異変と脅威2
ラプンツェルは一番に、ノヂシャに足があるか確認した。死んでいるとは思っていなかったのだが、なぜか幽霊かと思った。
ラプンツェルは弾かれるように立ち上がると、バルコニーに続く窓を開け放つ。ノヂシャは、ゆっくりと近寄って来た。
ノヂシャに変わった様子は見られない。強いて言うなら、肩には小鳥がとまっているのに、胸ポケットは空っぽだ。質素な白いシャツから、痛々しい傷跡が透けて見えることを恐れて、ラプンツェルは目を固く瞑り、ぐいっと頭を下げた。
「ノヂシャ、ごめんなさい!」
「なんで謝るんだ?」
「だって、私……君たちに酷いことを……」
「俺と、誰に?」
「君とルナトリア」
「酷いこと? 俺は君に感謝してる。君が助言してくれたから、俺はルナトリアと仲良くなれた。それが、酷いことなのか?」
要領を得ないノヂシャ。ラプンツェルがそろりと顔を上げ、片目を開けて見ると、ノヂシャは不思議そうに目を丸くしていた。
気が重いが、仔細まで詳しく説明しなければならない。ラプンツェルは、重い口を苦労して開いた。
「ニーダーを東屋に連れて行ったのは……私なの。あなたとルナトリアが会っているところを、ニーダーに見せようと思って。言い訳になっちゃうけど、あんなことになるなんて、思わなかった。ごめんなさい、ノヂシャ」
「ああ、そのこと」
ノヂシャは鷹揚に頷くと、こともなげに言った。
「知ってるけど」
ラプンツェルは耳を疑った。信じられない思いで、ノヂシャを見つめる。ノヂシャは独特の自然体を崩さない。焦点が、夢と現実の間をふわふわと漂っているようだ。ノヂシャは悪くないとわかっていても、ラプンツェルは大きく溜息をついてしまう。無駄だと思いながら、ラプンツェルは訊いていた。
「どうして? 知ってたなら、どうしてルナトリアにキスしたの?」
納得のいく返答はきっと得られないだろうと思った。ノヂシャは心が壊れているから、物事を、秩序を立てて組み立てることが出来ない。
ラプンツェルの配慮が足りなかった。ドレスをぎゅっと握りしめ、奥歯を噛みしめる。
すると、ノヂシャがにっと笑った。
「見てみたかったんだ。いつも強いニーダーの、弱いところを」
漫然とした微笑みではない、入れ子のある含み笑いとともにノヂシャは言葉を紡ぐ。
「ニーダーのいい顔が見れて、満足してる」
ラプンツェルには、言葉の意味するところがぴんとこなかった。喉にものが仕えたような違和感がある。それを落とそうとするように、ラプンツェルはふるふると頭を振った。
「ニーダーに一泡吹かせてやろうって、あんな無茶をしたの? 下手したら君は、殺されていたかもしれないんだよ?」
「そんなんじゃない。言ったろ、俺はニーダーが好きなんだ。それに、殺されやしないさ。ルナトリアは俺なしじゃ、もう生きていけないらしいんだ。ニーダーはルナトリアのことが好きだから、ルナトリアを死なせない。つまり、ニーダーは俺を殺せないってこと」
ノヂシャはひょいと肩を竦めた。小鳥が飛びあがり、ノヂシャの頭のまわりをまわって、反対の肩にとまる。
ラプンツェルは瞬きを繰り返した。ノヂシャがノヂシャでないみたいだ。ふわふわと浮いているようなところがない。しっかりと、地に足を付けて立っている。
ノヂシャは唇の端を捲り、皮肉っぽく微笑んだ。
「それに、もしニーダーがかっとして、後先考えずに切りかかってきたとしても、ニーダーは止められた」
「止めるって、いったい誰が……」
ラプンツェルの問いかけを、ノヂシャは目笑で受け止め、黙殺する。落ち付いているノヂシャは、いつもより大人びて見えた。怜悧にさえ、思える。
ラプンツェルの混乱は深まった。
(どうしたの? このひと、本当にノヂシャ? なんだかおかしい。かわいそうなノヂシャがまるで、怖いひとみたい)
ノヂシャはラプンツェルを流し見ると、小さく息を吐いた。
「ラプンツェル、君……まだ、ニーダーを憎んでるな」
ラプンツェルはひゅっと息を呑んだ。虚ろだったノヂシャの瞳は、硬質な輝きを放っている。ノヂシャは、噛んで含めるように言った。
「好きになったら、君にもわかるさ。完璧なニーダーを歪ませると、すごくわくわくするぜ。俺たちにしか出来ない遊びだ」
ラプンツェルは戦慄した。ノヂシャからは、透徹した悪意のようなものが感じられたのだ。
ノヂシャは眉を片方だけ、器用に持ちあげた。笑顔さえまともにつくれない、不器用さが嘘のようだ。ノヂシャは零れるように笑うと、窓枠に手をかけ、ずいっと身を乗り出した。ラプンツェルの及び腰を抱え、額を寄せる。
ラプンツェルの呼吸が止まった。唇に、ノヂシャの静かな息遣いを感じる。ノヂシャは切り口上で言った。
「ニーダーは君のだ、ラプンツェル。そう決まっている。君がニーダーを支配してくれるのを、俺は待ってる。ルナトリアと一緒に、待ってる。俺、もっと見たいんだよな。ニーダーの良い顔」
それだけ言うと、ぱっと腰に回していた腕を解く。唖然としているラプンツェルに、あっさりと背を向けてた。
去って行くノヂシャを、ラプンツェルは窓から身を乗り出し、慌てて呼びとめる。
「ノヂシャ……待って、ノヂシャ! 君が何を言っているのか、私にはわからない。わからないよ!」
ノヂシャがゆるやかに足をとめた。肩越しに振り返る。ノヂシャの青い目が、爛々と輝いた。唇の端が耳に引きつけられる。鋭い犬歯を覗かせて、ノヂシャは言った。
「さっさと子どもをつくれよ、ラプンツェル。それが、君の復讐だろ?」
絶句するラプンツェルを、それ以上顧みることなく、ノヂシャは生垣の向こうに消えて行く。屈みこんでいた覆面の騎士がむくりと立ち上がり、ノヂシャのあとに従った。
「待って、ノヂシャ……待ってよ」
ラプンツェルはへなへなとその場にへたりこんだ。足ががくがくふるえていて、立っていられなかった。
子どもをつくれ。ノヂシャは確かにそう言った。それが、君の復讐だろうとも、言った。そう聞こえた。間違いではない。ノヂシャは知っているのだ。話した覚えがない、ラプンツェルの思惑を。
(ノヂシャがどうして、私とゴーテルの約束を知ってるの?)
ラプンツェルの心を覗きでもしない限り、知りようのない秘密だ。それを知っているのは、世界でたった一人、ラプンツェルだけなのだから。この世の何処を探しても見つからない、ゴーテルの魂を除けば。
震えるラプンツェルの髪に、黄ばんだ花弁がはらりと落ちかかった。
次回から新章です。気合いをいれ直して頑張ります……!
もちろん、楽しみながら(^-^)




