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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十話「黙過」
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夢の終わり2

「嫌だ!」


 ゴーテルは悲鳴を上げると同時に跳び上がる。獣が獲物に躍りかかるように、ニーダーに飛びついた。ニーダーは気が付くとゴーテルの腕に囲われていた。ゴーテルはニーダーをきつく抱きしめながら、ひっくり返った声で喚き散らす。


「ミシェルは、俺のものだ! 渡さない。誰にも渡さない……絶対に!」


 ぎゅうぎゅうと、縋りつくようにニーダーを抱きしめるゴーテル。その様子が見苦しい狂態に見えたのだろう、シーナは眦を決した。


「いい加減になさい、ゴーテル。ミシェル様は、浚われたのではなくて、自ら望んで、高い塔を去ったのよ」


 しかしゴーテルは、駄々をこねるように、嫌だ嫌だと繰り返すだけ。どうしていいかわからないニーダーが、ゴーテルを宥めようと背に手を回すと、シーナがはっきりと顔を歪めたのが、ニーダーの視界の端にうつりこんだ。美貌は恐ろしく燃え上がるようだった。


 怯んだニーダーが、行き場をなくした両手を彷徨わせているうちに、シーナはまっさらな白紙のような表情を取り戻す。つかつかと歩み寄って来ると、シーナはゴーテルの傍らに屈みこんだ。

 ゴーテルの肩に手を置き、愛情深いといっても差し支えがないだろう眼差しでゴーテルの震える頬を見つめた。


「この際だから、はっきり言うわ。ミシェル様は……ダメよ、ゴーテル。耳を塞いではだめ。目を逸らさないで、大事な話だからよくお聞き。いいこと、ゴーテル。ミシェル様はね、高い塔の家族を捨てたの。お前のことも、捨てたのよ」


 そう言い放ったシーナの目が、一瞬、ニーダーを捉える。そこに浮かび上がった感情を掬い取る前に、癇癪を起したゴーテルが銅鑼声をあげてシーナの手を振り払った。


「ちがう、ちがうちがうちがう! 俺はミシェルを愛している。こんなに狂おしく、こんなに焼け付くように愛している! ミシェルも、俺を愛しているに違いないんだ。なぁ、そうだよな、ミシェル? 君も俺を愛しているだろう? 俺にはわかる。俺と一緒になって、君はあんなにも幸せそうだった! なぁ、そうだろう? にっこり微笑んで、頷いてくれ。いつもそうしてくれるじゃないか!」


 ゴーテルはニーダーの肩を掴んで揺さぶり、懇願している。とめどなく頬を伝う涙は哀れだったが、その形相は凄まじいものだった。鬼気迫ったゴーテルの様子はニーダーに恐怖を追想させる。

 たじろぎ、仰け反るニーダーの肩を掴むゴーテルの両手に力が籠り、骨がぎしぎしと軋む。


「ゴーテル、痛い……痛いよ……!」

「お願いだ、ミシェル。愛していると言ってくれ!」


 ニーダーの訴えを聞き入れる余裕がゴーテルにはないのだろう。ニーダーがもがけばもがく程、ゴーテルの強い五指が食い込んでくる。


 ニーダーは悲鳴をあげて、ゴーテルの腕を振りほどこうとしたが、出来なかった。かえってゴーテルの激情に火花を散らし、燃え上がらせただけだ。悲嘆に暮れ濡れていたゴーテルの双眸が、俄かに燃え上がる。


 ゴーテルが振り上げた腕を、シーナが捕まえた。シーナはゴーテルの手の甲に頬ずりをして、ゴーテルの背中にそっと寄り添った。


「戻っておいで、ゴーテル。私たちには、お前が必要なの。お願いよ、愛しいゴーテル」


 シーナはゴーテルの手を、彼女の腹部に引き寄せる。掌を腹に押し当てて、ゴーテルの瞳を覗き込んだ。


「私とこの子のためにも」


 そこに宿っているのは、二人の子供だと言う。だとしたら、ゴーテルは我が子の温もりをその手に確かに感じられただろう。


 しかし、ゴーテルは冷ややかだった。恐慌と激昂の波は退いていたが、それと一緒に、全ての感情まで干上がってしまったかのように。


 ゴーテルはいけぞんざいに手を引っこめてしまう。切れ長の目を見開くシーナに見向きもせずに、吐き捨てるように言った。


「白々しいな、姉さん。必要なのは、俺じゃないだろう。あんたたちは、強い男の種が欲しいだけだ」


 途端に、愛しい男に無碍にされる愁嘆場を演じていたシーナの表情が消えた。すっくと立ち上がると腕を組み、高圧的にゴーテルを見下ろした。


「わかっているのなら、家族のもとに戻りなさい。お前をここまで強く大きく育ててくれた家族たちに、恩返しをするのよ」

「俺は、務めは果たした。その胎の子は、俺に出来る精一杯の恩返しだ。俺と、姉さんの子どもが……」


 ゴーテルはちらりとシーナの腹部を見た。はじめて、子どもを見る彼の感情に、僅かな揺らぎが生じる。シーナはすかさず跪き、ゴーテルの膝に手を置いた。俯いたゴーテルの顔を覗き込み、優しい声で訴える。


「ゴーテル、大切な私の弟。私は信じているのよ。お前は高い塔の子。家族を大切にする、義理がたい子だと。お前は私の自慢よ。今は混乱しているだけ。本当はわかっている筈。私たちにとって、何が最も大切なことなのか」

「皆まで言うな。わかっている、姉さんの考えていることなんて、お見通しさ。あんたたちときたら、それしか頭にないんだ。影の民の血を絶やさないことしか……手当たりしだいに絡まり合って、血を継ぐことしか頭にない!」

