親になる、ということ
ニーダーはいそいそと寄って来ると、長椅子にちょこんと腰かけているラプンツェルの隣に座った。
以前、膝枕をすると言って譲らないニーダーに困らされたこともあった。一度はラプンツェルが折れて、ニーダーの膝に頭を載せたのだが、太股の固さと具合の悪さに文句をつけてからは、ニーダーが自重するようになった。
膝枕は我慢して、ニーダーはラプンツェルの肩を抱いている。平らな腹部を、ニーダーの手がカスミ草に触れるように、そっと撫でる。こうする時、ニーダーははっとするような、優しい微笑みを浮かべていた。話す声まで、子守唄を歌うように優しい。
「一人目は王子で、二人目は姫」
「それは……予言?」
「希望だよ」
ラプンツェルは、ニーダーに撫でられる腹部に目を落とす。
ここに命が宿っていると言われても、いまひとつぴんとこない。吐き気を催した時は、悪くなった肉を食べたのだと思ったものだった。医師に懐妊だと告げられても、とても信じられなかった。今からでも、冗談でしたと言われれば、やっぱりね、と納得してしまえる。
(母親になる実感がないんだよね……)
そんなラプンツェルとは対照的に、子を宿したという腹を撫でるニーダーは、そこに命の芽吹きを感じているのだと思う。そうでなければ、こういう触れかたにはならないだろう。
母親は、子を宿して母になり、父親は、子を育てて父になると、シーナは言っていた。でも、どうやらラプンツェルとニーダーは、その反対らしい。
ラプンツェルには妊娠しても未だに、母親の自覚がない。けれどニーダーは、我が子が生まれる前から、父親になったようだ。子を愛する親だからこそ、我が子の存在を感じることが出来るのだろう。
不思議だ。ニーダーが子どもを優しく愛せるのかどうか、怪しい。ニーダーは暴力で人を愛せると信じている異常者だ。
それなのに、我が子に触れるニーダーの様子を眺めていると、親として心配なのは、ニーダーではなくむしろ、ラプンツェルの方だと思いしらされる。
蓋を開けてみないことには、どう転ぶかはわからない。それでも、ニーダーが愛する妻との、待望の子を愛しているのは、間違いないのだ。
子供を愛するどころか、存在さえ疑うラプンツェルの無関心のほうが、余程、深刻だろう。
優しい家族に愛されて育ったラプンツェルに出来なくて、愛されなかったというニーダーには出来るなんて、本当に不思議だ。
生れてくる子を利用し、その父親を陥れようと目論む母親は、素晴らしい結晶に、触れられないと言うことなのだろうか。
ラプンツェルは、ニーダーの伏せた睫毛に注目した。長く、たっぷりとしている。瞬きをするときに耳を寄せれば、鳥が羽ばたくときと同じ音が聞こえそうだ。見え隠れする目は、薄氷の冷たい色なのに、とても暖かい。
(冷たい目をしているのは、きっと私の方だ。お母さまになるのに、この子を愛しいと思ったことがない。それどころか、存在を感じたこともない)
自虐的な思考が刃になって、心を傷つける。それでも、痛みは感じない。血が流れているとも思えなかった。
自己嫌悪に苛まれながら、ラプンツェルは素っ気なく言った。
「王子が生まれたら、もう、それでいいじゃない」
「それは違う。王子はブレンネンに、姫は私に必要だ」
ニーダーは心外だと言わんばかりに眉を顰めている。ラプンツェルはぼんやりした。
ニーダーの眉間の皺が一本増えるたび、骨が震えるほど怯えていた過去があった。それがいつからか、ラプンツェルはニーダーの不機嫌を、涼しい顔であしらうようになっていた。
ラプンツェルは、汚れを落とす要領でニーダーの手をさっと払うと、腹部を撫でてみた。命なんて、感じられない。ニーダーには主張するのに、ラプンツェルからは隠れるなんて、可愛くない子だ。なんて、拗ねっぽく唇を尖らせる。
ラプンツェルは軽く腹を叩くと、鼻先で笑った。
「王子だった場合、この子は国の為だけに生れてくるのね。可哀そうになってきたわ」
案の定、ニーダーはぎくりとした。意地悪なあげ足とりをしている自覚はある。ニーダーが、そんな意味で言ったわけじゃない事くらい、わかっている。
それでも、混ぜっ返さずにはられない。ラプンツェルは、自分がどんどん嫌な奴になっていると思い、落ち込んだ。
ニーダーは唇を軽く噛むと、米神を抑え、ゆるゆると頭を振る。
「失言を撤回しよう。王子でも姫でもいい。君に会える日を、一日千秋の思いで待っている」
ニーダーはラプンツェルの手に手を重ねると、我が子がいる腹にそっと押し当てた。そうされると、暖かかった。我が子のものだと錯覚したのは、ニーダーの温もりだろう。そうに決まっている。
ラプンツェルは手を引っ込めると、ニーダーの顔を見ないようにして、話題をかえた。
「ニーダー。ここのところ、忙しそうだね。どうかしたの?」
「なんでもない」
ラプンツェルはおや? と思い、ニーダーに向き直った。
ニーダーは打てば響く受け答えをしたが、声の調子や目の配り方で、ニーダーが動揺していることが、なんとなくわかる。
ラプンツェルに知れると不都合なことがあるのだ。ラプンツェルはニーダーの膝に手をのせて、詰め寄った。
「なんでもないことないでしょ」
ニーダーの目は一瞬だけ泳いだが、瞬きの間に毅然たる態度を取り戻して、きっぱりと言った。
「君が気にかけるべきは、君自身とお腹の子のことだけだ」
ラプンツェルはもちろん、納得していない。けれど、ニーダーはこの話はこれまでと、勝手に終止符を打ってしまった。追尋をかけようとすると、悉く邪魔をする。長椅子に仰向けになり、ラプンツェルの膝に頭をのせて、まだ平らなお腹に向けて童話を読み聞かせ始めた。
ニーダーの奇行を白眼視しつつ、ラプンツェルは諦念の溜息を漏らす。
何か問題が起きたのだ。しかも、ラプンツェルに知られるとまずいと、ニーダーが判断するような問題が。不吉な牙が胸を噛む。
(ひょっとして、ヒルフェたちに何かあったんじゃ?)
そう考えると、ラプンツェルは居てもたっても居られなくなった。