狂女
流産に関する描写や、不謹慎な台詞があります。ご注意ください。
精彩を欠いた東屋は退廃して見える。枯れた蔦薔薇は、干乾びた死体のように空虚だ。それが白亜の支柱に絡みつく様は、さながら病魔のようである。
ルナトリアは鄙びた景色に溶け込むようにして、そこにいた。ひっそりと、椅子に腰かけている。その足元で、枯れ葉がからからと音を立てて渦巻いた。
ルナトリアは喪に服している。頭の先から爪先まで黒一色といういでたちだ。斜めに被った小さな帽子から垂れ下がる、黒いチュールで顔が覆い隠されている。
ルナトリアとの対面を望んで来たというのに、いざとなると、ラプンツェルの胸は、不安と恐怖に締めつけられた。迫持ちの下で立ち止まる。それ以上、足が進まない。無意識のうちに、ラプンツェルは呟いた。
「ルナトリア……」
ラプンツェルの声は木枯らしに掻き消されるくらい小さかったが、ルナトリアは気が付いた。ゆっくりと、横顔をこちらに向ける。血に濡れたような唇が、傷口のようにぱっくりと開かれた。
「御機麗しゅう、お妃さま」
ルナトリアがしずしずと東屋を出る。ラプンツェルの前で立ち止まった。
細やかに編み込まれた薄いチュールは、ルナトリアの表情を完璧に隠している。唯一見える唇は笑みを刷いているけれど、それは人形の顔に掘り込まれた笑顔と、何ら変わりがないようだ。
ルナトリアは艶やかなその唇で、優美な弧線を描いて言った。
「ご懐妊、おめでとうございます」
ルナトリアは紋切り型の祝辞を述べただけ。ただ、チュールの奥から、凍てつくような熱視線を、ラプンツェルの腹部に注いでいる。それだけで、十分過ぎる程にラプンツェルを脅かした。
ラプンツェルは、ルナトリアの目から隠すように腹を抱えた。背を、氷のように冷たい汗がくだる。異様な視線が、腸に食い込もうとするかのようだ。ラプンツェルは喘ぐように言った。
「ルナトリア……なんて言ったら良いのかな……あの、旦那様が亡くなったって、聞いて……えっと、お悔やみを……」
弔辞を述べるより、謝らなければいけない。けれど、謝罪の言葉は喉に閊えて、なかなか出て来なかった。
ラプンツェルは極寒の地に立たされたように凍えていた。本能的に悟ったのだ。ルナトリアに会いに来たのは、致命的な間違いだったと。
目の前のルナトリアから、何かが決定的に欠落している。冷たい塊として、突き上げてくるのは恐怖だ。ラプンツェルは言葉を失った。
ルナトリアは精巧なつくりの蝋人形のように、じっとしている。呼吸すらしていないかのような、完璧で不自然な静止状態。
ラプンツェルがじりじりと後ずさりをすると、ルナトリアが少し首を傾げた。ラプンツェルは、びくりと肩を跳ね上げる。ルナトリアの弧を描いた唇から覗く、赤い舌が何か別の生き物のように蠢いた。
「ええ、亡くなりました。なぜなのでしょう。わたくしには、わかりかねます。夫には、少し難しいところがありましたから」
何の感慨も抱かずに、ルナトリアは言っていた。悲しむことも喜ぶこともしない。ぜんまいを巻かれて、櫛歯を押し上げ弾く、オルゴールのように、唇が音を奏でているだけだ。
目を見開くラプンツェルに、ルナトリアは一本調子で続けた。
「心ない女だと思し召すでしょうね」
ルナトリアの言葉に、喉を扼されたようだった。目の前のルナトリアが、魂のない人形にしか見えない。しかし、それを知られると、まずい気がした。ラプンツェルは細った喉を震わせて、掠れた声で言い繕う。
「そんなこと……突然のことで……大変でしょう」
「大変、なのでしょうか。諸々の手配は、邸の者が良きに計らってくれます。わたくしは、特に何をするでもなく、ぼんやりとしています」
ルナトリアは頬に手を添える。どことなく、ぎくしゃくとした動作をして、ほうっと溜息をつく。
