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愛憎のラプンツェル  作者: 銀ねも
第1話 崩壊
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かわいそうなノヂシャ

動物虐待の描写、残酷な描写、不快な描写があります。ご注意願います

**


ひとよりも「良きひとの友」とされる犬も、遡れば自由に駆け回る野の獣だった。群れから引き離された狼は、最初こそ人間に牙を剥いただろう。けれど、やがて自らを浚った人間を仲間として認めるようになる。

狼にとって、彼を捕えた人間は、彼を家族と引き離し恐怖で服従させた、憎むべき対象だった筈だ。それでも、その生活において大きな苦悩や苦痛が生じなければ、諦め、妥協し、慣らされていく。


ラプンツェルにもまた、同じ変化が起こりつつあった。


城に連れて来られて一月が経った。ニーダーの言うルールを守っている限り、ニーダーは羽で触れるように優しい。ベッドで一緒に眠っても、ラプンツェルがびくびくするから、夫婦の夜はただ穏やかな眠りを共にするだけのものであった。


ラプンツェルは決してニーダーを愛していない。ニーダーもそうであると、あの冷たい目を見るたびに実感し、不信感だけが募っていく。けれど、それだけだ。

はじめは恐ろしいばかりだったが、ラプンツェルになぞめいた脅迫をした最初の日以来、ニーダーは恐るべき目でラプンツェルを脅かすことはない。


霧の中、平坦な道をひたすら歩くような日々の中で、彼女を守るべき何か重要なものが風化していく、漠然とした不安におののいていた。親衛隊は鷹の目でラプンツェルを監視していたが、それすら気にならなくなりつつある。


ニーダーと顔を合わせるのは、最初ほどではないにしろ、ラプンツェルにとって肩が凝ることだ。しかしニーダーは、何やら忙しくしているので、ラプンツェルは一人きり、心穏やかに過ごす時間を十分に確保することが出来た。それすら、危機感を鈍らせる要因なのだろうが。


その朝も、ラプンツェルが目覚めると隣はもぬけの殻で、ぬくもりすら残っていない。どうやら、ブレンネンでは今、何か大変なことが起こっているらしいのだが、ニーダーに訊ねる勇気はない。何がニーダーの逆鱗に触れるのか、彼を腫れもの扱いしているラプンツェルは、把握しきれていなかった。


死んでしまいたいと我が身の不幸を嘆く程ではなかったが、泡のように膨らむ不吉がいつ破裂してもおかしくない、不安定な日々をラプンツェルは送っていたのである。


この城において、最も愛すべきは一人でいられる時間だが、あれこれと考え不安が膨張してしまうのはいけない。ラプンツェルは書庫で本を読みふけり、時間をつぶすことにしていた。書庫から失敬し、持ち帰った本を開いていれば、ニーダーと共に過ごす時間に、だんまりを押しとおしていられることも、ありがたい恩恵であった。


ラプンツェルは書庫を目指して、離れと母屋をつなぐ列柱廊下を歩いていた。王国親衛隊が距離を置いてつけてくるのにはもう慣れた。隻眼の騎士を最初に見たときは、その凶相に悲鳴をあげてしまったものだけれど、慣れというものは頼もしい。


その日はうららかな日差しが庭の緑を美しく照らしていた。いつもは気にも留めない庭園に、なんとなく目を惹かれる。白薔薇の生垣の向こう側を、何者かがさっと過った。庭師だろうか。それにしては、落ち着きがないけれど。

ラプンツェルは足早に廊下を渡りきろうと視線を逸らす。しかし、がさがさと葉鳴りの音がした後に聞こえてきた声に、歩みをとめた。

 

「マリア、何処に行くんだ!? だめだ、そっちに行ったら……! 戻ってくれ、マリア」


 えっ、と戸惑い立ち止ったラプンツェルの許へ、一羽の小さなカナリヤが飛んできた。まだ頼りない翼を懸命にはばたかせるカナリヤは、ラプンツェルがとまり木のかわりにと差し出した人差指にとまった。指にとまったカナリヤは、人懐こい黒い目でラプンツェルを見上げて、澄んだ鈴の音色のような声で囀った。白薔薇の低木を掻きわけて、一人の少年が生垣から顔を出す。

