疑惑2
ニーダーの雰囲気ががらりと変わった。冬の風が吹き込んできたようだ。ニーダーの目が酷薄な輝きを帯びている。頭を撫でていた手がするりと下がり、ラプンツェルの頬を挟んだ。
口を閉じることの出来ないラプンツェルに、ニーダーは額を寄せる。研ぎ澄まされた刃の切っ先のように、ニーダーの視線は痛みを伴い突き刺さる。
ニーダーはラプンツェルに詰問した。
「誰だ? 隠し立てしても無駄なこと。君の交友関係など高が知れている。ビルハイムか? ……いや、その息子だな。君は彼奴に献上された髪飾りを、大切にしていたようだった」
ニーダーが冷笑すると、彼の手に俄かに力がこもり、ラプンツェルの顎は軋んだ。
「まったく、どいつもこいつも、恩を仇で返してくれる……我が妻に手を出した下郎は、相応しい惨めさで始末してくれよう」
豹変したニーダーに、ラプンツェルは付いていけない。ニーダーが発した暴言が、とんでもないものだったから、咀嚼し、嚥下するのに時間を要していた。
理解すると、恐れよりも、怒りが腹の底で急速に膨らみ、破裂した。
「ニーダー……あなたって、本当におかしなひとね!」
ラプンツェルはそう叫び、ニーダーに食ってかかった。
「お父さまやヒルフェと、そんなことする訳ない! 好きな人はいたけど、私の片思いだもの、何もなかったよ! だいたい、私はそういう邪な気持ちで、彼を好きだったんじゃない! 信じられない……こんな屈辱、許せないわ! 取り消して、今すぐに!」
ラプンツェルは金切り声を上げ、思いつく限りの悪態をついた。密度の高い怒りは、涙さえ滲ませている。
高い塔の家族たちを侮辱されるのは許せない。例え、ニーダーの異常な妄想の中であろうと。
「邪な気持ち、ね」
ラプンツェルをまじまじと見つめていたニーダーが、ぽつりと呟いた。
「やはり、君はまだ子どもなのだな」
ラプンツェルは突き上げるようにニーダーを睨み上げる。眼で殺せるなら、この一撃でかたがついただろう。
頭がおかしい癖に、分別腐った物言いをするニーダーが気に食わない。ラプンツェルは怒りにまかせてニーダーの胸を突き放し、つっかかった。
「あなたにだけは言われたくない!」
ニーダーはラプンツェルを腕の外に逃がさない。憎たらしいほどに、落ち着き払ってニーダーは応えた。
「私は君より、ずっと大人だと思うが」
「あなたに比べたら、私の方が、ずっと分別がついているわ!」
「私が没分業漢だと」
「なにそれ、さっぱり意味がわからないわ。もっとわかりやすい言い方は出来ないの!?」
(難しい言葉で煙に巻こうとしている? バカにして!)
ラプンツェルは地団駄を踏むかわりに、膝で跳ねあがって、手をばたつかせた。抑えあぐねたニーダーは、迷惑そうに顔を顰める。
「君は、私が分別のないこどもだと言いたいのかと、訊いた」
「違う!?」
ラプンツェルは怒声を張り上げ、ニーダーに飛びかかった。
ところが、ニーダーは仔猫にじゃれつかれたみたいに、涼しい顔でびくともしない。ラプンツェルはニーダーを押し倒すことが出来ず、腿に乗っただけ。
思うようにいかなくて、頭にくる。ラプンツェルはニーダーの胸を拳でぽかぽかと乱打しながら、喚き散らした。
「私は純潔よ。証明出来るわ!」
「自分が何を言っているのか、わかっているのか?」
「わかってる! 根も葉も無い言いがかりで、ヒルフェを殺されたら、堪らないもの!」
ラプンツェルの手首をニーダーが捕まえる。ラプンツェルは手を振りほどこうとした拍子に、ニーダーの横面を張ってしまった。
乾いた破裂音が響き渡る。じんと痺れる右手が行き場をなくした。ラプンツェルの顔から血の気が引く。体中の血を氷水と差し替えられたかのように、寒気がした。
それでも、ニーダーは首を逸らすことも、顔を歪めることもなく、淡々と言った。
「冷静になったかね」
解放されると、ラプンツェルの手は力なく膝の上に落ちる。恐怖心は遅れてやって来た。
愚かにも、自分の立場を失念していた。ニーダーのさじ加減のひとつで、ラプンツェルは居心地の良い夫婦の寝室から、鉤の部屋へ逆戻りだ。生き残った家族たちも、今度こそ息の根をとめられるかもしれない。
どんなにやりきれなくても、耐えるしかなかったのだった。
(どうしよう……私、なんてこと……)
ニーダーの顔をまともに見ることが出来ない。膝の上で重ねた手が小刻みに震えている。ラプンツェルは消え入りそうな声で、やっと問いかけた。
「ずっと、訊きたかったんだけど……生き残っている皆は、無事なんだよね」
ニーダーは含み笑い、ラプンツェルの顔を隠す乱れ髪を耳にかけた。石の心臓には触れられないが、耳殻に触れられ、びくついてしまう。ニーダーは千切って投げるように言った。
「いつ訊かれるかと思っていた。君は思ったより気が長かったな」
ニーダーは軽く肩を竦めると、ラプンツェルの髪に指を通す。平坦な声調で質問に答えた。
「監禁してある。死んだ筈の人喰いを、表に出すわけにはいかんからな。君の気に入りの……ビルハイムの息子と、メイドの娘二人も生き残った」
「酷いこと、してないよね」
「来賓扱い、とは言わぬが。世話役には、くれぐれも死なせないよう、言いつけてある。尋問も拷問も不要な囚人だ。メイドの娘は、不幸を嘆く他にすることが見つからぬようだな」
ラプンツェルは愕然としたが、萎えた気持ちを必死になって励ます。
家族が無事で良かった。ニーダーの口ぶりからして、自由を奪われてはいるものの、酷い目に会わされている訳ではないらしい。本当に良かった。
家族の無事を確かめたところで、安心してはいられない。ニーダーの誤解をちゃんと解いておかなければ、ヒルフェが何をされるかわかったものではない。
ラプンツェルは、縋るようにニーダーを見上げた。しおらしく訴える。
「ブレンネンの常識と、私が受けてきた教育は違うの、ニーダー。私は身を守る為に、シーナから、女性の体のことや、子どもの授かり方を学んだだけ。ヒルフェとは何もないし、片思いの相手はヒルフェじゃない。その人は亡くなったの。たぶん、随分昔のことだよ」
ニーダーは、ラプンツェルを見据えたまま、沈黙する。ラプンツェルの言葉を吟味しているようだった。髪を梳く手の優しさが怖い。
ややあって、ニーダーはラプンツェルの背に腕を回した。胸に抱きこまれる。ニーダーはラプンツェルの震える耳元で囁いた。
「ならば、さしさわりなく事に及べるというわけだ」