「私たち家族はみんな、愛し合っている。愛し合う者たちが、愛を交わす尊い営みに、無粋な疑問を差し挟む余地はない」


 尚も言い募るシーナを押しのけて、しがらみも一緒に振り払おうとするかのように、ゴーテルは荒々しく立ち上がった。もどかしそうに頭を振り、拳をきつく握りしめて、叫ぶように言う。


「違うよ、姉さん! 高い塔で行われているのは、愛の営みでもなんでもない! ただ子を為すことのみを目的として繁殖行為だ。親も兄弟も関係なく、時には誰が父親なのかもわからない子が生まれる……獣のような、いや、獣にも劣るな! それを愛と呼ぶのなら、愛も屑に成り下がる。俺はそんなのは嫌だ! 俺は戻らない。種馬のように扱われるくらいなら、死んだほうがマシだ!」

「ならば逃げろ。無駄な足掻きと知るが良い。ブレンネンは、地の果てまで追い詰めて、お前を殺すだろう」


 シーナの蔑視は凍てつくようだった。嘲笑が美貌にふかぶかと食い込み、醜く歪ませる。


「それとも、お望み通り種馬として扱われてみる? 目を潰し、耳を、鼻を削ぎ落し、唇を縫いつけ、四肢を切り落とし、種付けをする為だけの生き物になり果て、高い塔へ戻ったとしても……家族たちはお前を歓迎するだろう。私たちの愛情はそれほどまでに深いのよ」 


 ゴーテルの双眸はたちまち、黒い絶望に塗りこめられる。恐怖が彼の歯をかちかちと鳴らしていた。


 震える大きな手を、ニーダーは握った。


 ゴーテルが驚いて振り返る。ニーダーは裸足のまま寝台を降りて、ゴーテルとシーナの間に割って入った。


 シーナはゴーテルの手を握りしめる、ニーダーの小さな手を冷めた目で見ている。背筋が寒くなるような視線だったが、ニーダーは毅然として顎を上げた。


(ゴーテルは優しくしてくれた。ブレンネン王国の王太子ではなく、何者でもない、つまらないこの僕に優しくしてくれたんだ。その思いやりと慈しみが、ミシェルに向けられたものであっても)


 ニーダーはゴーテルの手を強く握りしめる。


(僕は生れてはじめて、王太子であることを忘れられた。僕をがちがちに縛めていた鎖から、解放されることが、この僕にあるなんて……本当に、奇跡的なことだったんだ)


 ゴーテルは心を病んでしまっている。それは、ゴーテルが耐えられないくらい、辛い思いを強いられてきたということだ。


(ゴーテルのことが、怖くないとは、言えないけれど……彼はきっと、本当はとても心の優しいひとだから)


 ゴーテルの手が、躊躇いがちにニーダーの手を握り返す。その頼りない力が、ニーダーの背を押した。


(僕は彼に借りがある。今度は僕が、彼を助ける番だ!)


「彼は私の恩人だ。私の命を救ってくれた。ブレンネンは、彼の働きに報いる」


 シーナの怖い目を真っ直ぐに見返しながら、ニーダーは大きく息を吸い込んだ。冷たい空気は鋭い針になって胸を刺したけれど、臆することなくニーダーは言い放った。


「ブレンネン王国王太子、ニーダー・ブレンネンが命じる。ゴーテルを解き放て。彼は君たちの許へ戻ることを望んでいない」


 シーナは眉ひとつ動かさなかった。それでも、彼女の瞳の奥に苛烈な火花が散ったのは、ニーダーにもわかった。


「……恐れ多くも、申し上げます」


 シーナは低い掠れ声を喉奥から絞り出した。


「弟は心を病み、正常な判断が出来ない状態にあるのです。そんな者の言い分をお聞きいれになるのは、御聡明な殿下らしからぬ御振る舞いでは御座いませんか」

「少なくともこの件に関するゴーテルの言い分がおかしいとは、私には思えない。常軌を逸しているのは、君達の方ではないか。近親者と交わり、父親が誰かもわからぬ子どもが生まれているというのなら、それはおそろしく罪深いことだ」


 シーナが顔色を変えた。


「……罪深い、と仰いましたか? ならば殿下、寡聞な私めにご教授くださいませ。罪とは何なのです? 愛し合う家族たちが、新たな家族を望み、愛を交わし子を授かることの、どこが罪深いのです?」


 シーナは早口でまくしたてるように、苛烈と言って良い口調で言った。


「真に罪深いのは、愛されぬ子を産み落とすことだと存じますわ」


 そう断じたシーナの言葉には、太く鋭い侮蔑の棘がびっしりと生えている。それはニーダーの心に閊え、ひどく傷つけたけれど、ニーダーは退くに退けなかった。


「とにかく、ゴーテルの身柄は、私が預かる」


 掠れた声でなんとか言うと、ゴーテルの手をひいて歩き出す。扉の前でシーナを振り返り、端的に告げた。


「供を許す。陛下のもとへ案内してくれ」


 シーナは無言でニーダーを睨んでいたが、ゆっくりと一礼して、恭順してみせた。


「御意に」


 女性が扉を開き、先に外にでる。外に出ようとすると、ゴーテルの体が重くなった。振り返ると、ゴーテルは迷子のように瞳を揺らしていた。


「ミシェル……」


 か細い声で呼ばれたニーダーは、ありったけのゆとりをかき集めて、ともすれば不安に翳りそうになる顔に笑顔としてはりつけた。


「大丈夫だよ、心配しないで。君のことは、僕が守るから」


 ゴーテルが言った言葉を、ニーダーはゴーテルに返した。ゴーテルは迷っていたけれど、ニーダーに強く手を引かれて、部屋をあとにした。


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