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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第九話「過日」
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母を訪ねる2

 ニーダーはカーテンをかきわけ、部屋の真ん中に進み出る。母の部屋はニーダーの部屋と同じ間取りの筈だが、とても広く思える。青い天井は空のように高く、純白の壁紙は全てを晒している。


 母の部屋はニーダーの部屋とは対照的だ。極端に物が少ないのだ。女性的な小さく華奢な家具がぽつんぽつんと、荒野の枯れ木のように置かれている。

 余所余所しい部屋の中で、綺麗な硝子の花瓶に活けられて、生き生きと咲き誇る白薔薇が、どこか異質だった。


 母は天蓋つきの寝台の端に腰かけていた。白薔薇の花弁を優しく撫でている。膝まである黒髪が、純白のシーツの上に流れ、渦巻く水のような、複雑で優美な模様を描いていた。薄い色の唇が開かれ、母はほとんど囁くように言った。


「ようこそいらっしゃい、ニーダー」


 ニーダーは笑顔を輝かせた。姿勢を正して、出来る限り優雅に一礼する。舌を噛まないように注意深く、ゆっくりと心をこめて挨拶をする。


「お招き頂き、ありがとうございます。お顔向けが叶い嬉しいです、とても!」


 母は物憂げに「そう」と相槌を打つ。

 凍てつく湖のような青い瞳は、ぼんやりと白薔薇を眺めているようだ。ニーダーはさっと母の全身に視線をはしらせる。傷や痣はないようだが、顔色が病人のように青白い。陽の光を浴びない母は、象牙のような肌の色をしているが、それにしても、血色がよくない。


 ひょっとして、体調が優れないのだろうか。ニーダーは居ても立ってもいられなくなり、母に訊ねた。


「最近はよく眠れていらっしゃいますか?」

「ええ」

「でも……あまりお顔の色が優れないように見えます。もしかして、お加減が悪いのでは……」


 追尋は、母の物憂げな溜息に押しつぶされた。母は髪を耳にかける。露わになった横顔は、うるさそうに顰められていた。


「ニーダー、母を気遣ってくださるなら、あまりうるさく言わないで頂戴」

「……はい、母上」


 ニーダーは消え入りそうな声で返事をして、悄然と俯いた。母が心配だが、母が嫌がるなら、これ以上何も聞けない。母の不興を買って、もう二度と呼んで貰えなくなったらと、想像するだけで骨がふるえるようだ。


 沈黙が重く圧し掛かる。ニーダーはどうしようもなく、そわそわした。腹の前で結んだ紐の結び目を弄っているうちに、背負った画のことを思い出した。


 ニーダーはぱっと顔を上げる。苦労して結び目を解くと、画を両手に持って、恭しく差し出した。


「この絵を、母上に差しあげます」


 ところが、母はこちらを見てくれない。ニーダーはなんとか母の関心をひこうとして、言葉を重ねた。


「陛下より賜りました、異国の本を読んで描きました。海の絵です。母上はご存知ですか? 満ち引きする、大きな塩の水たまりです。この白いのは、砂浜です。砂と、貝殻や珊瑚の破片なのです。それから……」

「そんなことより、ニーダー。母のお願いを聞いてくれないかしら?」


 ニーダーは、己の笑顔に、ぴしりと音をたてて亀裂がはしるのを自覚した。キャンバスを持つ手が小刻みに震える。母はこちらに見向きもしない。


 母の喜ぶ顔を思い描いて、キャンバスに色を重ねた。幸福に満たされたひと時が急速に色あせて、陳腐なものと化していくのをまざまざと感じながらも、ニーダーは食い下がった。


「はい、もちろん……ですが、あの……これを、ご覧になりませんか?」

「あとで見るから、適当なところに置いておきなさい」


 ニーダーはキャンバスを握りしめた。指先が白くなるほど、力が籠っている。


(でも……母上のお願いを聞いたら、すぐにここを出て行かなきゃいけないじゃないか……)


