罪の告白
ニーダーの表情と声調から、何らかの固い決意が感じられる。ラプンツェルはもう一度洟を啜り、小さく頷いた。
ニーダーは瞼を下ろして、三度、深呼吸をする。心を落ち着かせたのだろう。そして、言った。
「先王を……父を殺したのは、私なんだ」
ラプンツェルは瞬きをした。涙が一粒、頬を伝ってシーツの染みになる。
冗談かと思った。しかし、そんな理由も必要もない。ラプンツェルは、小声で訊いた。
「あなたのお父さまを殺したのは、宰相なんじゃ?」
「彼は私の共犯者だ。私も彼も、父を憎んでいた」
血の気が引いたのを、ラプンツェルは自覚した。ニーダーは冷たくなるラプンツェルの手を、熱を擦り込むように撫でながら、言葉を紡ぐ。
「私は浅はかだった。私たちの地獄は、すべて父が齎したものだと思いこんでいた。父さえ死ねば、母が救われると信じ、一計を案じたのだ。当時、宰相の職に就いていた彼は、私に加担した。彼は毒薬を調達し、私はその毒を父の杯に垂らした。杯を煽った父は、発狂し、やがて衰弱して死んだ」
ラプンツェルは、ぽかんと口を開けていた。ニーダーの暗い顔から、視線を剥がせない。
(ニーダーが、彼のお父さまを、殺した?)
ニーダーの父親はブレンネン王国の王だ。国中の尊敬と忠誠を一身に集める名王だった。
しかし、それと同時に、ニーダーの母親に暴力を振るい、ニーダーを追い詰めた張本人だ。
ニーダーの父親が、ニーダーとその母親に、どんな非道を働いたのか。ニーダーは語らないから、ラプンツェルは知らない。けれど、少年だったニーダーが、実父の殺害を企てる程だ。ラプンツェルには想像も出来ないような問題が、親子の間に横たわっていたのだろう。
父親について語る時、彼の目は生気を失うことにラプンツェルは気が付いた。ニーダーの言葉は、ほとんど囁くようだった。
「苦しんで死ぬ父を目の当たりにしても、私の心には一片の後悔もなかった。私は、あらゆる手段で母を侮辱し、私を白眼視する父よりも、親切な宰相を慕っていた。母を幸せにするのは、父ではなく彼だと、私たちは信じていた。信じたかった。これで良いんだ。これで良かったんだ。このままでは、私たちは駄目になっていた。……しかし、母は彼を受け入れなかった。私たちではなく父を選び、母は……自ら命を絶ってしまった」
ニーダーは虚ろな目を瞼で隠す。悪夢に魘されているかのように言った。
「母に拒絶された彼は……怒りの矛先を私へと向けた。私が、間違っていたからだ。彼は私の過ちに引き摺られ、地獄に堕ちてしまった。彼は私を排し、ノヂシャを王位につけようとした。一度は諦めたが……私は抗った。君を手に入れたかったのだ。それに、あの呪われた子に……私が手にすべきものを、みすみす明け渡してなるものか……」
ニーダーの伏し目に、稲妻のように閃くものがあった。ノヂシャに対する怨恨が、ニーダーの心に巣食っている。ラプンツェルは、無意識のうちにニーダーの手を握り返した。
ニーダーが目を上げる。凪いだ水面のような瞳には、憎悪の混濁は見えなかった。ニーダーの手が、ラプンツェルの両手を握りしめている。縋るように強く。
ニーダーは、ラプンツェルが思い描いていた人物像とは、まるで違った。両親を奪われた悲劇の王子ではなく、絶望から不死鳥のごとく蘇った名王でもない。吟遊詩人に語られるような、完全無欠の超人ではない。
だからと言って、冷酷無慈悲な外道の一言で片づけられる、単純な怪物でもない。
本物のニーダーは、愚かで複雑な心を抱えた、ちっぽけな人間なのだろう。
ニーダーはラプンツェルの手を握りしめている。目を閉じて言った。
「私は呼吸をするように、間違いを犯し続けて生きてきた。もう、過ちを繰り返したくない。だから、この手で殺した父を、私の中で生かし続けた。母に愛された父は、絶対的に正しい筈だ。父のようになれば、正しく生きていける。間違いない。そのようにして、君のことも手に入れたのだから。君に憎まれようが、不幸を望まれようが……君は傍に居てくれて、私の子供を産んでくれる。私には過分な幸せだ。それが……」
ニーダーは言葉を切った。ゆっくりと瞼を持ち上げる。そろりと伸ばされた右手が、ラプンツェルのお腹に、微かに触れる。下がっていた口角が僅かに持ちあがった。
「子どもが出来て初めて、父のようになりたくないと思った。君たちを愛している。憎まれたくない。私だって、本当は愛されたい。高望みだと、頭ではわかっているんだ。でも……」
ニーダーはそこで、言葉に詰まった。潜めた眉の下で眼を伏せる。
ニーダーが言葉に出来ない気持ちを、ラプンツェルは汲み取れる気がした。
ニーダーはだんだん、欲張りになっている。
彼は今まで、本当に欲しいものを、ずっと我慢して生きてきた。ラプンツェルの愛も、一度は諦めた。けれど、求めるものが次々と手に入って、欲が出てきたのだ。
ニーダーが欲しがっていたものは、普通ならば生まれたと同時に、得られる筈だった。それが無かったから、ニーダーは異常なまでの飢えに苦しんでいるのだろう。
ニーダーはひとつため息を落とす。それで仕切り直して、言った。
「……ノヂシャが君を害するなら、誰がなんと言おうと、生かしておけない」
ニーダーはラプンツェルの手を両手で包み、それを己の頬に押し当てた。祈るような姿勢で、囁いた。
「そうだ。変わるんだ、私は。君たちさえいてくれれば、もう何もいらない。何を引き換えにしても守るよ。必ず」
ニーダーの目許に光ったのは、涙だったかもしれない。涙で滲んだ視界では、それすらよくわからなかった。
(ニーダー、あなたが変われるなんて、私には思えないよ。あなたはもう、どうしようもなく、狂っているんだもの。だけど……だけどもし、本当にあなたが変われたなら……)
ラプンツェルは眼を閉じた。ニーダーとお腹の子の温もりに、切なさを覚える。
知ってはいけなかった。知ってしまったら、手放せなくなるから。