 

「マリア……っ!」


 少年とラプンツェルの青い目がばっちりと合った。

 少年の大きな青い瞳に、ラプンツェルは吸い込まれそうになる。目が覚めるような青さが鮮烈だった。怖いくらい澄んでいる。目に気を取られていて、少年の髪が銀色だと気づくのが、かなり遅れてしまった。

 気がつくと、二人は結構な時間を見つめあっていた。ラプンツェルはこの不毛な硬直状態を打破すべく、おもむろに咳払いをして、言った。

 

「君は……ノヂシャ?」


 確認のかたちをとってはみたものの、ラプンツェルは既に確信していた。銀髪碧眼の人間は、このブレンネンに今はたったの二人しかいないのだから。


 先王の血を継ぐかつての第二王子は、その名を呼ばれると怯えたウサギのように竦み上がった。


 「あっ……」


 と声を上げ、生垣の向こう側に顔を引っ込めてしまう。ラプンツェルはあっと声を上げた。呼びとめようとした時、カナリヤがラプンツェルの手から飛び立つ。カナリヤが生垣の向こう側に舞い降りると、ノヂシャの弾んだ声がした。


「マリア! 良かった、戻ってくれたんだな。もう、勝手に何処かに行ったりするなよ」


 よく慣らされたカナリヤが歌うように囀る。まるでノヂシャと会話しているみたいだ。ノヂシャは


「似てる? 俺とあの娘が? そうだろうけど、そんなわけない。だって、俺は……」

「大丈夫? どうだろうな。見ろよ、銀色の髪だ。あの娘はニーダーの……」

「……わかった、君がそう言うなら……」


とぶつぶつと独り言をつぶやいていたかと思うと、やおら立ち上がった。


 背が高い。ラプンツェルと同じ年頃だろうが、ニーダーと同じくらい背が高い。体つきは発達途上の少年らしく、やや華奢ではあるが、しっかりとした骨格がこの先の逞しい成長を約束している。


 ニーダーよりも柔らかみのある、中性的に整った顔立ちは、ところが、きょどきょどする瞳のせいで、生来の魅力を損なってしまっていて、ひたすらひ弱に見えた。


(何をそんなに怯えているんだろう?)


 ラプンツェルは不思議に思いつつ、ゆったりとした足取りで庭園に足を踏み入れる。ノヂシャを怯えさせないように、生垣の手前で立ち止まった。生垣を挟んで二人が向かい合う。ラプンツェルはノヂシャを安心させたかった。ノヂシャの、竦んだ肩にとまり、首を傾げているカナリヤに目を向けて、にこやかに話しかける。


「可愛いね。マリアっていうの?」


 ノヂシャがびくりと肩を跳ねさせると、マリアが舞い上がり、今度はノヂシャの頭にとまる。銀色の頭髪を巣のようにして蹲るマリアを見て、ラプンツェルはくすりと笑った。


すると、茶色い猫が生垣を音もなくかいくぐってやって来た。金色の目でラプンツェルを見上げ一声鳴くとぴんと尻尾をたて、ラプンツェルの足に柔らかい体を擦りつける。ラプンツェルは歓声を上げた。


「わっ、この子も可愛い。君のお友達?」


 しゃがみこんだラプンツェルは、猫の背をそっと撫でた。この猫も人によく慣らされていて、ラプンツェルの掌に頭を擦りつけ目を細める。

 そんなラプンツェルと猫の戯れを見ていたノヂシャが、ぽつりと呟いた。


「ヨハンだ。友達じゃないけど」


 恥ずかしがっているのだろうか、とラプンツェルが目をぱちくりさせると、ノヂシャは慌てて俯く。マリアはノヂシャの頭から飛び上がり、くるりと旋回してヨハンの背に舞い降りる。ラプンツェルはちょっと身構えたが、ヨハンはマリアを見ても興奮することなく、マリアを背から落とさないように気を配っているようにさえ見受けられた。


 一羽と一匹を見つめるノヂシャの目は、とても穏やかだ。ラプンツェルはノヂシャの心に波紋を投げかけないように、そっと優しく話しかける。

 