 いつもそうだ。母は用が済むとすぐに、ニーダーを追い返してしまう。

 長居は無用だということを、頭では理解している。見つかったら、ただでは済まない。

 それにきっと、母は体調が優れないのだろう。貴重な時間を少しだけ裂いて貰えるだけでも、ニーダーは嬉しい。愛されていると実感できる。


 それでも、少しだけ、母ととりとめのない話をして、なんてことないことで笑いあいたい。ニーダーは咳き込んで言い募った。


「お話ししたいことが、他にもたくさんあるのです。少しだけ、お時間を頂けませんかっ!?」

「あとで聞くから、先に母のお願いをきくのよ」

「その前に、少しだけ……!」

「ニーダー、あなたはいくつになりました?」


 突然の話題転換に、ニーダーは面食らう。それでも、母が自身に興味を持ってくれることは嬉しくて、ニーダーの声調はほんのすこし弾んだ。


「先の月で、七歳になりました」

「だったら、子どものような我儘を言って、母を困らせたりしないわね?」


 母の叱責は鞭声のように鋭く閃く。ニーダーは言葉を失った。足元が抜け落ちたようだ。


 己の醜態に眩暈がする。母を気遣うよりも、自分の幼い欲求を優先しようとするなんて、母が怒って当然だ。今、ハサミやナイフを手に持っていたら、幼稚な願望を塗りたくった醜悪な画を切り裂いてしまいたい。


 しばらくしてから、ようやく、しどろもどろになりながら謝った。


「も、申し訳ありません。お許しを……」

「……ニーダー、よくお聞きなさい」


 ニーダーは恐る恐る、上目使いで母を窺い見る。母は凪いだ水面のような、静かな横顔で淡々と言った。


「あなたはブレンネンの正統な王位継承者です。普通の子どもとは違って、無邪気でいられる期間はもう終わってしまったのよ。おわかり頂けるかしら?」

「はい、母上」


 ニーダーは失態を挽回しようとして、力を込めて頷く。母もまたひとつ頷くと、両手を胸の前で合わせた。


「それでね、ニーダー。母上はね、コマドリの卵が欲しいのです。今すぐよ。空と森の中間にあるような、とても綺麗な色をしているの。とってきてくれるかしら?」


 ニーダーは瞠目した。今すぐは、まずい。剣術の鍛錬の予定が入っている。自由な時間であれば、上手く姿を眩ませる術もあるが、予定が入っているなら話しは別だ。


 ニーダーが稽古場に姿を現さなければ、何処にいるのかと探される。そうしたら、母の使いをしていることがばれてしまうかもしれない。


 ニーダーはおずおずと母に諫言かんげんした。


「母上のお望みとあれば、なんなりと、叶えて差し上げたいのですが……陛下に知られたら、また、母上が辛い思いをなさります」

「あなたが、うまくやってくれれば良いでしょう? そうすれば、母が辛い思いをすることも、陛下がご不快な思いをなさることもありません。あなたさえ、うまくやってくれればね」


 母はニーダーの言い分を歯牙にもかけない。困り果てるニーダーを、強い語勢で追い詰める。


「自信がないなんて、情けないことは仰らないでしょうね。あなたは未来の国王です。あなたのこの双肩には、ブレンネンの未来がのしかかっているの。全てのブレンネン国民の命を預かるあなたが、自信がないから責任を持てません、だなんて。そんな言い訳をして逃げることは、許されませんよ」


 ニーダーは押し黙った。母の頼みは快く請け負うことは出来ない。失敗した結果、被害をこうむるのがニーダー自身であれば、腹を括ることも出来よう。しかし実際、被害をこうむるのは母だ。どうしても、腰が引けてしまう。


(母上のお望みを叶えて差し上げたいって言うのは、本当なんだ。嘘じゃない。でも、それで母上が傷つくのは……やっぱり、ダメだ)


 ややあって、母がおもむろに首を巡らせた。霞むような眼差しで、母はニーダーを見つめて、懇願した。


「ニーダー、お願い。母の頼りは、あなただけなの。あなただけは母の味方でいてくれなければ、生きていけないわ。ささやかな願いを叶えて頂戴。出来る筈よ。あなたはブレンネンの王座に君臨する、陛下のたったおひとりの子息です。あなたもまた、王たる器であることを、母は信じています」


