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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第十話「黙過」
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夢の終わり1

 扉が見知らぬ女性によって開かれて、ニーダーが真っ先に感じたのは、驚きではなく失望だった。酒瓶に閉じ込めた美酒が、栓を引き抜かれ、外気に晒されて劣化してしまうのを、惜しむような気持ち。大切なものを台無しにされたような、取り返しのつかない喪失感が溢れ、ニーダーの心を浸していた。


 そしてその失望は、ニーダーだけのものではなかった。それどころか、元々はゴーテルから発せられた失望だったかもしれない。驚愕にオオカミの双眸を見開いたゴーテルは、唇をわなめかせ、握りしめた拳を小刻みに震わせている。


 二人が揃って女性の来訪を歓迎していなくても、女性は躊躇なく二人の小さな部屋に踏み込んで来る。ゴーテルと同じ、不思議な色のきめ細かい肌に覆われた、すらりとした肢体はしなやかで、美しい獣を彷彿とさせ、それに相応しい厳しい空気を纏っていた。


 椅子を蹴って立ち上がったゴーテルの正面で、女性が立ち止まる。傷口のように赤く濡れた唇が、低く掠れる声を紡ぎだした。


「説明なさい、ゴーテル。これは、いったいどういうこと? なぜブレンネン王太子が、お前のもとにいるの?」


 女性は殆ど抑揚をつけずに言ったが、彼女はまぎれも無く詰問していた。ゴーテルは、がつんと頭を殴られたように、ふらつく。眩暈を堪えるように足を踏ん張り、額を押えた。


「姉さん……どうして……」


 ゴーテルの、押し殺した言葉をきいて、ニーダーは目を丸くした。僅かに片眉を持ち上げる女性を見つめる。その下で白けている双眸は、オオカミの瞳。ゴーテルと同じ瞳だ。


(彼女は、ゴーテルの姉なのか)


 そうだとしても、緊迫した現状には何の変化ももたらさない。相手が姉であっても、ゴーテルは彼女を脅威として認識しているのだから。


 女性は微かに溜息をついた。うんざりしているのを、隠そうともしない。


「私が理由を訊いているのよ。答えなさい、ゴーテル」

「……すまない、姉さん。俺は高い塔には戻らない。ミシェルと二人で生きて行くと決めた」

「それは、私の質問に対する答えではないわね」


 呆れたかえった女性が、肩を竦めて天井を仰ぐ。女性の言うとおり、ゴーテルの返答はとんちんかんだ。ゴーテルとの会話は、しばしばかみ合わない。ニーダーも経験から知っている。


 しかし、今のゴーテルは明らかにおかしかった。大きな体を震わせて、シャツに染みが出来るほどに大量の汗をかいている。ニーダーに向けられた、ゴーテルの大きな背中が、今にも崩れてしまいそう。


 女性は聞きわけの悪い幼子に、噛んで含めるように言った。


「ミシェル様がこの森におでましになる筈がないでしょう。ミシェル様はブレンネン王家に嫁がれたの。もう高い塔の家族ではないのよ」

「姉さん、俺の話しをきいて」

「お黙り。お前の妄言はもう聞きたくない。私まで頭がおかしくなりそうだわ」


 女性はぴしゃりとゴーテルをはねつける。鞭で打たれたように、びくりと身を竦ませるゴーテルを放っておけなくて、ニーダーは寝台の上に膝立ちになり、ゴーテルの背に手を添えた。


 ニーダーを見た女性は、態度を一変させた。居ずまいを正し、畏まって丁寧にお辞儀をする。


「殿下、誠に申し訳ございません。これは哀れな男です。未熟さゆえに脆弱な心を病み、妄想の中でしか生きられなくなりました」


 ニーダーは女性の言葉尻に食いつくように、言い返した。


「そうであっても、私には、彼を責めるつもりはない。それどころか、感謝している。彼は私の命を救い、手厚く介抱してくれた」


 ニーダーが浅慮な子どもであるからと言って、ゴーテルにひどく痛めつけられた過去を、水に流して忘れたわけではない。ゴーテルは彼の姉がいうように、心を病んでいるのだろうと、ニーダーも思う。


