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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第九話「過日」
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暗い森2

 頭をがつんと殴られたような衝撃が、ニーダーを襲った。


(まさか、そんな、嘘だろう? こんな小さな娘に、ブレンネンは……陛下は、なんてことをさせようと言うんだ!)


 ルナトリアは目をきつく瞑っている。ニーダーと繋ぎ合わせていた手を、膝の上で白くなるほど握りしめて、ルナトリアはしゃくりあげながら言った。


「さいごのお願いです、殿下。お父さまに、お伝えください。ルナはきちんとお言いつけを守りましたって。お父さまはきっと、ルナのことを誇りに思ってくださるわ……うっ、うぅ……」


 小さくて柔らかい手が震えている。ぼろぼろと涙を零す幼いルナの、悲壮な覚悟の強さを表しているかのようだ。


 ニーダーは発作的に、胸をかきむしりたくなった。


(僕が王子だから……だから、ルナは僕の傍にずっといてくれたんだ。いざというときに、命にかえても僕を守るために。イレニエル公爵の言いつけなんだ。イレニエル公爵は、ブレンネンの家臣として、最愛の娘に厳しく命じなきゃいけなかった……僕が王子だからだ! なんてことだ、そんなの、間違ってる!)


 ルナトリアの泣き腫らした、あどけない顔を覗きこめば、ニーダーは馬鹿げていると思った。ルナトリアは心優しく、勇敢な、良い娘だ。イレニエル公爵にとっては、最愛の娘であり、亡くなった妻の忘れ形見でもある。


 そんなルナトリアがニーダーの為に死ななければいけないなんて、そんなの馬鹿げているとしか、言いようがない。


 ニーダーはこれまでに感じたことのない、激しい感情にかられ、苛烈な口調で言った。


「バカなことを言うな! 僕が王子だから、ルナが僕の為に犠牲になるなんて、そんなの絶対におかしい! 今のは聞かなかったことにする。でも、いいか。今度またあんなことを言ったら、僕はルナのことを絶対に許さない!」


 呆気にとられていたルナトリアの双眸から、また涙があふれだす。ニーダーは苦々しく思いながら、ルナトリアに背を向けた。すとんとしゃがみこむと、振り返らず、短く言った。


「君を背負って走る。さぁ、きて」


 ルナトリアはへどもどしている。ニーダーが厳しい口調で繰り返すと、ルナトリアはもごもごと言った。


「でも、でも、殿下……」

「黙って僕の言うことをきくんだ。これは命令だぞ」


 ニーダーはイライラしながら、千切って投げるように言う。すると、ルナトリアはまた泣きだした。


「ダメです。こんなのダメですよぉ……ルナは殿下をお守りしなきゃいけないんです。殿下のおにもつになったら、ぜったいにいけないんですよぉ……」


 ぐずぐずするルナトリアに、ニーダーは湧き立つような憤りを覚えた。腹に収めることが出来ずに、噴き上げるまま、ルナトリアを怒鳴りつけた。


「見損なうな! このニーダー・ブレンネンはいずれ、ブレンネン王国を背負って立つ者だぞ。小さなルナを背負って逃げるくらい、どうってことない!」


 ルナトリアの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれている。ニーダーがあまりの剣幕でどやしつけたから、怯えさせてしまったのだろう。


 それでも、この時ばかりは、ニーダーは謝ろうとは思わなかった。めそめそぐずぐずするルナトリアを待ち切れずに、くるりと向き直ると、ルナトリアの体を強引に横抱きにして、立ち上がる。ルナトリアはびっくり仰天して、すっとんきょうな声をあげた。


「きゃ……殿下!?」

「動かないで。動いたらひっくりかえる」


 小さくて軽いルナトリアだけれど、非力なニーダーの肩と肘には過ぎた負荷がかかる。膝が折れそうになったが、そこは意地でも、なんとか堪えて歩き出す。


 ひっくり返ると言われると、ルナトリアも下手に身動きできないようだ。ルナトリアは指一本動かせずに、体を丸めた不自由な体制でかたまっている。


 大人しくなったルナトリアを抱えて、ニーダーは足場の悪い森のけもの道を歩く。人喰いの獣は、まだ襲って来ない。どこかへ行ってしまったのか、それとも、陰から執拗につけ狙っているのかは、わからない。そのことを考えると、恐怖で膝が震えだすので、極力考えないようにする。


