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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第八話 狂気
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憎しみを越えるもの

 ***


 夫婦の寝室に戻ると、ニーダーはメイドに、至急医師を呼ぶよう言いつけた。おっとり刀でかけつけた医師に、問題ないとのお墨付きを貰うと、周囲にも影響するニーダーの緊張が、ようやく解けた。


 ラプンツェルは大事をとって寝台に寝かされた。医師とメイド達が引き取り、ニーダーだけが残る。夫婦の寝室に、二人きりになった。


 ニーダーは眉間に皺をいつもより深く刻み、頬を固く強張らせ、目を釣り上げている。触れれば切れそうな苛立ちが、霜のようにニーダーに張り付いていた。ラプンツェルが身重でなければ、ニーダーは発作的に、ラプンツェルに手を上げたかもしれない。


 だからこそ、医師もメイドも、お役御免となればそそくさと退室したのだろう。

 苛立ちが伝播して、ラプンツェルの肌を刺す。火傷をしたようにひりつく頬に染みたけれど、不思議と心地よい気もした。


 ニーダーが怒るのは当然である。ニーダーが来てくれなければ、お腹の子が殺されていたかもしれないのだ。

 守ってくれる人々を遠ざけ、のこのこと危険な外へひとり出て行った。会ってはいけない人に会いに行った。利己心の為に、我が子の命を危険に晒した。


 ニーダーは寝台の傍の椅子に腰かけている。膝に肘をつき、右手に顔を埋めて項垂れていた。時折、大きく上下する肩を見ていれば、ニーダーが怒りをいなすことに難儀していることが知れた。ニーダーは深呼吸をすると、押し殺した声で言った。


「ラプンツェル、私は憤っている。何故、供も付けずに外に出た」


 ラプンツェルは、ニーダーからそっと視線を外す。だるさが残る顎をゆっくり動かして、答えた。


「ルナトリアに、一言、謝りたかったの」

「不要だと言った筈だ」

「そうだね」

「……そうだね? 軽々しい一言で片づけてくれるじゃないか。君は事の重大さがわかっていないな。ノヂシャが君に飲ませようとしたのは、恐らく、忌まわしい毒薬の類だぞ。君やノヂシャが命を落とすことはなくとも、お腹の子は……!」


 ニーダーが拳で膝を叩く。固く握りしめた手が小刻みに震えていた。込み上げるものをこらえようとして、端正な顔が歪んでいる。


「ノヂシャめ……私に歯向かうだけの余力を、まだ残していたのか……何処までも目障りな奴。ルナトリアまで巻き込んで……なんということだ。いっそ殺してしまえれば……!」


 軋るように言い捨てて、ニーダーはもどかしそうに髪をかき混ぜた。ニーダーは優位に立つ者の余裕をかなぐり捨てて、ノヂシャへの憎悪を剥きだしにしていた。


 形振り構えなかったのだ。愛する我が子を宿した妻が、狂人に取り押さえられていたのだ。どれだけ豪胆な猛者であっても恐怖する。

 ノヂシャの手首を切り落とした、無慈悲な刃は冴え渡っていた。その一方で、ラプンツェルを抱きしめたニーダーの体は震えていた。


 ニーダーも怖かったのだ。ラプンツェルと同じか、それ以上に怖かった。

 ラプンツェルの双眸が、かっと燃えるような熱をもつ。枕に顔を押し付け、ラプンツェルは言った。


「ごめん、なさい」


 声がこみ上げる涙で震える。嗚咽を漏らしながら、ラプンツェルは自嘲した。そんな資格は自分にはない。

 ラプンツェルはお腹に手を当てている。医師は、ここにまだ、子どもがいると言っていた。それを聞いたラプンツェルは、歓喜に打ち震えた。子どもがお腹にいてくれることが、無上の喜びなのだと、その時に初めて知った。失いかけて初めて、授かった命の大切さを思い知った。

 我が子を亡くし、狂気に陥ってしまったルナトリアを、心の底から哀れに思った。この掛け替えのない命を失えば、ラプンツェルとて発狂したかもしれない。


 ノヂシャが左手を落とされた時、本来感じるべき、心配、憐憫、怒り。なにも感じなかった。塩の粒となって消えた、ノヂシャの血の染みと同じように、ノヂシャのことなどどうでも良かった。


 非力なラプンツェルでは、ノヂシャに抗えない。我が子を守れない。そう悟った時、ラプンツェルの心は真っ先に、ニーダーに助けを求めた。鉤の部屋で覆面の騎士に鞭打たれた時よりも、必死になってニーダーを呼んでいた。


 ニーダーは来てくれた。助けてくれた。ニーダーの胸に抱かれている間、ニーダーへの憎しみを、別の感情がはじめて上回った。


「ニーダー……ありがとう……」


 ラプンツェルは、しゃくりあげながら、やっと言った。ニーダーが、小さく息を呑む。


 ニーダーが立ち上がった。寝台が少しだけ沈む。頭まで被っていたシーツを、そっと剥がされた。

 両手の指を揃えて顔を隠しているラプンツェルを、寝台の傍らに跪いたニーダーが、しばらく黙って見ていた。恐る恐るといった手付きで、ラプンツェルの手を退かせる。


 ニーダーは目を丸くした。ラプンツェルは、酷い顔をしているのだろう。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだ。ぐすぐすと鼻を啜り、シーツに顔を擦りつけて、少しでもましにしようとする。

 ニーダーはおろおろしている。ポケットチーフを引っ張り出して、ラプンツェルに差し出した。


「これ……使うか?」


 ラプンツェルは白く柔らかい布で洟をかんだ。ニーダーは虚をつかれたように目を瞬かせ、小さくふきだした。


 ニーダーは真っ赤になったラプンツェルの、湿った鼻先を撫でる。そして、ラプンツェルの両手を包み込んだ。


「私は、君とこの子を愛している」


 ニーダーは真っ直ぐにラプンツェルを見つめて言った。


「君に告白しなければならないことがある。聞いてくれるか」

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