 あなただけが頼りなの。ニーダーは母のその言葉に弱い。そう言われてしまったら、ニーダーは唯々諾々と母の要求をのむしかなくなる。

 ニーダーは悲痛な覚悟で頷いた。


「お任せください。僕は母上にお味方します。なんでもしますから」

「ありがとう、ニーダー」


 言った傍から後悔の念が押し寄せるけれど、母の感謝の言葉が、全てが正しい選択だったと裏づけてくれる。

 母は身ぶり手ぶりを交えて、ニーダーにコマドリの説明をした。


「コマドリは、これくらいの、小さな鳥よ。顔から胸は赤橙で、その周りは青みがかった灰色で縁どられているわ。腹は白く、頭から背にかけてはオリーブ色、腰から尾は明るい赤褐色で、翼と嘴は黒いの」

「はい、知っています。ほら。先日、陛下より鳥獣の図鑑を賜ったと、お話ししたでしょう?」


 あの時も、母は興味が薄そうで、ゆっくり話をすることは出来なかったが。 

 母はゆっくりと瞬きをする。けぶるような睫毛を伏せて、ぼそりと言った。


「そうだったの? なら、心配ないわね」


 母はすぐに話題を戻した。


「コマドリは、このあたりにはいないの。王家の墓所にある地下通路を通って、暗い森にお行きなさい。コマドリは、この季節に巣をつくるから」

「暗い森へ? ですが、母上。森に入ってはいけないと、皆が口を揃えます。恐ろしい獣に食べられてしまうって」


 ニーダーは目を剥いたが、母は事も無げに頭を振った。


「いいえ、ニーダー。恐ろしくないわ。獣たちは、森の中に棲む慈悲です。彼らは常に最良の選択をしてくれるわ。大丈夫、ニーダー。大丈夫だから、行ってらっしゃい。母上の為に、コマドリの卵をとってきてください。お願いよ、ニーダー。寂しいの。陛下はご用がなければ、私を訪ねて来て下さらない。この心の寂しさを埋めたいの。わかってくださるわね、ニーダー?」


 ニーダーは「はい、母上」と答えた。そう答える以外に、選択の余地がない。すると、母はニーダーから視線を外してしまう。


「なら、もうお行きなさい」


 白薔薇の花弁を優しく撫でることを再開した母を、ニーダーは途方に暮れて見つめる。そのままでいると、母が訝しげに眉根を寄せた。


「どうしたの?」


 母の機嫌が降下していることが、ありありと伝わってくる。それでも、ニーダーは今一度、母の為に言わなければいけなかった。


「あの……少しだけ、お待ち頂けませんか? これから、ゴルマックと共に、剣技を鍛錬する予定が入っているのです」

「ニーダー。あなたは王になるべき方なのに、逐一、教えを乞わなければ、満足に学ぶことも出来ないのですか?」


 母が溜息をつく。ニーダーはそれに押しつぶされそうだ。首を竦めて、重圧に耐えようとするが、続く言葉はさらにニーダーの心を折ろうとするものだった。


「陛下が私をお叱りになるのも、ごもっともなのですね。陛下のお子であれば、そのように不明である筈がありません。この不束な母のせいです」


 ニーダーは知っている。父王が、ニーダーの至らぬところを全て母のせいにして、母を折檻していることを。


 幼い頃、母の部屋に招かれている間に、父王が母を訪ねてきたことがあった。その時は、母が機転をきかせて、ニーダーをクローゼットに隠した。ニーダーは身を隠したクローゼットの戸の隙間から、母が父王に酷い暴力をふるわれている一部始終を目撃した。


 自身の過失は全て、母の過失になり、責め苦に直結する。それを知ったあの日から、ニーダーは強迫観念と罪悪感にとらわれている。


 最愛の母の苦しみは、ニーダー自身が生み出しているものなのだ。


 ニーダーは喉を切り裂くように叫んでいた。


「いいえ、見損なわないでください! 私は独自に研磨研鑽を重ね、立派な王になってみせます! 母上にはもうこれ以上、ご迷惑をおかけしません!」


 肩で息をするニーダーをちらりと瞥見すると、母は抑揚なく言った。


「それを聞いて安心しました。さぁ、早くお行きなさい。日が暮れてからでは、巣を探せなくなってしまうわ」


 ニーダーは画を部屋の隅に置いて、母の部屋をあとにした。今日もやはり、とりとめない会話をして笑いあうことは、叶わなかった。


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