 無心になって歩を進めていると、ルナトリアが呟いた。


「殿下……ルナは重いですか?」


 また、一人で逃げろと言うのだろうと、しかめっ面で待ち構えていたニーダーは、面食らった。ルナトリアは顔を真っ赤にして、おどおどとニーダーを見上げている。


 どうやらルナトリアは、いつ人喰いの獣に襲われるかわからないのに、ニーダーがルナトリアを重いと感じているのかどうかなんて、他愛ないことで、本当に心を悩ませているらしい。


 ニーダーは、思わずふきだしてしまった。


「あはは……そうだな。重いよ」

「えっ……まぁ、失礼な殿下! 淑女レディにむかって、重いなんて言っちゃいけないんですよ!」


 腕の中で、怒ったルナトリアの体が弾む。ルナトリアを落っことさないように苦労しながら、ニーダーは笑っていた。


「重いよ、ルナ。ルナの命は重いんだ。僕にとって、とても」


 ルナトリアが小首を傾げる。ニーダーは前のめりに、足早に歩いている。だいぶ、石の扉に近づいてきた。


 はやく帰りたい。母との約束が果たせなかったのは、残念だ。母をがっかりさせてしまうと思えば、胸が痛む。もし母に見限られたらと思えば、心が砕けてしまいそうだ。


 そうであっても、ニーダーの屈託で、ルナトリアを死なせるわけにはいかない。


「大切なルナ。僕は君が大好きなんだ。君を見捨ててひとりで逃げるなんて、そんな恐ろしいことを、この僕にさせないで」


 それはまぎれも無い本心だった。ニーダーがこんなに怖い思いをしながらも、なけなしの勇気を振りかざすことが出来るのは、一緒にるのがルナトリアだからだ。絶対に、守らなければいけない、大切な小さな友人だからだ。


 ニーダーの言葉を聞いたルナトリアは、くしゃりと顔を歪めた。


「殿下ぁ……うわぁぁぁん!」


 首っ玉にすがりついて、おいおいと泣いているルナトリアを、ニーダーは微笑ましく見下ろした。心の中で、そっと言葉を付け足す。


(君にとって、僕はブレンネンの王子でしかないのかもしれないけど……僕にとっては、君はイレニエル公爵令嬢でも、未来のブレンネンの淑女でもなんでもない。君は僕の幼馴染の、小さなルナ。大切な友達だよ)


 ニーダーは自らの言葉が鋭い棘となって心に刺さるのを感じていた。


 わかっていたことだ。ニーダーが王子だから、ルナトリアはニーダーの友達になってくれた。ニーダーを敬愛してくれた。ルナトリアの友情は本物だ。ブレンネン王国の王子に捧げられたものだ。


 何者でもないニーダーを好いて欲しいなんて、贅沢を言うつもりはないし、今はそんな場合ではないこともわかっている。


 けれど、ルナトリアがニーダーを殿下と呼ぶたびに、心には棘がさらに深く食い込んでいった。


 ニーダーは出来るだけ早く足を運んだ。腕も肩も痺れて、息は切れていたが、歩調をゆるめることは出来ない。

 あたりはしんと静まり返っている。ニーダーは不気味な沈黙に耐えきれずに、ルナトリアに訊ねた。


「ルナ、人喰いの獣は……追いかけてきていない?」


 ルナトリアの泣き顔に恐怖と不安が過る。ニーダーが頷いて促すと、恐る恐る首を巡らせて、ニーダーの肩越しに後ろを伺い見た。

 ルナトリアの緊張がほっとゆるむ。報告する声は明るかった。


「来ていません! きっと、あきらめたんです。殿下が風みたいにはやくはしってくださったから!」

「そうかな」


 楽観的なルナトリアを揶揄するつもりで言ったのに、ルナトリアは気が付かず、あるいは気にも留めず「そうですよ!」と力強く頷いた。


 そのうち、ニーダーにもルナトリアの呑気が伝染したようだ。石の扉はもう目の前で、追手はいない。良かった、助かったのだ。ニーダーは安堵していた。


「とにかく、いまのうちだ。いまのうちに、隠し通路の出口まで戻ろう」

「はいっ!」


 ルナトリアが元気に返事をする。ルナトリアの笑顔につられるように、ニーダーも微笑んだ。それから、前方に視線を戻す。


 その時だ。背後で、霧を纏ったような獣が躍り出すのを視界のはしにとらえた。


 斜め後ろから、人喰いの獣が飛びかかって来たのだ。驚く間もなかった。


 岩のように固く、がっしりした体とまともにぶつかり合って、ニーダーは吹っ飛んだ。地面にうつ伏せに倒れ込んだニーダーの背を、人喰いの獣が前足で強く押さえつける。この獲物は自分のものだと、誇示するかのように。


