変化
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妊娠が明らかになってから、ラプンツェルの周囲の人々は、今までに輪を掛けて過保護になった。正直に言うと、ありがた迷惑である。
悪阻の症状はそれほど重くなかったが、嗅覚が鋭敏になった。
人の肌から匂う、血肉の匂いがだめだ。メイドや騎士が長い時間、近くにいると、気持ちが悪くなってしまう。
妊娠初期は悪阻によって、食べ物の匂いに敏感になるものらしい。血と肉を糧にする、影の民の末裔であるラプンツェルは、人間の血肉の匂いにも、反応してしまうようだった。
そんなことは知る由もないメイドたちは、常時ラプンツェルの傍に控え、せっせと世話をしてくれる。ラプンツェルを長椅子の上から動かしたら負け、という決まりごとがあるのかもしれない。誰との何の勝負なのか、知らないけれど。
メイドたちは、ラプンツェルのことを人間だと思いこんでいるらしかった。
当然だ。人間たちに「人喰い」呼ばわりされ忌み嫌われる、高い塔に住まう者達は、駆逐されたことになっているのだから。
高い塔の悲劇に居合わせた、親衛隊の騎士たちを始めとする一握りの人間だけが、ラプンツェルの正体を知っているのだ。
ラプンツェルの事情を知らないメイドたちに、吐き気がするから近寄らないで、とは、申し訳なくて、なかなか言い出せない。
上手く説明出来ず、メイドたちに嫌な思いをさせてしまうだろう。
悪阻が酷い日には、メイドたちへの当たりがきつくなってしまうこともある。それでも、良く尽くしてくれるメイドたちに、ラプンツェルはとても感謝している。
出来るだけ、彼女たちが気持ち良く仕えられる主人でありたい。過保護に世話を焼いてくれるうちは、まだ、彼女たちに嫌われていない証拠だろうから。
過保護になったのは、ニーダーも同じだ。メイド以上かもしれない。朝と夜だけではなく、一瞬でも隙間時間を捻り出せれば、わざわざ夫婦の寝室に戻って来る。
悪阻が始まり、ラプンツェルの妊娠が発覚した時も、おっとり刀でかけつけてきた。ニーダーは、高笑いしていた。
もともとおかしかったニーダーが、とうとう誰の目にも明らかな程に、おかしくなってしまった。
ラプンツェルは愕然とした。目の前が真っ暗になった。
ただでも、医師に懐妊を寿がれた時、夢でありますように、と祈るような精神状態だったのだ。ひどい追い打ちをかけられたと思い、ニーダーを恨んだ。
別に、心細くなったのではない。ニーダーにはいずれ、壊れて貰わねばならない。
それに、子育てにおいて、ニーダーは不安要素以外の何ものでもない。
ニーダーは異常だ。ラプンツェルがニーダーに背けば、いつまた、暴力に頼るか知れない。それは、子供にも及ぶかもしれない。
けれど、子供の誕生を待ち望んでいるニーダーが、まだ必要だ。
まともなふりも出来なくなったニーダーと、新しい命の芽生えを喜べないラプンツェルでは、子どもを産み育てられない。
八方塞だと頭を抱えるラプンツェルを、ニーダーは気遣ってみせた。思いやりを真似るていどの理性は残っているらしい。笑いながらではあるが。
ニーダーは発狂したのではなくて、単に喜び過ぎていたのだった。笑いがとまらず、やっと止まったと思ったら、今度はしゃっくりがとまらなくなった。ろくに言葉を発せない状態である。
ニーダーは待望の我が子を身籠ったラプンツェルに伝える為の、気の利いた台詞を用意してきたらしい。それなのに、意味不明な発作のせいで、彼は言えなかった。
悄然と肩を落とすニーダーが、いつもより小さく見える。良い気味で、おかしくて、少しだけ気の毒で、ラプンツェルはくすりと笑えた。
「笑うとしゃっくりが出るのは、笑い方が下手くそだからだよ」
呼吸が乱れると、しゃっくりが出る。幼い頃、しゃっくりがとまらないと泣きついたら、シーナが教えてくれた。「姫様が大きくなられて、笑い方がお上手になったら、しゃっくりは出なくなりますからね」と言って、しゃっくりを止めるコツをいくつか教えてくれた。
教えて貰ったコツは、ニーダーには教えない。ニーダーがひっく、ひっく、と苦しそうに肩を跳ね上げているのを、ラプンツェルはにやにやして眺めていた。
ニーダーはしゃっくりを繰り返しながら、切れ切れに応える。
「そうかもしれな……ひっく……しゃっくりが、ひっ……出るまで笑ったことが……ひっく……なかった……ひっく!」
厄介なしゃっくりと格闘するニーダーに、ラプンツェルは教えてやった。しゃっくりを止める為には深呼吸をするという方法があると。
そんなことがあって、ニーダーは大任を帯びた妻に、気の利いた言葉のひとつもかけられなかった事を悔いたようだ。その分を、態度で埋め合わせようとしている。
ニーダーは甲斐甲斐しくラプンツェルの世話を焼こうとする。如何せん、尽くされる立場に生れついた人間だ。絶望的に不器用だし、お世辞にも、気が利くとは言えない。邪魔になることが多い。それに、いるだけで、ラプンツェルとメイドたちを落ち着かなくさせる。
しかし、ニーダーには一つだけ、良いところがある。ニーダーの匂いだけは、なぜか気にならないのだ。ニーダーから、人間らしい体臭が殆ど嗅ぎとれないことに、ラプンツェルは妊娠して初めて気付いた。
ニーダーが傍で世話をしてくれるのが、一番、体力的に楽だ。傍にいられるのは、嬉しくないし、疎ましいのだけれど、背に腹は変えられない。
ところが、理由を知らないニーダーとメイドたちは、ラプンツェルがニーダーに甘えていると思ってしまった。
甚だ心外だが、メイドに本当のことを打ち明ける訳にもいかなかった。ニーダーには、言ったところで、無駄だろう。
ニーダーは機嫌が良いと、なんでも都合の良いように受け取る傾向がある。それでも、機嫌が悪いよりマシだ。
勘違いしたメイドたちは、微笑ましそうに覗きに来るし、有頂天になったニーダーは、何かにつけて出しゃばってくる。
どちらも鬱陶しいけれど、どちらも好意からくるものだから、無碍に出来ない。余計に性質が悪い。
ニーダーの方は多少ぞんざいにあしらっても
、基本的に鈍いので、なんともなさそうだった。ラプンツェルが離反しようとしない限り、ニーダーは寛大な夫だ。
夜になると、ニーダーは夫婦の寝室にすっ飛んで来る。ここ数日は、何やらばたばたしていて、昼間は抜け出せないらしく、昼に会えない分、夜ははりきって帰って来た。




