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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十話「黙過」
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父王の迎え2

 

 兵たちのどよめきが遠い。鋭く叫んだのは、ゴルマックだろうか? 刃が噛み合い火花を散らす、激しい音がする。


 地面に転がったまま、唖然としていたニーダーだったが、耳を劈くような刃鳴を聞いて、はっと我に返り、上体を起こす。佩刀の鞘を払った父王を背に庇い、シーナがゴーテルの前に立ちはだかっていた。

 長いスカートがふわりと翻り、艶やかな黒髪が靡いている。ニーダーからはよく見えないが、姉弟の得物が組み合い、拮抗しているようだ。旋風のようにぶつかり合い、突風が生まれたのだ。


「バカな真似はおよし。死ぬつもり?」


 シーナが低く言った。腕を跳ね上げ、ゴーテルを弾き飛ばす。ゴーテルは骨を抜かれたかのように、へなへなとその場にへたりこんだ。がっくりと俯き、なにやらぶつぶつと呟いている。


 ふぬけたゴーテルを冷ややかに一瞥すると、シーナはほつれた髪を手櫛で素早く整えた。ひどく億劫そうだった。

 くるりと踵をかえし、父王の前に跪く。弟の非礼を詫びる短い言葉すら、父王は最後まで聞かなかった。シーナの前をつかつかと素通りする。


 いち早く駆けつけたゴルマックが、王を守るべく前に出ようとするのを、父王は腕のひとふりで制した。項垂れるゴーテルを見下ろす目は、背筋が凍るほどに冷たい。魂まで凍らせる侮蔑の眼差しだ。己に向けられたものではないのに、ニーダーは身震いした。


 父王の言葉は、ここが謁見の間であるかのように、厳かに響き渡った。


「その方には見覚えがある。王妃の輿入れに、最後まで異を唱えていた男だ」


 ゴーテルがのっそりと頭をもたげる。ところがその目は父王ではなく、ニーダーを見つめていた。唇が小さく動く。ニーダーの耳には、ゴーテルがか細い声で「ミシェル」と囁くのが聞こえた。縋りつくような眼差しに、胸が引き絞られる。ゴーテルの弱弱しさは、ニーダーを奮起させるものだった


(約束したんだ。僕がゴーテルを守る。こんなところで、腰を抜かしていられない!)


 ニーダーは弾かれたように跳ね起きる。助け起こそうとする兵の力を借りずに、自らの足で立ち上がった。


 ニーダーが一歩を踏み出すのとほぼ同時に、銀の輝線がゴーテルの顔の前を過った。ゴーテルの目の下に、赤い線がはしる。淋漓と血が流れた。まるで血の涙のように。


 ニーダーは戦慄のあまり動けなかった。父王が柄を握った刀の切っ先から、ぽつぽつと赤い血が垂れている。


 あと少しでも刃の軌道が上を走っていれば、ゴーテルは目を潰されていた。


「身の程を弁えよ、下郎」


 父王は言った。声は均されたように抑揚がなく、怒気は感じられない。人を傷つけたというのに、少しの高揚も無い。それがむしょうに恐ろしかった。


(やはり、陛下は恐ろしい方だ。意に染まなければ、すぐに手をあげてしまわれる。このままだと、ゴーテルが殺されてしまうかもしれない!)


 青ざめたニーダーは、兵の制止を振り切って、ゴーテルの許へ駆け寄ろうとした。しかし、父王の隣を通り過ぎようとしたとき、父王に肩を掴まれる。たたらを踏むニーダーを一瞥もせず、父王は背後を振り返った。ゴーテルを顎で指示す。


「ビルハイム。お前はあの時、これは狂気にのまれた哀れな男なのだと釈明した。塔の頂に幽閉し、決して外に出さない。だから慈悲を与えて欲しいと。この男は捕らわれの身の上。それが何故、我が領地を徘徊し、王子を浚ったのだ?」


 父王の視線は凍てつく矢尻となって、兵に取り囲まれた壮年の男を射ぬく。男のもつ色彩から、一目でゴーテルやシーナの同族であると知れる。気の毒なことに、ビルハイムと呼ばれた男は、うろたえていて、満足な受け答えも出来ない。