 衝突の衝撃で、ニーダーの頭の芯はじんと痺れている。それでも、わかる。万事休すだ。


 衝撃で弾きだされたらしいルナトリアが、少し離れたところから、絹を裂くような悲鳴を上げた。


「殿下っ!」


 ルナトリアが足を引き摺って、此方に来ようとしているようだ。人喰いの獣の、黒く縁取られた、大きな口にびっしりと並んだ真珠色の牙に見入っていたニーダーは、はっと我に返って、ルナトリアをとめた。


「ルナ、だめだ、こっちに来るな! 逃げるんだ!」


 人喰いの獣が、のそりと頭を擡げる。三角の耳がぴんとたち、ルナトリアに注意を向けている。ルナトリアは雷に打たれたように立ち竦んだ。


 ニーダーは背に獣の剛い爪を感じていた。そこから、体が凍えていくようだった。食い込む爪が、死の予兆をさし込んでいる。


 ニーダーは、もう逃れられないことを悟っていた。この体制をひっくり返せるとは、到底思えない。もしも、ニーダーが熱心に剣術の稽古に励んでいたとしても、無理だっただろう。


(僕は、もう駄目だ)


 ニーダーは不思議と冷静だった。むしろその真逆だったかもしれない。あまりに興奮しているから、恐れを忘れているだけなのかもしれない。


 しかし、それもいつまでもつかわからない。人喰いの獣が、ニーダーを甚振り始めたら、身も蓋もなく悲鳴を上げてのたうつだろう。ルナトリアに助けを求めてしまうかもしれない。ルナトリアには、どうすることも出来ないのに。


 だからせめて、恐れを忘れている今のうちに、ルナトリアを逃がさなければならない。

 ニーダーは潰された胸を膨らませ、叫んだ。


「君じゃあ、どうしようもない! 逃げて、助けを呼んでくれ! 急いで!」


 切羽詰まった響きを、ルナトリアはちゃんと聞きとってくれた。いつものように、駄々をこねることなく、一度で、ニーダーの言うことを聞いてくれた。


「すぐに、すぐに助けを呼んでまいります!」


 甲高く叫んだルナトリアが、踵を返す。足を引き摺りながら、出来る限りの速さで走って行く。


 ルナトリアの背中が、石の扉の向こう側に消えていく。ニーダーは口を押えてそれを見守った。恐怖が津波のように、ニーダーを呑みこんでいた。

 獣の顔が、ニーダーの耳のすぐ傍にある。生臭い、血臭がむわりとにおう。恐ろしくて、不用意な言葉が、口をついて飛び出してしまいそうだった。


(待って、やっぱり行かないで! 助けて! お願い、こわい。死にたくない、死にたくない!)


 人喰いの獣は、大きな顎でがっちりとニーダーの細首を咥え込んだ。牙が肌にあたり、チリチリとした痛みが火のようにはしる。力強い顎に扼されて、悲鳴も上げられない。ひゅっと引き攣れた呼気だけが漏れた。


 人喰いの獣の長い舌が、べろりと襟足のあたりを舐める。ざらざらした舌が、泡立つ肌を削ぎ落すように這う。まるで、味見をしているかのようだ。この肉はどんな味がするだろうか。何処から食べようか。美味しく食べる為に、あらゆることを吟味している。


 ニーダーの恐慌は頂点に達した。眩い光が頭の中で弾けて、ニーダーの意識が遠ざかる。


 暗く閉ざされて行く頭の中に、知らない男の声が響き渡った。


『怖がらせたかい? すまない、そんなつもりはなかったんだ。君が戻ってくれたのが、あんまり嬉しかったから、つい、ね。君が連れ去られてからというもの、俺の世界は悪夢のようだったよ。ああ、それも今となっては、君とこうして一緒になれるんだから、夢のようだ。君の寂しい世界を満たしてあげよう。大丈夫。俺に任せておいて。もう君は、俺のいないところで苦しまなくていい』


 鎖のような両の腕が、ニーダーの体を抱き上げ、熱く鼓動する胸に抱く。男は熱い吐息とともに、ニーダーの耳元で囁いた。


「おかえり、愛しい俺の姫君」


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