「ヨハンとマリアは仲が良いんだね。それに、君も」

「二人は兄妹だからな。……親代わりになって俺を育ててくれた二人だ」


 奇妙な言葉だった。何らかの比喩か、暗示か、はたまた冗句か。ラプンツェルの困惑が空気を通じて伝わったのだろう。ノヂシャは、ラプンツェルに輪をかけて困ったようだった。おどおどして、すぐにでも、ぴょんと跳ねて逃げ出してしまいたそうにしている。


 ラプンツェルは話題を変えようと唇を開きかけた。

 ところが、気まずい沈黙に言葉を落としたのはラプンツェルでは無かった。ラプンツェルがこの一月、毎日のように聞き続けた、しかし耳になじまない、低く揶揄するようなあの男の声だった。


「ノヂシャのおままごとに、付き合ってくれていたんだね、ラプンツェル」

「……!?」


振り返ったラプンツェルの肌が泡立つ。ニーダーは穏やかに、正体の知れない不気味さを身に纏っている。ニーダーは笑った。亀裂がはしるようだった。


「そうして並ぶと、君たち、よく似ているな」


戦慄するラプンツェルは、尋常ではないノヂシャの悲鳴を聞いて、慌てて振り返った。


「ひぃっ……!」

「ノヂシャ!?」


 膝が笑い、その場に崩れ落ちるノヂシャに、ラプンツェルは慌てて駆け寄った。ノヂシャの背を擦ると、簡素な白いシャツが汗でびしょびしょに濡れている。体中が痙攣していて、息も絶え絶えだ。


「ノヂシャ! しっかりして、どうしたの、ノヂシャ!」

「心配は無用だ。いつものことだからな。君に構ってほしくて騒いでいるんだろう」

 

 せせら笑うニーダーを、ラプンツェルはきっと睨み上げる。


「平気な訳ない! こんなに苦しんでいるんだよ! ぼうっとしてないで、ノヂシャの為に何か出来ることを……」

「私が?」

「あなたの弟でしょ!」


 ラプンツェルの叫びを聞いたニーダーは目を丸くする。そうして、腹を抱えてけたたましく笑いだした。


「ははは……君がそれに甘くなるのは無理もないが……私が、それの兄だと? ははは、世間を知らぬ君とて、私たちの複雑な事情は知っている筈だ。国中の笑い話だからな。それなのに、そんな風に言えるとは……ははは! 「高い塔の姫君」はやはり違う!」


 ニーダーはいいだけ哄笑してから、肩をすぼめてにやりとした。


「いいだろう。それでは、私も君のように可愛い弟を宥めてやろうではないか」


 そう言って、ニーダーが無造作に一歩を踏み出す。するとノヂシャはぎゃっとおめき、ラプンツェルを振り払って逃げ出すものの、足が縺れて転倒してしまう。


 這いつくばってもがくノヂシャを心配するようにマリア舞い降りて、ノヂシャの顔を覗き込む。ノヂシャはかっと目を見開くと、目にもとまらぬ速さでマリアを捕まえた。驚いたマリアが甲高く鳴き、暴れたせいで羽が飛び散る。


 ニーダーの影がノヂシャに覆いかぶさり、ノヂシャはマリアを胸の前でぎゅっと握りしめて隠した。ニーダーはノヂシャの傍らに跪くと、ノヂシャの肩の隣に手を置いて、覆いかぶさる。ノヂシャの背をゆっくりと撫でながら、うぶ毛を逆立たせるノヂシャの耳元で囁いた。


「そうだな、ノヂシャ? ちゃんと守ってやれ。そうしないと、またマリアが遠いところへいってしまうぞ」


 ノヂシャが雄たけびを上げた。マリアを握りしめる手に力がこもる。マリアの可愛らしい嘴から恐ろしい苦鳴があがり、ぐちゃり、と身の毛もよだつ音がした。

ラプンツェルは口を両手で覆った。命が潰える、あまりにも軽すぎる音を、なすすべもなく聞いていた。声ひとつあげることが出来なかった。


その手応えに、ノヂシャはやっと我に返ったのだろう。ぽかんとして、くったりとしたマリアを見つめている。


「マリア? マリア? え、マリア?」


 揺さぶってもマリアは動かない。つぶらな可愛らしい目が、虚ろにノヂシャを見上げている。嘴や肛門から、桃色の臓器をひり出して、マリアは死んでいた。

 