 それでも。


 と、ニーダーは掌に感じる体温を意識して、萎縮しきったゴーテルの背を支えようとした。


 ゴーテルにぴったりと寄り添うニーダーを、女性は真正面からひたりと見据えた。その唇の端が、ほんの少しだけ持ちあがる。嫌な笑い方だった。唇をついて出た言葉はねばついている。


「殿下はたいそうご寛容なお方でいらっしゃいます。斯様なご無礼を仕りました痴れ者を、哀れんでくださるのですね。お咎めにもならず。やはり、王太子殿下ともおなり遊ばされるお方は、我々のような有象無象とは違いますわね。そのようなお姿にされても、堂々としていらっしゃいますもの」


 女性の言葉ばかりが丁重だった。僅かに逸らした細い顎は挑発的で、その瞳は冷笑している。ニーダーは頬がかっと熱をもつのを自覚した。女性の慇懃無礼に腹をたてたのではない。女性に嘲られても仕方がない、己の落ち度にやっと気が付いたのだ。ニーダーはゴーテルが用意したドレスを着ていた。


 意識した途端に、大きく開かれた襟ぐりや、頼りないスカートが、恥ずかしくて堪らない。


(女性にこんな姿を見られるなんて!)


 打ちひしがれるニーダーは、彼の旋毛を冷ややかに見下ろした女性の細面に、勝ち誇ったような色が浮かんだことを知らない。女性はスカートの裾を持ち上げて、優雅にカーテシーをしてみせた。


「申し遅れました。わたくしは名をシーナと申します。ブレンネン王家に格別のご厚情を賜り、この森に住まわせて頂く一族の末輩にございます。国王陛下に遣われ、お探し申しておりました。殿下、お父上が、我らが高い塔でお待ちです。お供をお許しください」


 ニーダーは滑稽な姿を晒している恥ずかしさと情けなさを忘れて、シーナと名乗った女性を見返した。


(この暗い森に、人が住んでいる? この、人喰いの獣の巣窟に? 何のために?)


 シーナの話しは、素直に飲み込むには抵抗のあるものだ。しかし、それよりも、ニーダーにとって聞き捨てならなかったのは。


「陛下が、この森にいらっしゃっているのか?」


 素っ頓狂な声を上げるニーダーを、シーナは冷めた目で一瞥すると、恭しく頭を垂れた。


「はい、殿下。陛下は御身のご無事を、大変、お悩みでいらっしゃいます。さぁ、参りましょう」


 シーナは右手で扉を指し示し、ニーダーを誘う。ニーダーは呆然としていた。


(陛下が、暗い森にお越しになっている。僕を……王太子を探すために!)


 王子が失踪すれば、大騒ぎになることは目に見えていた。ブレンネン王国の一大事である。父王も重い腰を上げずにはいられない。我が子を愛していなくても、王太子を失うわけにはいかないからだ。


 ニーダーが魔法にかけられたような時を過ごしているうちに、大変なことになっていた。今更、青ざめても遅すぎる。


(そうだ、僕は王太子なんだ。大切にされるのは、相応の責任があるからだ。こんなところで、僕は何をしているんだ。いますぐ戻らないと!)