 父王が敢えてビルハイムを名指しして、糾弾したことから察するに、ビルハイムは高い塔に住まう家族を率いる者なのだろう。しかし、丸い温容にふさわしく、揉め事の処理は不得意らしい。ビルハイムが父王を言い包め、ゴーテルを救えるとは思えない。そもそも、うまく切り抜けられても困るのだ。ゴーテルを、高い塔の家族に渡すわけにはいかない。


 ニーダーがやるしかない。ニーダーは叫んだ。気合を入れるあまり、ウサギのように跳びはねていた。


「ちがいます! 陛下は思い違いをなさっておいでです!」

「今は口を閉ざせ、ニーダー。父はこの者達と話がある」


 父王がうるさそうに目を眇める。高いところから冷然と見下ろされた。何度も何度も、このように見下ろされているが、まったく慣れない。冷や汗がどっと噴き出す。


 しかし、ここですごすごと引き下がったら、ゴーテルはお終いだ。王家に仇なした逆賊の烙印を押されてしまう。極刑の執行は免れない。


(考えろ、考えろ、考えるんだ! 陛下に思いとどまって頂けるなら、この際だ。嘘でもいい。なんでもいいから、ゴーテルを助けるんだ!)


 ニーダーはこれ以上ないくらい、頭を働かせた。その間にも、父王の目がうつろい、ゴーテルに戻ろうとする。ニーダーはどもりながら、必要以上に大きな声を上げた。


「わ、私が、陛下をお諌めするなど、恐れ多いことですが……彼らを責めてはなりません。 私は……私は! 自ら望んで、彼の許に留まったのです!」


 ニーダーが捻り出した、起死回生の告白には、嘘と真実か複雑な割合で混ぜてある。多かれ少なかれ、父王の動揺を誘ったようだった。


「おかしなことを」


 父王が吐き捨てた言葉に、先ほどまでの気迫がない。ここが正念場だと悟り、ニーダーは必死に食い下がった。


「おかしいでしょうか? 陛下には、おかしいように感じられるかもしれません。しかし、私は……陛下とは違います。陛下のように、強くない、私には……」


 ニーダーは躊躇い、口を噤んでしまう。この先に続く言葉は決まっている。しかし、それを正直に告げることは憚られた。父王の、兵たちの、注目が体中に突き刺さっている。


 ニーダーがひた隠しにしてきた秘密を暴露すれば、この場に居合わせた全員が、呆れかえるだろう。がっかりされる。幻滅される。心臓がとまってしまうかもしれない。


(だけど)


 ニーダーはちらりとゴーテルを見た。


 期待外れの出来そこないだと、失望されるのは嫌だ。嫌だが、どんなに取り繕おうとも、鍍金はいつか剥がれてしまう。遅かれ早かれ、いずれは。いや、思っているよりも、猶予はないかもしれない。だってもう、鍍金は剝げかけているのだから。


 ニーダーは、皆が望んでいるような、王太子に相応しい、立派な人間にはなれない。いずれは、ニーダーに期待してくれている人々をがっかりさせてしまう。見離されてしまうだろう。


 だけど、ゴーテルだけは違う。ゴーテルにとって、ニーダーはブレンネンの王太子ではない。彼の愛しいミシェルだ。彼はニーダーがどんなに情けない、見下げ果てた奴でも、ミシェルを見捨てたりしない筈だ。


 ニーダーは素早く息を整えた。父王の目を真っ直ぐに見返す。父王の瞳が、ほんの少し揺らいだようだ。

 ニーダーは意を決して、一息に言いきった。


「城の暮らしが辛いのです。逃げ出したかった、なにもかも全ての、私を取り巻くものたちから」


 あたりは水を打ったようにしずまりかえった。兵たちが困惑し、ひそやかにざわめいている。

 いたたまれない。だが、耳を塞いで逃げ出すわけにはいかない。


 ニーダーは奥歯を噛みしめ、拳を固く握った。ふらつきそうになるが、足を踏ん張って、なんとか堪える。


「……辛いだと?」


 ややあって、父王は急き立てられるように、まくしたてた。


「何が辛い? お前には特に忠良な召使をつけ、身の回りの世話をさせている。その道の雄を招き、最高の教育を受けさせている。本も画材も十分に与えている。不自由も不足も不満も、なにひとつ差し挟む余地のない、恵まれた暮らしぶりだ。それを解さぬほど、愚かではなかろう」