「……マリア、マリア、マリア?……マリアァァァ!」


 ノヂシャが絶叫する。ニーダーは身を起こすと、悲嘆にくれるノヂシャの頭髪をがしがしとかき混ぜた。


「ははは、やったな、ノヂシャ。自分でくびり殺した。予想も期待も裏切らない、私の可愛い弟だ。ああ、ラプンツェル、見ていたな? こいつ、やってしまったぞ。困ったものだ。あんなちっぽけな生き物でも、一応は生きていると言うのに」


 ノヂシャは慟哭している。表情は悪魔の鉤爪で四方八方に引き裂かれようとしているかのように引き攣り、顔色は血を一滴残らず搾りとられたかのように青白い。

ラプンツェルは動けなかった。目の前で繰り広げられた凶行に、すっかり怖気づいてしまっていた。目敏いニーダーがラプンツェルを流し見て、低く嘲笑う。


「ん? どうした? 可愛そうな弟を憐れんで、仲良くしてやるのではないのか?」


 ラプンツェルは答えることもできず、がくがくと震える。ニーダーは小首を傾げて、合点がいったように笑った。


「ああ、そうかそうか、なるほど。ノヂシャ、そんなもので遊んでるから、姉君が怖がっている。壊れたおもちゃは、捨ててしまえ」


 ニーダーはノヂシャの手からマリアの死骸を奪うと、ぽいと地面に打ち捨てた。ノヂシャが喚きながらマリアの許へ這い寄る前に、俊敏にやって来たヨハンがマリアの死骸をいじり回し、瞬く間にずたずたに引き裂いてしまう。ノヂシャは激昂してヨハンを捕まえると、地面に何度も何度も打ちつけた。

ノヂシャがはっと気がついてヨハンを抱きあげる頃には、ヨハンの顔面は耕した畑の土のようになっていて、視神経で垂れ下がった右の目玉がぶらぶらと揺れていた。ノヂシャはマリアとヨハンの死骸を胸に抱き、地面につっぷした。


「また、また……! ……マリア、ヨハン……! ごめん、ごめん、俺のせいで、ごめん……!」


 ニーダーは啜り泣くノヂシャにあっさりと背を向けると、ラプンツェルの肩を抱く。瞬きも出来ないラプンツェルがぼろぼろとこぼした涙を拭い、苦笑した。


「泣くな。いつものことだよ。また、新しいのを身繕ってくる」


 そう言うと、ニーダーは顎で庭の隅を指示した。土を掘り返した跡があり、こんもりと盛られた土の上に、小さな十字架がいくつもたてられている。ニーダーは肩を竦めた。


「先の両陛下にかわり、騎士のヨハンとその妹、讃美の歌姫マリアが、これを育てた。その二人が、これの目の前で、惨たらしい死を遂げてな。それで、これは気が触れてしまったのだ。ああやって二人のかわりを用意してやらなければ、息も出来ないのさ」


 驚きだよ、とニーダーは軽やかに笑う。二人の命を紙のように軽視しているニーダーは、ヨハンとマリアの死になんらかの形でかかわっているのだろう。ノヂシャはこの男の気まぐれで絶望し続けているのだ。家族を喪う絶望を、繰り返している。


「なんて……ひどいことを……」


 ラプンツェルはニーダーの手から逃れ、突進するような勢いでノヂシャに抱きついた。ノヂシャをぎゅっと抱きしめる。じんわりと胸元に、生温かい血が滲んでいく感触が生々しい。

 ラプンツェルは、小さな咀嚼音を聞いて、凍りついた。まさかと思いながら、俯いたノヂシャの顔を覗き込み、卒倒しかける。


 ノヂシャはマリアの死骸を、頭からばりばりと食っていた。


 ニーダーの嘲笑が遠のく。ラプンツェルはついに卒倒した。


 

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