 ニーダーが弾かれるように立ち上がろうとしたとき、ぶん、と風を切る音がした。シーナが大きく跳びずさる。


 ぽかんとするニーダーを、肩越しに振り返ったゴーテルは、もう震えていなかった。彼の手は、魔法のように現われたサーベルを握っている。


 ゴーテルは固い顔にあるかなしかの笑みをのせて、言った。


「大丈夫だ、ミシェル。何も心配いらないから。君は俺が守るよ」


 ニーダーは口をぱくぱくさせた。今すぐ城に戻らないといけないのに、言いだせない。ミシェルというニーダーを必要としているゴーテルに、そんなことは言えない。


 シーナがおもむろに、壁際から離れる。唇の端を耳にひきつけて、鋭い犬歯をのぞかせた。


「何の真似だ、ゴーテル」

「姉さん。例えあなたであろうとも、俺たち二人を引き離そうと言うのなら、容赦はしない」


 ゴーテルはサーベルの切っ先をぴたりとシーナに据える。先ほどまで小鹿のように震えていたのが嘘のように、切っ先は定まっていた。


 シーナは眉間に深い皺を寄せて、吐き捨てるように言った。


「血迷ったか、ゴーテル。この姉に牙を剥くほどに」

「姉さんは思い違いをしている。あなたはもう、俺には敵わない」


 シーナの双眸が、ぎらりと光った。真珠のような歯が真っ赤な唇から覗く。


「甚だしい思い上がり、その立派な鼻っ柱とともにへし折ってあげましょうね」


 シーナがにんまりと唇を笑みに撓ませて言ったとき、口の周りを血で汚したオオカミの、生臭い吐息が感じられるようだった。


 シーナとゴーテルの、抜き身の刃のように鋭い視線が虚空で衝突し、火花を散らす。鍔迫り合いを先に放棄したのは、シーナの方だった。


 目を逸らしたシーナの、口をついて出た言葉は奇妙なほどに凪いでいて、彼女が怒気という鎧をあっさりと脱ぎ捨てていることを証明していた。


「……と言いたいところだが。癪なことに、お前の言うとおりね。狂惑すればするほどに、お前の輝殻は強く輝くもの」


 両手を肩まで上げて、闘争心がないことを示すシーナを、ゴーテルはしばらくの間、凝視していた。目を凝らせば、真意を見透かせるとでも思っているのかもしれない。穴が空くほど見つめる。

 狙い通りの成果を得られたのかどうかはわからないけれど、ゴーテルは僅かに目を伏せた。ゴーテルはシーナの腹部あたりに視線を留め、額を手で覆った。


「見逃してくれ。あなたたちを傷つけたくない」


 すると、シーナはわざとらしく目を瞠る。平らな腹を両手で抱え、大袈裟に驚いてみせた。


「まぁ、驚いた。家族を捨てた薄情者でも、この胎に宿った我が子にかける情を、持ち合わせているというわけ?」


 シーナの衝撃の告白を聞いて、ニーダーは噎せてしまった。


(この女性ひとのおなかに、ゴーテルのこどもがいるだって!? そんなバカな、だって彼女は、ゴーテルの姉だと、さっきそう言っていたじゃないか!)


 赤ん坊は、神聖な誓いをたて夫婦となった男女の間にのみ、おりてくるものだと、ニーダーは教わっていた。親兄弟は、夫婦になることが出来ないとも、教わっていた。


 どういうことなのだろう。ニーダーは目を白黒させる。目の前の女性には、ゴーテルの面影がある。そして、ゴーテルもシーナも、二人が姉弟であると明言している。


 ところが、シーナのおなかに宿った子どもの父親がゴーテルであるということもまた、シーナは断言した。ゴーテルも否定しない。


(でも、それは許されないことだ! 姉と弟は夫婦になれない。神聖なる夫婦の誓いをたてることができない。それならどうして、二人の間にこどもが出来たんだろう?)


 ゴーテルは否定もしないが、肯定もしない。シーナの言葉に何も返さない。ゴーテルに何かしらの反応を期待していたのだろうか。シーナは鼻白んだようだった。気を取り直すように咳払いをすると、感情に波うたない声色をつかって言った。


「ここを押し通れば、お前たちはブレンネン王国中のお訪ねものよ。銀の炎を振りかざした人間どもが、徒党を組んで襲いかかってくる。あの忌まわしい銀の瀑布がある限り、この国を出ることは叶わない。輝殻を自在に操るお前であっても、生き残る術はないわ」


 シーナのほっそりとした指先が、弓につがえられた矢の矢尻のように、ゴーテルに向けられる。シーナは厳かに言った。


「その子をブレンネン王に引き渡しなさい」

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