「夫の死を、悲しいとは思わないのです。嬉しいとも思いませんが」
そう言って、一拍置く。ルナトリアはくすりと笑った。
「嘘ではありませんよ? わたくしがいくら愚かな女であっても、夫に打たれたくらいで、殺めることは致しません。それに、陛下よりご高説を賜りまして、心を入れ替えましてから、夫婦仲は良好でした。夫がなぜ自ら毒杯を煽ったのか……敢えて心当たりを上げるとしますれば……わたくしが石女であるからかもしれません」
ルナトリアがさらりと言った。ラプンツェルは、すぐには飲み込めなかった。ルナトリアはラプンツェルの腹部を凝視している。ルナトリアは重ねて言った。
「わたくしは、子どもを授かることが出来ないのです」
ルナトリアの手が、彼女自身の腹部に当てられる。ぎりりと、爪を立てた。
「先日、わたくしが身籠っていることが発覚しました。夫とは久しく寝台を共にしておりませんでしたので、夫の子でないことは明白でございました。夫は怒り狂い、わたくしに堕胎の毒を含むように、迫りました。わたくしは夫に反抗し、階段から転がり落ちたのです。結局、その衝撃で子は流れ、わたくしは子を産めない体になりました」
ルナトリアの独白めいた言葉が、ラプンツェルの心をしたたかに殴りつけた。これが、ルナトリアの療養の真相なのだ。彼女が愛しそうに撫でている胎に、もう二度と、命が宿ることはない。
(それも、私のせい? ルース公爵だけじゃなくて、私はルナトリアとノヂシャの赤ちゃんまで殺したの……?)
ラプンツェルはよろよろと後ずさりした。両手で抱えた頭を振り、恐ろしい罪の意識を振り払おうとする。
(そんなことない! ルナトリアとノヂシャは、不義密通の罪を犯してしまった! 二人の罪よ、私は関係ない! 私は背中を押しただけ。私は決定的なことは何もしていない。なにもかも、私のせいにしないで!)
ふと気が付くと、ルナトリアがラプンツェルのすぐ傍にいた。悲鳴を上げるラプンツェルの足元に、ルナトリアが跪く。逃げを打とうとしたが、腰を抱かれて逃げられない。暴れると、体制を崩しかけた。
階段から転げ落ちた衝撃で胎児が流れたという、ルナトリアの言葉が頭を過る。ラプンツェルは抵抗出来なくなった。
ルナトリアはラプンツェルのお腹に頬ずりをして、陶然と囁いた。
「このお腹は、陛下の御子を宿していらっしゃるのですね。素晴らしいことです、喜ばしいことです。ああ、お妃さま。祝福させて頂いてもよろしいでしょうか?」
ルナトリアはラプンツェルの返答を待たずに、目を閉じ、ラプンツェルの腹に額を押し付けた。
「こちらのおわすお方が、陛下のように、お強く、お美しく、お優しく、素晴らしい御子であらせられますように」
ルナトリアはまた、うっとりとラプンツェルの腹に頬ずりをした。愛しい人に寄り添うようだった。
「この御子には、高潔な魂が宿ります。わたくしにはわかりますわ。どうしようもなく惹かれてしまいますもの。この御子は、わたくしのニーダー様だわ……」
ラプンツェルは氷塊を飲み込んだようだった。ルナトリアが現実を見ていないことが、わかってしまった。
「ルナトリア……」
ルナトリアが頭を擡げた。少女のような無垢な笑顔を浮かべて、ルナトリアは首を傾げる。
「いけませんか? お妃様はニーダー様を嫌っておいででしょう? 憎んでおいででしょう? また、捨ててしまわれるのでしょう? この子は、お妃様には望まれない、要らない子なのでしょう? それなら、わたくしにください。わたくしにくださいな」
ラプンツェルの腰を抱きしめるルナトリアの腕は、鎖のように固く重い。狂気の笑みが亀裂のように深まった。
「流しておしまなさいませ。この子はわたくしが貰い受けます」




