は鍵を少年に見せつけながら言った。
「私の名はミラ・ド・ラチェリー。つい先日出来たアンティールと言う国のある部隊に所属しています」
「部隊の名は『七鍵人』と言います。知っていますか?」
知らない。
そう答えようとして口は動かず、首を振りたくとも振れない。
ただほんの少しだけ身動ぐことしか出来ない。
「そうですか。まだ知名度ないですからねえ」
しかしミラは少年の言いたいことを察し、鍵を再び服の中へしまい込んだ。
その際に少しだけ見えた素肌に、少年はドキッとした。
「あなたは、将来少しだけ優秀になれるみたいです。ほんの少しだけですが。
どうですか、アンティールに亡命してみませんか? 今ならちょっとだけお得ですよ」
ミラは人差し指を立て、左右に振る。
少年の眼がそれを追った。それぐらいしか出来ることはなかった。
「あとは、そうですね。亡命すれば、私の姿を遠目に見るぐらいはできるはずです。多分」
考えておいてください。
そう言って、ミラは少年に背を向けた。
主人に水の値段を聞いている。気前の良い事に、主人は水は無料だと言っていた。
それは困る。もう少しだけ時間が欲しい。
身体の痺れが取れるまでの、ほんの僅かな時間が。
「それはそれは。ありがとうございます」
少年の願いは虚しく、ミラは店を出て行こうとした。
少年は、まだ上手く動かない身体と痺れの残る足を引き摺り、ミラの後を追いかけようとする。
しかし扉の所で躓いて転んでしまった。
ミラは気に留めず先へと行く。
「ミぃ、ら……!」
ずるずると身体を引き摺りながら
ようやく言えた言葉はか細く風に乗ってすぐにでも掻き消えそうな物だった。
少年はそれがミラに届いたとは思っていなかった。
しかし、ミラは半身振り向いた。
酒場の出入り口に無様に倒れる少年を発見する。
そして微笑んだ。
満面の笑みと言うわけではない。
ただ、ちょっと可笑しな物を見つけたから自然と口端が上がってしまっただけだった。
少年はその微笑みを見て、少女の僅かな笑顔を見て、また強く強く心が魅かれた。
少年は自分がミラを好きになっていることを認めざるを得なかった。
ミラの背中を見えなくなるまで見送って、見えなくなってもまだそこにいて、その様子を知り合いに噂されようとも知った事ではなかった。
もう、この町の繋がりなど少年にはどうでも良い事なのだから。
恋は盲目である。
『私の姿を遠目に見るぐらいは出来るはずです』
その言葉を信じ少年は亡命を決意した。
もう一度彼女に会いたくて、話がしたくて、しかし叶うことが無いことは知っていた。
少しばかり過酷な旅を経て、少年はアンティールにやってきた。
ミラ・ド・ラチェリーと言う少女をもう一度見たいがために。
七鍵人が一人『双鬼帝』の声を聞くために、少年は遥々やってきたのである。