「いえ……そういうことでは……」


 ニーダーの拙い釈明に、父王は耳をかさない。聞こえてはいるのだろうが、ニーダーがもたつくのを、待っていられないのだ。焦っているようだったが、その理由がわからない。

 父王は続ける。


「パンツァー……否、イレニエル公爵は、毎日のようにお前の許へ通っているそうではないか。ルナトリア嬢とも親しく交友していると聞いている。私も出来る限り、お前との時間をもつようにしている。それに、もう七歳になるのだ……しばしば母に会えぬからと言って、何もかも嫌になって、投げ出そうとするほど、寂しさがやりきれないなどとは言うまいな」


 話しているうちに、父王は感情の昂ぶりをもてあましたようだ。喉にものがつまったように、ぐっと黙り込む。


 父王は挑むようにニーダーを見据えている。ニーダーには返す言葉もなかった。ニーダーは賢くはないが、己が特に恵まれた境遇にあることくらい、わかる。だからこそ、辛いのだが、その気持ちをうまく言葉に出来ない。きっと、優れた王にはわからない。


 おろおろしていると、父王は苛立ちを露わにした。


「言いたいことは、はっきりと言え」


 父王が声を荒げる。怒声は鞭のように撓り、ニーダーを打ち据えた。ニーダーは涙を堪えながら、もごもごと言った。


「いいえ、陛下のなさることに不足なんて、なにも……これ以上は望むべくもありません。そんな、恐れ多いことは、決して……」


 これ以上、何と言ったら良いのだろう。ニーダーは唇をかんだ。これ以上は何もいえない。涙も零れそうだ。


 しばらくすると、父王が重く長い溜息をついた。ニーダーが恐れている、あの失望と諦念の溜息だ。


「わからぬ。気の利かぬ召使がいたとしても。無能な教師がいたとしても。欲しい物があっても。心を悩ませていても。私にはさっぱりわからない。お前は、この父に何も話そうとしない」


 ニーダーはおずおずと顔を上げた。父王はやるせなく頭を振り、傾けた額を押えている。


 もしかしたら、父王はニーダーに歩み寄ろうとしているのではないか。と、ふと思った。父王はこれまで、ニーダーを恐るべき目で責め詰り、呆れかえって失望するばかりだった。父王がニーダーに求めるのは、完璧な王太子であること。彼自身がそうであったように。それが出来ないニーダーは、父王の恥なのだ。


 ニーダーの失踪は、そんな父王の考えに一石を投じたのかもしれない。王太子ではなく、息子としてのニーダーに、関心を示してくれる、きっかけになったのかもしれない。


 あいな頼みにも似た希望だったが、ニーダーを勇気づけた。ニーダーは正直に、父王に打ち明けた。


「陛下は過分なほどに、私にお与えくださります。悪いのは私です。私はあまりに弱く、それらに押しつぶされそうで……だから、辛いのです」


 言うべきことを言って、ニーダーは父王の言葉を待った。本心を明らかにしたことで、何かがかわることを期待していた。


 やがて、父王は静かに唇を開いた。その声が軋んでいた。


「お前は……この国の王太子だ。それがお前の運命なのだ。逃げも隠れもするな。もう二度と……この父を失望させてくれるな」


 ニーダーの淡い期待は、父王の氷刀のような一瞥に切って捨てられた。


 父王は外套を翻し、兵を振り返る。よく通る威厳に満ちた声が、その場に居合わせた全ての人間に言い渡した。


「このゴーテルを城に招く。……王太子の客人だ。丁重に持て成せ」


 図らずも、ニーダーの希望通りの展開になった。しかし、達成感はおろか、喜びも感じない。極度の緊張によって、せき止められていた感情が一挙に押し寄せて、押し流され、ニーダーの意識は混濁していった。



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